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白妙町は桜見丘市内屈指の田舎町なのだが、萱野優子の生家である定食屋『優』の裏を五分ぐらい歩くと、工業団地が広がっていた。名うての大手企業の工場が所狭しと並んでいる。
無論、各工場にも食堂は設置されているらしいのだが、昼飯時には、現場の職人がこぞって店に足を運んできてくれる為、店は火の様な忙しさになる。
次いで夕飯時になると、仕事終わりの職人達がまた、食事やら飲み会やらでぞろぞろやってくるので、更に倍は忙しくなる。
従業員は家族しかいないので、毎日が暇無しな萱野気であるが、彼らがいるお陰で経営が潤っている為、心の底から有り難いと思っていた。
だが、当然ライバル店も存在していた。
優子の家から公立白妙高校に向かって3分ぐらい歩いていくと、その店はあった。
田舎町には不釣り合いな、アジア風の一軒家がある。看板には陽気なインド人を模したターバンを巻いた色黒のおじさんのキャラクターが描かれていた。眩しい笑顔が印象に残る。
店の前を通ると、スパイスの香りが、鼻腔と唾液腺を刺激する。工業地帯の職人達や近隣住民からの評判も良い、人気店であった。
「……」
本日――――優子の姿は、その店の中にあった。
彼女の正面にはインド人が踊っている様が映し出されているTVが有り、陽気なダンスミュージックをBGMに食事を取っていた。
優子が座るテーブルには、象だか見たことも無い仏様の様な人物が描かれた――これまたインド色を全面に押し出したテーブルクロスが敷かれている。
その上には、円形の銀盤があり、二種類のカレールーが盛られた底の深い小皿と、スパイスを塗りたくった様な真っ赤な色合いのタンドリーチキン、そして何よりアメリカ人も初見はびっくりするであろう巨大なナンが、プレートからはみ出しており、存在感をこれでもかというぐらいアピールしていた。
「……インドカレーねえ」
腕を組んで銀盤の上にある食事様々を睨みつけながら、口を開く優子。どこか苛立ちすら感じられる声色だった。
「もともとカレーってのは、イギリスから日本に伝わってきたんだ」
ランチタイムを過ぎていたせいか、彼女以外の客の姿は無い。よって完全な独り言である。
優子は不満気な表情でブツブツ言いながらも、ナンを手に取る。
「つまり、アタシが言いたいのはな……
右手で持ったパンを、左手でひねってペリペリと千切っていく。ナンは焼き立てで油っぽくはあったが、温かくてもっちりとした感触だ。
「『カレーにナン』ってのも、日本人にとっちゃ邪道だな」
次いで、手の平大に千切ったナンを、カレールーの入った小皿へと持っていく。濃厚なスパイスの香りが、鼻腔をくすぐって、食欲を促した。
だが、その気持とは対照的に優子は不満気な顔でブツブツ喋っている。
「手で千切って食べるなんてそれ自体がマナー違反だよ。……それに、このルー、なんなのこれ」
日本人がよく知るカレールーとは程遠い、一見スープと見紛う程のサラサラとした薄茶色の液体――――それにナンを浸すと、優子はぼやく。
「そもそも日本でカレーってのは、小麦粉でトロミを付けたのを言うんだよ」
液体にナンをたっぷりと付けると、大きな口へと運んだ。
舌触りの良いバターと、鳥肉の風味が口中に広がっていく。うん、バターチキンカレーにして正解だったな、と優子は胸中で断言した。
「香辛料も色んなモン入れてると思うんだけどさあ……正直いっぱい入れたら味がこんがらがるだけだと思うんだよね。やっぱりカレーはシンプルがいいんだよ。……最高なのは煮干し昆布がベースの和風出汁で作るライスカレーだな」
結構美味かったらしい。優子のナンをちぎるスピードが上がった。小皿のルーがどんどん嵩を減らしていく。
……最早、説得力は全く無いに等しいが、愚痴は止まらない。
「始めたのは死んだ爺ちゃんで、父さんの代になってからは流石に洋風ベースの出汁の……要は『カレーライス』を出したらしいけどさ……未だにライスカレーの方を食べに来てくれるお客さんがいるんだよなあ。あれこそ本当に日本のカレーだと思うよ。うん」
うだうだ溢して食べている内に、バターチキンカレーが無くなった。
小皿の中には、鳥肉がゴロリと転がっているだけである。それをスプーンで掬って口に運ぶ。脂身の無いあっさりとした食感からすぐ分かった――――これは胸肉だ。普通この肉は煮込むとかなり固くなるのだが、歯で噛むと繊維が解れていく。
「なのにライスカレーは絶滅状態で、逆にインドカレー屋はバンバン増えてるって状況……アタシは極めて遺憾だな。絶対無いと思うけどインドに旅行に行ったら絶対抗議してやるっ」
柔らかく煮込まれた胸肉をじっくり味わってから、ゴクリと飲み込んだ。
まだナンは半量残っている。だがもうバターチキンカレーは無い。
ならば、手付かずにいた、もう一方のルーしかないのだが――――食欲を唆る香辛料の匂いとは対照的に、色合いがグロテスクだった。なんというか……濡れた苔を彷彿とさせる。
優子は恐る恐るおぞましい色合いのそれにナンを浸すと、ゆっくりと口に運んだ。
――――むむ、これは!!
大量のスパイスとほうれん草を中心とした青野菜の風味が口から鼻へと抜けていき爽快感!
これは、間違いなく――――美味い!!
「う~ん……悔しいのが、美味いってことなんだよなぁ~。いや……確かに美味いんだけどさぁ~、これで日本人を満足させられると思ったら大間違いだよ。若い客にはウケてるんだろうけど、日本はいま高齢化社会って奴なんだ。つまり、ジジババの舌を納得させなきゃ、『カレーの本場はインドだよ!』って認められないと思うんだよな。そーいう意味じゃ、このカレーはライスカレーより全然劣ってるって訳だ」
もはや論理性の欠片もないチンプンカンプンな理屈を長々と述べながらも、グリーンカレーを付けたナンを次々と口に運ぶ優子。
――――お気に召したらしい。表情は恍惚そのものだった。
「……あのさー、ゆうー」
最後の一口を放り込もうとした刹那、頭上から間延びした声を掛けられる。
「あん?」
見上げると、一人の女性が居た。
ギャルっぽい印象だった。幼さが感じられる小顔だが、少々濃い目な化粧を施している。一言で言えばケバい。
鋭利なつけまつ毛の下にある瞳の中で星々がキラキラと輝いている。恐らくお洒落用のカラーコンタクトでもしているのだろう。両耳にはピアスを付けているが、何故か牛が象られていた。
背丈は優子よりも小さいが160cm以上はあろうか、インドの女性専用の民族衣装・『サリー』に華奢な身を包んでいるので、この店の店員であるのは明らかだった。
普段は腰まである長いコバルトブルーの髪を後ろでお団子結びにしている。
「なんだよ、トオコ。お客様に文句でもあるのかなぁ~?」
優子がにへらへらと邪な笑みを浮かべながら、目の前に立つ少女に言い放つ。ちなみにこの挑発の仕方は凛譲りだ。
トオコと呼ばれた少女は眉を八の字にしていて困り顔。
「トオコじゃなくってミチコー。間弓 通子(まゆみ みちこ)ー。ってそんなのはどうでもいいんだけどさー……」
少女――――『
「文句ばっか言ってんならさー、うざったいからとっとと帰って欲しいんですけどー。つーかー、マジ帰れってカンジ―」
「なんだよ。ちゃんと完食したじゃんか」
「ソレとコレとは別だっつのー。食べながらアレコレ評論すんのがマジうざいっつってんのー」
「なんだよ。あたしはライバル店の人間として、この店を正当に評価してるだけだぜ。いいじゃん、今の時間は他に客いないんだから」
「
全く悪びれる様子もない優子に、通子は眉間をピクピクさせる。
おおっと、流石に言い過ぎたか――――と思った優子は、誤魔化す様に顔を反らしてわざとらしく咳払いした。
「っつかウチふつーにジジババ常連で来てるしぃ、美味いっつってるよー!」
「そりゃあれだ。そのジジババはインドのハーブだかクレーターかなんかなんだろ」
「ハーフとクォーターでしょ……。っていうかもう何が言いたいのかサッパリなんだけどぉ、マジでー」
優子の言葉に逐一ツッコミを入れる通子。ギャルっぽい見た目と喋り方に反して性格は常識人であった。
彼女――――間弓通子は、幼馴染だ。
とは言っても、親友と呼べる程、距離が近すぎる訳でもなく、激しい喧嘩をしても絶対に仲違いする事は無い―――所謂腐れ縁というもので二人は繋がっていた。
通子の性格は、猛々しく男勝りな優子と比べると、(ギャル要素を抜けば)物静かで真面目、加えて勤勉であった。
母親は日本人だが、父親はインド人で、彼女自身は店の看板娘として働いている。次期店長として将来を期待されており、経営術を独自で学んでいるらしい。
優子は
いつしか、自分が暇な時になると、こうして足を運んで、ちょっとした意趣返しのつもりでブツブツ評論するようになっていた。
最も通子自身、それを分かっていたので、大して気にはしなかったが……
「でもゆうー、ウチに来たのは別に文句だけ言いに来たんじゃないんでしょ~?」
通子が優子の相向かいの席に座ると、頬杖を付きながら問いかけてくる。
優子がコクンと大きく頷いた。店に来たのは、別の理由があるのだ。
「分かってるな、『お使い』だ」
そう言った瞬間――――通子の目がスッと細められる。口の端が吊り上がり、不敵な笑みを見せた。
「OK。ナニ聞きたいのー?」
雰囲気が変わった様子の通子が、声をやや低めにして問いかけてきた。
通子には別の顔が有った。
『魔法少女』――――優子と同じ。何らかの願いをキュゥべえに叶えてもらったのだ。
経験は二年。魔法少女の中ではベテランに当たるも、彼女は優子のチームには所属していなかった。
――――それは彼女が『情報屋』だからだ。
彼女の能力は、魔女やシマアラシの魔法少女との戦闘よりも、情報収集に特化している。
通子自身、争い事は嫌いな性格の為、命懸けで街を守っていくよりは、安全圏から情報を売って、報酬としてグリーフシードを得るこの仕事の方が割に有っていた。
「……そうだな、ここ最近、『特にヤバイ』って事があったら、教えてくれ」
優子は首をキョロキョロ動かして、周りに人がいないのを確認してから小声でそう問いかけた。
通子が魔法少女だと知ってからというもの、優子は何度かチームに引き入れようと試みたが、尽く断られた。
今ではすっかり諦めている。
だが、近所に情報屋が居るのなら、これを使わない手は無かった。優子はグリーフシードが貯まる毎に、通子の店へと趣き、食事と意趣返しのついでに情報を手に入れている。
「う~~ん……」
通子は頭を捻って考え込む。
流石に質問がアバウト過ぎたかな――――と優子は一瞬思って苦笑いを浮かべる。魔法少女の世界では『ヤバイ事』なんて日常茶飯事なのだ。
だが……
「とっておきのチョーヤバイってのがあるんだけどー……ゆうに話していいのかなー」
「なんだ、もったいぶらずに話せよ。……グリーフシードは何個だ?」
「二個で」
「オッケー」
優子はポケットから、上下に突起の付いた黒い球体――――グリーフシードを二つ取り出すと、テーブルの上に転がした。
通子は「あんがと~☆」と満面の笑みでそれを受け取る。
「……ねえゆうさぁ。
「はっ?」
その直後、突拍子も無いことを尋ねられて、優子の目が点になる。
「映画はあんまり観ないけど……それは知ってるぜ。魔法使いの超有名な奴だろ。の○太みたいな奴が主人公の」
「その二作目って知ってるー?」
「……ああ、『ゴボウのタブレット』って奴か」
「それ言うなら『炎のゴブレット』ー。しかも4作目ー。どっちにしろ違うしぃー」
堂々と天然ボケをかます優子に、通子がジト目で突っ込むと、苦笑いを返される。
「まあたぶん観てないと思うけどー、二作目の『秘密の部屋』のボスキャラでさー……『バジリスク』っていうのがいんのー」
「バジル好きー? そんな奴がボスだなんて変わった映画だな」
「ゆうと喋ってると真面目に話すのが段々ヤになってくるよねー……。バジリスクってゆーのはー、蛇の怪物ー。あとでレンタルで借りて観てみなよー。チョーデカくてマジヤバイんだからー」
「……そいつが、なんなんだよ」
通子の話の意図が見えてこない。
まさか、そんな怪物が街の何処かに現れたとでも言うのだろうか――――そう思うと、緊張感が身体に齎されて、僅かに強張った。
「……そのバジリスクなんだけどー……
通子が若干顔を俯かせる。表情は暗い。何か自分には言いたくない事なのか、歯切れが悪い口調だ。
「……それって?」
優子が息を飲みながらも問いかける。
通子が重たそうに口を開いた。静かに声が発せられる。
「見ただけで、殺せるの」
それは耳を研ぎ澄まさなければ、聞こえないぐらいの小さな声であったが、優子には強く突き刺さった。
「……!?」
優子は絶句。額に冷や汗が一筋、流れ出した。
「そんな
――――この街の何処かに。
優子がそう付け加えて問いかけると、通子は暗い表情のまま「ううん」と首をふるふる振って否定した。
「
「!?」
再び通子の口から消え去りそうな声が吐息と共に舞い上がると、一瞬で優子の耳に吸い込まれた。衝撃が優子の頭を揺さぶる。
『魔女じゃない』――――その言葉を聞いて頭を過ったのは、一ヶ月前の篝あかりの言葉。
『みんな死ぬ。あんたたちだけじゃない……!』
『家族も……友達も……! みんな、滅ぼされる……! 【奴ら】に……!!』
優子はずっと気になっていた。
全てを滅ぼすという『奴ら』が何なのか。
心のどこかで魔女であって欲しいと願っていた。だが、通子の言葉が事実だとしたら――――残る可能性は只一つだ。
「
その一角が、
「どんな奴だ、そいつは……」
その事実が、優子の身体を震わせた。
「ゆう。これ、マジでチョーヤバイから……覚悟して、聞いてね」
通子は静かに語りだした。
☆
青葉市にはねー、6人の魔法少女がチームで活動してるのー。
え? 知ってるってー? あ、そーかー、この前教えたよねー?
でさー、わたしって情報屋じゃーん。そのチームとわたしって交流があるワケよー。
え? これも前に言ったってー? ごめんごめ~ん。
でねー、リーダーの子ー。すっごい目が良いんだよー。元々は弱視だったんだけどね、キュゥべえに『目を良くしてください』って願ったんだってー。
そしたら、固有魔法で10km先まで見える様になったんだってーっ! マジすごくな~い?!
……え? そんなことはどうでもいいんだって?
あのね、ゆう。これマジ大事だから、良く頭に入れといてね。
半月ぐらい前だったかなー、その子達が夜に活動してた時なんだけどね。
リーダーの子が、たまたま他のチームメンバーと離れて移動していた時に、知らない魔力反応があったんだってー。
魔女か魔法少女かなーって……すぐに、その子は、固有魔法を使って魔力を感じる方向を見てみたの。
そしたら、いたんだー。
何がって? アレだよー。『妖精』。
あ、ゆう、大丈夫? なんかビックリして心ここにあらずって顔だけど?
まー、ゆうが不思議な顔しちゃうのも無理ないかー。
でもねー、その子は確かに見たって言ったんだー。
『【妖精】が、そこに居たんです』
――――その子が、突然ブツブツ喋りだしたんだ。
『魔女とか、魔法少女とか……そういう次元はとっくに超えていたんだと思います。その時だけ、夢の中っていうか……自分がお伽噺の登場人物にでもなったみたいな気分でした。
なんていいますか……ピーターパンが最初にティンカーベルを見たとき、こういう気分だったのかなって、思ったんです』
――――すごくちっちゃな声だった。自分の記憶を辿って
『そうです、【妖精】でした。とても小さな後ろ姿だったんですけど――――存在感は凄くはっきりとしてました。周りの暗闇をオレンジ色に照らしていて……まるで、そこに太陽があるかのような暖かさを感じてました。
一本編みの銀色の髪が、風にゆらゆらと揺れてて……光を反射しているみたいに、眩しかった。でも、衣装はティンカーベルとは違ってました。私達、魔法少女に近かったんです』
――――なんか、誰かに打ち明けたくって仕方なかったってカンジでさー。めっちゃ早口で捲し立てるみたいに喋るワケ。何か息づかいも荒かった。
わたし、興味持っちゃってさー、じっくり聞くことにしたんだよねー。
『イギリス軍の制服って見たことあります? 見たことないなら、サイボーグ009って知ってます?
どっちかっていうとアレに近い感じでした。
真っ赤な衣装でマントが有って……でも違うのは、真っ赤な羽根つき帽子みたいなの被ってて、スボンも光沢のある真っ赤なショートパンツでした。でも魔法少女じゃなくって妖精なんです。
でも全体が真っ赤っ赤で……血の様に不気味っていうか、炎のように激しいっていうか……』
――――その子が何を喋ってるのか、分からないってー?
うん、ゆう。わたしもその子から聞いたとき、マジ分かんなかったよ。多分、おんなじ顔してたと思う。
でもねー、その子、冗談言ってるカンジじゃなかったのー。すっごいマジ顔で喋ってたんだー。
……でね、わたしがマジヤバイって思ったのは、次の話なんだー……。
『確かその時、私、5kmぐらい離れて【妖精】を見ていたと思います。
……もう見とれてしまってました。いつまでも見つめていたいって思ってました。
でも……私、驚いたんです』
――――ゆう、覚悟して聞いてね。マジでびっくりしたから。
『振り向いたんです』
――――どう、びっくりしたでしょ? わたしもビックリした。
『妖精が、
――――わたし、聞いてて頭がおかしくなるんじゃないかって思ったの。だからなのかなー、頭が話を受け付けてくんないってゆーか……。
でもね、その子の方がもっとおかしくなってたんだと思う。
『あの目だけが……はっきりと鮮明に思い出せるんです。全部絵空事の様な世界の中で、私に向けられた【あの目】だけが、異常でした。キュゥべえなんて比較にならない。マグマみたいに煮え滾ってて、誰かを殺した血で塗れている様に冷たい、真っ赤な瞳でした』
――――言葉、おかしいよね。グチャグチャの頭ン中、一生懸命整理してなんとか言葉にしているってカンジで。
もう話を打ち切ろうかなって思ったんだけど……その子、頑張って続けたの。
『私は……っ、あの目を見た途端……何かよくわからないけど、直感的に、こう思ったんです……!!』
『【
――――その時ね、フッて、頭に、【バジリスクの目】が浮かんだんだ。
『すぐに、逃げました。仲間にも何も言わずに、すぐに家に駆け込んで……。部屋に入って、布団にくるまって……眠ろうって思いました……。でも……あの目が……ずっと……出てくるんです……』
――――その子、頭を抱えてブンブン振り回して……ハァハァ過呼吸みたいになっててさ……ああ、もうマジでヤバイんだって思ったよ。
『妖精の目が、マグマの様に熱苦しい目が、太陽の様に眩しい眼差しが、血塗れの冷たい瞳が……私を見ているんです』
――――わたしも、たぶん、もうおかしくなっちゃってたんだと思う。
話を止めようって気が、全く起きなかったんだ……。
『妖精は、私達の街にはもう現れませんでした。でも、私……感じるんです。妖精は
――――その子、何も無い天井を指差して、言ったの。
『
――――ゆう。息が荒くなってるよ。ちょっと深呼吸しよ。
『恐い……恐いよ。あの目がっ……あんなのが、この世にいるって思うと……っわたし、生きることすら自信が無くなっていって……っ!!』
――――その子、喋りながらガタガタ震えてた。今も、その妖精の目が見えてるみたいに、何も無い天井をずっと見上げて、ガタガタ震えてた。
それでもわたし、何も言わずに話を聞いてたんだけど、
『ご飯も食べたくないっ。何もしたくないっ。ただ家で、引きこもってた方がマシだって、思えてくるんです……っ!!』
――――それだけは、否定しなきゃって思って、言ったの。
「ダメだよ」って。ちゃんと食べないとお父さんとお母さん心配するよって。グリーフシード手に入れないと魔力だって切れるよって。
『分かってます』
――――でもね、氷みたいな目で睨みつけられて、言い返されちゃったんだ。
『でも、殺されるぐらいだったら……このまま餓死した方が、マシです』
☆
「で……そいつは、どうなったんだ?」
話を聞いていた優子だったが、その表情は複雑だ。やり場の無い怒りか、悲しみの様なものが混じっているように見えた。
「その子ねー……自殺しちゃったんだー」
通子は首を落とすと、ポツリと呟いた。
「ッ!! なにやってんだ馬鹿野郎……っ!」
優子は一瞬驚く様に目を大きく見開いたかと思うと、片手で顔を覆って、ガックリと肩を落として嘆いた。
その落胆と同時に放たれた言葉は間違いなく、その子に向けられたものだろう。既に届くはずは無いと分かっても、言わずにはいられなかった様だ。
どこまでも優しい優子の言葉に、うんうんと頷いて同調する通子。
「首吊り自殺……遺書があってね。『もう楽になりたい。さようなら』って……」
「…………」
顔を覆ったままの優子から言葉は返ってこない。
もしかしたら、頭の中で一生懸命言葉を探しているのだろうが、返す言葉も見つからないといった方が正しいのだろう。
「ねえ、ゆう」
通子は顔を上げる。
「
――――聞いた張本人だけどね。
そう付け加えるが、優子から返答は来なかった。
☆
結局、あの後、優子は代金だけを払って「またな」とだけ告げて帰っていった。
玄関で彼女を見送る通子。近くで見ると大きな背中が、今はもう小さくなっている。
夏特有のジリジリとした外気が、優子を掻き消そうと激しく揺らいでいる様に見えた。
「ゆう、負けるな」
通子はポツリと呟いた。
「頑張れ。戦え。
それが純粋な応援のつもりで発した言葉だったら、どれだけ良かっただろう、と通子は心で嘆いた。
今の言葉は酷薄だ。残酷で、無情で――――優子の心など全く汲み取っていない。
小さな姿の優子を、押し潰してしまいそうだった。
「だって、ゆうが戦ってくれないと、誰もこの街を守ってくれなくなっちゃう」
常闇に降臨した妖精。それは神の使いか、悪魔の手先か、通子には判断できない。だが、脅威であるのには違いなかった。
いずれ、この街に現れたら――――戦うのは優子だ。彼女が立ち向かわなければならない。彼女でなければ止められない。
だって、彼女は決めたのだから――――『この街を
それは、言ってしまえば身を犠牲にして人々に貢献する道であり、自分が絶対に
優子はその道を歩んでしまった。自分は別の道を行った。重なる事の無い道を、並行に歩いて行く。
6月の太陽は日を重ねるごとにその熱気を増していく。
今日は特に外に数分もいれば吐き気を催す様な猛暑であったが――――通子はいつまでも、独り寂しく歩き去る優子を見送っていた。
まず最初に、インド料理好きの皆様、ハリー・ポッターファンの皆様、本当にごめんなさい。
和風出汁のライスカレーに関しては、ある食べ物漫画で初めて目にしましたが、実在するようです。
ここ最近続いた新キャララッシュは今回を機に一先ずおやすみとなります。
登場人物は出揃ったところで、いよいよ歯車は周り始めるかと思います。
余談ですが、今回投稿が遅れたのは、文章に自信が持てなくなった、というのもあります。
次回も、間が空く事と思いますが……お楽しみ頂ければ嬉しい限りです。