☆
「えっ……!」
先に気がついたのは縁だった。
(あれ? 急に景色が歪んできて……)
もしかして、眩暈か。それを確認する前に意識を失った。
目を開けると、そこに見えたのは絵本の中身の様な光景だった。
無数のイラストや、絵画にいそうな人物、落書きの様に描かれた平面的なキャラクター達が、色鮮やかなハリボテに囲まれた空間でキャッキャッとはしゃいで戯れている。
「はっ……ちょっと、ナニコレ!?」
隣で倒れていた葵も、覚醒して起き上がる。目に見えたものに驚嘆の表情を浮かべた。
当然だ。どう見ても現実では無い、異次元と呼ぶに相応しい光景だった。
「葵……私達、二人で同じ夢を見てるとか……そんなオチだよね!? 絶対!!」
「試してみる?」
「うん」
縁と葵は言い合うと、お互いの頬を指で摘まんで、思いっきり抓った。
――――痛い。すっごく痛い。ということは……
「あいたたたたたた……現実!?」
「いででででででで……本当!?」
赤くなったお互いの頬を抑えて、二人は再び驚愕する。自分達が立つ空間は紛れも無く、現実のものだった。
「……どうしよう」
「どうしようって言われても……」
「そうだ!誰かに話を聞けば教えてくれるかも……」
だんだん正常に思考が回らなくなり始めた縁は、そんなことを提案する。
「誰かって……誰に?」
「え、え~~っと、あの人とか?」
困惑した表情の葵に対して、縁が指さしたもの……それは人、というよりは、人のイラストだった。
英国紳士を模した、シルクハットと漆黒のコートを羽織ったイラストは、他の落書き同様に、
異次元内を目的無く徘徊している。
「だ、大丈夫なの……?」
「大丈夫だと思うしかないよ。行こう……すいませ~~んっ!!」
錯乱状態となった縁は、葵の心配をよそに、その紳士のイラストの元へ駆け寄る。
声が聞こえたのか、人の姿をしたイラストは、縁の方へ振り向いた。
「よかった、分かってくれた! ここが何処か教えてくれま……ひゃっ!?」
それに安心する縁。すぐ傍まで近づいて、尋ねようとして――――驚愕した。
刹那、紳士の姿をしたイラストは、縁に飛びかかって来たのだ。
身体に覆い被さり、四肢が押さえ込まれる。
その平面的な薄っぺらい姿からはとても想像できない力強さだった。
もがこうにも、身体が全く動かせない。
ふと、縁が真正面を見ると、イラストの顔が視界全体に映った。
その顔には何も無い。目も、鼻も、耳も、口も――――人は愚か全生物が普通に持っているものを目の前のイラストは持っていなかった。
話ができるかも、と楽観的な自分を縁は呪った。そもそも相手は現実に存在しない“化け物”だ。話が通じる筈が無かった。
不用心に近づけばこうなる事は予想できた筈なのに――――
――――私、この化け物に食べられるの……? それとも嬲り殺し……!?
そこまで考えると、突如、これから身に起こるであろう最悪の事態が頭を過った。
生命の危機を、全身で感じ取った。
「ひっ……!?」
目に涙が溜まり、悲鳴を挙げようとする縁だが、それは叶わなかった。
紳士の姿をしたイラストが、縁の首を大きな左手で掴んできた。
「ぐっ……っ」
すると、左手に力が込められて、首を絞めてくる。たちまち気管が塞がれてしまい、息苦しさに呻く縁。開放された右手で相手の左手を口から離そうと抵抗するが、ピクリとも動かすことができない。
口を魚の様にパクパクと動かしながら、必死で相手の左腕を強く握りしめたり、叩いたりする縁だが、虚しくもその行為は自分の体力を消耗させるだけに終わる。
酸素が供給できないため、頭に血液が回らなくなっていったのか、縁の視界は次第にボンヤリとしてきた。右手もしびれてきて、動かそうと思っても動いてくれない。
――――やばい、このままだと……!!
縁は自分の死が近づいてくるのを悟ったが、誰も彼女を助けてくれる者はいなかった。
「縁!!」
その光景を見ていた葵はすぐさま、縁を助けようと駆けるが、すぐに行く手を遮られる。
「!?」
彼女の前に立ちはだかったのは、縁に覆い被さっている者と同じ、紳士の姿をしたイラストだった。
葵はそれを避けて回ろうとするが、避けた先にもイラストが立っていた。ならばと、逆方向に回ろうとするが、そちらにも同じイラスト。
「……っ!!」
葵はもしや、と思い周りを見ると、驚愕。既に無数のイラスト達が輪になって自分を囲んでいた。
「ひっ……!!」
逃げ場が無くなったと思った瞬間、葵の身体に恐怖が圧し掛かり、腰を抜かしてしまった。
周囲を囲むイラスト群は、構わずジリジリと近づいてくる。
葵の表情が青褪めていく。絶望的だった。自分は、縁を助ける事もできないまま、こんな訳の分からない所で、誰にも気づかれることなく、死んでしまうのか。
「嫌っ!!」
頭を抱え込んで、必死に現実を否定しようとする。縁の言ったように夢なら醒めて欲しかった。
ズバッ!!
刹那、何かを切り裂いた音が二人の耳朶を打った。
「えっ……?」
縁は、一瞬自分の身に起こった事が信じられなかった。呼吸ができる上に、身体が動かせるのだ。
自分の呼吸口を塞いでいた左手は、突如、力を失いだらりと床に落ちた。それに引っ張られるように、覆い被さっていた身体も床に崩れる。
「!!」
縁が起き上がって、倒れた紳士のイラストを見ると、目を見開いた。背中が鋭利な刃物で切り裂かれた様な痕があった。
頭を抱え込んでガタガタと震えている葵だったが、いつまで経ってもイラストが襲い掛って来ない事が不思議に思い、顔を上げてみる。
「!!」
目に映った光景に、呆気に取られる。次いで、周りを見渡すと、茫然とした。
無数のイラストが自分を囲っている現実は変わっていない。だが、そのイラスト達は全て胴体を切りさかれた状態で、地面に横たわっていた。
「一体……何が……」
起きたのか? 当然の如く湧いた疑問は直ぐに明らかになった。
「大丈夫?」
何が起こったのか分からずにいる縁の耳に、鈴の音の様な綺麗な声が響いた。顔を見上げるとそこには、見知った顔が有った。
「菖蒲……先輩?」
左半分だけ伸ばした薄紫の前髪で、左目を覆っているのが特徴的な、母性すら感じさせる慈愛に満ちた笑顔が、そこには有った。
「立てる?」
「あ、はい……」
菖蒲纏(あやめ まとい)は縁に手を差し伸べる。
縁はその手を取った瞬間、深い暗闇の底にあった心に明かりがともされるのを感じた。安心感で満たされていく。立ち上がると、感極まって、纏に抱き付いた。
「ありがとう……っ! 本当にありがとう……っ!!」
抱きつきながら、縁は涙を流していた。纏は、何も言わず、慈愛に満ちた笑みで縁の背中を摩る。それが、何とも心地良かった。
「菖蒲先輩!!」
すると、声が聞こえてきた。縁が纏から離れて振り向くと、葵が駆け寄ってきていた。
葵は、そのまま纏に飛びつくように抱きつくと、そのまま咽び泣いた。
「ありがとうございますっ!! 私達……このまま死んじゃうんじゃないかって……!!」
「うんうん、良かった良かった」
纏は抱きつかれて一瞬驚いた表情を浮かべるが、直ぐに笑顔に戻すと、葵の頭を撫でて気持ちを和らげた。
「葵!」
そこで、縁が葵に声を掛ける。葵はハッとすると、纏から離れると、涙を指で拭って縁を見た。
「縁、無事だったのね! ……ごめん、助けられなくて」
「いいっていいって! こうして生きてるんだから、ね?」
縁を助けようとしたにも関わらず、恐怖で動けなくなってしまった自分を情けなく思う葵だったが、縁は、明るく笑って慰めた。
「ありがとう、縁」
自分の方がよっぽど辛かったのにも関わらず、気遣ってくれる縁に、お礼を言う葵。
「一先ず、二人とも無事だから良いとして……菖蒲先輩……どうしてここに?」
「へっ?」
そこで葵はふと、纏がここに居る事が気になった。突然話を振られ、間の抜けた声を挙げる纏。
「それに、なんというか、え~~っと…………凄い格好ですね……」
「えっ!?」
「うんうん、私もそう思った!」
が、それ以上に葵と縁が気になったのは、纏の衣装だった。
それは桜見丘高校の制服では無かった。一見、シスターの修道服の様に見える深い色のドレスだが、肩と脇が露出している上に、チャイナ服のように、両側にスリットがかなり深い部分まで入っており美脚をこれでもかと見せ付けている。
……女子高校生が着るにしては、あまりにも大胆な衣装だ。
「スリットがセクシーですよ! 菖蒲先輩!!」
「や~め~て~っ!」
「余計な事言うんじゃないって!」
「ぐはっ!!」
縁が興奮気味に囃し立てると、纏は顔を真っ赤にして、身体を隠す様に座り込んでしまう。それを可哀想に思った葵がツッコミのチョップを縁に炸裂!!
縁は頭からぷしゅ~っ、と煙を吹かしながら床に倒れた。
「改めて、助けて頂いてありがとうございます、菖蒲先輩。でも、本当にどうしてこんな所に……?」
縁はとりあえず放っておいて、葵は再び纏にお礼を述べた。が、気になった事があったので聞いてみる。
「うん、“魔女”の気配がしてね」
「魔女?」
纏は、立ち上がって答える。聞き慣れない単語だった。葵が首を傾げる。
「ああ、魔女っていうのは、この空間、というか、『結界』を作ってる張本人。
う~~ん、何て言えばいいのかなあ~……??
事故や災害を撒き散らしてるっていうか、人の行き場の無い負の感情がより集まって出来た存在?
……とにかく、人にとって悪い化け物だって思ってくれていいかも」
「「はあ……」」
説明を受けるも、縁と葵は釈然としない。
「で、まあ、そんなのと戦っているのが、私達『魔法少女』なんだ」
「魔法……?」
「少女……?」
今度は聞き覚えのある単語だった。アニメや漫画でよく見るアレ? と、縁と葵はお互いに顔を見合わせる。
「そ。人々を守る為に、魔女と戦う使命を持っているの……結構、大変なんだけどね~」
そう言って、纏は苦笑い。
「戦ってるって割には……露出が高、ふぎゃっ!!」
「黙っとれ。菖蒲先輩、今私『達』と仰ってましたけど、他に仲間がいらっしゃるんですか」
再びセクハラ発言しようとした縁にチョップをブチかますと、葵は尋ねる。
「まあ、それなりにね……」
「魔法少女って、どうやってなれるんですか?」
と、そこで、頭にタンコブを作った縁が尋ねてきた。
「えっ!? え~~っと、それは……そのぉ~~……」
纏は一瞬ビクッと肩を震わせると、言いづらい事なのか、気まずそうにそっぽを向いて言葉を濁す。顔を良く見ると、冷や汗がダラダラ垂れていた。
(縁、言い難いみたいだから、また今度にしましょ)
(う、うん……)
葵が纏の様子を見て、縁の耳元で小声で話す。縁も同じ事を思ったらしく、素直にうなずいた。
「菖蒲先輩、今は、ここから出る事が先決です」
「そ、そうだね! じゃ、私に付いてきて」
葵が咄嗟に話を変えてくれたのを僥倖と捉えたのか、纏は一瞬ホッとした表情を浮かべると、二人の先頭に立って歩き始めた。
魔女の結界……文章表現する上でとてつもない壁にぶち当たりました……orz
いかん、Cパートで終わらそうと思ったら、1万2千字も書いていた……!
という訳で半分に分けて、Dパートに続きます。