魔法少女ゆかり☆マギカ(休載中)   作:hidon

39 / 60
 #08__常闇を照らす妖精 A

 

 

 

 

 

 ――――緑萼市には魔法少女が64人も居る。

 

 

 

 

 それは周知の事実だが、同時に人口が密集している都会では、魔女との戦いも頻繁に起きているのだ。

 

「はあ!」

 

 今宵も、一人の魔法少女が魔女と激闘を繰り広げていた。

 通常、ドラグーンに所属する魔法少女達は、活動する際に3人以上のチームを組まなければならないという掟があるのだが、今日は都合が悪かった。

 

 学校帰り。友達と別れて一人で歩いている途中、いつも通りかかるアパートの屋上で、人の集団を確認。よく見ると首元に奇妙な痣が有った。彼らは、魚が死んだ様な枯れ果てた目つきで、屋上の端に向かってそれぞれ集まっていく。

 ――――間違い無い。『魔女の口づけ』だ。受けた人間は、理性を失って『死』に走らされる。

 これはマズイと思った彼女はすぐに魔女結界を探索。アパートの正門の横でそれを見つけると入り口をこじ開けて内部に潜り込んだ。

 だが、直後に仲間への連絡を怠ってしまった事に気付いた。迂闊。視界に飛び込んだ緊急事態に冷静さを失ってしまっていた。

 仕方なく使い魔を屠りながら、最深部まで進むと魔女を発見――――こうして交戦に至るという訳だ。

 

 彼女が飛びかかって獲物の斧を振るうが、色鮮やかな羽を背中に生やした、蛾に似た容姿を持つ魔女は、ひらりと回避する。

 

「っ……ゲホゲホ!」

 

 躱される際、反撃と言わんばかりに羽から鱗粉を掛けられて、彼女は咳き込んだ。

 

「……っ!!」

 

 刹那――――全身がビリリと電流が走った様な感覚が襲ってくる。

 

「あっ……ぐ」

 

 全身から一切の感覚が消滅した。獲物の斧が手からこぼれ落ちる。空中で制止したせいで落下し、全身を床に叩きつけてしまった。

 

(身体が、動かない……っ?)

 

 先程の鱗粉を吸い込んでしまったことが原因か。うつ伏せ状態になった少女は頭の中で何度も四肢に向けて指令を送るが、尽く拒否されてしまって、一向に動かすことができない。

 その姿を好機と見たのか――――魔女は空中でUターンして向きを直すと、そのまま急降下を始める。高速で少女の後頭部に迫ると――――頭が割れた。昆虫の頭部が一瞬で(わに)の開かれた(あご)の様に変形する。

 そのまま少女の頭を噛み砕くつもりなのだろう。

 

 

 が、鋭い牙が触れた瞬間――――何かがヒュンッ! と音を立てて飛んできた。

 

 

「~~~~~ッ!!!」

 

 魔女の胴体にザックリと突き刺さる。

 魔女がなんとも文章にはし難い金切り声の様な悲鳴を上げて、横に吹き飛ぶ。そのまま床に墜落すると、バタバタともがき苦しみ始めた。

 

「……??」

 

 痺れが多少弱まったのか。顔だけは動かせる様になった少女が、ゆっくりと横を向く。眼に映った魔女の姿に混乱した。

 

 ――――今、何が起こった?

 

 魔女が自分に迫ってきたのは分かった。だが、不思議だったのはその直後に魔女が悲鳴を挙げた、ということだ。この魔女結界に居るのは自分しか居ないはず。他に攻撃できる者はいない。

 そう思っていたが、魔女の身体を注目した瞬間、眼を見開いた。

 やや、平らな鉄製の、三角形にも似た爪状の刃物が刺さっていた。後部は輪になっている。

 こんな武器を使えるのは、少女の知る範囲では、唯一人しか存在しない。

 

(ま、まさか……!)

 

 その人物を想像した瞬間、少女は期待に胸を踊らせた。

 不安の霧で覆われていた心に、太陽の光芒が差し込むかの様だった。

 魔女はひとしきり悶えると、ようやく痛みが落ち着いたのか。身体を起こして再び少女へと眼を向ける。

 

「!!」

 

 玉虫色の光が瞬く双眸。そこから、感情が全く伺いしれないのが、不気味だった。獲物を食らいたい高揚感が溢れている様にも、機械の様に全く何も感じていない様にも見えた。

 安堵した心に再び影が刺し、少女は息を飲みこむ。

 が、何やら黒いものが天井から降ってきた。魔女がそれに気づいて顔を上げた――――瞬間!!

 

 

 魔女の全身が、細切れにされた。

 少女は呆然と魔女が四散する様を眺めている。

 

 

 やがて、世界が揺らぎ始めた。絵本の様に平面的な幻想世界が、三次元的な厚みを持つ現実へと戻されていく。

 

「………………!!」

 

 暫し呆然としたままだった少女が、我に帰った瞬間――――視界に飛び込んできた人物の姿に、ドキリとした。

 

「あなたは……!」

 

 彼女の眼に映ったのは、緑萼市で()の人物であった。

 

 曰く、魔法少女がピンチになると、どこからともなく颯爽と現れる。

 曰く、その姿は魔法少女というよりも、忍者である。

 曰く、疾風怒濤の勢いで、魔女を瞬殺。

 曰く、救われたものに、無償でグリーフシードを分け与えてくれる。

 曰く、その正体は、未だ誰も知らない。

 

 全てを引っくるめて、『正義の味方』と揶揄される存在――――

 

 

「ブラックフォックス!!」

 

 

 ブラックフォックスこと、篝あかりが居た。

 

「♪」

 

 あかりは、歓喜の表情を浮かべる少女に、満面の笑みでVサインを向けている。

 

「あ、あのっ!! 私、貴方のファンなんですっ!! これを期に、連絡先を」

 

「ごめん」

 

 ――――交換してくれませんか? と問い掛けようとしたが、三文字でバッサリと斬られる。

 

「そんなっ!!」

 

 ガーンッ!! と重たい音が少女の頭の中で響いた。愕然とした表情に早変わり。

 

「親愛なる隣人ってのは、誰に対してもそうじゃなきゃいけないの。だから」

 

 ――――またね。

 

 何処かのマー○ル・コミックのヒーローが言いそうな台詞を言うと、あかりが、パチンッ! と指を鳴らす。

 近くの木から一羽のカラスが羽音を立てて飛び去った。少女の気が一瞬だけ、そちらに逸らされる。

 再び顔を戻すと――――唖然とした。ブラックフォックスの姿は、もう影も形も無い。

 

 

 不意に、足元の地面を見てみると、グリーフシードが3つ――――綺麗な横並びになって、立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の近くには携帯電話の基地局でもある鉄塔が有った。

 50mもの高さを誇る、その頂上に篝あかりは佇んでいた。

 現在の時間は19:00――――彼女の眼下に広がる緑萼市の街並みには、人の営みの象徴である灯りがキラキラと星の様な輝きを放っている。

 

「綺麗ね……」

 

 眼を奪われてしまったあかりは、うっとりとした表情で、そう独りごちた。

 

 ――――美しい。

 

 幾千もの時を重ねても、悪鬼羅刹に身を堕としても、心が腐れ果てようとしても――――この光を見る度、思い出す事ができる。

 

 

 自分が『人間』だということに――――

 

 

みんな(・・・)も、そう思うでしょう?」

 

 今宵、自分と同じ景色を眺めているであろう陰者たちへと告げる。

 

 ――――これは『希望』だ。

 

 それを守るためなら自分達は何にだって成れる。命を燃やし尽くせる。それでも、たった一人なら張り子の虎だ。だが、集団で掛かればどんな脅威にだって立ち向かえる。貴方達にはその資格がある。

 既に『奴ら』は桜見丘で仕掛け始めた。火種は既に撒かれている。

 愚鈍のままでいられると思うな。無能のままでいられると思うな。自分には関係無い、などとは言わせない。全てが手遅れになる前に、あたしが気付かせる――――!!

 

 篝あかりの背中に強い風が当たる。真夏とはいえ、夜に吹く風は冷たさが感じられるが、あかりは全く意にも介さない。

 瞬間、先程助けた魔法少女が自分を賞賛する顔を思い返して、ほくそ笑んだ。

 この活動を始めて、早くも一ヶ月が経過――――時間は掛かったが、この街の魔法少女の大半は、自分に靡いてきている。今、自分がこの高所で追い風を感じているように。

 無論、最高幹部達にとって極めて遺憾な話だろうが――――自分達の求心力の無さを呪え、と言うしかない。それに、彼女達に仕掛ける日も近い、とあかりは思っていた。

 

「『あらゆる事柄の結びつき、原因と、結果のつながりをよく理解しない限り、人は未来に押しつぶされるものである』」

 

 それは、アランの幸福論の一節『われわれの未来』に書かれていた文章であった。

 口の両端を吊り上げて、嗤う様に引用する。

 そこで区切ると、一拍間を置いてから、もう一度口を開いた。

 

 

 

「『夢や魔法使いの言葉は、我々の希望を殺してしまう。前兆は至るところの街角にある』――――かしら?」

  

 

 

 しかし、何者かの艶やかな声に、機先を制されてしまう。

 

「……!」

 

 あかりが即座に声の方向に振り向く。

 数メートル離れた場所に高圧送電線用の鉄塔が、聳え立っている。その頂上には影が有った。月光を背に受けているせいで、はっきりとは見えないが、人の形をしていた。聞こえてきた声と口調からして、女性であるのは間違いない。

 

「御機嫌よう。お嬢様(・・・)

 

 再び声が聞こえてくる。

 女性は両手に携えている物を、頭上に掲げると、パッと開かせた。パラソルで月光を防ぐと、女性の全体像が顕わになる。

 あかりがその姿を睨みつける様に凝視した。

 

「今宵は、私と一曲、ダンスでも如何かしら?」

 

 薔薇が飾り付けられたフォーマルハット、白いフリルの付いた長袖のアフタヌーンドレス、薄手の手袋に、膝上で切りそろえられたスカートの裾の下から伺える両足にはタイツ――――魔法少女にしては珍しく、肌色が露出している部分が一切無く、全身を漆黒に包んでいた。まるで西洋の喪服の様な衣装だった。

 背後に映える大きな月が、その印象をより際立たせていて、美しさに思わず溜息が出そうになった。

 

「ほんのちょっとしたことが原因で、せっかくの一日が台無しになることがあるわね……」

 

 あかりが寸手でそれに耐えると、顔を僅かに逸らす。憮然とした表情を浮かべて呟いた。

 

「それって、『靴に釘が出ている時』、かしら?」

 

 人当たりの良い屈託ない笑みで返す女性。

 耳心地の良い声だ――――いつまでも、こうして雑談を交わしていたいと思わせる様な、魅力が有る。

 あかりが顔を戻す。ウェーブの掛かった若草色の長髪が風に吹かれてユラユラ揺れている。それが、漆黒に染めた彼女の全体像の中で目立っていた。

 

「そうね。こんなときは、何一つ面白く無い。頭がボンヤリして働かないわ。でもね……」

 

 あかりは、両足をグッと屈めて、力を込める。

 

「その療法ってのは、簡単なのよ」

 

 

 ――――それを、脱ぎ捨ててしまえばいい。 

 

 

 あかりは、そう付け加えると――――飛び出した。

 向かい風など諸共しない疾風の如き勢いで、女性へと一気に詰め寄る。直後――――背負っていた鞘に右手を据えて、抜刀!! 刃が首元目掛けて走る。

 だが、女性は悠然とした姿勢を崩さず、開いたパラソルを前方に翳す。受け止めるつもりの様だ。

 だが、刀は寸止め。女性は衝撃が腕に伝わってこない事に、眼を見開く。

 

 ――――攻撃はフェイクだったか。

 

 彼女がそう思っている内に、あかりの左手は既に動いていた。手裏剣がパラソルの内側目掛けて、超至近距離で放り込まれる。

 だが、突き刺さる寸前で――――女性がフッと掻き消えた。

 

「……ちっ」

 

 惜しい。

 先制攻撃をギリギリで躱されたあかりが、そう思いながら舌打ちする。そして、女性が立っていた鉄塔の頂上に両足を着いた。

 

「……」

 

 ――――さて、どこからくる?

 

 あかりは、片足を軸にして、旋回。同時に黒目が猛禽(もうきん)類の様にギョロギョロと白目の中で走り回る。

 それが上に動いた瞬間だった。何か黒い物が僅かに視界に入り込む。

 

「!!」

 

 それが、相手の両足だと気づいた瞬間――――機関銃の様な発射音が連続で鳴り響く。同時に無数の弾丸が、あかりの頭上目掛けて降り注いできた!

 一瞬ぎょっとするが、それで驚いたまま蜂の巣になるあかりでは無い。直ぐに冷静を取り戻すと両顎に力を込めて食いしばった。

 そして、右手に構えた刀を、一閃!! 最前線で飛んでいた弾が、ガキィンッ!! とけたたましい音を立てて、余所へと弾かれていく。次いで、ニ閃、三閃!! 後続する二つの弾丸が明後日の方向へと弾き飛ばされた。勢いのまま刀を何度も振るう。弾丸が次々と火花を散らして弾かれていく。

 

 ――――やがて弾丸の雨が晴れると、パラソルを下に向けている女性の姿が見えた。その先端に当たる部分――石突(いしづき)からは煙がふいている。恐らく、弾丸はそこから発射されたのだろう。

 だが、それよりも――――

 

 

「空間干渉……」

 

 

 先程の芸当だ。

 『姿が消えて、別の場所から現れる』――――その技が何なのか、完全に悟ったあかりは眼を狐の様に細めて、口を開いた。

 

「そう、私は魔力の届く範囲内だったら、自由に移動することができるの」

 

 パラソルを頭上に構えて、ニッコリと微笑む女性。

 刹那――――再び姿がフッと消滅する。

 

「………」

 

 あかりは努めて冷静のまま、待ち構えている。

 

 

「…………」

 

 十秒経過。

 

 

「…………………………」

 

 更に三十秒経過。

 

 

「……………………………………………………」

 

 やがて、一分が経過。

 

 

 

「…………!!!」

 

 

 ――――そこか。

 

 背後に何かが迫ってくるのを感じたあかりが、即座に右手の刀を持ち替えて逆刃にすると、片足を軸にして、旋回!

 豪速で振るった刃が、ガキィンッ! と音を立てて、相手の攻撃を受け止める。

 いつの間にか背後に回っていた女性が、パラソルを閉じて、振り下ろしてきていた。

 

「……うふふ」

 

 攻撃を受け止められながらも、優雅な笑みを見せつける女性。

 

「くっ」

 

 あかりが苦い顔を浮かべる。

 魔法少女の魔力の範囲は100mが限界だ。つまり――――自分が対峙しているこの女性にとって、100m以内の空間は、360度問わず自分のテリトリーも同然。物理的特性に左右されず、物質を飛び越えて瞬間的に移動する事が可能なのだ。

 厄介な相手だ。そう思ったあかりは柄を持つ右手に力を込める。このまま鍔迫り合いに発展するかと思われたが――――あかりの腕力の方が上だと悟ったのか、女性はあかりが最初に立っていた電波塔まで飛び退いて、距離を取った。

 

「得てして、虎の威を借ろうとして虎に近づいたキツネちゃんでしたが、呆気なく喰われてしまいました、とさ♪」

 

 妙齢の女性とは思えぬ子供の様に無邪気な笑顔を浮かべると、そんな物騒な事を歌う様に告げてくる。

 

「それで終わりなら残念ね。だったら、続きを作ってあげなくっちゃ」

 

 あかりが身体を女性へと向けると、不敵な笑みを浮かべてそう返した。

 

 ――――厄介だ。非常に厄介な相手だと思うが……故に、倒しがいがある。 

 

 

「さ、ラストダンスといきましょうか。言っておくけど、あたしは激しいのが好みよ」

 

 

 ――――オバサンの身体が壊れないか心配ね。

 

 

 あかりがそう付け加えて自信満々に言い放つと、女性は口を開いて、アハハ、と楽しそうに笑い出す。

 

「ご忠告どうも。でもだいじょーぶ♪ 大抵は私よりも早く」

 

 

 ――――相手がバテちゃうから。

 

 

 女性も自信満々に言い放つと、鼠を見つけた猫の様に目を鋭く細めた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 月下で麗しき二頭の双雌が妖艶に嗤って、睨み合う。

 直後、一陣の風が二人の間に割って入ってきた。だが、両者の身体は冷気など一切感じない。寧ろ、暑苦しいぐらいの熱気を帯びていた。

 今宵は実にいい夜だと、お互いにそう思えた。人間の世界に居たままではこんな興奮には巡り会えまい。魔法少女とは――その中でも特に自分達は――日陰者である。誰にも悟られず、気付かれることは無い。

 故に――――存分に、全身全霊で興に乗じる事ができる。

 

 

 あかりが、姿勢を正して深呼吸を繰り返す。

 女性は、両手で掲げているパラソルで半円を描くと、下に向けた。

 あかりが、両眼を閉じて、祈る様に手を合わせる。

 女性が笑みを消すと、全身に魔力を漲らせた。緑色のオーラが全身を覆い始め、周囲のアトモスフィアが激しく揺らぎ始める。

 

 

「――――!!」

 

 女性が細めた目を――――カッと力強く見開いた。

 瞬間、状況が動いた。

 

 

 刹那――――何か(・・)があかりに向かって放たれる。

 

 

 それは出力先である女性自身の目にも捉える事はできないもの(・・・・・・・・・・・)であった。 

 

「――――――――!」

 

 肉眼では見えない何かがあかりに迫る。

 閉じた視界には暗黒しか広がっていない。だが、研鑽を積んできた彼女には、ハッキリと見えていた。

 

 ――――暗闇の中で、刃の形状をした白い光帯が、一直線に迫ってくるのを!!

 

 突然、あかりは上半身を思いっきり後ろに反り返した。

 一見奇妙極まりない海老反りの様なポージングが、迫っていたものを寸前で避けた(・・・)のだと、女性が気づいた時には――――あかりの姿が消えていた。

 

「!!」

 

 下方に殺気!! 女性が目線を下に向けると、自身の下腹部に掌が押し当てられていた。

 

「ッ!?」

 

 直後、鈍痛!!

 一瞬で距離を詰めたあかりの放った掌底が、突き刺さった!

 

「ッ……ガフッ!!」

 

 一拍間を置かれてから、口から大量の空気と胃酸が一斉に吐き出される。同時に、遥か後方へと吹き飛んだ。そのまま、地面に向かって落下していく。

 その先には、小屋が有った。女性が落ちながらも目線を下に向けてそれを確認すると、屋根に直撃する寸前で身体に魔力を纏わせる。空中でひらりと一回転して体勢を直すと、屋根の上に優雅に両足を付けようとするが、

 

「アレっ?」

 

 足がツルっと滑ってしまい、思わず間の抜けた声を挙げてしまう。

 屋根の表面は予想以上に滑らかな素材で出来ていた様だ……。

 すっ転ぶと後頭部を強打! そのままゴロゴロと転がっていき、地面へと墜落する。

 

「アイタタタ~……」

 

 土埃に塗れながら、両眼をぐるぐるに回して呻く女性。

 今までの優雅さは何処へ行ってしまったのか、全く締まらない間抜け極まる自身の惨状に、心の中で嘆くしかなかった。

 

 

「無念のまま喰われたキツネが、成仏出来る筈が無い――――」

 

 

「!!」

 

 突如聞こえてきた声に、女性はハッと目を見開く。 

 

「その魂は、黒い怨念となって、虎の(はらわた)に居座り続ける――――」

 

 ボンヤリとした視界に映ったのは――――自分に向かって悠然と歩み寄る、一人の少女。

 

「虎は何も知らずに他の動物達を喰らい尽くす。だが、彼らの血肉は、虎の養分には成り得なかった。何故なら怨念が尽く吸収してしまったからである」

 

 だが、女性の目には――――北斗七星の化身と呼ばれる妖狐の一種、『黒狐』となって映った。

 

「次第に痩せ細っていく虎とは逆に怨念は膨れ上がっていく。やがて――――虎の背中を突き破った。もう狐の姿じゃない。醜悪な黒い獣となって虎の喉元に喰らい付き、牙を突き立てる」

 

 黒狐の眼が爛々と菫色に光っている。女性はそれを見て、思わず魅了されてしまった。『逃げる』という選択肢が頭の中から掻き消える。

 

「そして、虎の命を完全に掌握した瞬間に、こう囁くの」

 

 黒狐が、背中から何かを抜いた。刹那、女性の首元へと突き立てる。

 

 

「『今、どんな気持ちだ』――――ってね」

 

 

 そう言い放ち、勝ち誇った様な満面の笑みを見せる黒狐。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 勝敗が決したのだと、お互いが理解した瞬間――――二人の時間が、止まった。

 身体が硬直した様に全く動かない。一言も口を開かず、ただお互いにじっと見つめ合う。

 女性は、呆然とした顔で地面を背にして寝ている。

 あかりは、悠然とした笑みを見せている。

 軍配がどちらに上がったのかは明らかだった。絶体絶命の状況下に置かれた女性は、恐怖に震えるしかない。

 

 

 

 

 

 と、思われた――――

 

 

 

 

 

 

 

「………………ぷっ」

 

 女性が吹き出す。

 

「ふふふ…………! あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!」

 

 そして、少し含み笑いをしたかと思うと――――急に、弾かれた様に大声で笑いだした。

 ――――恐怖で気が狂ってしまったのだろうか?

 否、女性の顔をよく見ると、喜色がいっぱいに広がっていた。負の感情は微塵も浮かんではおらず、心の底から面白がっている様にしか見えない。

 

「………………」

 

 あかりはそれを見て、不快気に表情を固めると、眼光を鋭くしてギンッと睨みつける

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………ぷっ」

 

 ――――かと、思いきや、あかりもいきなり噴き出した。

 

 

「ふっふっふ…………ぷくくくくく……!」

 

 固くした筈の表情が、徐々に緩み始める。やがて――――

 

「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」

 

 耐えきれなくなって、崩壊した。

 あかりも、女性と同じように大声でケラケラと笑い始める。お互いに哄笑を共鳴させた。

 

「まあったく!! 本当にあかりちゃんって最高よねえ!! こ~んなに愉しく遊べる子って他にいないよ~!!」

 

 大笑いしながら女性は立ち上がると、あかりに寄って肘でツンツンと脇腹をつつき、そう褒め称えた。

 

「そういう香撫姉こそねえー!! まぁこれであたしの勝ち!! 11勝8敗ね!!」

 

 あかりも、『香撫』と呼んだ女性の肩をバンバン叩きながら、満足気に笑ってそう伝える。

 

「……えっ!?」

 

 だが、その言葉に――――香撫は硬直。笑みがフッと消える。

 

「……どしたの?」

 

 香撫の妙な反応に、あかりも笑みを消して問いかける。

 

「それ、嘘でしょう。本当は10勝10敗でどっこいどっこいの筈よ……!」

 

 すると、香撫はあかりを指差して不審感を顕わにしたジト目でそんなことを指摘する。

 

「……あんた、それマジで言ってんの?」

 

「なによー! 私はいつでもマジよー!」

 

 あかりが、呆れ返った表情で呟くと、香撫は口を尖らせてブーブーと怒り出した。頭上からプンプンと煙が吹いている。

 その仕草に、薄ら寒い者を感じて思わず一歩引くあかり。

 

「うわキモッ……! あんたそれでもあたしより一回り上……!?」

 

「だって、魔法『少女』ですから。ウフ♪」

 

 愕然とした表情で言うあかりに、香撫は屈託ない輝かしいまでの笑みを魅せてそう言い放つ。

 最早何を言っても無駄であった。あかりはガックリと肩を落とす。

 だが、今回は『自分が勝った』のは事実だ。決まりごとは守って貰わなければ――――

 

「とりあえず、約束通り――――」

 

「奢ってあげる。何が食べたいの?」

 

「焼肉」

 

「え”っ!?」

 

 あかりが放った単語に、香撫はびっくり仰天! 青筋が顔中に浮かび、ダラダラと冷や汗を垂らす。そして、恐怖に震えだした。

 

「何イヤ~な顔してるのよ?」

 

「だ、だってお給料日前よっ! それなのにそんなもの頼むなんて……正気の沙汰じゃないっ!!」

 

 香撫は、目を『><』みたいな形にすると涙をいっぱいに溜めて大声で喚き出した。

 

「ええ~~……」

 

 自分から吹っかけておいて――――と言ってやりたかったが、脱力感が襲い掛かってしまったせいで、言う気が完全に失せてしまった。ガキ同然の反応に、あかりはまたしてもガックリと肩を落とした。

 ちなみに、そのお給料日だが十日も先である。

 

(……おっ!!)

 

 その時、頭の中の電球がピコーン!! と音を立てて光った。ある事が閃く。

 

「そういや、あたしの知ってる焼肉屋――――確か、馬刺しがあったっけ?」

 

 あかりがニヤリと両側の口の端を吊り上げて邪な笑みを浮かべると、わざとらしくそう言う。

 ちなみに、馬刺しとは『馬の刺し身』の略称で、文字通り馬の肉を薄く切って生で食べる日本料理のことである。おろしショウガ、おろしニンニクなどを薬味に醤油につけて食べるのが一般的だ。

 しかし、昨今では、住肉胞子虫に感染した馬刺しの食中毒被害が世間で相次いだ為に、大半の飲食店では死滅状態にある。厚労省は予防策として、中心温度マイナス20度では48時間以上の冷凍を行う必要があると発表したが、リスクの有るものは最初から取り扱わない方がいいと判断した店が圧倒的に多かった。

 よって、現在では、伝説の一品と化している。

 

「馬刺しッ!?」

 

 予想通りの反応が帰ってきた。あとはこのまま押すだけである。

 

「あ、牛刺しもあったんだ」

 

「牛刺しもっ!!」

 

 牛刺しとは、上記の馬刺しとは比較にならない、正しく『幻』の一品だった。

 ――――というのも、現在の法律では生食用牛肉の提供は完全に禁止されており、表面加熱殺菌が罰則付きで義務付けられている。牛刺しのみならず、ユッケ、タルタルステーキ、牛タタキも現在は一般人の口に入る事は、絶対に無い。

 香撫が目を輝かせるのも無理は無かった。

 

「行く?」

 

「行くよ! いくいくぅ~~!! っていうか連れてってあかり様ぁ~~!!」

 

 あかりが尋ねると、香撫は猫撫で声であかりに擦り寄る。

 悪寒が走りつつも、あかりは香撫の腕を引っ張って、その場所へと連れて行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日陰者は、常闇の中でしか生きられないが、人間には決して味わえない喜びを知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




 自分の中では二話分ぐらい書いたつもりでしたが、文字数見て一万字以内に収まっている事に唖然としました。


 前回投稿したEX03に続き、バトル回です。同時に三納(みの)香撫(かなで)(26)、お披露目回でもありました。
 で、能力なのですが……どう見ても、ARMSのキース・グリーンです。本当にありがとうございました。

 二話続けてバトルを書いた訳ですが、ええ、とんでも無く難しかったです……。頭の中でイメージはできていたのですが、それを文章として表現するのがきつくてきつくて……結果、かなりの時間が掛かってしまいました。orz

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。