(誤った設定の一部の詳細、及び、修正箇所に関しては、活動報告の方に記載させて頂きました)
お読みくださった読者の皆様に、大変な違和感を与えてしまった事、大変申し訳ありませんでした。
柳 葵は、悩んでいた。
基本的に真面目な彼女は、7月始めの期末テストの事だとか、未だに部活動を決めあぐねてる――これは縁もだが――ことや、将来の事とか、日常に於けるあらゆる事に悩んでたりするのだが、『これ』だけは特別だ、と思う。
「やあ、葵」
頭の中に響いてくる聞き慣れた声に、葵は、ああ、またか、と呆れ顔のまま、窓を見る。
案の条、この世に住む一部の人間が(鬱陶しいぐらいに)良く知っている存在が、ガラスの向こう側に立っていた。
外は夜。暗闇の世界で、双つの真紅の光が不気味に瞬いている。最初はこの世のものでない異質さを感じて、畏れを抱いた葵だったが、慣れてしまうと存外何でもなかったりする。
「また、来たの……?」
見た瞬間、がっくりと項垂れる葵。その顔には疲弊の色が浮かんでいる。
こいつと会うのは今日で何度目だろうか――――。
数えたくは無かったが、恐らく10回は会っていると思う。
最初は3日に一回しか会わなかった。だが、ここ二週間は異常だ。頻繁に……しかも時間、場所構わず現れる。
食事中や勉強中に現れるのはまだいい。入浴中やトイレ中にも現れるのはどうにかならないのか……しかも、決まって便器の裏とか、浴槽の中に潜んでて、ヌッと現れるので、驚いてしまう。
よって、それら――女性の一番デリケートな部分を晒すその二つ――に関しては全く落ち着いて用を済ませることができないのが、年頃の葵には辛かった。たまに登場しない時もあったが……どこかで見られているんじゃないか、という不安が常に付き纏う。まるでストーカーに怯える様だ。
あんまりにもしつこかったので、以前、トイレに現れた時、扉の外側から鍵を掛けて閉じ込めてやったが―――――部屋に戻ると、既に勉強机の上でちょこんと座って居た時には、唖然とした。
「……いいかげんにして。貴方と話すことなんて何も無い」
窓に顔を近づける。もはや怒る気力さえも無かった。溜息混じりにそう訴える。
「君に無くても僕にはあるんだけど」
だが、相変わらず彼は平静のままだ。自分が何を言ったところで顔色一つ変えない。
その様子を見る度、『ああ、篝さんの言ってたことは本当だな』、と思う。
――――二次性徴期の少女と契約し、魔法少女にする者。日本では白狐と讃えられ、会えた者はどんな願いでも叶えてくれる伝説の妖怪。
その名はキュゥべえ。本来の名はインキュベーターといい、宇宙の遥か彼方の惑星からやってきた機械端末。
感情が無い彼らは、思春期の少女の気持ちなど一切考えず、ただ自分達の合理的都合を最優先に、悪徳勧誘業者真っ青な勢いで、契約を迫ってくる。
小さい頃から縁のことを散々アホアホ言ってきた葵であったが、一ヶ月前に、こんなやつに焦がれていた自分も、相当なアホだったな、と今更ながら恥じていた。
……いや、縁はこいつと会うまで全く信じて無かったので、その分彼女の方が優秀かもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。下らない事は頭の片隅に追いやるとして、今はこいつをどう追い払うかが、葵の課題だった。
「どうせ、契約のことでしょう」
「いや、今回はそれだけじゃない。君が興味を抱ける様なとっておきの話を用意したんだ」
「……ほっといてよ」
窓を開けて彼を迎い入れることもせず、顔を窓から離して、はっきりと拒絶する葵。
こいつの言う『とっておきの話』なんて、どうせ碌でもないものに決まっている。
「……私は魔法少女になるつもりは無いっていってるでしょう?」
この言葉を何度こいつに伝えたか。
最初の内は、「やれやれ」と言ってそそくさと退散したのに、
「……菖蒲 纏に助けて貰ったよね」
最近は、決まってこう返して食らいついてくる。
『葵……凛さんが言ってたんだけどね……。魔法少女の素質がある子って、魔女に狙われ易いんだって……!』
一ヶ月前に、縁が涙目で伝えてきた言葉が、まざまざと頭に浮かんでくる。
彼女の言っていたことは本当であった。ここ一ヶ月の内に、自分が魔女に襲われたのは3回――学校帰りの途中に2回、休みの日に散歩に出かけた時に、1回――いずれも、纏が助けに来てくれたので、事なきを得た。
「いつまで
だが、キュゥべえが冷淡に放った言葉が、葵の心に冷たいものを刺す。
――――もう、『私達の世界』からは逃げられない。
蘇ってくるのは、篝 あかりの言葉。
始めて聞いた時から、まるで蜘蛛の糸の様に、自分の心と頭にネットリと張り付いていた。
彼女の言葉もまた確かであった。もう自分が
でも……、
「……私は、普通に生きていたいの」
はっきりと彼の言葉を否定する葵。
「幸せになりたいのよ。だから今は学校生活のこととか、将来どんな仕事に就きたいか一生懸命考えなくっちゃいけないの。命を半分捨ててる様なあの人達とは違うのよ」
心がゆっくりと掻き回されていく。気持ち悪さを覚えつつも、極力表には出さないように努めた。冷静を装いながら、訴え続ける。
「君が普通の人間として生きていくことを、別に止めはしない。強制する権利は僕には無いからね。だけど……」
そこで言葉を止めた瞬間――――彼の眼光が、鋭いものに変貌した様な気がした。
おかしい、さっきまで何も感じなかったのに……。
その赤を見てると、自分の心を見透かされそうな気がして、葵は思わず視線を彼から逸した。
「今の状況を、君は良く思っていない筈だ」
だが、言葉から逃れる事は不可能であった。
鋭利な刃物の如き言葉が、胸に突き立てられた。葵はウッと息を飲む。
「……私みたいな一般人を守ることだって、あの人達の義務なんでしょう……?
……なんで私が、そんなことを、思わなくちゃいけないのよ……っ!?」
…………呼吸が、上手くできない。
突然襲ってきた息苦しさの原因が分からず、困惑しつつも、葵は訴えるのを止めない。顔は逸したままだが。
「果たして、
「……っ!!」
キュゥべえの言葉に違和感を覚えてハッとなる。
同時に顔を戻すと、キュゥべえが射抜く様な眼光を向けてくる。
――――今、こいつは何て言ったのだろうか?
『本当の君』――――確かにそう聞こえた。
違和感が頭の中身をグルグルと掻き回す。確か、こいつは心の無い生物だった筈だ。自分の気持ちなんて察せる訳が無い、そう信じていた。
それなのに、『本当の私を知っている』って、どういうことなのだろうか。
――――同じ人間ではなく、心の無い機械が知った『私』って、一体どんなものなのだろうか。
「どういうこと……!?」
そこは恐らく踏み入れてはならない領域だったのだが、不意に抱いた興味は、一線をあっさりと超えてしまう。
……問いかけてしまった。
もう、後戻りは、できない。
「君は僕が只の『端末』だと思っているようだが、それは間違いだ。僕らは個々に思考を持っている。確かに感情は無いが、知能があるからこそ遥か昔から人間の事を研究することができた。だから、感情がどういうものであるのかは、理屈的にはようく知っている」
心の無い筈の彼の両目から放たれる赤色が、力強さを増して爛々と輝き出す。
それは葵の胸に突き立てたナイフを上下に動かして、薄い壁をガリガリと削り剥がしていくかの様だった。
身を隠したい衝動が、急激に襲い掛かってくる。
しかし……、
「貴方は、人間じゃないわ」
――――逃げるな葵。ここで逃げれば、奴の言葉を肯定と受け取ってしまう。
「だから、私のことなんて、理解できない……!」
懸命に自分を奮いたたせながら、訴える。
「できるよ」
だが、彼は顔色を一切変えることなく、さらりとそう言ってのけた。
「柳 葵。君の事は、以前から観察していたが……君はとても正義感の強い人間だ」
「!!」
刹那、肩がビクリと震えて、自分でも驚いた。心が肯定と受け取ったサインだ。
「友達の美月 縁と行動しているときも、それが伺える。本来、縁が怒らなくてはならない場面では、君が率先して相手に怒っている。まるで彼女を守る様にね」
肩の震えが、止まらない。
抑えるべく脳内で『とまれ』と何度も叫び続けるも、とどまってはくれない。
鋭利な刃物は既に壁を削り終えていた。そして、葵の心に、ゆっくりと突き刺さっていく。
「それだけでなく、君は理不尽な事が許せない性格だ。
いつの間に、そんな
ズブズブと胸に刃が埋まっていく。
「他者の感情を代替できる君が、魔女が人々を襲う現実を、容認できているとはとても思い難い。この前、纏が守ってくれた時だって、『自分が代わりに戦えれば』なんて、思っていたんじゃないのかい?」
――――一気に心を貫かれた。
葵の全身が、凍りつく。顔が青ざめて血色を失っていく。
「で、でも……私には」
心臓が止まったかの様な死に体となった風貌の葵が、今にも消え去りそうな小さな声で呟いた。
「あの人達みたいには、なれない。そんな勇気も強さも無いもの……!」
もうこれ以上キュゥべえを見てると、おかしくなる。そう思って、顔を俯かせる。
「君が決めなくても、やがて、状況が決める事になる」
「……!?」
返されてきた言葉に、葵は項垂れたまま、目を大きく見開いた。
「君は、この街に迫っている
「え……?」
「これが本題だ。君に
キュゥべえが囁く様に告げる。
「『魔なる物の眼』を持つ魔法少女が、桜見丘に迫ってきている」
☆
「アルフレッド・アドラーは『劣等感』に注目したの」
白い縦長の空間。ステンドグラスから入り込む幻想的な光のみで照らされた、礼拝堂の様な空間で、教壇に立つ少女――――『イナ』が語りだす。
「何故なら『劣等感』こそが人間の成長の原動力になるからよ」
片手で書物を開いて、内容を読み始める。
「『人間を他の動物と比較した場合、身体の大きさや運動能力、牙や爪といった殺傷能力など、優れた能力を持つ動物が多数いる、こうして人間は生まれつき他の動物に対して【劣等感】を抱くようになる。しかしこのままでは生存本能に敗れてしまう』」
イナはそこで言葉を切ると、顔を上げて傍聴者達に目を向けた。
どこまでも透き通ったガラス細工の様な碧眼が、彼女達の心を捉える。
「そこで、この劣等感を克服する為に、人間は
微笑みを浮かべる。白いワンピース姿と礼拝堂内の幻想的な空間が相俟って、天使の様に見えた。
だが、投げかけた質問は、彼女が予想する以上に難しかったようだ――――5分ぐらい間が置かれて、手が上がった。
「『武器』、かな?」
答えたのは、イナから見て、右側の長椅子に座っている女性――――『オバサン』だった。
「不正解。他には?」
バッサリと切り捨てる。オバサンはやや不満げに口を尖らせたが、無視した。
次の回答を静かに待つ。
「……では、『知恵』でしょうか?」
しばらく間が置かれて、左側の長椅子に座っていた6人の少女の一人――――高嶺絢子が挙手して、はっきりとした口調で答える。
「オバサンの答えと合わせて50点ね。確かに遥か昔の人間が優れた種に打ち克つには武器は必要不可欠だったし……その中でも殺傷力の有るものと、罠を作る為の知恵も必要とした。でも、それだけでは無い筈よ……」
イナは、そこで一息付いた。再び書物に目を通し始める。
「答えは『集団』よ。
『集団で掛かれば身体の大きな動物を敵にしても戦える。また、身を守る為にも1人より集団でいるほうが有利だった。つまり、人間が集団を形成するのは、太古の昔から持つ基本的な傾向であり、それは他の動物よりも身体的に劣っているという劣等感の克服から生じたものだと考えられる』」
イナはそこで微笑を強める。
左側に座る少女たちはそれに気づかなかったが、唯一気づいたオバサンだけは、その笑みが意図するものに感づいたのか、ニタリと歯を見せて、嗤い返した。
「アドラーは、これを『補償』と呼んだわ。
……つまり、人間は劣等感を埋め合わせる為の『補償』を重ねることによって、進歩を続けることができた、ということになるわね」
オバサンには目もくれずに、片手に持つ書物の文字に目を通しながら、教壇を降りるイナ。
「更に……『人間は早く走れないから自転車や自動車、鉄道を作り、上手に泳げないからボートや船舶を作り、また、空を自由に飛べないから飛行機を作り、動物を殺して食料を得るために武器を作り、さらに、自然や宇宙に対して無力感を感じた人間は、宗教や哲学を生み出した』
……いずれも人間がもつ【劣等感】が原動力になっている」
イナはそこまで朗読すると、本をパタンッと閉じる。
「さて、ここまで読み終えた訳だけど……みんなは、違和感を覚えたんじゃないかしら」
イナは目を細める。刺さる様な視線に傾聴者達は、緊張感を覚えて背筋をピンと張った。
しばらく間を置いてから、ゆっくりと、口を開き始める。
「『人間の【補償】には、
微笑みを浮かべながら、囁かれた言葉は、地を這って絢子達の耳に伝い入ってきた。
全員が愕然とした顔を、イナに向けてくる。
「自然環境への負荷が比較的少なく、大量輸送に向き、定時性や安全性に優れるという特徴を有する鉄道。
推力を得て加速前進し、かつ、その前進移動と固定翼によって得る揚力で滑空する飛行機。
水上で安定して浮かぶためのアルキメデスの原理によって得た浮力と共に復原性も備えた「船体」と、推進力、針路を定める「舵」の機能を備える必要がある船。
火薬や様々な気体の圧力を用いて、弾丸と呼ばれる小型の飛翔体を高速で発射する銃。
様々な哲学者による問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理……」
イナがつらづらと解説する。それらは人々が血の滲む様な努力を費やして生み出してきた。絢子達も実際利用したことのある、便利なものばかりだ。
だが、イナの言葉を聞いてからだと、何故か不快感を抱く。
その答えを彼女は知っているのだろう――――絢子達の胸に期待感が高まる。
「全ては私達の持つ『魔法』一つで事足りる。
普段の私達は、そんな道具を利用しなくたって、早く走れるし上手に泳げるし、空も飛べさえもできる。アフリカライオンやヒョウが群れで襲いかかろうとも、猫の様にあやすことができる。自然の理すらも自在に操れるから、宗教や哲学を作る必要も無い。
だから、こう考えられる。
『人間がもっと早くから魔法少女の存在を認めて、手を取り合ってさえいれば――――【魔法】の研究を共に進めていれば、わざわざ莫大な資産を費やし、大量の人員を要し、実験に寄る夥しい数の犠牲や、環境破壊を繰り返してまでこんなものを作る必要性は全く以て無かった』」
そこでイナは、ふう、と溜息を付くと、一旦目をとじる。
「もし、私達が紀元前ぐらいから、人間と手を取り合っていたら……?」
不意に湧き上がった疑問。絢子が手を挙げて、問いかけてみる。
「そうね……。今頃は、まだ知らない未来と全てが有る過去へと往来できるタイムマシンや、地上から宇宙へと瞬時に移動できるワープホールの作成。銀河系にある惑星全てを、人の住める環境へと変えていたかもしれない。
いや、それどころか……宇宙の概念すらも捻じ曲げる事ができていたかもしれない」
顎に手を当てて、何かを考えてるような仕草のイナが、目を閉じたままそう答える。
「「「「「「…………っ!!!」」」」」」
絢子達6人の顔が一斉に愕然とした表情に変わり、ざわめき出した。
「『人間が文明を創り上げた頃に、魔法少女を生み出した』と、インキュベーターが言っていたけれども、もしそれが事実だとするのなら、どうして人間は手を取り合おうとしなかったのかしら?
再び開かれた目から、綺麗の光が瞬かれる。傾聴者は、その神々しさに目を奪われた。
「人々が私達を拒み続けてきたからに他ならない。優れた種族で有る
故に私達は、進化の可能性を遮られた日陰者としての立場を余儀なくされてしまった。結果として、西暦を迎えてから2000年以上経った今でも、インキュベーターとの隷属関係から魔法少女は抜け出せてはいない」
そんなことの為に、人間は切り捨てたというのか。私達を……種を脅かすからだと、支配者の立場を取って喰われるからだと、恐らくはそう判断して。
――――心が熱くなっていく。
明確な怒りの感情が、沸々と煮え滾る様に、心の内から湧き出してきた。
絢子は歯をギリリと食いしばる。
莉佳子は肩をワナワナと震わせた。
綾乃は表情を変えなかったが、膝の上に置く両手をきつく握りしめて、爪を食い込ませた。
晶は眉間に皺をグッと寄せて、美菜は涙を滲ませた目から、獣の様な眼光を放つ。
沙都子だけは……齎された事実を、まだ受け入れることができていないのか、唖然としていた。
「さて、ここでみんなに質問をしましょうか」
イナが6人の表情を眺める。全員の顔つきが変わったのを確認すると、満足気な様子でこう問いかける。
「こんな世界を、果たして許容する事ができるのかしら?」
世界を変える力が、その手にある――――
その質問の意図を、絢子達はこう捉えていた。
薄暗いの礼拝堂の中で、彼女達の瞳が、それぞれの意志を強く反映するかの様に、煌々と色鮮やかな輝きを魅せていた。
葵を書こうと思ったらご覧の有様だよ! な今回でした。
後半は再び引用のラッシュであります。書いてて長い台詞はよほどのセンスが無いと作りあげるのが難しいと分かりました。(書ける人は凄いと思います……)。
アホな自分が理論的な台詞を書くのは、大変むずかしい作業なんですが、『イナ』のキャラクターを創ろうと決めた以上、なんとしてもやりとげなければなりません。ただ、倫理破綻してないか、しっかり彼女の言葉になっているか、不安ではあります……。
次回は、あかり、優子、ドラグーンの動向、及び今回で浮上してきた新たなる魔法少女の存在を書くことになりますが……少し間をおくことになりそうです。