☆
激情で支配された心が、スマホを床に叩き付けて破壊するべく、手を振り上げさせる。
「……っ」
だが、行為にはいたらなかった。寸手で胸中に湧いたある疑問が、美結の乱れきった感情を一瞬だけ、取り締めた。
手を下ろし、深呼吸する。煮えたぎった感情に水が注がれていくのが分かる。
やがて、美結は再びスマホの画面に目を戻し、通話のコマンドをタップした。
『美結!? 大丈夫なの!?』
金髪が心底心配そうな声を挙げて出て来る。悲痛さすら感じられる声色からは、自分に『チームを抜けろ』と送った人物と同一とは到底思えなかった。
彼女が何故……?
美結の心に再び激情が溢れそうになるが、歯を食いしばって抑えつつ、なんとか冷静さを装いながら、問いかける。
「昨日のあれ……何? 私にチームを抜けろっていうのは?」
『あれは……、変な意味じゃなくって、一時的にって意味だよ……』
返答には狼狽がはっきりと感じられた。何かを隠そうとしているような言葉に抑えていたものが一気に吹き上がる!
「ふざけないで!!」
『っ!?』
怒声を叩きつけると金髪が怯えて呻き声を発するが、美結は止まらない。
「私がどれだけみんなの為に頑張ってきたと思ってるの!? どれだけチームに貢献したと思ってるのよ!? 魔女だけじゃない!! シマアラシの魔法少女と戦った時だって、いつも私が頑張ってきたのに……!!」
最後の方は声が震えていた。
自分がチームに加わってから4ヶ月、今までの功績の全てをゴミ箱にブチ込まれてしまった感覚。自然と悔しさと悲しみの感情が滲み出てしまっていた。
『……で、でもっ!!』
金髪は黙って聞いていたが、やがて張り合う様に大声で訴えてきた。声は自分と同じく、震えている。
『
「っ!!」
その指摘に刺さるような痛みを覚えた美結は、言葉に詰まる。
『昨日の美結、凄くおかしかったんだよ!? 私達の知ってる美結じゃなかった!!』
「……っ」
必死な金髪の言葉に、美結は返す言葉も無くなってしまう。
『みんなも言ってたよ……! あんな美結、初めて見たって……。
だから、美結には、気持ちが落ち着いて、元通りに回復するまで休んでもらおうって、みんなで話し合って決めたんだよ……っ!』
会話の合間合間に鼻をすする音が聞こえる。間違いなく金髪は泣いていた。真剣に自分の事を想ってくれていたのだと感じた美結は、先程怒りを叩きつけたのを後悔しそうになった。
しかし、そんな彼女だからこそ、最初に疑問に感じた。
「……ちょっと、聞いていい?」
それは聞いてはならないことだったのだと、美結は後で思った。
『……何?』
金髪が涙声で聞き返す。
「……それ、
一番仲間思いの金髪が、自分に対してあっさりと『チームを抜けて』とメッセージを送る事がおかしかった。彼女だったら、他の仲間達が何を言っても、食い下がる筈なのだ。
『……………………』
返事は無い。それどころか鼻を啜る音も聞こえてこない。
もしや、金髪は消えてしまったのではないか――――そうとさえ思える電話越しの静けさに、美結は薄ら寒い物を感じた。同時に、ある考えが頭の中にふっと湧いた。
もし、電話中の金髪の隣に誰かがいて、それが自分の言葉を傍受していて、自分の質問が金髪から返ってくる前に、彼女を消してしまったのだとしたら…………そして、それが可能な人間は自分の知る限り一人しか居ない。
「……どうしたの?」
美結は背筋を氷でなぞられる様な冷たさに怯えつつも、祈る気持ちで再び問いかける。
『…………美結、怒らないで聞いてね』
しばらく間を置いたものの、金髪から言葉が返ってきたので美結は内心でホッとした。
しかし、彼女の言葉は先程から一転して、ゾッとする様な冷たさがあった。別人とすら思える声色に、美結は先程の沈黙の間に何が有ったのか、考えずにはいられなかった。
『……あの人が、最初にそうしようって言い出したの……』
「……っ!」
だが、『あの人』――――その部分を聞いた途端、美結の思考が止まる。
「もしかして……!」
美結は息を飲む。
『そう、 さん……』
ノイズの掛かった名前が、金髪から吐き出される。
刹那、心臓が強く脈打ち始める。バクバクと激しく動くそれは、自分の体を内側から発熱させてきた。
――――やっぱり奴だ。奴の入れ知恵だったんだ……!
あの女性への怒りが、沸々と湧き始めたかと思うと――――
「っ!!!」
すぐに沸点を超えてきた。美結が奥歯を潰す様な勢いで、ガリッと噛む。同時に口から火が出た。
「今すぐあいつから逃げて!! あいつは私を遠ざけてみんなを殺そうとしてる!!」
『待って美結! 美結がどうして さんを怖がるのか分からないけど……』
分からない? ――――自分がこれだけ必死に訴えているのに、『分からない』?
…………目眩がしてきた。
『 さん、いい人なんだよ』
次いで告げられてきた金髪の言葉に、美結は足腰がおぼつかなくなってきた。両膝が力を失い、ガクリと崩れていく。
目眩どころか頭痛までしてきた。クラクラと歪む視界と相俟って気持ち悪さが尋常でない。突然大声で叫んだので、唯でさえ疲弊しきっている心身に鞭を打ってしまったのもあるが……それ以上に金髪が――恐らく他のみんなも――あの女性の仮面の顔を信じているという事実の方が衝撃だった。
『以前、魔女に襲われた時、助けてくれたの』
「それだけで?」
『もっとあるよ。その魔女を一人で倒してくれて、グリーフシードも譲ってくれた。それに、【自分はそんなに使わないから】って、今まで貯めてた分も全部譲ってくれたの……』
「……!」
絶句する美結。当然だ。
『 さんね、凄く面白い人なんだ。美結が来なくなってみんな落ち込んでたんだけど…… さんがチームに入ってくれたおかげで救われたの』
あの女性に対する羨望が混じった金髪の優しい声。だが、美結にとっては全てが、耳を疑うものでしかない。
『それに、 さん……昨日の件でも、
嘘だ。
『あのね、美結。昨日美結を運んでくれたの、 さんだったんだよ?』
嘘だ。金髪の言っている事は全てデタラメだ。あの女性がどこかで彼女を操っているに違いない。
『だから美結。 さんはいい人なの』
だが、金髪のあまりにも純粋なその言葉が、美結の心にトドメを刺した。
『美結が
もうこれ以上聞きたく無かった。プツンと通話を切る。
――――嘘だ。全部ウソだ。デタラメだ。偽りだ。夢だ。幻覚だ。
頭の中をそれらの言葉群で必死に埋め尽くす。
しかし、先程、あの女性の事を語る金髪の声色――――彼女が奴のことをとても信頼しているのは耳が感じとった。それに、昨日の件を思い出すと、他の仲間も金髪と同じ様子だった。自分以外誰一人としてあの女性を微塵も疑ってなどいなかった。
つまり……
『間違っているのは、自分自身』
「っ!!?」
再び頭に過ぎったその考えを、美結は必死に頭を振って払う。
何を馬鹿な――――自分まで信用できなくなってしまっては奴の思うツボじゃないか。だが、仲間達はもう頼れない。だとすると、自分が助けを求められる者は、もうあと一人しかいない。それは、あらゆる意味で一番頼りたくない相手だったが、仕方がない――――
美結はその者に縋るしかなくなった自分に忌々しさを覚えながらも、呼びかける。
「キュゥべえ、居るんでしょ、出てきなさいよ……早く……!」
「僕に何か用かい?」
机の下の暗闇になっている場所から、のそのそと忍び寄ってくる四足歩行の白い生命体。
「大変な事になってる……貴方の知らない魔法少女が、私の仲間に近づいている……!」
「それで?」
キュゥべえはどこか軽い口調で、猫の様に足で顔を掻く真似をした。真剣に聞いていないどころか、寧ろ小馬鹿にしてるとしか思えない仕草に怒りを覚える美結。
恐らく、先程から彼女の様子をそこで眺めていたのだろう。しかし、彼は今の美結の必死さを一切気にも止めていない。
「前から思ってたけど、貴方って、人の気持ちが理解できないんでしょう……!?」
美結はキュゥべえの問いには答えず、ずっと抑えていた鬱憤をぶつけてしまった。
彼女が思わずそう言い放つのも無理は無い。出会ってから今まで、こいつの表情が変化したのを彼女は見たことが無かった。四六時中無表情なのがずっと疑問であり、不気味だった。
その上、喋ることも合理性を求めるものばかりで、感情を欠いており淡々としている。まるで機械と会話している様な錯覚に陥ることが多々あった。
「そんなことは今はどうでもいいだろう。僕は、先程の君の発言内容が僕にとって本当に大変な事なのか、と聞いているんだ」
キュゥべえはバッサリと切り捨てると、再び問いかけてくる。
「そんなことって……! っていうか何よ! これって大変な事じゃないの!?」
キュゥべえの管轄から外れた魔法少女が、自分の仲間たちと接触している。美結はキュゥべえを踏み潰したい衝動に駆られながらも、それは彼にとっても不都合なのではないかと必死に訴えかける。
「別に、大したことじゃない」
だが、彼の返答はにべもない。
「実は二週間前に、君が伝えてくれた特徴と酷似した魔法少女を発見してね。今まで監視してたんだが……特に怪しい様子は見受けられなかった」
キュゥべえの話では、あの女性は、美結の通う中学校の裏の小さなアパートに住んでいるとのことだ。
昼間は離れた地域にある大学に通っていて、夜は魔法少女活動に勤しんでいる。休日は魔女が出現しなければ、もっぱら外出せずに家で寛いでおり、正午が過ぎると昼食と夕食の惣菜を買いにスーパーへと足を運んでいるぐらいのものだった。
「彼女は君や君の仲間たちと変わりない、只の魔法少女だと確信した。だから……
そんな訳あるか。美結はカッと目を見開き、射る様な視線を向ける。
彼は恐らく、あの女性の生活を一部始終観察しただけで判断したようだが、それは早計でしかない。奴の言動、嗜好をもっと調べて欲しい。そこに必ずある筈なのだ。
「もっとよく観察して!! 奴は隠れて行動してる!! 必ず誰かを殺してる!!」
殺意の兆候が――――キュゥべえがそれを感じてくれなければもう後は無い。だが、
「君は自分が何を言っているのか分かっているのかい? 彼女は君のチームの中にいるんだろう?」
「……っ!!」
キュゥべえにそう返され、美結は言葉に詰まってしまう。
「君の言葉が真実なら、彼女が行動を起こす時はつまり、君の仲間が死ぬ時だ。君はそれを、黙って見過ごすつもりかい?」
言われた途端、頭が瞬時に凍り付いた。
正論だった。頭に血が昇ったせいで、思慮が浅くなっていた。
仲間の命は既に奴の手の内にある事を思い出した時、もうどうにもできないやるせない気持ちが行き場を失って身体の内側で暴れだし、全身を掻き毟りたい衝動に駆られた。
「~~~~」
悶える美結。キュゥべえはそんな彼女を涼しさすら感じられる表情でしばらく眺めていたかと思うと……突如、踵を返してどこかへ去っていく。
「……ちょっと待ってよ……貴方、あいつをそのままにする気?」
「当然さ。問題は無いからね」
「そんなこと言わないで、なんとかしてよ……」
息も絶え絶えに懇願する美結を、キュゥべえは鼻で笑う様な言葉遣いで言った。
「僕に魔法少女を裁く権限はない。君もよく知っているだろう? それに、もし、彼女が今後何らかの問題を起こしたとしてもそれは僕達ではなく、彼女を管理している誰かの責任ということになるから、僕達が関与する義務は発生しない。それでも彼女を裁きたいのなら君が行えばいいじゃないか」
またもや反論しようがない正論を返されてしまった。絶望と失意が美結の首にのしかかる。
「やれやれ。相変わらず、人間の言葉というものは感情によって二転三転するものだね、本当に――――」
訳が分からないよ――――
キュゥべえは両目を一瞬、不気味に瞬かせたかと思うと、そう呟いて再び暗闇の中へと去っていく。
これで、頼れる者は誰もいなくなってしまった。
奇妙な感覚が美結を襲う。
金髪に紹介された『あの女性』を視界に捉えた瞬間、脳裏に過ぎったのと同じく、奈落に落ちていく自分の身体――――どこまでも深かった。下を見ると底が見えず、暗黒がどこまでも続いていく。
落下する身体の姿勢をなんとか直して、首を上げると、地上と思しき光が溢れる穴が見えた。しかし、直後に穴は小さくなって消えてしまった。誰かが、塞いだのかもしれない。
そして、四方八方が暗闇となった。すると、自分の内から何かがふつふつと吹き出して、漆黒に吸収される様に消えていく。美結はそれが何なのか分からなかったが、自分にとって掛け替えのないものだ、という事は理解できた。慌てて手に取ろうとするが、全て擦り抜けていってしまう。
やがて、美結の意識が現実に戻ると、壁に背中を預けていた。
頭が首から落ちそうなぐらい、もたれる。目からハイライトが消え失せ、両手が力無くダラリと垂れるのと同時に、スマホが床に転がった。
暗闇にあらゆるものを吸い取られ、最後に魂をも奪われた美結は――――物言わぬ人形と化していた。
☆
その夜――――
月明かりすら一切差さないその部屋には、少女の姿をした人形が座っている。
『~♪~♪~』
床に落ちているスマホから音楽が鳴る。音からしてメールの着信音だ。人形に反応はない。
『~♪~♪~』
しばらくして、また音楽が鳴った。だが、人形に反応はない。何故なら人形に耳は無いからだ。
一階には家主とその妻がいるが、閉ざされた部屋から音が届く筈も無い。
『~♪~♪~』
また少し経った後、音楽が鳴った。そこで漸く誰かが、スマホを手に取った。
「やれやれ、いつまでそうしているつもりだい?」
動物の姿をした生物――――キュゥべえが呆れ返った様に人形に問いかけるが、無駄である。耳が無いのだ。
「さっきからメールが送られてきているようだ。君の仲間達かもしれない」
仕方なくスマホの中身を確認する。
――――しばらくすると、顔をバッと、勢い良く人形の方へと戻した。
「美結……大変だ!」
人形の名を呟いたかと思うと、大きな声で伝えてくる。初めて聞く彼の声色が、人形の耳の蓋を強かに叩く。普段の悠々さはどこにも無く、寧ろ明らかに焦っているように感じられた。
「君の恐れていた事が、発生した!」
次いで大声で告げられた言葉が、蓋を破って中に入り込んだ。矢の様に脳に突き刺さり、人形の意識を覚醒させていく。
そして――――魂を宿らせた。
「っ!!!」
人間となった少女――――吉江美結がばっと顔を上げてキュゥべえを見る。何も映さなかったその瞳にはハイライトが戻っていた。同時に、自分がまだ生きていることを確かめる様に歯をギリリと食いしばる。
そして、彼女はキュゥべえからスマホを奪う様にバッと取り上げると、直ぐに家を飛び出した!!
書きたいこと全部ブチ込んだらクソ長くなったので、分けます……。