――――――――緑萼市。
駅前の都会から少し離れた郊外には、一件の寂れたBARが在った。
十年前に経営不振で潰れたとされるそこは、店主が借金苦で自殺してからは誰も住んでいない。以降、誰も寄り付こうとはしなかった。
そこの地下室に少女――――『美咲文乃』は居た。
彼女は中央に置かれたリクライニングチェアにとすん、と座ると、ゆったりとした背もたれに背中を預けた。
大きなリクライニングチェアが中央に有る以外は何も置かれていない、薄暗い地下室。
美咲文乃の身をオレンジ色光が包んだと思うと、彼女は魔法少女に変身した。
途端、文乃が掛けている丸眼鏡のレンズが虹色に染まる。刹那、レンズから虹色が溢れ出す様に発光し、地下室全体を覆った。
しばらくすると、文乃のレンズから光が収まった。
地下室全体が変貌していた。床、壁、天井、四方八方至るところにモニターが設置されている。それだけではない。空中にも無数のモニターがユラユラと浮いている。
モニターが写し出しているのは、全て街中の様子だ。
文乃は、電子機器に自分の五感の一部を送り込む事ができる。街中の監視カメラに自身の視覚を送り込んだので、映像は全て文乃の脳に送られる。
――――とは言え、流石に、全ての監視カメラの映像をいつまでも自分の脳に溜め込んでおくと、脳がキャパシティを越えてしまい、疲れ切ってしまうので、このアジトに戻って、脳内の映像情報を全て開放。捨拾選択し、必要な情報だけを脳に戻す、という行為をしている。
「とは言っても……『必要な情報』なんて微々たるモノだけどね」
映像には、別段変わったものは映っていなかった。というより、殆どの映像は何も映していなかった。
僅かに、人が映っているのもあるが、仕事が終わって帰路に付く中年のサラリーマン、はしゃぎながら、夜の街を闊歩する浮かれた大学生の集団……別に面白くも無いものばかりだ。それらのモニターを指で弾くと、フッと消滅する。
その中に、ドラグーンの魔法少女達が活動している光景が映されているモニターを発見し、文乃は目を光らせた。……が、すぐに消した。どうやら彼女達は真面目に魔女退治に赴くチームであった様だ。それは文乃が興味を示すものではない。
その後も、魔法少女が映し出されているモニターを見つけるたびに、それを眺めるが、どの魔法少女も、ドラグーンの掟に従って真面目に行動するばかりで興味を惹かれるものは無かった。
「桐野卓美が総長だったころは毎日面白いものが見れたんだけどなぁ~。真面目な竜子ちゃんと鬼軍曹ヒビキ、ほんで『猛獣』と『死神』……こいつらのせいですっかりこのチームも毒気が抜けちゃったよねぇ~」
一通りモニターを確認すると、文乃は両手を高く上げて背伸びをする。そして、心底詰まらなそうな表情でつぶやいた。
前総長時代は、どの魔法少女も精神を摺り減らした状態が長く続いたために、毎夜誰かが感情を爆発させて、事件を起こすことがあった。
あの頃は、正しくドラグーンの暗黒期とも呼べる状況だったが、刺激的な日常ではあった。
今のドラグーンの魔法少女は、のびのびと活動している者が多い。いや、別に平和に越した事はないのだが、こうも詰まらない常態が続くのは文乃にとっては苦痛でしかない。
「まあ、だからこそ……こういう刺激が無いと、やってられないよね」
彼女は、自身のお腹についた小さい白いポケット――――某ネコ型ロボットに付いている四次元ポケットを彷彿とさせるそれに手を突っ込むと、一台のカメラを取り出した。電源をONにして、データを確認すると、一番最近録画した映像を再生させる。
それは先の狩奈と萱野優子の喧嘩の様子だった。
「~~♪♪」
10代の少女が、汚らしい罵詈雑言の数々をお互いに浴びせながら、銃や鈍器を向けて盛大にぶつかり合う。
ネットに上げたら即座に倫理がどーのこーのと言われ炎上騒ぎになり、削除されるどころか、警察の御用になるであろう映像を満面の笑みで文乃は視聴する。
「……!?」
暫く映像を見ていると、文乃は目を見開いた。
映像に映っているのは魔法少女姿の狩奈と萱野優子、そして、彼女達から少し離れた場所で天を仰ぎ茫然となっている私服姿の少女――――そして、もう一人、居た。
少女の真後ろに立っているソレは、全身を黒い衣装で染めていた。直立不動のまま、狩奈と優子の戦いを眺めている様であった。
直後、狩奈がロケットランチャーを放ち、ビルの屋上が爆風に包まれる。やがて、煙が晴れると、既に黒いソレの姿は無く、少女が爆風で吹き飛ばされない為に身を小さく丸めている姿しかなかった。
「こいつは……!」
文乃は映像を巻き戻すと、一時停止をして、ソレを凝視した。
――――こいつには見覚えがある。
☆
激動の一日を終えた縁は、2階に駆け上がると自室のベッドに勢いよく倒れこんだ。
そのまま、目を閉じる。ただただ疲れた、寝よう。
………………
先の戦いの凄惨な光景が浮かんでくる。
コンクリートの床に頭を叩きつける魔法少女、血が流れているのに笑いながら銃を撃ちまくる魔法少女、銃と鈍器をぶつけ合う魔法少女、爆風に吹き飛ばされそうになった自分、魔法少女に人質にされそうだった自分、魔法少女にビルの外まで投げられる自分。
(もしかしたら全部、夢だったのかも――――)
そう思いたいが、あまりにも鮮明に瞼の裏に焼き付いているので、ああ、夢だったらこうもはっきりしないし、やっぱり実際に見たんだ。と縁は諦めるしかなかった。
心臓がバクバクしてくる。それは今までにない事を経験したという興奮か、それとも、魔法少女に対する恐怖か――――どちらかは縁には判別つかなかったが、謎の高鳴りを感じているのは事実であった。
(……今夜も寝られないかも)
流石に二日も眠れないとなれば、自分の身体に不調を来すかもしれない、と思った縁は、上着の胸ポケットから、スマホを取り出す。
LINEを起動すると、一人の少女に連絡することにした。
誰かに話せば多少落ち着くかもしれない。そして、今の自分の気持ちを受け入れてくれる人物は彼女しかいない。
「頼むよ、葵……」
画面に表示された名前を呟くと、縁は通話ボタンを押して、スマホを耳に当てた。
『もしもし、縁?』
彼女は直ぐに出た。その声を聴いて、縁の表情が僅かに緩む。
「葵? 実は、私、話したいことがあって――――」
『そう……』
葵が静かに、消え入りそうな声で言う。元気の無い声だ。
『……………………実は、私もなの』
どうやら、葵も同じ気持ちだったらしい。随分間を置いて言った、ということは自分には言いづらかったのだろうか。それでも、親友も自分と同じ気持ちを抱えて、それを自分に吐露してくれたことが嬉しく思った。
「何かあったの?」
嬉しさが声から漏れない様にしながら、縁は問いかけてみる。
『縁の方から電話掛けてきたんだから私から言うのは悪いわよ。そっちから話して』
「……わかった。実は……」
が、葵からそう返されたので、縁は自分が今日体験した出来事を話すことにした。
――――魔法少女・萱野優子、魔法少女・狩奈。彼女達と出会い、そして、魔法少女同士の戦いに巻き込まれた事を――――
『………………』
縁が一通り話すと、葵から長い沈黙が返ってきた。
「葵?」
『あっ! ごめんなさい、今度は私の番ね』
葵は我に返った様な声を出すと、自分が体験した出来事を話す。
――――謎の女性・篝あかりと出会い、彼女が魔法少女であった事――――
――――その後、魔女の結界に誘われたが、二人組の魔法少女が、自分を助けてくれた事を――――
――――あかりから言われた「縁が絶望して死ぬ」という話は、流石にできなかったが――――
「そうなんだ、そんな事が……」
葵の話を聞いた縁は、感嘆した様に呟いた。
「……てっきり魔法少女ってさ、纏さんみたいに華麗に戦ってるんだとばっかり思ってたけど……」
『それは私もよ……あれはもう、なんていうか、凄まじかった……』
「こっちも、頭からズッダーンッ!! て投げたり、ロケットランチャー持ってズッドーンッ!!ってやったり、ヤバかったよ……本気で死ぬかと思った」
『縁の方が凄そうね……』
縁の話から、想像してしまったのか、葵が辟易とした声を出す。
「それにしても……あかりちゃんも魔法少女だったんだね!」
もう一つ、葵から齎された事実は、縁に衝撃を走らせた。
『あかり『ちゃん』? 縁、あの人のこと知ってるの?』
「うん。この前葵とアクセサリーショップ行った時に知り合ったんだよ」
『…………え? ちょっと? 待って待って! おかしいわよ、だってあの人、貴女の事……』
――――よく知ってるわよ。
「……………は?」
雷が落ちたような衝撃が走った。縁は思わず呆けた声を挙げてしまう。
「ね、ねえ、小さい頃知り合いだったけど、離れ離れになったとか、生き別れの姉だったとか、そういうのって無いの……」
「そんな漫画みたいな設定私には無いよ……っていうかそれってどういうこと??」
『私も良くはわからない。でも貴女の事を話した時の目……』
鮮やかな菫色が一変して、何も映さない、ドス黒く淀んだ瞳に変わったのを葵は思い出す。
『あれはハッキリ言って異常だった……。あの人、なんか普通じゃない。なんというか、貴女に執着してる』
「執着って……嘘でしょ? 女性の人にストーカーされる覚えなんてないんだけど……?」
そもそも縁には、あかりがそんな女性だとは到底思えなかった。故に否定する。
『でも! あれはおかしいって!』
「…………!」
突然語気を強める葵に、縁は閉口する。その余りにも切迫した様子から、嘘を言っているのでは無いと確信した。
『!……ごめん』
「大丈夫……」
『とりあえず、その人の話は一先ず置いておくとしましょう……』
あかりについてこれ以上二人で話し合っていても埒が明かない。それどころか彼女に対する疑念が深まるばかりだ。
縁は、あかりに対しては、あまりそういった感情を持ちたくは無かった。葵もそれを察したのか、話題を反らすことにする。
『ねえ、ゆかり……』
「何?」
『昨日、宮古さんに言われたんだけど……私、魔法少女の素質があるらしいの……』
「えっ!!?」
深刻に告げられた葵の言葉は、縁に強い衝撃を与えた。思わず目が飛び出そうになる。
「そ、それって……どういう……?」
『分からない……。でも、もしかしたら……篝さんの……不思議な言葉が、理由かもしれない。
『もう、<魔法少女の世界>からは逃げられない』
『一度足を踏み入れてしまった場所から逃げることは簡単な事じゃない』って……』
「……っ!?」
聞いた瞬間、縁は背筋が凍るような感触に襲われた。熱くもないのに、額に脂汗が浮かんでくる。真夏の炎天下に水を掛けたアスファルトの様に、喉がカラカラに干上がっていく。
しかし、電話を切りたいという気は一切おきない。
それどころか、『期待している自分』が居ることに縁は気づく。
――――魔法少女の世界。自分がまだ知らない世界。
たとえそれが、ゾッとするような話だったとしても、湧き上がる好奇心を満たしてくれるなら別に良いとさえ思える、歪な感情。
――――これは……いったい、なに……?
『多分、魔法少女と魔女に私たちが関わってしまったのは、偶然じゃない……』
通話口から聞こえてきた葵の言葉に、縁はハッと我に返る。
「……私たちに『素質』があるから、関わっちゃったってこと……?!」
『素質』―――魔法少女の。
それを自覚した瞬間、彼女の胸の鼓動は
『多分、ね』
「……」
縁は言葉を失う。
『……ねえ、縁』
縁の言葉が聞こえなくなったのを心配した様子の葵が、声を掛ける。
『魔法少女になろうって、考えてない?』
「!!」
問われた瞬間――――縁の脳にイナズマの如き激しい雷撃が落ちた。
同時に、彼女ははっきりと理解した。
先ほどから身体の内で激しく聞こえる、『胸の高鳴り』は、一体何なのか。それは興奮でも、恐怖でも無い。
――――菖蒲 纏。
命を奪われそうになった自分を助けてくれた。使い魔を華麗に切り裂く姿に目を奪われた。魔女を一瞬で倒す姿はカッコ良かった。
握手の時に見せた笑顔が綺麗だった。
――――萱野 優子。
倒れてた自分を救ってくれた。大事な物を取り返してくれた。巻き込んでしまった責任を果たすと言ってくれた。身体を張って自分を守ってくれた。
自分と関わった魔法少女の姿が浮かんでくる。
彼女達は何れも格好よくて、強くて、どんな状況でも楽しく笑っていた。
それは、まさしく、幼い頃に自分があこがれていたものだった。TVで見た魔法少女そのものであり、憧れのヒロインであった。
――――そうだ、自分が
『縁?』
「分かったあああ!!!」
『ギャッ!』
突然、大声を張り上げる縁に、電話先の葵がビックリする。
『ど、どうしたの……!?』
「わかったんだよ! 私、魔法少女になりたい!! っていうか、成る!!」
『はあっ!?』
ベッドの上に立ち上がって、威勢よく宣言する縁に、電話先の葵は困惑気味だった。
『……縁、あなた、死にたいの?』
焦燥の混じった声が聞こえてくる。その心配は最もだ。だが……、
「別に、そうじゃないよ」
『何で……あんな目に遭ったのに……』
「うん、怖い夢を見たし、眠れなかったよ。でも、それなんかより、纏さんも優子さんも……カッコ良かったんだ。今、はっきりと分かった。私、ああいう人達に憧れてたんだよ」
その言葉に葵は沈黙。
「私たちの知らないところで、命を懸けて魔女と戦ってて……正直、辛い事だって、苦しい事だっていっぱいあると思う。たぶん、今日私たちがそれぞれ聞いた話だって全部じゃない。私たちの知らない事が沢山あると思う。でも、それを気にしないで――――っていうか表に出さないでさ、笑ったり、ふざけあったりしてる訳じゃん。私たちを守ってくれる訳じゃん。 カッコ良いよ」
『…………』
葵にしっかりと伝わる様に言う。電話先の葵は依然として沈黙したままだ。
そうなるのも無理は無いか、と縁は僅かに苦笑する。
「葵の気持ちはよく分かるよ。でもさ、こうは思わない? 私が魔法少女になれば、優子さんたちの苦労も分かってあげられるんじゃないかな――――って」
それを言った瞬間、通話口から焦った声が聞こえる。
『……縁、それは……っ!』
「分かってる。魔法少女の世界って……怖い。なったって、すぐに足手まといになって、魔女にやられちゃうかもしれない。――――それでも、私は成りたいんだ。カッコ良くて、みんなを守れる魔法少女に」
『……っ!』
縁の言葉は小さかったが、葵にははっきりと伝わった様だ。彼女が息を飲む音が通話口から聞こえてくる。
葵は、自分の身を心配してくれているのだろう事は十分に伝わってきた。
しかし、彼女には申し訳無いが、憧れとは原動力なのだ。
今まで、ろくな目標を持たずふわふわと生きてきた自分の心に、『魔法少女』達は火を付けてくれた。
もう、
「ごめんね、葵。でも、こればっかりは、譲れない」
はっきりと告げると、葵はようやく沈黙を破る。
『……明日、寄るわ。ゆっくり話し合いましょう……』
そういって電話は一方的に切られた。
しまった、怒らせちゃったか、と思った縁だったが、まず一番最初に戦わねばならない相手が決まったので、直ぐに顔を引き締めた。
☆
「『アンナ=アルボガストは、生徒にこう問いかけました』」
教会の礼拝堂の様な、白を基調とした深い縦長の空間。中心に立つ少女が、静かに書物から引用した文章を口ずさんでいる。
「『躊躇いを飲み干して、君が望むものは何? こんな欲深い憧れの行方に、儚い明日はあるの?』」
声は囁きの様に小さい物だったが、広大な空間によく響き渡った。反響を繰り返す。
少女は満足そうに聞き済ますと、ゆっくりと、顔を上げた。少女の視線は、支柱の並びがつくりだす透視的な効果により、内陣の祭壇に引き寄せられた。
「『生徒は誰一人として答えられませんでした。』――――だから、
直後、全身がステンドグラスによって作られた、神秘的な光に包まれる。望んでいたかの様に、口の端を僅かに上げると、言葉を紡ぎ出す。
「『正しいかどうかは問題ではない。人生をさらに前に進めるかどうか。自分を役立つ存在にするか。これが問題だ』」
かつてオーストリアに実在した偉大な心理学者、アルフレッド・アドラーの言葉だ。少女は詩の問いを、彼の言葉で返した。
祭壇の上に有る、一際大きいステンドグラスをじっと見つめて、彼女は優しい声色で囁いた。
「願わくば、
映るのは、磔にされたイエス・キリストと、祈りを捧げる人々―――――それを凝視する少女の瞳は、深い慈愛に満ちていた。
いよいよ4話。全体的に非常に難産でした……!
何度も書き直したものですが、矛盾点・唐突な部分があるかもしれませんので、ご指摘・ご意見はどんどん下さいませ。
あと、ラストで、ぶっこんでしまった感じです……。
縁と優子達の知らないところで何やら思惑が動き出してますが……果たして。