花の枯れるその日まで   作:風剣

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しいなさん(@crow0551)のTwitter企画に便乗。ここ暫くで書いてて一番楽しかったかも知れない。良かったら皆さんも参加してね。



プロローグ

 

 

 

 

 

 

 

 この世界はね、もうとっくに破綻してしまったよ。

 ことあるごとにそうぼやいていた婆さんの言葉が現実味を帯びてきたのは、果たしていつのことだったか。

 

 ニュースで見聞きするありふれた悲劇を他人事と嗤うことのできない感覚。何度味わっても慣れない心胆寒からしめる緊張感。死地において互いの命そのものを遣り取りする恐怖。『次は自分が』だなんて余分な感情を否応なしに掻き立てられる相手の悪意と怨嗟。

 全てが恐ろしかった。いや違う。そうではない。

 

 何よりも恐ろしいと思っているのは--この狂った世界に適応してきてしまっている、自分自身か。

 

「……ままならないな」

 

 色とりどりの花が咲き誇る大通り、人っ子一人いない道路の中央で立ち止まる。自嘲じみた言葉は、実のところ他所に向けられたもので。暗がりの中追跡していた対象が、尾行から逃れ姿を消していた。

 

 ――未熟者の自覚はあるが、気を緩めてみすみす見失うなどといった愚行を犯したつもりはない。だが現実に男が視界から消失している以上は、この状況自体が相手の目論見によるものだと仮定するべきだ。

 つまり、

 

(誘い込まれた――、まあ予定通り(・・・・)ではあるか……!)

 

 背後からの気配を察知すると同時、形振り構わず横っ飛びに転がる。耳障りな羽音、頬を掠める鋭いものに構わず跳躍した先、地面に片手を突いて踏ん張る(・・・・)と全力の側転で距離を取った。

 一拍遅れ、炸裂音。少年の居た場所をぶち抜いて地面に深々と突き刺さっていたのは、黒光りする昆虫の甲殻だった。

 

「……まるで曲芸師じゃないか。 とても私にはまねできそうにない動きだ」

 

「……それはどうも」

 

 月明かりとは違うナニカが、ちかちかと瞬く。

 

 視界を満たすのは、花畑を彩る幻想的な煌めきだった。

 青白く発光する翅から同色の鱗粉を散らす蝶が、一帯を悠々と飛び回っている。この街の花が、真っ当なものであったなら素直に美しいと称賛するのも吝かではなかっただろうが――正直ある程度の深度にある住民からすればミスマッチにしか見えない。嗚呼いや、この鱗粉が持つであろう毒性を顧みれば存外お似合いなのかも知れないが。

 白濁した髪、意志の腐り落ちた虚ろな眼。両手で数えるには少々足りない量の蝶を従える男は、生気の無い顔でこちらを見ていた。

 

「……自分を囮にしての索敵なんて、本当は嫌いだ。幾らこの()たちが優秀だとしても、ね」

 

「聞いてくれるかい? いや聞いてくれないなら、殺した後にでも聞いて貰うんだけれど(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「戦いたくなんかないんだ。忌々しい『花』が生えてくるまでは、人殺しなんて考えたことも無かった。信じられるかい。『彩花』だなんてものになった僕が一番最初にやったことを。心の底から愛していた筈だった妻の(いのち)を、摘み取ったんだ。もう今では、彼女を本当に愛していたのかすら分からない。だってもう、顔さえも思い出せないんだから」

 

「酷い悪循環だ。理解(わか)ってくれるだろう? 生きるためには他の花人の花を喰わなければいけないのに、殺すためにはこの仔たちに頼らなければならない。そしてまた、僕は花に飢えるんだ――、まったく嫌になる」

 

「でも僕は花を摘まなければならない。その瞬間だけ、思い出せるんだ。鮮明に、綺麗に、あの頃のままに。最近になってようやく、かつての僕を取り戻せるようになってきたんだ。……それも、少しの間だけだけれどね」

 

「嗚呼でも、怖いなあ。その眼は、怖い。今の身のこなしを見てなんとなく分かったよ。きっと君は強いんだろう。いや『彩花』全体から見ればきっと弱い部類なのだろうけれど、きっと強いんだ。精神(こころ)肉体(からだ)も、あと暫くは花なんかに負けない位強いんだろう」

 

 メリメリと、音が聴こえた。

 手首にキンセンカを生やした男の掌を、喰い裂いて。ガチガチと牙を噛み鳴らす昆虫に似た異形が、裂けた掌から次々と飛びだしていく。数秒で、辺りは耳障りな羽音に埋め尽くされた。

 

「嗚呼、憂鬱だ」

 

 何度洗おうとも落とし切れなかったのだろう、赤黒い血の染みついたスーツを纏う男は、懐から取り出した花を口に含んで淡々と告げた。

 

「すまない、けれどどうか――僕の糧となり、死んでくれ」

 

 

 

 

 

 

「現在進行形の殺し合いが八つ、一方的な虐殺と簒奪が一四回っとぉ……。今晩も地獄ね、この街は。さてさて、ユウヤは生きてるのかな……?」

 

 

 

 

 

 

 その戦いを、端的に表そうとするのならば――数の暴力、それに尽きた。

 

 花が散る。土砂が爆ぜる。散弾銃も同然の速度をもって飛来する刃――蟲の持つ鋭利な爪牙と毒針が、冗談のように足元の地面を穿つ。人間や多くの生物のように脳によるブレーカーなど存在しないのだろう、自壊も厭わずに突っ込んだ蟲は硬質な甲殻さえバラバラになって息絶えるが、それ故に単純な威力は銃弾にも勝る。小型車の車体程度なら軽々と貫通しそうな怪物たちの突撃を受ければ脆い人体など原型を保てるかも怪しいところだった。

 

「っ、う――!」

 

 地面に埋まっても尚じたばたと足掻き続ける蟲を踏み潰し、その脚を軸に回し蹴りを放つ。弾幕のごく一部が撃墜されるが、全方位を取り囲む蟲の殺到はとても徒手空拳で抗い切れるものではない。掃射を受けバック転を繰り返して回避する少年だったが、誰の目にも限界なのは明らかだった。

 

(アイツと同類、独自の生態を持つ虫を無制限に生成、改造する能力! 流石に中距離では厳しい、せめて近づけないことには――!?)

 

 すれすれの所で蟲を躱し、伸ばした腕で見向きもされなくなって久しい道路標識を引き抜く。不慣れな手つきでありながらも力技でごり押すようにして振り回し怪蟲を叩き潰していくが――打ち合うこと四合、老朽化した金属製の標識は呆気なく蟲の突貫に切り飛ばされた。

 

「「――」」

 

 宙を舞う分断された標識。酷薄に嗤う男は、警句を交え己の眷属に号令を出した。

 

「やれ。……花は喰わないようにね」

 

 亜音速で獲物を襲う蟲の群れ。視界を覆い尽くさんばかりの異形、常人なら先に精神(こころ)を壊しかねない地獄の具現。

 硝子の割れるような音。

 破滅を前に、少年は――花畑には到底見合わぬ、足元に返る不自然に硬い感覚に思わず苦笑した。

 

「ようやく、か」

 

 爪先で、地面を小突く。彼の取った行動はたったそれだけで。

 しかし、結果はどこまでも如実な形で顕れる。

 

 地盤が、捲れ上がった。

 

「な、ぁ」

 

 花畑が、などといった生温さではない。その下に広がっていた道路そのものが、およそ一〇メートルに亘って引っくり返されていた。

 

「まず……!?」

 

 真正面から突っ込んでいた殺人蟲の進路を塞ぐようにして持ち上がった巨壁は、ゆっくりと、しかし明らかな指向性を持って傾く。

 蟲の群れと、それを産み出し続けていたキンセンカの男に向かって。

 

「ひっ!?」

 

 真っ青になって狼狽する蟲使いの対応は早かった。待機させていた虎の子、地中に潜んでいた大蜈蚣(おおむかで)を呼び出し盾とする。

 瞬間、直撃した大塊。雷霆を彷彿させる爆音、近隣の建物をも揺らす振動が周囲に届くも、無傷。強靭極まる長躯をもって主を守った蜈蚣は、己に倒れ掛かるコンクリートの壁を容易く噛み砕いた。

 

(どう考えても、今のは増強系にできる範囲にない……! 別の能力か、それとも初めから他の彩花と協力体制を築いていた……? いや、これは)

 

 灰色の粉塵と土煙に視界が塗り潰される中、押し潰されるのを免れた蝶で少年の形を取る彩花(かいぶつ)を探す彼は、粉砕されたコンクリートから露わとなった極太の『根』を確認する。

 明らかに何らかの能力による加工(・・)の痕跡――だが、これは。

 

 

               ■■。

 

 

「ぇ、」

 

 腹部の、違和感。

 恐る恐る見下ろしてみると、どのような手管を用いたのかとぐろを巻くようにしていた蜈蚣の守りをすり抜けて接近していた少年が、その靴底を深々と男の腹に埋めていて。

 

「あ、あぁ……!?」

 

 破砕音。臓腑をぐちゃぐちゃにされて崩れ落ちる蟲使いの口元からぼたぼたと鉄錆味の液体が零れ落ちる。

 膝を突きながらも、零距離で蟲をぶつけるべく伸ばした手は一撫ででへし折られた。ありえない方向を向く上腕、経験したことのない苦痛。絶叫を上げる間も無く、側頭部に響く鈍い音と共に意識を奪われた男が完全に意識を失う。その折れ曲がった手首――咲いているキンセンカを、少年の五指が掴んだ。

 

 摘み取られる。

 

『――』

 

 存在の根幹を為す花を奪われた男は生物としての体温を失い、ざらざらと朽ちて消えた。

 ――これが、廃都での死。己に寄生した花を失った花人は、例外なくその命脈を絶たれることとなる。

 

 つくづく、救いのない世界だった。

 

「おっ、と!?」

 

『ヴ、ぁ……!!』

 

「……こっちは消えないのか。あるいは時間差か」

 

 また命を奪ってしまったことに悔恨を重ねる暇もなかった。虚しげに笑う少年は、大の男を五人は丸呑みにできそうな口腔を広げる蜈蚣を流す。いなす。

 脇腹を掠めるようにして通り過ぎた恰好の蜈蚣の頭部に腕を真上に掲げ、拳を振り下ろした。

 

『――!』

 

「硬ッ……流石に無理があったか」

 

 そういえば協力者の支援ありきでぶつけた道路はどの程度の重量だったか。人間なら相応の重傷を負うことは確実の一撃を受けて平然としている蜈蚣に口元を引き攣らせるが、少なくともアレに耐えられるようなら自分にどうにかできる筈もなかったか。

 というか、最初の突撃をいなすことができたのは本当に僥倖だった。能力を最大限に稼働しての成果とはいえ二度目三度目の回避が通用する確信もないとなっては全く喜べる気になれない。今更ながらの命の危機に、汗が滝のように流れるのを自覚する。

 手詰まり、これは『彼女』にけしかけるか、と蜈蚣から背を向け走り出しながら思案する少年の耳朶に――この街で聞き慣れた、獣の吠声が届く。

 

「!?」

 

『ッ……!?』

 

 地響きの瞬間鼓膜に突き刺さった声にならない悲鳴は、更なる規格外による殺戮の結果か。先程道路を引っくり返した時のそれより一層甚大な振動と轟音に足を止めた彼は、目を剥いて振り返る。

 

 

 

 

 それは、花人の至る破滅の一つ。

 

      花が示す運命(みちすじ)を、歪に辿った者の末路だった。

 

 

 

 

徒花(あだばな)……! 面倒な、よりにもよって『暴食』か!」

 

 ぎらついた眼で少年を見据えるのは、一撃で頭部を潰されても尚のたうつ蜈蚣を抑える白色の巨人。三メートルはくだらない筋骨隆々の巨体を持つ怪物の胸には、真っ白なルビナスの花が咲いていた。

 

『Uuuu……! Hha、haあ、なあ。よこせ。花花花花花花花花aaaああぁァああああ!!』

 

「っ……。どうする、かなあ」

 

 頬の表皮を肉をぶちぶちと引き裂いて顎を開く巨人の狂気に、危うく呑まれかける。

 人間ならともかく(・・・・・・・・)、怪物の相手は専門外。先程蜈蚣を躱したのだって無理無茶無謀を強引に押し通した奇跡のようなものだった。一撃でこちらを挽き肉にするような手合いなど本来は『彼女』の管轄に在る筈だが――今ここに徒花が現れているということは、つまりそういうことか(・・・・・・・)

 

(どう、する――)

 

 逃げるか――、いや不可能。予測の範囲をでないが、増強系統の彩花が成ったのであろう徒花の身体能力は人間とは比較にもなるまい。かといって真正面からぶつかるのは自ら死ににいくようなもの――駄目だ、碌に頭が回らない。能力の反動がきたのか、意識を維持するのも最早困難だった。

 だが――やるしか、ないのか。

 一瞬が、ひどく永く引き伸ばされたようだった。支援は見込めないものと判断して巨人を見上げた少年は、気付く。

 

「……種」

 

 一人決死の覚悟を決めてそうになっていた自分が馬鹿らしくなる位に、それは巨人の全身に張り巡らされていた。

 つまりは、彼女による撃滅の証明。

 拍子抜けして苦笑する少年の目の前で――それは、一気に芽吹く(・・・)

 

『お、oOu!?が、あaaaaaaaaa!?』

 

 肉を喰らう花があった、骨を蝕む根があった、鋼をも蕩かす蜜があった。体内から飛び出した無数の花に全身を喰らい尽くされていく巨人に、おぼつかない足取りで近づいた彼は――胸のルビナスを、あっさりと毟り取った。

 

 終わる。暴食の化身は、一切の抵抗も許さず消えて逝く。

 

『いya、だ――』

 

 そんな声が、聞こえたけれど。いつも通り、自分は手に入れた花の一房を口にした。

 

 

 嗚呼。全く嫌になる。

 

 

 一度も否定する事のできなかった蟲使いの男の言葉を思い出して苦笑して。近づく気配に、背後を振り向いた。

 

「やっほう。ユウヤ、生きてるー?」

 

「……おかげさまで、ね」

 

 素直に、羨ましいと思った。

 こんな地獄でも快活に笑っていられる強い少女に、思わず目を細める。

 

 嗚呼、僕は。

 今日も、この廃都(トウキョ―)で生き残った。

 

 


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