「すみません緒川さん。こんな時間に呼び出しちゃって」
「いえいえ、構いませんよ。こんな状態のマリアさんと一緒にいるところを見られたら、後々色々面倒くさい展開になるのが見えていますからね」
「察しが良すぎるようで助かります……」
酔い潰れて完全に死体と化しているマリアさんを軽々と持ち上げる緒川さん。意識を失った人間は結構な重量があり、運ぶのは困難なはずなのだが、緒川さんはまるで意に介した様子も見せず爽やかな笑顔でマリアさんを担いでいる。なにか忍術的なサムシングで重量をカットしているのだろうか。相変わらず謎に包まれた男性だ。
マリアさんを緒川さんに任せ、俺は一人帰路につく。本当は俺が家まで送っても良かったのだけれど、今は状況的にとてもナイーヴな時期な為、迂闊な誤解を招きかねない可能性はすべて摘み取っておいた方が良い。ここで酔い潰れたマリアさんを運んでいる最中に装者の誰か、それこそ切歌ちゃんあたりにでも遭遇してしまうと面倒くさいことになるのは火を見るより明らかだ。そのような失態を犯すわけにはいかない。俺は学習する男なのだ。
晩夏の夜風が少し肌寒さを感じさせる中を歩いていく。無茶して飲み続けるマリアさんに付き合って結構な量を呑んでしまったから、この夜風でいい具合に酔いが覚めてくれると幸いだ。明日も仕事があるし、二日酔いで業務に就く訳にはいかない。ましてや、異常事態など起ころうものなら尚更だ。さっさと帰宅して、体調を整えるべく寝るのが一番良いだろう。
「おい、そこのインドアモヤシ」
「闇夜に紛れてとんでもない悪口ぶつけてくる不届き物は誰だ」
「アタシだよアタシ。しらばっくれてねぇでさっさとこっちに意識と視線を頂戴しな」
粗雑さ100%といった具合で唐突に話しかけてきた謎の人物に心当たりがありすぎて逆に怖い。まだ1ミリも視界に入ってはいないのに、その特徴的な話し方とぶっきらぼうな言葉遣いで既に件の人物が誰であるか見当はついていた。ていうか、彼女以外だったらむしろ誰だよって感じではある。
どうしてこんな深夜に俺を待ち伏せしていたのかだとか、何故俺の夜の予定と家までの帰り道を把握していたのかとか、聞きたいことは多分にあるけれども、おそらく俺の事情や主張は考慮してもらえないであろうことは容易に想像がつく為、先程から俺の足をゲシゲシと蹴り続けている少女の方に溜息と共に視線を向けた。
「学生服でこの辺を夜中に歩くのは感心しないな、クリスちゃん」
「はン。アタシにちょっかい出すような無作法な狼共は漏れなく痛い目見てもらうから大丈夫だっての」
「……一般人相手にギアは使わないでね」
「使わねぇよ。だいたいこちとらサバイバル娘だ。そんじょそこらのパンピー共に後れなんて取らねぇさ」
年齢の割には豊かな胸を張って自慢げに言うクリスちゃん。お転婆感全開の彼女だが、外見的にはそこいらの女学生では到底敵わない程のポテンシャルを持っている為、そういった悪い男に狙われる確率は非常に高いと思う。本人はまったく危険視していないみたいだが、遠距離ギアの関係上、間合いを詰められると弱いはずなのでもう少し危機感を持ってほしいところだ。
「ていうか、こんな時間に何してるのさ」
「アンタを待ってたんだよ。今日はマリアと飲みに行くって聞いていたから、おっさんから店と時間を聞いて待ち伏せしてたってわけだ」
「そんなにご飯に行きたかったのなら、一緒に来ればよかったのに」
「バーカ。アタシは未成年だし、今回はアンタとマリアのサシでガチな話だっただろ。アタシなんかが首突っ込むのは野暮ってもんだ」
「そんなに大した話をしていたわけじゃ……」
「あのな。そういうところがムカつくんだよ。もっと重く捉えろ。
ぐっ、と睨みを利かされ押し黙る。自分でも多少自覚はあったから、反論の一つもできやしない。
俺にとって切歌ちゃんは大切な存在。それは確かだ。だから切歌ちゃんとの関係性に悩んでいるし、マリアさんに想いの丈をぶつけたりもした。ぶち壊してしまった切歌ちゃんとの繋がりをどうにかしたいと思っているのも事実だ。
だけど、俺は本当に、切歌ちゃんの想いに対して本気でぶつかっていたのか?
マリアさんは言っていた。「切歌はそんなに弱い娘じゃない」と。だが、俺は俺の自分勝手な考えで彼女を「弱い子供」だと決めつけ、世間から守るという建前で彼女の気持ちを踏み躙った。本当に彼女のことを大切だと、重大だと思っているのなら、そもそもそんな決断を下せるものなのだろうか。
……自分でもよく分からない。アルコールのせいもあって、考えがうまく纏まらない。
「……ごめんクリスちゃん。今はまだ、気持ちを正しく言葉にできないんだ」
「まぁ見た感じ酔ってるしな。アタシもこの場で結論が出るなんて期待しちゃいねーよ。ただ、ちょっとアンタに見せたいものがあってな。こうして待ち伏せさせてもらったっつーわけだ」
「見せたいもの……?」
「おうとも」
ニィッと八重歯を見せながら笑顔を浮かべるクリスちゃんに対し、彼女の意図が掴めない俺はただただ首を傾げてしまう。そもそも、切歌ちゃんの想いを拒絶した俺に対して、彼女は我が事のように激怒していたはずなのだが。今日も朝方に顔を合わせた時に、まるでウェル博士を見るかのような渋い顔をされてたのは記憶に新しい。あまり根に持つタイプではないことは分かっているけど、それにしても考えが読めない。
彼女の目的は、いったい何なのか……。
「ハテナマークを浮かべるのももっともだけど、とにかくまずは足を動かすか」
「いや、まず俺はどこに連れていかれようとしているのさ」
「ん、そうだな。まだ言っていなかったか」
「わりぃわりぃ」と大してすまなさそうにも思っていない感じで手刀を切るクリスちゃんだったが、歩き出すと同時にくるっと華麗にターンを決め、真っ直ぐ人差し指を突きつけると、悪戯っぽい笑みを浮かべて言い放った。
「ピットイン先は、アタシの家だ」
☆
クリスちゃんの家の場所は知っていた。というより、切歌ちゃん達が住んでいるマンションと同じだから、知らない訳がないのだけれど。
「お、お邪魔します……」
「今更知らねぇ仲でもねぇんだから、ビビるこたぁねぇだろ」
「キミには分からないかもしれないけれど、思春期女子の部屋に入るのが男にとってどれだけハードルが高いものか」
「そんなもんか?」
「クリスちゃんだって司令の部屋にお邪魔するのは緊張するでしょ? そういうことだよ」
「だ、だからなんでそこでおっさんの名前が――いや、いい。話が脱線事故起こしちまうからな。それについてはまた今度だ」
普段ならば顔を真っ赤にして反論していたところだろうに、今回は別の目的があるからかある程度冷静に処理している様子のクリスちゃん。こんなことを言っておいてなんだが、俺としてもここで話がごちゃごちゃして当初の目的を忘れてしまうのは本意ではない。つくづく自分勝手だと思う。
クリスちゃんの家は一人暮らしにしては大きすぎる間取りだが、学校の友達がよく遊びに来るらしく、部屋のあちこちにボードゲームやテレビゲームといった遊びグッズがちらほら置かれていた。以前の彼女からは考えられない変化だ。それだけ、リディアンでの生活は彼女に大きな影響を与えているのだろう。
――その中で、一つ。
裁縫セットと思わしき箱の上に置かれている、作りかけのぬいぐるみが目に入った。
三頭身の、人間をデフォルメしたぬいぐるみ。ジトッとした目つきの悪さと、ところどころ跳ねている髪。そして、色合いとデザイン的に特機部二の制服と思われる服を纏ったソレに、俺は心当たりがあった。
まさか、と思うと同時に、自分の考えの甘さを知った。そして、
だって。
だってそのぬいぐるみは――
「藤尭さん、だよ」
「……これは、誰が?」
「分かっているくせにわざわざ聞くってのは感心しねぇな」
まだ手足から綿が飛び出していて、完成とはとても言えないような出来。ところどころ糸がほつれていて、気を抜くと片っ端から崩れてしまいそうな杜撰な姿。
でも。誰がどう見ても丁寧に、誰かの事を想って作られたであろうそれを手に取ると、俺に押し付ける様にして渡しながら、怒ったような泣いているような、それでいて後輩を気遣うような、一言では言い表せない表情を浮かべたクリスちゃんは、真っ直ぐ俺の目を見て、一切の混じりっ気がない言葉で、
「
俺が到底知る由もなかった事実を、真正面から知らしめた。
分かっていた。誰が、なんてことは知っていた。だって、そんなの聞くまでもない。
それでも一応確認したのは、自分の愚かさをどこかで自覚していたからだろう。
誰かの事を想い、誰かの事を考え、誰かの事を愛し。その為に何かしたいと、気持ちを伝えたいと思うことは、年齢を理由にして否定できるようなものじゃない。愛情に、親愛に、年齢制限なんてものはない。
『切歌は、貴方が思っているほど弱くない』と、マリアさんは言った。俺の不安なんて必要ないくらい、彼女は強いと。俺の隣に立つには十分な強さを、心を持っていると。
だったら、だとしたら。
本当に弱いのは、あらゆるものから逃げていたのは――
紛れもなく、俺だ。
「……アタシには色恋沙汰なんてもんはよく分からねぇよ。おっさんに対して抱いているこの気持ちが、果たしてそんな浮ついたもんなのかも分からねぇ」
「……」
「でもよ、自分の想いを正しく受け取ってもらえない辛さくらいは分かるつもりさ。恋愛だろうが親愛だろうが関係ねぇ。外部条件でフィルターかけられちまうのは、どうしようもなく辛いんだよ。それはアタシがフィーネにずっと思っていたことだから」
「クリスちゃん……」
「それに、いつだってちゃんと想いを伝えられるかなんて分からない。気が付いた時には取り返しがつかなくて、二度と戻ってこないものもたくさんあるんだ。だからアタシは、アタシを先輩と慕ってくれる
そう言って目を伏せる。戦災孤児として捕虜生活を送り、了子さんの下で歪んだ生活を送っていた彼女の言葉は、俺なんかが軽口で吹き飛ばしていいような薄っぺらいものでは全然なくて。それどころか、俺が切歌ちゃんに対して考えていたことをまとめてぶち壊すような影響力すら秘めていた。
……そうだ。十五歳とか、年下だとか、そんな外的フィルターは取っ払って。世間体とか相手の心配とか、余計な考えも捨て去って。
そのうえで、あらゆる鎧を脱ぎ去ったその先で、
俺は、『暁切歌』という一人の人間をどう想っているかを考えるべきなんじゃないだろうか。
「……ねぇ、クリスちゃん」
「なんだよ」
「仮に、もしもの話なんだけど。もし俺が切歌ちゃんの想いを受け取って、実際に一緒になったとして。可能性として捨てきれない未来として、もしも彼女が世間からの、周囲からの悪意や嫌悪に晒されることになった時に、俺は本当に彼女を守ることができるのかな」
「何を言い出すかと思えば、まーたそんな独り善がりな三流思考キメてんのな。勉強はできても馬鹿だなアンタは」
「う、こ、これでも真面目に考えて……」
「はぁ。あのな、なんか見落としているようだからオブラート全部剥がして直球ストレートぶつけてやるからよぉく聞け」
溜息と共に呆れたような顔をするクリスちゃん。なんか数時間前にマリアさんにも同じ顔をされた気がするが、ここでそのことを指摘するとお次は鉛弾の大バーゲン食らう可能性が大きいので口を噤む。
軽く泣きそうになっている俺の額に人差し指を突き立てると、クリスちゃんはまるで戦闘中に見せるような不敵な笑みを浮かべ、後輩を相手にするかのような貫禄と共に、こう言った。
「アンタやアイツが悲しむような事はな、まずもってアタシ達特機部二が全力を以て駆逐するから安心しろ。少しは頼れよ臆病者。組織である前に、アタシ達は仲間だろ?」
「仲間……」
「あぁそうだ。
そう言ってバンバンと背中を叩いてくるクリスちゃん。多少強引な答えだとは思うけど、どうしてだろう。片っ端から理詰めで構築された理論より、何百倍も安心感がある。
そうだ。俺は別に一人でいる訳じゃない。どうしようもないくらいお人好しの仲間がたくさんいる。それこそ、切歌ちゃんを周囲から守ることなんて造作もないような超ド級のお人好し達が。
「……なんか、ちょっとすっきりしたよ」
「だろ? 後輩の悩みを解決すんのは先輩の仕事ってな」
「一応俺はキミより年上なんだけど」
「精神的にはアタシのが先輩だから気にすんな」
「なんだよそれ」
でも、少しだけ決意への道が繋がった。後はこれを全力で舗装し、踏破するだけだ。
切歌ちゃんが作った未完成のぬいぐるみを少し強く抱き締めつつ、俺はやるべきことを見定めていく。