バレンタインふじきり
二月十四日。
「藤尭さんはいこれー! いつもお世話になっているので義理チョコでっす!」
「ありがとう響ちゃん。でも義理っていうのはわざわざ言わなくても良くなかった?」
「いやいや、私はまだ未来と切歌ちゃんに殺されたくはないからですね……お互いに……」
「そだね……」
お互いに怯えたような表情で遥か遠くに想いを馳せる二人。周囲の二課職員が彼らに同情の混じった視線を向ける中、あたしこと暁切歌はというと、朔也と響さんに見つからないよう最大限の警戒網を敷きつつ、物陰から様子を窺っていた。背中の方に回した手にはハート形に包まれたチョコレート。言わずもがな、朔也に渡す予定のバレンタインチョコである。
現状において友里さんと響さんに先を越されてしまってはいるものの、朔也の正式な恋人であるあたしが彼にチョコを渡すのは何らおかしなことではない。というか、むしろあたしが渡さないで誰が渡すというのだろうか。彼女であり、恋人であり、ゆくゆくはけっ……け、結婚も視野に入れているこの暁切歌のチョコを彼も待ち侘びているはずなのだ。それを見越して昨日未来さんやクリス先輩と一緒にチョコ作りに励んだのだから。そう、これは予定調和であり決してイレギュラーなものではないのデス……!
「自分でも分かっているのならさっさと渡してきなさいよこのヘタレ」
「マッ、マリアには言われたくないのデス! そっちだって『私の愛する朔也に最愛のチョコを渡すのは決定事項よ。本当は私自身をプレゼントって言う予定だったんだから』とか舐め腐った発言していたくせに、さっきから芋引いて隠れているくせに!」
「わ、私にもタイミングってもんがあるのよ! ていうか、自分の恋人に私が本命チョコ渡すのは構わないワケ?」
「どうせ止めても渡すじゃないデスか」
「当然よ。最後に朔也とゴールインするのは私なんだから」
「ふぁっきゅー! デース!」
こちらを煽りつつもなんだかんだビビって一緒に隠れている姉貴分のふくらはぎを蹴り付ける。この泥棒猫は横恋慕を一ミリも隠そうとしないからこちらの対応が毎回困惑してしまう。どういう気持ちで言っているのか分からないので、ボケとして処理していいのかガチで受け取っていいのか反応に困るのだ。
なんだかんだ姉貴分であるので朔也と二人で出かけたりだとか遊んだりする分は黙認してはいるものの、いつか一線を越えてしまうのではないかと気が気でないのも事実だったりはする。一応は親友、悪友枠として朔也と付き合っているようなので心配することはないのだろうけど。
「いっそ朔也が一夫多妻制の国に移住してくれれば全部丸く収まるんだけど」
「ぶっ飛ばすデスよ」
何を言っているのかこの女は。
茶番はさておき現状の再確認だ。顔赤らめながら朔也と緒川さんにチョコ渡している二課職員の方は後でマリアと一緒にシメるとして、問題はどうやって朔也にチョコを渡すかである。
「普通に渡せばいいんじゃないの?」
「いやデスよなんか恥ずかしいじゃないデスか」
「付き合う前の乙女か」
ぐぅの音も出ないツッコミを喰らってしまい無性にムカついたので次回朔也とマリアが二人で遊びに行くときは無理矢理ついていくことにする。
まぁ実際マリアの言う通り、正式な恋人なのだから何の憂いもなく普通に真正面から渡せばいいのだけれど、付き合う前よりも彼女になってからの方がこういう乙女めいたイベントは妙に緊張してしまうというか。改まって好意を伝えるのってめっちゃ恥ずかしくないデスか? 昨日調に相談したら朔也を抹殺するプランその53を実行に移そうとしていたので慌てて止めた為、具体的な同意は得られてはいないけれど。
別にチョコレートの出来に不満があるとかそういう訳ではない。自分でも上手くできたと思っているし、シンプルなハート形も個人的にはベネだ。おそらくは、いや確実に朔也も喜んでくれるだろう。
ただ……なんというか……。
「自分から素直に好意を伝えてチョコを渡すのって、なんか負けた気がしてもんにょりするデスね……」
「まぁ分かるわよ」
こう、なんだろう。普段から直接的に好意は伝えているし、どちらかというとあたしの方から好き好き言っている状態ではあるのだけれど、それは置いといてこっちから告白紛いにチョコを渡すというのはどうにも癪だ。朔也の方からチョコをくださいって言ってくれれば? まぁやぶさかではないデスけれど?
「切歌、アンタも結構面倒くさいわよね」
「乙女心は複雑なのデスよ。マリアみたいに直通トンネルではないのデス」
「これ終わったら後でトレーニングルームに来なさい。そのバッテン脳内かき混ぜてあげるわ」
「あぁ?」
「おぉん?」
額に青筋浮かべて胸倉を掴む女子二人を見て通りすがりのクリス先輩が足早に中に入っていった。関わるまいというその気持ちは大いに分かる。あたしも逆の立場だったら全力でスルーする。後ろ手にチョコを隠すように持っていたから、おおかた司令にでも渡しに来たのだろう。
……というか、クリス先輩? あの万年ツンデレ複雑ガールが、いったいどうやってバレンタインを乗り切るつもりなのだろう。あたしやマリアのことよりも気になるイベントだ。
諍いは一旦停戦協定を結ぶと、再び物陰から様子を窺う。
クリス先輩は少々ゆっくりな足取りながらも司令の下に辿り着くと、わずかに裏返った声で会話を始めた。
「よ、よぉおっさん! こ、こんなところで奇遇だな!」
「おぉクリスくんじゃないか。キミも誰かにチョコを渡しに来たのか?」
「ぷへっ!? あ、いやその……ま、まぁそんなところ……」
『うっわ』
あまりにもクリティカルな展開にこの場にいる全員が胸を押さえる。クリス先輩が珍しく自分から攻めにいっているというのに、相変わらずのスーパーディフェンス司令だ。この調子だと先輩の攻撃を5回は無効化してしまう勢いである。普通、バレンタインなうな女子高生相手に「チョコを渡しに来たのか?」なんて聞くデスか? しかもおそらくは自分に対して好意を抱いている相手に。とんでもない朴念仁デス……。
観衆全員が固唾を呑んで見守る中、既に戦闘不能と思われていた先輩はぎゅっと拳を握り込むと、既に決壊しかかっている涙腺をぐいっと拭い、司令を真っ直ぐ見上げ――
「ほら! バレンタインチョコだ受け取れ! が、頑張って作ったんだから、味わって食えよな!」
「お、おぉ? もしかして、俺にか?」
「あ、当たり前だ! 他に誰がいるんだよ!」
「う、うむ……ありがとう、クリスくん。これは大切に食べさせていただくよ。お返しは期待しておいてくれ」
「……ふん。せ、せいぜいアタシを喜ばせるんだな」
『(……う、うぉおおおおお!!)』
二課全体に激震が走る。思わず「えんだー!」と叫びたくなってしまう衝動を抑えるのに手一杯だ。少女漫画みたいな展開を目の当たりにしてドキドキが止まらない。さ、さすがクリス先輩! 装者の中でも随一の乙女脳! 素敵デスよー!
クリス先輩の勇姿を目にしたことで、少しではあるが勇気が湧いてきた。マリアとお互いに目配せを交わすと、あらかじめ準備していたチョコを持ち直し、物陰から我先にと飛び出していく。
朔也はこちらに背を向けている状態である為、あたし達には気づいていないようだ。響さんとは目が合ったものの、彼女も悪戯っぽい笑顔を浮かべると知らんふりをしてくれた。つくづく、こういう面白い展開に目がない先輩だ。今だけはそれがありがたいけれど。
じりじりと距離を詰める。目と鼻の先、もう一歩まで近づいたあたし達は――
『ハッピーバレンタイン、朔也!』
「のわぁっ!? 切歌、マリアさん!?」
二人一斉に背中に飛び掛かり、それぞれが右腕、左腕に抱き着く。横恋慕マリアが普通に抱き着いている点には大いに物申したいところではあるけれど、今回ばかりは見逃してやるデス。
あたし達の登場は予想だにしていなかったのか目を白黒させる朔也。テンパる姿がめちゃんこ可愛くて思わず抱き締めたくなる衝動に駆られるものの、なんとか感情を抑え込む。落ち着け切歌。そんなことは夜にいくらでもできる。
マリアと肩をぶつけるようにして彼の前に立つと、懐から取り出すはハート形のチョコ。初めて作ったから不格好でとても上手とは言えないけれど、一生懸命作ったチョコレートだ。朔也が作ったならばもっと美味しいものが出来上がるのは分かっているが、今回ばかりは負けられない。足りない分は愛情でカバーデス!
どちらから渡すか、なんてそんな野暮な話し合いはしない。我先に、全力で突破するのみ!
あたし達はそれぞれのチョコを朔也の胸に押し付けると、今日最大の笑顔を浮かべ、
『今年も大好きだよ、朔也!』
彼の頬に、口づけを落とすのだった。
☆
「……ぶー」
「ごめんって切歌」
「駄目デス。許さないデス。朔也は絶対にやってはいけないことをしたデス」
「だから悪かったって……」
帰り道。もう暗くなりかけている空を見上げつつ二人で歩く。行先は勿論朔也の家ではあるけれど、あたしはちょっとだけ、いや結構なおこりんこファイヤーだった。気を抜けば顔を歪めてしまいそうな程に。
朔也にチョコを渡すまでは良かった。それに対して彼が最初からお礼を用意していたのも、驚きはしたが予想はできていた。料理好きな彼がバレンタインという絶好の機会にチョコレートを作らない訳がない。それはいい。
問題は――
「なんであたしとマリアのチョコが同じなんデスか! 関係性! あたし、彼女!」
「に、二課の分はまとめて作っていたから仕方なかったんだって……ていうか、切歌には別にまあ用意してるって言ってるじゃん」
「そういう問題じゃないんデスよ! 朔也は乙女心ってやつを分かっていないデス!」
「誠に申し訳ございません……」
「……まぁ、許すデスよ。そのあたしへの特別なプレゼントってやつで今日は手を打ってやるデス」
あんまりにもシュンとした表情をされてしまいこちらも怒りづらくなってしまう。確かにある程度は理不尽な理由で怒ってしまった自覚もあるから、今日はこの辺で手を止めておこう。彼に落ち込まれるのはこちらも本意ではない。
少し機嫌を治して欲しくて腕に抱き着いてみると、見るからに輝く笑顔でシャイニーな朔也。そ、そんな分かりやすい反応されるとこちらが照れてしまう。なんなんデスか、なんでこんなに犬みたいなんデスか! いつもは猫みたいなくせに!
なんとなく気まずい雰囲気で黙したまま帰路に着く。基本的に沈黙な苦手なあたしはなんとか話題を探そうとするものの、何を言ったものか。バレンタイン、というイベントが前提にあるせいか、どうしても少し下世話なものになってしまいそうで口が開けない。
うんうんと頭を捻る。そんな時、不意に朔也があたしの肩をぐいっと寄せた。右半身が完全に密着する体勢に一気に顔が熱くなる。な、なになになんなの!? 不意打ちすぎるんだけど!
顔の火照りが治まらないまま、彼の意図を図りかねるあたしは視線を上げる。当の朔也はというと、自分でも慣れないことをした自覚があるのか、耳を真っ赤に染めたまま軽くそっぽを向いて口を尖らせていた。その姿にキュンときてしまうあたしではあったが、何か言いたげな彼の様子に気が付いたため、大人しく耳を傾ける。
何度か視線を泳がせ、口をもにょもにょさせた後――彼はようやく言の葉を紡いだ。
「……つ、伝わりづらいかもしれないけど……俺は、切歌のこと……だ、大好き、だから……。その……素敵な恋人だって思ってて……つまりは、えっと……」
「…………」
「……愛して、ます。はい」
「…………」
「な、なんか言ってよ! 黙ったままだとこっちがきつい――」
――あぁもう、この不器用な恋人は本当に、
「可愛いデスねぇほんとにもー! このこのこのー!」
「わぷっ!? な、なんだよもー! お、大人相手に子ども扱いするなっての!」
「よーしよしよし、朔也は本当に可愛いデスよぉ」
「切歌――――!」
「――あたしも、愛してるよ。朔也に負けないくらい、ずっとずーっと……貴方の事が大好きだから」
「……急にそれはずるい」
「お互い様デス♪」
羞恥心が結構限界らしく、今にも泣き出してしまいそうな顔をする彼が愛おしくて仕方がない。自分の気持ちを素直に伝えるのが苦手な朔也だからこそ見られる表情ではあるけれど、笑顔と同じくらい彼の戸惑った顔が大好きだ。こんなこと言ったらまたマリアあたりに怒られちゃいそうだけど。
相変わらずの凸凹したあたし達ではあるが、このへんてこな日常がいつまでも続いていきますように、なんてバレンタインの神様にお願いするのもいいかもしれない。何も知らないあたしに新しいものを見せてくれた、彼との日々を――
「それはそれとしてホワイトデーのお返し楽しみにしてるデスよ」
「それなら切歌からもお返しは貰えるんだよね?」
「……考えておくデス」
「えぇっ!?」
……へんてこ度合いは、結構強い気もするけれど。
四月一日に開催される絶唱ステージ6に申し込みました。ふじきり小説を頒布予定です。クリスマスふじきりや誕生日ふじきりといった書き下ろしになるので、良かったら足を運んでいただけると嬉しいデス。スペース番号や追加情報についてはtwitterの方で随時報告していくので、そちらもチェックしていただけたらと。