「藤尭さんっ。今度のお休み、一緒にお出かけしませんか?」
「はい?」
不意に切歌ちゃんにそう提案され、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。視線の端でニヤニヤと野次馬よろしく様子を見守っている響ちゃんと調ちゃんは後で未来ちゃんやマリアさんに言いつけておこう。あることない事付け加えて。
今日も今日とて特機部二は平和に本部での待機及びミーティングを行いつつ、装者達の身体検査やギアの調整など有事に備えての地道な作業を行っていた。ちなみに俺は特にやることもなかったので日頃溜まったノイズの情報や装者それぞれの適応係数グラフをのんべんだらりと作ったりしている。バビロンの宝物庫が閉じたとはいえ、いつまたノイズのような危機が襲ってくるか分からない。対策しておくに越したことはないだろう、とそれっぽい理由を述べつつ給料泥棒の最中だ。楽な時には楽をする。これが俺の座右の銘である。
こんなこともあったなー、と録画映像の整理をしていると、かけられたのが冒頭の台詞。いつものようなお日様笑顔で話しかけてきた切歌ちゃんは両手に持ったコーヒーの一つを差し出してくると、既に帰宅している友里さんの椅子を持ってきてちょこんと隣に腰を下ろした。
「あったかいもの、どうぞデース!」
「あったかいものどうも。それで、急にどうしたの? 俺を誘うなんて、響ちゃんから罰ゲームでも食らった?」
「相変わらず卑屈がすぎやしませんかね藤尭さん。違いますよ。この間の雨の日にお世話になったお礼をデスね……」
「あー、そういうことね。別に気にしなくていいのにあれくらい」
「いえいえ! 何かをしてもらったらお礼をするというのは人として当たり前のことデスよ! あたしは装者の中でも生粋の常識人デスから、一宿一飯の恩義は忘れないのデス!」
「あれは食器洗いで終わったんじゃなかったっけ?」
「あれくらいじゃ全然足りないデスよ! それに、あたしみたいな美少女とお出掛けできるなんて、藤尭さんは世界一の幸せ者デス♪」
「さいですか」
「うりうりデース」と軽く肩パンしてくる切歌ちゃんをそれとなく躱しながら、彼女の意図を考える。本人はこの間のお礼だと言っているが、そこまで大袈裟に引きずるような出来事だったかと言われると微妙なところだ。確かにシャワーも貸したし着替えも貸したし、スープも出してもてなしはしたが、あれはあくまでも大人として、保護者としてやるべきことをやっただけに過ぎない。なので、お礼とか言われても何か釈然としない自分がいる。そういうつもりでやった訳でもないので、そのままなんとなく忘れてくれれば良かったのだけど。
さてさてどうやって事を収めようか、と脳内をグルッグル回転させていると、いつの間に現れていたのか、響ちゃんの相方である小日向未来ちゃんが俺の肩をポンと叩いてきた。
「未来ちゃん、相変わらず神出鬼没だね」
「人を妖魔怪異みたいに言わないでください。響を迎えに来たんですよ。……で、話を聞いた限りだと切歌ちゃんの誘いに乗るか悩んでいるみたいですけど」
「悩んでいるというか、お礼どうこうってのがどうにも。別にお礼が欲しくてやった訳じゃないし」
「いいじゃないですか。それならお礼とか恩とか一切合切抜きにして、純粋にデートとして楽しめば」
「デートって……そういう誤解を生む言い方は切歌ちゃんにも失礼なんじゃ……」
「イマドキだと友達同士でもデートって言ったりしますし、問題ないんじゃないですか? それに、切歌ちゃんも満更じゃなさそうですよ?」
「うーん……?」
ふい、と未来ちゃんが指し示した方に視線をやると、そこには相も変わらずぽわぽわした笑顔で座っている切歌ちゃん。だがしかし、よくよく見ると少しだけ顔を赤らめているようにも見えなくもない。そわそわと落ち着かない様子でもあるし、俺の反応を待っているようだ。未来ちゃんが言う満更どうこうは一旦置いておくとして、確かに純粋に遊びに誘われているのであれば断るのも悪い。別段仲が悪い訳ではないし、せっかく誘ってくれているのだから、今後の関係性を考えても乗っておくべきなのかもしれない。子供の我儘に付き合うのも大人の役目だ。
自分の中でなんとなく落とし所を探した俺は、先程から挙動不審の切歌ちゃんを見やると、
「じゃあせっかくだし、そのお誘い受けさせていただくよ。今度の日曜日でいいんだよね?」
「ほ、本当デスか!? やったデース! 色々計画立ててくるので楽しみにしていてください! また連絡するデスよ~!」
「あ、ちょっ! ……って、もういないし」
「切ちゃんは興奮すると周囲が見えなくなるタイプだから。今の切ちゃんには何を言っても聞こえないと思う」
「いや~、それにしても、藤尭さんも隅に置けませんな~」
「キミ達ほんとこういう話題好きだよね」
「思春期の女子高生ですから! コイバナは、大好物です!」
「そういうのじゃないからね?」
両手を胸の前で組んで「ロマンチックですねぇ~」とくねくねしている響ちゃんに一応否定の言葉を返しておく。年相応に色恋沙汰に聡い彼女は俺と切歌ちゃんが話しているのを見ると最近やけに楽しそうにニヤついているのだが、俺としては非常に複雑なところだ。そもそも彼女とどうこうなるきっかけも思い当たらないし、切歌ちゃんはあくまで大切な保護対象。確かに美少女だし、彼女と一緒にいると落ち着くし、なんだかんだ楽しくはあるけれど、それはそれ。向こうもたぶん懐いているだけだろうし。
「えぇ~? いやいや、あれは絶対脈ありですって! あんなに元気な切歌ちゃん、見たことないですもん!」
「切歌ちゃんは割といつもあんな感じじゃないかな」
「確かに誰にでも人懐っこいけど、切ちゃんはあぁ見えて人見知りだから、私以外を自分から遊びに誘うなんて珍しい」
「私から見ても、少なくとも嫌われてはいないですし、前向きに受け取ってもいいんじゃないですか?」
「そういうものなのかなぁ」
前の二人はさておき、未来ちゃんが言うのなら多少は期待してもいいのだろうか。……いや、期待ってなんだ藤尭。子供相手に何考えてんだ藤尭。犯罪だぞ?
「実際藤尭さん的にはどうなんですか?」
「どう、とは?」
「世間体とか建前とか一切抜きにして、切歌ちゃん自体をどう思っているか、ですよ。嫌なんですか?」
「い、嫌とかではないし、可愛いとは思うけど……」
「だったらそれだけでいいじゃないですか。藤尭さんの気持ちは分かりますし、遠慮する気持ちも分からなくはないですけど。一番大切なのは、藤尭さん自身が切歌ちゃんに対してどう思うか、だと思うんです」
「……大人だね、未来ちゃん」
「子供だからこういうこと言えるんですよ」
目を細め、大人びた表情を綻ばせる未来ちゃん。日頃響ちゃん関連で苦労しているのか、それとも元々こういう性格なのか。下手を打つと俺なんか相手にならないくらい精神が成長している彼女には本当に脱帽だ。相方の子が小学生顔負けの純粋無垢さだからか、彼女の大人っぽさが目立つというのも理由の一つとして挙げられるが。
「ちょっとー、なんで私の方を見て呆れた顔してるんですかー」
「いや……響ちゃんは本当に元気だなって思って」
「馬鹿にしてませんか!?」
「大丈夫。響さんには響さんの良さがある。気になるところの方が多いけど」
「調ちゃんまでー!」
「響はなんていうか、全体的に犬っぽいところがね。いいよね」
「未来はそれ褒めてるの? 後、なんで手に犬用の首輪とリードを持ってるの? ねぇ? 未来?」
「一応ここ本部だから、そういうことは家に帰ってやってね二人とも」
「止めてくださいよ藤尭さぁん!」
響ちゃんの悲痛な叫びが本部内に反響するものの、未来ちゃんの暴挙を止めるものは誰一人としていない。クリスちゃん辺りがいれば顔を真っ赤にして無理矢理にでも制止したのだろうけど、彼女は現在風鳴司令と二人で修行の真っ最中らしいので諦めた方が良さそうだ。なんでもガンカタの特訓だとか言っていたけど、クリスちゃんには何やら別の思惑があるようで。その辺はあまりツッコムと女性陣からのバッシングを受けかねないので知らないふりをしておくのが良さそうだ。
「それじゃあ藤尭さん、私達はこれで」
「あぁ、今日はお疲れさま」
「未来ッッッ! 駄目だって未来ッッッ! これ結構首が締まるし自分のペースで歩けな……みくぅー!」
礼儀正しく一礼すると、響ちゃんをずりずり引き摺って行く未来ちゃん。あの華奢な身体のどこにあれだけの筋力が隠れているのか興味が尽きないが、乙女には何かと秘密があるとは友里さんの言である。ちなみにこの時にとある指摘をしたら命を失いかけたのであまり思い出したくはない。
「あれ、調ちゃんはまだ帰らないの?」
「……藤尭さんに、一つだけ言っておきたくて」
「調ちゃんが、俺に?」
「そう」
ずい、とジト目で少し距離を詰めてくる調ちゃんに少し気圧されてしまう。日頃からあまり喋らない口数の少ない子だからか、たまに何を考えているか分からないところがある。おそらく切歌ちゃんのことについてだろうけど、いったい何を言われるのやら……お、怒られたくはないなぁ。
自分勝手にびくびく怯えている俺とは反対に、調ちゃんはきゅっと表情を引き締めると、
「切ちゃんはあぁ見えて寂しがり屋で、でも不器用で恥ずかしがり屋さんだから。誰かに素直に好意を向けるっていうことに慣れていない。たぶんしっちゃかめっちゃかに振り回しちゃうと思う」
「うん。まぁ、その辺は確かに想像できるかも」
「そう。でも、そういうところも含めて切ちゃんの魅力だから。それに、こういう平凡な日常ってものに私達はまだ適応できていないから、あの子が心から安心できるように、よろしくお願いしたいの」
「……俺なんかには務まらないよ、それ」
「そんなことない。切ちゃんがあんなに楽しそうに男の人と話しているのは珍しいから。それに、私も、藤尭さんなら切ちゃんにお似合いだと思っている」
「その自信はいったいどこから湧いてくるのさ」
「自信じゃなくて、確信。好きとかそういうのは別にしても、藤尭さんには切ちゃんと仲良くしてもらいたいと思っているから」
「……善処するよ」
「うん。切ちゃんを、よろしくお願いします」
それだけ言うと、二人の後を追いかける様に走り去っていく。一人取り残された俺は先程切歌ちゃんから差し出されたコーヒーを啜りつつ、ここにはいない元気少女を思い浮かべる。先日の雨の日に少しばかり距離が縮まった気はするが、それでもやっぱり俺の中で彼女が保護対象である事実は変わらない。……と思う。俺は大人で、彼女は子供だ。そういう目で見られるかと言うと、それは――
『こうして二人で作業していると、なんだか新婚さんみたいデスね!』
「げほえふぇほっ!」
「だ、大丈夫ですか藤尭さん」
「ごめんなんでもない。なんでもないから作業を続けよう、皆」
不意にとんでもないシーンを映像と共に思い出してしまい、口に含んでいたコーヒーを噴き出しかける寸前に。裸ワイシャツとか犯罪だろ……捕まるぞ俺……。
後輩オペレーター達の怪訝な視線をなんとか誤魔化しつつ、とりあえず大人として失望させないようなエスコートをしようと自分なりに決意する俺だった。
女性経験ゼロだけど。