藤尭×切歌恋愛SS   作:ふゆい

18 / 24
 10話の切歌ちゃん……。


Stand up Lady④

 二課に顔を出さなくなって、何か月が過ぎただろう。

 

 温かな春の陽気に包まれた街の中で、私だけが冬に取り残されたような感覚。最近はストレスでロクに睡眠も取れず、食事もあまり喉を通らなくてめっきりやつれてしまった。家主のあおいがあまりに心配して各種サプリメントを取り寄せてくれたから事なきを得ているものの、このままでは本気で体調に関わってくる可能性があるのでどうにかしなければならない。……仕事も無理言って休暇を貰っているから、さすがに駄目が過ぎる。

 

「なんか、無駄に生きているの極みって感じね……」

 

 サングラス越しに広がる街の活気があまりにも眩しい。パパラッチ対策と目の隈を隠すために芸能人よろしくこうして変装をしている訳だけれど、髪も下ろしているうえにげっそりと痩せ細っている今の私を「歌姫マリア」として認識してくれる人がいったい何人いるのだろうか。いや、変にバレても困るけど。

 

 行く当てもなく街中を彷徨い歩く。特に目的も無いのだが、「一日中ずっと家に引きこもってないで日光浴びてきなさい」とのお達しを家主から受けた次第である。完全に居候の穀潰しと化している現状、私には拒否権の一つも許されていない訳で。というか、年度末の大掃除をするから外に出ろとか言われたら断れるはずがないではないか。完全に自業自得な立場で言うのも恥ずかしいが、大人ってずるいと本当に思う。

 

 後三十分くらい暇を潰したら戻ろう、と心に決めて再び散歩に戻ろうとする私だったが、不意に視界に飛び込んできた光景に一瞬脳内の思考が完全に吹っ飛んだ。

 

「――――ぇ」

 

 絞り出すような悲鳴。むしろ、一音でも発せられた自分を褒めてほしいくらいだ。瞬間的に体温が下がり、心臓だけがけたたましく警鐘を鳴り散らしている。

 

 視線の先、路地の向こう。人混みの中に見える二人組から目が離せない。それなりの人数がいるのにどうして目に付いたのか、いやむしろ目につかなければ良かったのに、と心の中で様々な思いが葛藤する中、私は彼らから隠れる様に物陰に潜む。

 

 

 ――――仲睦まじい様子で歩く、藤尭さんと切歌がそこにはいた。

 

 

 ショッピングでもしていたのだろうか。藤尭さんの手には誰でも知っているようなラグジュアリーショップのロゴが書かれた紙袋が提がっている。

 

 道路を挟んでいるせいで会話の中身までは聞き取れないが、満面の笑みを浮かべる切歌と困ったような嬉しいような顔をする藤尭さんの二人は、誰がどう見ても仲の良い恋人同士そのもので。そこに、私なんかが入り込む余地はどう考えても存在しなくて。

 

 二課に行かなくなった今でも藤尭さんとの関係は続いていたが、お互いに行為以外のことは不可侵といった暗黙の了解が出来上がっていた為、深く追及することはなかった。でも、よく考えれば可能性としては有り得ない話ではないはずだ。いや、むしろ、こうなっていない方が不思議なくらいで。

 

 二人が和解してどれだけの時間が経ったと思っている。元々想い合っていた彼らなのだから、この結果は至極当然のものだろう。

 

 分かってはいるのに、どうしても納得できない自分がいた。祝福すべきなのに、胸の内で瞬く間にドス黒い嫉妬の念が膨れ上がっていくのを感じた。見間違う訳がないのに、心のどこかで何かの間違いだと言い聞かせる自分がいた。

 

 なんで、どうして、でも、だって、そんな――!

 

 現実を直視した途端、自身の惨めさを自覚してしまう。一時の関係に縋り、未練たらしく彼を束縛している自分の浅ましさにこれ以上ない悲哀と、絶望が。

 

 ふらふらと隠れる様にそのまま路地裏へと入っていく。人目が完全に消失したのを確認するや否や、私の意思とは無関係に胃の中身が逆流した。

 

「ぉ、ぇ……っは、ぅぇ……」

 

 けたたましい音と共に喉が焼けるような痛みが走る。全身がガクガクと震え、今にも崩れ落ちてしまいそうな程に。なんとか立っているのは、微かに残ったプライド故だろうか。……そんなものは、もう無いにも等しいのだけれど。

 

 勝手に縋って、勝手に絶望して。どこまで自分勝手な女だというの、マリア。

 

 もはや命を削っているんじゃないかってくらいに鈍い嗚咽を漏らしながら、私は一人人知れず涙を流した。

 

 

                ☆

 

 

「調ちゃん、切歌ちゃん、入学おめでとぉ~!」

「ありがとうございます」

「ありがとデース!」

 

 響の掛け声に応じて部屋中からクラッカーが鳴り響く。お祝いされている二人は居心地悪そうな表情ながらも、慣れない祝賀会に戸惑っている様子だ。そんな二人の気持ちを和らげるかのようにいつも以上におどけた様子を見せる響。

 

 二課の仮設本部で大々的に行われている、二人の入学祝賀会。精神衛生的な問題で出席を見送ろうとした私だったけれど、「さすがに行きなさい」と家主権限であおいによって連れて来られた次第だ。しかしながらさすがに輪の中に入ることは憚られる為、こうして隅の方でひっそりワインを傾けている。食事は……あんまり、手が進まない。

 

「あの、大丈夫ですかマリアさん……」

「……未来には、どう見える?」

「それ、は……」

「いえ、意地悪言ってごめんなさい。自分でも分かっているもの。酷い顔しているわよね、私」

 

 装者の中でただ一人、私の事を気にかけてくれている未来が隣で付き合ってくれている。本当に優しい子だ。藤尭さんと切歌を完全に振り回している私に寄り添い、何があっても傍にいてくれている。私がまだギリギリで保っていられるのは、この子がいてくれるからだろう。孤独感の中で私を照らしてくれる陽だまり。なるほど、響の言い分もあながち間違いではないようだ。

 

「あの、藤尭さんのことなんですけど、あの人は――」

「……うぅん、もういいのよ未来。藤尭さんは何も悪くないわ」

「いえ、そうではなく、藤尭さんはずっと、マリアさんが――」

「……ちょっといいデスか、マリア」

「っ……」

 

 未来が何か言いかけていたが、遮るようにして現れた金髪の少女に意識をすべて持っていかれる。新調したリディアン女学院の制服を身に纏った彼女は、お祝いムード一色の空間に似つかわしくない憂いを帯びた表情を浮かべて私の前に立っていた。一瞬、数日前の光景がフラッシュバックして激しい吐き気に襲われるが、なんとか持ちこたえると彼女の視線に応える。

 

 切歌はあくまでも周囲の空気を壊さないように気を付けているようだが、事情を知っている二課の面々は言動の端々で私達の方を注視していた。ちら、と慌てた様子でこちらに駆け寄ろうとする藤尭さんが見受けられたが、司令と緒川さんに取り押さえられて強制的に酒の席へと連れていかれている。

 

 だけど、今はそっちではない。

 

 最低限の声量で、切歌が口を開いた。

 

「藤尭さんのことで、話があるデス」

「……私はないわ」

「マリア、お願いデスから話を聞いて欲しいデスよ……」

「…………」

「マリアさん……」

 

 様子を見守る未来が不安げな声をあげるが、私が言葉を発することはない。

 

 懸命に話しかけてくる切歌を無視する形になっていることに心が歪む程の罪悪感を覚えるけれど、ここで彼女に返事をしてしまうと、自分が思っている以上にキツく当たってしまいそうで。悪いのは私一人だというのに、切歌や藤尭さんを悩ませている事実がどうしようもなく悲しくて。いっそのことこのまま消えてしまった方が一番良いのではないだろうかという考えにまで至ってしまう。

 

「マリアは、勘違いしているデス。たぶんそれは、とても致命的なものなのデスよ」

「……」

「マリアも、藤尭さんも、あたしも……全員不器用だっただけなんデス。だから、真実を知ってほしいデス。そうやって自分勝手に思い悩んで、周囲を拒絶して……勝手に自己完結してしまうのは、昔からのマリアの悪い癖デスよ」

「……何が言いたいのよ」

 

 いまいち要領を得ない物言いに苛立ちを覚え始める。切歌は今更私に何を伝えたいのだろう。これ以上私を追い詰めて、いったいどうしたいのだろう。

 

 ふつふつと怒りが湧いてくる中、切歌は先程とは違う顔――覚悟を決めたような表情を浮かべると、まるでただそれだけを言いたかったかのような迫力でこう言った。

 

 

「あたしなんかに遠慮していないで、マリアはもっとマリアらしく自分の幸せの為に突っ走ってほしいデス。乙女みたいにウジウジ悩んでいるなんて、マリアらしくないデスよ」

 

 

「――――っ! こ、の……!」

「マリアさん!」

 

 ……気が付くと、私は切歌の胸倉を掴み上げていた。持っていたワイングラスが床に落ちて割れる。けたたましい破砕音で会場の空気が一気に冷え込んだ。全員が息を呑んだ様子で私達の方を見つめている。何をやっているのだろう、と心の中では冷静に客観的に思考を行えているのに、感情的な部分が暴走してしまって収まりがつかない。

 

 未来の悲痛な叫び声が聞こえてくるけれど、私は切歌に詰め寄ったまま彼女を睨み付ける。だが、対する切歌もまったく怯んだ様子はないようで、今まで見せたことがないような表情で私を見据えていた。

 

「誰のせいで……誰のせいで、私がこんなに悩んでいると思っている!」

「そんなの、そんなのマリアの自分勝手デス! ちゃんと真っ向から話してくれれば数か月前に解決していた問題なのに、あたしや藤尭さんから逃げ続けたマリアの弱さが招いた結果デス!」

「なにを――――っ!」

「そうやっていつもいつも自分一人で抱え込んで、結局は見当違いの方向に思い悩んで、どうして一歩も成長できないデスか! その陰で藤尭さんがどれだけ悩んで、誰も傷つかない解決法を探していたか、知らないくせに!」

「そんなのない! あるわけない! だから私だけが傷つけばいいって我慢して、藤尭さんにも迷惑かけてきたのに、今更そんな綺麗事あるわけない!」

「マリア――――!」

「落ち着けバカ! 時と場合を考えろ!」

「矛を収めろマリア! 今はそのような諍いを起こすべき時ではないはずだ!」

「離してくださいクリス先輩! この分からず屋は一回怒らないと一生治らないのデス!」

「やめて翼! 私は、私は――!」

 

 状況を見かねた翼とクリスに仲裁を受けるも、私と切歌の怒りは収まらない。今にも掴みかかってしまう程にヒートアップした私達はまるで親の仇を見るかのように互いを睨むが、そんな中、目を丸くしてこちらを見ている藤尭さんの姿が再び目に入った。

 

 その瞬間、私の中で何かが、いや、すべてが爆発したような感覚に襲われる。

 

「マリア!」

 

 翼の手を跳ね除けると、脇目も振らずに会場から走り去る。出ていく寸前に藤尭さんがわずかに動く様子が見受けられたが、そんなことを気にかける余裕はない。仮設本部となっている潜水艦から下りると、そのまま行先もなく走り続けた。

 

 ただひたすらに、ただ一目散に。

 

 人混みをかき分ける様に前へ、前へ。いや、逃げているだけなのだから、この表現はおかしいか。あらゆるものから逃げてきた私は、たぶん前になんて進んでいない。

 

 ――いったいどれだけ走ったのだろう。ヒールの踵は折れてしまっていて、途中から裸足で走っていた。人混みに揉まれたせいでワンピースはところどころ破けていて、ストッキングも断線している。見るも無残な姿で辿り着いたのは、なんというか、笑いも出ない場所だった。

 

 とあるマンション、その一室。扉の前で立ち尽くす私が見たのは、「藤尭」と書かれた表札。

 

 あぁ、私は、どこまで……。

 

 もはや立ち上がる気力もなく、その場に崩れ落ちる。渇いた笑いが浮かぶものの、次の瞬間には溢れんばかりの涙と、子供のような叫び声。とても歌姫のものとは思えない、腹の底から湧いてくる嗚咽が、マンション内に木霊する。騒ぎを聞きつけても誰一人出てこないのは、このマンションが二課の正規職員寮だからだろうか。誰にも見咎められぬまま、私はただひたすらに泣き続ける。

 

 誰もいない、誰も私を愛してくれない。誰一人、私を受け入れてくれない。

 

 何がいけなかったのだろう。どこで間違えたのだろう。私はどうすれば良かったのだろう。

 

 問いかけても答えはなく、訴えても反応はない。一人、どこまでも深い、闇の中。

 

 こんなに辛い思いをするのなら、彼のことなんか好きにならなければ良かった。どうして私は、あの人の事を好きになってしまったのか。

 

「……たす、けて」

 

 それは果たして、どういう思いから発されたものなのだろうか。

 

 解決策なんて無くて、行先は絶望しかなくて、私自身の意地を通すことすらできなくて。以前の選択を後悔する自分しかいないのに、それでも彼への想いを捨て去ることができない私が、今更何を求めているのだろうか。

 

 自分でも分からない。今更神様なんてものは信じていない。

 

 ただ、それでも。

 

 もし奇跡なんてものがあるのなら、もし神様なんて存在がいるのなら。

 

「私を助けてよ、朔也ぁ……」

 

 彼の名前。愛しい彼の名前。もう元には戻れないのに、結局は彼に縋っている。情けない、どこまでも私は、マリア・カデンツァヴナ・イヴは、弱い人間――

 

 

「―――マリアさん」

 

 

 だが、その時。

 

 一つの声が、私を呼んだ。

 

 

 




 クライマックス。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。