※少々ブラックな描写がありますので、最初から最後までハッピー展開しか受け付けない方は注意を。
Stand up Lady①
切歌の告白を断り、二課に衝撃を走らせた藤尭さん。彼への事情聴取をすべく、クリスや切歌本人と共同して密会の場をセッティングした。すっかり滅入っている様子の彼を宥めつつ、ビールを注文して話を聞いていく。
切歌と彼、互いに抱えている想いは同じなのだろうけど、どうにも不器用が過ぎるらしい。藤尭さん自身も女性経験はゼロに等しいから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが、ちょっとばかし放っておけない。妹分の将来がかかっているのだから、ここいらで一肌脱いでもいいだろう。
私が居酒屋慣れしていることに驚きを隠せないらしい藤尭さんに、少々照れくさいものを感じながらも弁解を行う。
「昔から日本の居酒屋に興味があってね。こっちに来てからちょくちょく司令や友里さんに連れていってもらっていたのよ。ほら、日本酒とかおつまみとか、日本にしかない魅力的な文化がいっぱいあるじゃない? せっかく日本でそういうものが窘める年齢なのだから、満喫しないと損かなって」
「へぇ……こんなこと言うのも失礼かもしれませんけど、マリアさんはこういう俗っぽい店はあんまり好きじゃないのかと思っていました。歌姫だし、なんかこうお嬢様って雰囲気だし」
「そんなことないわよ。育ちが特殊だとはいえ、私だって好奇心旺盛な女の子だもの。調や切歌に負けないくらい新しいものには敏感よ。……ちょっと子供っぽいかもしれないけれど」
妙に恥ずかしくなって、視線を泳がせてしまう。装者の中では最年長な私が実はミーハーな女の子だなんて、ファンが知ったらどう思うだろうか。自分でも結構恥ずかしいとは思っているが、もしかしたら失望させてしまったかもしれない。
少しの不安を抱えてちらと彼の顔を覗き見ると、藤尭さんは何を考えているのか、口元を綻ばせてこんなことを言ってきた。
「そんなことありませんよ。むしろ、それくらい素直な方が好感が持てますし……ほ、ほら、ギャップ萌えとか言うくらいですから、魅力的だと思います」
あまりにも想定外すぎる発言に思わず箸が止まる。そして、今まで感じたことがないような胸の高鳴りをわずかに感じていた。褒められたことは数あれど、それはすべてフィーネの器や歌姫としての『マリア・カデンツァヴナ・イヴ』に対してだったから。今みたいに私自身を……マリアそのものを褒められたのは、経験がほとんどない。それこそ、調や切歌は除くが、異性からそんなことを言われたのは初めてだ。
優柔不断でヘタレなくせに、とんだ爆弾を放り投げてきたものだ。どっちがギャップ萌えよ、この馬鹿。
呆けている私を怪訝そうに見やると、心配そうに声をかけてくる。
「ど、どうしたんですかマリアさん」
「……い、いえ別に。ま、まぁ? 私ともなればギャップでさえも魅力に変えるっていうか? 欠点を長所にするなんて造作もないっていうか?」
「そ、そこまで自信満々に言われると反応に困るんですけど」
「なによそれ。……はぁ、ほんっと、藤尭さんって乙女心を分かってないわよねぇ」
「む。し、仕方ないじゃないですか。今まで彼女なんていたこともないし、女性経験なんてゼロなんですから」
照れ隠しに吐いた毒を真に受けてバツが悪そうにボヤく藤尭さん。何気に気にしているらしい。確かに、今回の一件は彼の経験不足からきている分も否定はできない。もっとしっかりとした経験を積んで、男性として適切な対応を取れるようになれればいいのだが。
――この時、お酒慣れしていない私は結構酔いが回り始めていたらしい。
何の気なしに対策を考えていると、一切のフィルターを通すことなく、まるで思考がそのまま口をついて出たかのようにさらっととんでもないことを口走っていた。
「だったら、私と付き合ってみない?」
「は、はいぃっ!?」
『(ガタガタガタッ!?)』
「ぁ……」
突拍子もない私の発言に素っ頓狂な声をあげる藤尭さんと、視線の先で個室から飛び出しかけるくらいに動揺した表情を見せるクリスと切歌。鈍った脳は彼らの反応を見てようやく処理が追いついてきたらしく、今更に頭が急激な熱を帯びていく。
え、付き合う? 私、急に何を言い始めているの!?
なんとか誤魔化そうと先程から目を丸くしている藤尭さんに向き直るが、何故だろう。彼の顔を見つめるのが少し恥ずかしい。ドキドキする、というか、なんというか……アルコールのせいかもしれないが、やけに心臓が早鐘を打っている。ど、どうしたと言うのマリア。私ともあろう女が、こんな草食系男子にトキメクなんて!
混乱と戸惑いに冷や汗が止まらないが、不思議と嫌な感じはしない。弁解すべく口に出した台詞も、どちらかというと現状をポジティブに受け入れるような、そんな言葉だった。
「ほ、ほら。藤尭さんは女性経験がないから、切歌と付き合う時に色々困っちゃったりしたら大変でしょう? お、女の子は繊細なんだから、私が前もって色々教えてあげようと思って」
「で、ですが……それはあまりにもマリアさんに迷惑が」
「め、迷惑なんてことはないわよ! 練習、練習と思って、ね? セックスだって初めてのままだと切歌を失望させちゃうかもしれないし! わ、私も女所帯でその、た、溜まってたり……するし……」
私は何を言っているんだぁー!
もう頭と身体がチグハグすぎて訳が分からない。お酒なんて飲むんじゃなかった。視線の先で状況が掴めない切歌が驚嘆しているけれど、一番意味が分からないのは他でもないこの私だ。頭おかしいにも程があるでしょ!
……でも、何故だろう。「練習」と口にした途端、胸が締め付けられるような痛みを感じたのは。切歌の顔を見た途端、どうしようもなく黒ずんだ感情が湧いてきたのは。
さすがに突拍子がなさすぎる私の提案に、藤尭さんはどう反応したものか分からない様子でおろおろと視線を泳がせている。無理もない。私も逆の立場なら相手の正気を疑う。彼は見かけよりも優しいから、なおの事私に迷惑をかけることを良しとしないのだろう。
だから……だから私は、自分の気持ちに蓋をして、彼に逃げ道を作ることにした。
そっと彼の頬に手を添えると、熱を帯びた瞳で顔を覗き込み――
「ん……」
「んんっ!?」
有無を言わせず、唇を奪った。
完全に虚を突かれ抵抗すらしない彼を他所に、そのまま舌をねじ込んで口内を嬲る。唾液を送り込み、息つく間もない大人のキス。初めてのキスは柑橘系の味とはよく言うが、私にとってのファーストキスはどうやらビールの味だったらしい。ほのかな苦みと官能的な甘みがミックスされて、思考が徐々に覚束なくなる。
何秒こうしていたのだろう。酸素を求める様に彼から離れると、橋を繋ぐようにして彼へと伸びる透明の液をぐいと拭い、息をつく。
「ま、マリア……さん……?」
「……これは、私の我儘。藤尭さんは自分勝手な歌姫の我儘に付き合っているだけ。なんの後ろめたさを持つ必要もなければ、罪悪感なんて抱く必要はない。ただ、切歌の為に私を利用しているだけ。オーケー?」
呼吸を整えながら彼の逃げ道を舗装する。そうだ、何の心配もない。最後には切歌と結ばれて彼はゴールイン。私は、そんな妹分の手助けをしたいだけ。その為なら、この身がどうなっても構わない。それが、彼女の姉貴分として私にできる最大の恩返しだから。
彼の肩越しに、信じられないといった表情を浮かべるクリスと、思考を放棄している切歌が目に入る。後でちゃんと弁解をしておかないと、余計な誤解を植え付けてしまいそうだ。大丈夫。私は貴女の為に、できることをするから。
呆けたように私を見ている藤尭さんを連れて店を出る。これ以上はあの子達に見せられない。然るべき場所で事を進めるべきだろう。
「続きは貴方の家で……ね?」
「……本当に、いいんですね?」
「言ったでしょう? 貴方は私の我儘に付き合っているだけ。いわゆる恋人ごっこってヤツよ。切歌と付き合う時に困らないように、その我儘を利用すればいいの」
「…………」
未だに頭の整理がつかないのか、それ以上は何も話さず隣で歩を進める藤尭さん。私はそんな彼の腕に身を寄せると、まるで恋人同士がするようにそのまま彼のマンションへと歩いていく。
自室へ着いて部屋の中へ入ると、そこからはもはや勢いだった。まだ玄関だというのにどちらともなく唇を重ねる。寝室への道中に散らばる衣服は、その激しさを物語っていた。
闇に包まれたベッドの上で嬌声をあげる。引っ掻くような快感が全身を打つと、また口が塞がれ酸素が止まる。頭の中が真っ白になり、気が付くと私は夢中で彼の名前を叫んでいた。何度も、何度も。何かを求める様にして、必死に彼を呼び続ける。……そうしないと、何か大切な事を忘れてしまいそうだったから。
――あぁ、なるほど。私はどうやら、この人の事が――
そこまで考えて、首を振る。それ以上は、駄目だ。これ以上踏み込むと、私は本当に最低な女になってしまう。
自分の本心を隠すように、彼の唇を貪る。せめて、せめてもの繋がりを手繰り寄せんばかりに、私は彼の上で踊り続ける。
その先にあるのは終わりの見えない夜の帳だと、知っていながら。
僕を信じろ。