「――――さんっ!」
……何かが聞こえる。懐かしいような、愛しいような、そんな声が。闇の中に包まれる俺を、その声が浮上させていく。
地獄からの呼び声だったら相当恐ろしいが、そんな雰囲気でもないようだ。声は次第に大きさを増し、はっきりとしたものに変化していく。
「藤……さんっ……!」
お次は身体が揺さぶられる感覚。段々と意識が戻ってきているのか、揺さぶられる度に激痛が走る。ショック療法染みた蘇生に逆に魂が逝きかける錯覚に陥るも、そんなことはなく徐々に意識がクリアになっていく。
最後に復活したのは視覚だ。最初はぼんやりと、何か黄色いものが見えるだけだったが、数分程経過するとようやくしっかりとした形として認識できるようになった。
水に濡れたようにしんなりとした金髪。愛らしい垂れ目に涙を浮かべ、泣き顔を隠そうともせずにこちらを覗き込む美少女。帯を無くしてしまったのか、もはやかろうじて前を隠すだけとなっている浴衣にドキッとしてしまうが、続いて聞こえた彼女の声にそんな下心はどこかへ飛び去って行った。
「っ……藤尭さん! 気が、気が付いたデスか!」
「……やぁ、切歌ちゃん」
「良かった……良かったデスっ……!」
「うぎぃっ!」
俺の返答を確認すると、感極まった様子で勢いよく俺に抱き着いてくる切歌ちゃん。本来ならば諸手を上げて喜ぶべきシチュエーションに違いないはずなのだが、現在絶賛負傷中の俺は歓喜よりも先に激痛が走ってそれどころではない。ただ、ここで弾き飛ばしてしまうのは前回の二の舞になる気がした為、最後の意地を総動員してなんとか笑顔を浮かべようとした。
しかしながら、どうやらそれも随分と歪なものだったらしく、違和感に気が付いた彼女は慌てて俺から手を離すと申し訳なさそうに頭を下げる。
「ご、ごめんなさいデス……嬉しくて、つい」
「い、いや、大丈夫だよ。えっと、助けてくれたん、だよね?」
「…………」
コクリ、と可愛らしく頷く切歌ちゃんに有り得ないくらいの庇護欲が湧いてくるも、なんとか内に抑え込んで現状を把握すべく周囲を見渡す。
上下左右を岩肌に囲まれた空間。ひんやりじめじめとしたそこは、もしかしなくても洞窟のような場所だった。わずかに風が入ってくる方に視線を向けると、ぽっかりと空いた穴の向こうに広がる荒れ狂う水平線。あの中に落下して生還しているとか、奇跡の一つでも起きないと到底不可能だとは思うのだけれど……。
「あの時聞こえた歌。あれ、切歌ちゃんの聖詠だったのか」
「……助けなきゃ、って思って。悩みとか、自己嫌悪とか、そういうのは一瞬吹き飛んで、とにかく藤尭さんを助けなきゃって。……失いたくないって、そう思ったんデス」
「切歌ちゃん……」
「あんなこと言ったのに、あんなに拒絶したのに。それでも藤尭さんに死んでほしくなくて。……やっぱりあたしは、この人のことが好きなんだなって。この人じゃないと駄目なんだって」
「…………」
「ごめんなさいデス。やっぱりあたしはどうしようもなく子供で、大人になんかなれないお子様デス。藤尭さんの隣にいるには釣り合わない、迷惑ばかりかけちゃう子供なんデス……」
ポタ、と地面の色が変わる。肩を震わせ、少しずつ嗚咽を漏らすその姿は紛れもなく一人の子供だ。大人みたいに虚勢を張るような捻くれた姿ではない、真っ直ぐとした心を持った子供だ。
変われない、と彼女は言った。大人になんてなれないから、一緒にはいられないと。変わろうとしている俺とは釣り合わないと。以前「子供だから」と突き放した俺が、彼女の気持ちを慰める言葉を贈ることはおそらく難しいだろう。彼女をそこまで苦悩させたのは、間違いなく俺だ。俺がもがいていた別の場所で、彼女も変わろうと努力していたのだろう。それがどれだけ辛かったか、到底想像できない。
彼女が子供であること。それは否定できない真実だ。今更何を言ったって、その事実は変わらない。何か気が利いたことを言っても、それは一時的な慰めにしかならないだろう。根本的な解決にはならない。
……だから、少しアプローチを変えてみようと思う。
「切歌ちゃん」
彼女の名を呼び、真っ直ぐ見つめる。久しぶりに見る彼女の瞳は眩しくて、そのまま吸い込まれて行きそうなくらい綺麗だ。
急に見つめられて戸惑っているらしい切歌ちゃんは「あ、う」と声にならない呻き声を漏らしつつ、頬を真っ赤に染めながら目を白黒させている。その姿がまた愛おしくて、思わず抱き締めそうになってしまう。だが落ち着け朔也。ここが正念場だ。
困惑する彼女に笑顔を向け、俺は言葉を紡いでいく。
「天真爛漫な切歌ちゃんが好きだ」
「……はい?」
「誰よりも明るい切歌ちゃんが好きだ。ちょっと面倒くさい切歌ちゃんが好きだ」
「え、あの、藤尭さん?」
「調ちゃんのことが好きな切歌ちゃんが好きだ。猪突猛進で一途な切歌ちゃんが好きだ。天然で浮世離れしている切歌ちゃんが好きだ」
「あぅ、その、き、急になんなんデスか!? はっ、恥ずかしいのデス!」
「変な語尾で喋る切歌ちゃんが、実は努力家の切歌ちゃんが、ナイーヴな切歌ちゃんが、人一倍真面目な切歌ちゃんが、向上心の強い切歌ちゃんが――」
「もぉ――――っ! 本当に、馬鹿にしているんデスか――――」
「切歌ちゃんの全部が、大好きだ。ここまで好きって言っても、まだ理由が足りない?」
「へっ? ……っ~~~!」
俺の意味不明な言動に怒りかけていた彼女だったが、最後の言葉に一瞬動きが完全に停止すると、そのままトマトもかくやといった赤面具合でわなわなと震え始める。羞恥心が天元突破した感じ、と言えば分かりやすいだろうか。先程までの悲哀はどこへやら、恥ずかしさ一辺倒な戸惑い具合で声にならない叫び声を上げている。
そんな彼女にもう一度声をかける。
「俺は格好つけで、素直じゃないからさ。何か気の利いたことを言おうとすると、絶対にキミを傷つけてしまう。だから、ただこう伝えるよ。切歌ちゃんのことが好きだって。愛してるって。子供とか大人とか関係ない。暁切歌という一人の少女の事が、誰よりも大好きなんだって。キミに伝わるまで、十回でも百回でも言い続けるよ」
「……なんデスかそれ。結局、問題は一つも解決していないじゃないデスか」
「そうかもね」
「あたしは何も変わっていなくて、藤尭さんは一歩ずつ変わっていて。ただ好意に甘えている子供だって事実は、まったく変化していないじゃないデスか」
「一人じゃ変われなくても、二人なら進めるよ。俺はそのままの切歌ちゃんが大好きだけど、キミが変わりたいと願うなら、一番近くでそんなキミを支えさせてほしい。キミの変化を、成長を、隣で見守らせてほしい」
「…………ずるいデス。そんなの、何も言えなくなっちゃうもん」
「大人はずるいんだよ。切歌ちゃんも知ってるでしょ?」
「えぇとても。……本当に、ずるい大人」
ぽつりと呟くと、切歌ちゃんは俺の隣に改めて腰を下ろす。ほとんど半裸に近い男女が隣り合って座っているのはちょっと変な感じがするものの、ここばかりは童貞心を投げ捨てて紳士として向き合わなければなるまい。幸いにも全身を激痛と鈍痛が支配している。余計な下心は痛みによって放逐だ。
ふと彼女の横顔を見やると、いくらかの擦り傷が見てとれた。俺を助ける為にシンフォギアを纏ったとはいえ、リンカー無しでの使用がどれだけ彼女を傷つけたか想像に難くない。そこまでして俺を助けてくれたという事実に、いっそう心臓が高鳴りを始める。
「……浮気は許しません」
「そんなのしないよ」
「マリアやクリス先輩にデレデレしたら、イガリマの錆にしてやるデス」
「き、気を付けます」
「ちゃんとあたしを甘やかしてください。忙しくても、デートを忘れちゃ駄目デスよ」
「当然。任せて」
「あたしが大人になれるよう、全力でサポートしてほしいデス」
「一番近くで、支えさせていただきます」
「……こんなに回り道させて、不器用すぎるんデスよ
「……ごめんね。でも、必要な時間だったって今は思ってる」
「はぁ。なーんであたしは、こんな人を好きになっちゃったんデスかねぇ」
大きく溜息をつくと、わざとらしく肩を竦める。だが、その言葉に軽蔑の響きはない。口を尖らせながらも、どこか呆れたような、それでいて安心したような表情を浮かべる切歌ちゃん。不意に身体を寄せられ、思わず顔をヒクつかせてしまう。
「女性関係だけは、あたしよりも子供なんデスもんね」
「う……否定できない」
「まぁいいデス。童貞で恥ずかしがり屋な朔也さんを、あたしがリードしてあげるデスから」
「そ、それは男としてどうなんだろう……」
「もう既にだいぶ幻滅している後なんデスから、今更かっこつけるのやめてほしいデス」
「真正面から辛辣な言葉ぶつけるの勘弁してくれ」
「愛の鞭デスよ。喜んでほしいデス」
俺に身体を預けたまま、切歌ちゃんは得意げに鼻を鳴らす。ニヒヒと悪戯っぽく笑う姿は、天真爛漫な暁切歌そのままで。ここしばらく見せていた憂いの表情はまったく感じられない。久しぶりに見た彼女の笑顔に、どっと安堵の溜息が出る。良かった、この顔を見る為に頑張ったと言っても過言ではない。
互いに寄り添った体勢のまま、しばらく無言が続く。なんとも言えない雰囲気が徐々に俺達を包み始める。まぁ、そのなんというか……
恐る恐るではあるけれど、彼女の肩に腕を回す。一瞬びくっと身を上げる切歌ちゃんだったが、俺の想いが伝わったのか、こちらを見上げると……、
「ん……」
目を瞑り、わずかに顎を引いた。
うわっうわっ、ほ、本当にいいのだろうかこれ。は、犯罪にならないよな? 大丈夫だよな?
今にも心臓が爆発しそうな胸中ながらも、息を呑んで覚悟を決める。肩を引き寄せる様に距離を埋め、柔らかな唇に胸を高鳴らせつつ徐々に顔を近づけて――
「そ、そういうのは家でやりなさぁああああああい!」
バッ! と思わず互いに身体を離してしまう。さっきとは別の意味で心臓が止まりそうになる中、二人して入口に視線を向ける。
ムードをばっさりと切り捨てた絶叫の犯人。桃色の髪を振り乱し、全身を銀色の装甲に身を包んだ彼女は、見間違いでなければ今まで俺を幾度となく助けてくれた歌姫ではないだろうか。
「ていうかマリア、なんでアガートラーム纏えているんデスか!? ぶっ壊れたはずじゃ……」
「愛よ!」
「何故そこで愛!?」
今この場で全員が言いたいことを代弁してくれる切歌ちゃんではあったが、完全に勢いで返事をしているらしいマリアさんを誰も止めることはできなさそうだ。
マリアさんは何故か息を荒げ、盛大に肩を上下させながらこちらを睨み付けている。その背後には装者一員が列を為しているが、どうして岩陰に隠れる様にして様子を見守っているのだろうか。
「修羅場だ……修羅場ですよ翼さんっ」
「何故そんなに嬉しそうなんだ立花」
「ま、マリアのあんな剣幕初めて見た……」
「女々しいなマリア」
「そこうるさいっ! いいこと切歌。そういうのはこんなところじゃなくて家でやるべきなの。はしたないわ!」
「ま、マリアには関係ないデスよ!」
「いいえ、関係ある。わ、私の目の黒いうちは、
「な、なんデスとぉ!?」
雨に濡れた顔を真っ赤にしながら何か妙な宣言をするマリアさんと、驚嘆する切歌ちゃん。今なんか名前で呼ばれたような気がしたんだけど、どういう風の吹き回しだろうか。確かに仲は縮まったとはいえ、今までそんな呼ばれ方した覚えはないのだが。
そしてどうしてか、切歌ちゃんは俺を強く抱き締めるとマリアさんに向かって威嚇のような唸り声をあげる。
「演技かと思っていたデスが、とうとう正体を現したデスねマリア……。朔也さんは渡さないデス!」
「あら、それは貴女が決めることじゃなくてよ切歌。確かに今は貴女のものかもしれないけど、これからはどうかしらね!」
「いや、貴女は急に何を言っているんですかマリアさん……」
「言わないで! 私も今だいぶ混乱しているんだから、一旦黙ってて!」
理不尽にも発言を禁じられてしまい戸惑いを隠せない。いや、なんでマリアさんは急に切歌ちゃんと俺を取り合っている構図になってるの? この数十分の間に彼女に何があったの!?
「さぁ、分かったら早く離れなさい二人とも。不純異性交遊は厳禁よ!」
「くっ、卑怯なりマリア……」
「いや、完全にマリアさんの逆恨みですけどね」
「黙りなさい響。さて、さっさと朔也を回収して――」
「そうは問屋がウェル博士! 捕まってください朔也さん!」
「ふんぬぅっ!?」
「――Zeios igalima raizen tron」
「な、なんですって!?」
まるで悪人のような言動を見せるマリアさんから俺を守るようにして立ちはだかっていた切歌ちゃんが、不意に聖詠を口にする。イガリマのシンフォギアを纏うと、切歌ちゃんは俺を抱える様にして一目散に洞窟から脱出を決めた。茫然とするマリアさんのすぐ横を全速力で駆け抜けていく。俺の体勢はと言うと、俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
「ま、待ちなさい切歌! こらー!」
「待てと言われて待つ馬鹿は響さんくらいなのデスッ!」
「え、なんで私また悪口言われてるの?」
「うわっ高っ怖っ! 切歌ちゃん落ちる落ちるって――」
「大丈夫デス! もう絶対に離しません。朔也さんの隣でずっと、ずっとずっと一緒デス!」
「切歌ちゃん……」
洞窟から飛び出すと、既に雨は上がっていた。雲の切れ間から月の光が差し込み始める。彼女の腕に包まれている点が少々情けないところだが、悪い気はしなかった。
ただ、一つ疑問が残る。
「リンカー使ってないのに、なんで今は変身状態安定しているの?」
「知らないんデスか? それはデスね――」
背後から飛んでくるアガートラームのナイフをすべて避けながら、切歌ちゃんはどこか恥ずかしいような、嬉しいような。それでいて愛情に溢れた満面の笑みを浮かべると、自信満々に言い放つ。それは俺の質問に答えたというよりは、俺自身の心に伝えるような感じで。今までに言えなかった分を全部ひっくるめて言っているように思えた。
大好きな恋人のその言葉は、今まで聞いた愛の台詞よりも、俺の心を貫いたんだ。
「――愛、デスよ!」
僕「藤尭さんと切歌ちゃんのカップリングにハマってしまったんだけど、供給がゼロすぎて辛い」
友達「自分でSS書けばいいじゃん」
僕「天才か?」
そんな他愛もない会話から始まったこのSS。見切り発車もいいところでしたが、無事に完結させることができました。全国の藤尭×切歌ファンの皆様、応援本当にありがとうございます。
こんなマイナーカップリング本当に読む人なんているのか? という心配はありましたが、400人以上の仲間達と共に完結を迎えられたことを心から嬉しく思います。マリアさんファンの人には申し訳ない事をしました。ごめんなさい。
ちなみにいつになるか分かりませんが、このSSに書き下ろしを加えた同人小説を今後どこかの絶唱ステージで頒布しようと思っております。いつになるかは不明ですが、活動報告あたりで目に付いたときにはどうぞよろしく。
二人の恋路は前途多難でこれからもドタバタ続いていくのでしょう。それが同人小説になるか、それとも他の形になるかは乞うご期待。
最後になりますが、駆け足で展開の速い拙作でしたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。皆さまの応援本当に痛み入ります。また縁がありましたら、何卒。
――すべての藤×切クラスタへ、感謝。