一日目は特にすることもなく、温泉を余分に二回ほど楽しんだり、特機部二男性陣を集めてパーティゲームしたり、まぁちょっと若々しい休息をとって時間を過ごしていた。四人用大手ゲーム会社対戦ゲームをしている最中にキレた司令がゲーム機本体を壊しかけた時は盛大に肝を冷やしたが、それ以外は特に不安要素もなく夜へと移っていった。
晩御飯は豪勢な海鮮料理の数々。一人暮らしである関係上ここまで凝ったものを作れない為、こういう時に美味しいものを食べられるのは非常にありがたいことだ。装者の皆様も見慣れない料理に目を輝かせて箸を忙しなく動かしている。
視界の端では既に酔い始めている友里さんがマリアさんに絡んでいるが、ほろ酔い状態の彼女は面倒くさいというのは特機部二全体の共通認識である為、マリアさんを助けるものは誰一人として存在しない。みんな自分の身が可愛いのである。
「げ、未来ぅ。今からこっち雨が続くんだって~。しかも結構な豪雨らしいよぉ」
「タイミング悪いね、ほんとに。さっき空見たらすぐにでも降りそうな感じだったし、これは明日も室内でのんびりするしかないかなぁ」
「え~!? せっかくの旅行なのに、そりゃないよぉ!」
「はいはい。子供みたいな事言わないの」
「うぇーん、みくぅ~」
携帯端末で天気予報を見ていたらしい響ちゃんと未来ちゃんの会話が聞こえてくる。どうやらこれから天気が崩れるらしいとのことで、落胆の声を上げる響ちゃんが母性丸出しの未来ちゃんに慰められていた。確かに、せっかくの大型旅行で悪天候ともなれば落ち込むのも無理はない。明日は海水浴の予定も入っていたから、水着を見れないことが確定しつつある男性陣からもわずかな悲鳴が上がっている。下心丸出しすぎて逆に清々しい。
隣で頭を抱える男性職員達に苦笑を向けていると、唐突にスマートフォンが明滅を始めた。見れば、誰かからのメッセージを受信しているらしい。こんな時に誰が? と不思議に思いながらも画面を開く。
『月読調 ご飯を食べ終わったら、私の部屋に来てほしい』
なんというか、凄い威圧感のある内容だ。
ちら、とメッセージ主の方に視線をやると、黙々とご飯を食べる切歌ちゃんの隣で律儀に正座をしていた調ちゃんがこちらをじぃっと見つめていることに気付く。そこまで凝視されると正直怯えてしまうのだが、ほぼ確実に切歌ちゃんのことで呼び出されているのだろうから逃げるわけにはいかないだろう。様子を見るに、切歌ちゃんは気が付いていないらしい。二人きりで話したいということか。
「おや、もう部屋に戻るのですか? それなら鍵を……」
「あぁいや、ちょっと野暮用なんで大丈夫っすよ。緒川さんが戻った後くらいに帰ってくると思うんで」
「そうですか。……お気を付けて」
「あいあいさ」
なんかもう何もかもお見通しらしい緒川さんのエールを背に宴会場を後にする。少し後に調ちゃんが出てくる気配を察したが、並んで歩くのは何か違う気がした為微妙な距離感で彼女の部屋へと向かう。背中に突き刺さる視線が胃に悪いが、本人直接言う度胸もないので大人しく歩いていく。
そうしてしばらく歩いた後、きりしらが泊まる部屋に到着した。周囲に誰もいないことを確認すると、追いついた調ちゃんが部屋の鍵を開ける。
「どうぞ」
「……どうも」
何とも言えないプレッシャーの中、入室。綺麗に整頓されているピンク色の鞄と、中身がごちゃっと散らかっている黄緑色のキャリーケースが対照的だ。おそらく切歌ちゃんものと思われるキャリーケースから下着やら服やらがはみ出していて正直視線に困る。
「……女の子の荷物を凝視するのは、正直褒められたことじゃないと思うけど」
「うひぃっ! な、何もしてないよ! うん、じゃあ話を始めようか!」
「はぁ……なんでこんな人の事を切ちゃんは……」
本人の目の前で溜息ついて言う内容とは思えないよ調ちゃん。
見るからに軽蔑した表情を見せる彼女の視線に晒されつつも畳に腰を下ろす。俺が座ったのを見ると、嘆息一つ調ちゃんが口を開いた。
「話、と言ったけれど、改めて藤尭さんに私から言う事はないの。それはクリス先輩やマリアが言っただろうから。罵倒され足りないのなら、してあげてもいいけれど」
「それはマジで過剰摂取なので大丈夫」
「そう。それで、私が聞きたいのは一つだけ」
調ちゃんは再び姿勢を正すと、無表情でありながら先程の数倍真剣な表情で俺を見据え、「暁切歌の親友」として最大の確認を行った。
「貴方は、切ちゃんのことを愛していますか?」
――それは、彼女にとって一番の心配事だったのだろう。
理由や事情はさておいて、俺は一度切歌ちゃんの事を裏切っている。それは紛れもない事実だ。今の俺がどう思っているとしても、過去の傷は取り返せない。
マリアさんやクリスちゃん、そして未来ちゃんの協力を得て、俺は今一歩踏み出そうとしている。だが、調ちゃんは不安なのだろう。
これ以上、切歌ちゃんが傷つく姿を見たくないから。
誰よりも長く彼女の隣にいて、誰よりも彼女の事を知っていて……そして、誰よりも彼女の事を愛しているから。
……思い出す。俺が見てきた切歌ちゃんの姿を。切歌ちゃんの心を。切歌ちゃんのすべてを。
『……藤尭さんってたまにデリカシーありませんよね』
『あったかいもの、どうぞデース!』
『ほ、褒められた、のかな? 女の人として見てもらえている、のかな?』
『好きデス、藤尭さん。あたしは、藤尭さんのことが大好きデス』
――思えば、最初から答えは出ていたのかもしれない。それでも、自分の中で折り合いをつけるのに時間がかかってしまった。
俺の中で過去のトラウマが克服できたわけじゃあない。おそらく、これからも「普通ではない」ことへの忌避感は消えないだろう。
だけど、それと切歌ちゃんは別問題だ。
あれだけ切歌ちゃんに対して「子供」だと言ってきた俺が、ここでトラウマ一つ呑み込めないで、何が「大人」だ。ここいらで大人らしいところを見せないと、面子も糞もない。
それに――一人では無理でも、彼女と二人ならば、どんな苦難だって乗り越えられる。
そう、信じているから。
調ちゃんの透き通った瞳を一心に見据える。一片の濁りすら見通しそうな彼女に向け、俺は――――
「愛しているよ。俺は、暁切歌のことが大好きだ」
そう、言い放った。
☆
『そこまで言うのなら、何も文句はありません。彼女の事を、よろしくお願いします』
ぺこり、と頭を下げた調ちゃんの姿を最後に部屋から出ていく。なんか気を遣わせてしまったようで申し訳ない限りだ。でも、今優先すべきは謝罪ではなく、結果であることは明白である。
緒川さんが待つ部屋まで戻る傍ら、ちらちらと視線を飛ばして切歌ちゃんを探す。善は急げとよく言うのだから、明日まで待つよりはすぐにでも行動した方が良いだろう。
そんな感じで旅館内を歩いていると、件の人物はすぐに見つかった。
中庭に面する縁側。その端に腰かけて手持無沙汰に足をぶらぶら揺らしている金髪の少女。備品である寝巻を着崩した姿に少しばかり心臓が高鳴ってしまうが、ぼんやり顔で風景を眺める彼女が纏った憂いに一瞬声をかけるのを躊躇った。天真爛漫な彼女からは考えられない程の憐憫。出かかった声が喉の奥に引っ込んでいく。
馬鹿みたいに躊躇していると、俺の姿が視界に入ったらしい。驚いたように顔を上げ、もたつきながらも思わず立ち上がる。
「ふ、藤尭さん……?」
「……やぁ、切歌ちゃん」
「……今更何の用デスか。マリアなら、まだ宴会場にいるデスよ」
「マリアさんじゃなくて……今は、切歌ちゃんに用があるんだ」
「あたしにはないデス。帰ってください」
「そう言われるのは想定内だけど、俺はどうしてもキミに話さないといけないことがある」
「帰ってって言ってるじゃないデスか!」
「切歌ちゃん……」
ぶんぶんと頭を振って拒絶の意を示す切歌ちゃん。無理もない。自分をこっぴどく傷つけた男を前にしているのだ。むしろ大人しく話を聞いてくれる方が有り得ない話だろう。拒否されるのは承知済みだ。
一度叫んでストッパーが外れたのか、堰を切ったように心中を吐き出していく。
「なんデスか! なんなんデスか! どうして、どうしてあたしがこんなに悩まないといけないんデスか! フったくせに、フラれたくせに! なんであたしの心にずっと居座ろうとするんデスか!」
「…………」
「諦め切れたら楽なのに! これ以上関わらないでくれれば諦められるのに! なんで藤尭さんはあたしを引っ掻き回すんデスか! なんで、あたしに歩み寄ろうと、変わろうとしているんデスか!」
「変わろうと……? 切歌ちゃん、なんでキミがそれを……」
俺が周囲に相談し、踏み出そうとしていることを彼女は知らないはずだ。居酒屋で飲んでいる時はマリアさん一人だったし、クリスちゃんの家に行った時も俺達以外いなかった。それなのに、何故彼女が俺の事情を知っているのだろうか。
……いや待て、確かさっき未来ちゃんは――
『
まさか。まさか彼女達は最初から、俺と切歌ちゃんの仲を戻すために画策していた? それで、俺の言動が、すべて彼女に伝わっていたとしたら……。
思わず切歌ちゃんを二度見する。目の端に涙を浮かべた彼女は中庭に降りると、混乱と戸惑いの中央にあるような表情で俺を見据え、
「あたしは何も変われないのに! 藤尭さんの好意に甘えているだけなのに! どうしたらいいのかなんて分かんないデスよ!」
そう叫ぶと、一目散に隣接する森の奥へと走り去っていく。
「ちょっ! ま、待って切歌ちゃん!」
慌てて彼女の後を追いかけていくが、運動神経抜群の彼女はみるみる遠ざかっていく。癇癪起こした彼女が落ち着いて戻ってくるのを待てばいい、という意見もあるが、この旅館は海岸線に面していて、森の向こうには険しい崖が存在するのだ。下手して転落でもしようものならシャレにすらならない。
一応彼女もシンフォギア装者なのである程度の危機は乗り越えるだろうけど、リンカーを注入していない今の状況で期待するのは難しい話だ。しかも未来ちゃん達によると、この後は天候不良、それも酷い雨が降る予報だ。取り返しがつかなくなる前に連れ戻さないと。
それに――
「俺の話を、まだ聞いてもらっていないしなっ……!」
本来ならここで他の面子に協力を仰ぐべきだったのだろうが、この時の俺は彼女に会う一心だったため、そこまでの考えに至らなかった。大人として落第点の行動をしてしまったことを後悔するのは、これからおよそ数十分経過した頃になる。
ロクに靴も履かないまま、俺は彼女が消えていった森の中へと突入していった。
クライマックスまでもう少し。