サザエ「BLAME!でございま~す!」   作:しょっぱいいぬ

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サザエ「BLAME!でございま~す!」

 広大な都市空間、一本のねじれた塔が、はるか上を目指して伸びている。

 塔の周囲を取り巻く螺旋階段を登る、二つの人影があった。

「階層の基準地盤面から35753m……この階層の天井の超構造体(メガストラクチャー)まで、あと7000mほどよ、霧亥(キリイ)

 長身痩躯の銀髪の女が、前を歩く男に呼びかける。
 霧亥(キリイ)、と呼ばれた黒づくめの青年は、その言葉にも振り返らず、無言で歩を進めていた。

「結局、この階層にも手がかりらしきものはなかったわね。次の階層では、何か成果があるかしら」

 返事がないのには慣れているのか、女はそのまましゃべり続ける。女の名を、シボという。

「ネット端末遺伝子を持った人間が見つかる、とまでは言わないけど、せめて遺伝子情報が調べられる設備くらいはあるといいのだけれど」

 ネット端末遺伝子。それを持つ人間を探すのが、二人の旅の目的だった。


 遥か昔、都市に住むほぼすべての人間はネット端末遺伝子を持っていたという。
 人間はこの遺伝子を使ってネットスフィアと呼ばれる都市のネットワークに接続することで巨大な都市をコントロールし、繁栄を謳歌していた。
 しかし、あるとき突如発生した『感染』によりほぼ全ての人類がネット端末遺伝子を失い、それにより都市の制御は人間の手を離れた。コントロールを失った都市は、その最後の指令に従って無秩序に拡大を続け、長い時の果て、もはや太陽系規模にまで膨張していた。

 都市の『安全機構(セーフガード)』は、ネット端末遺伝子を失った人間を不法居住者とみなして排除するようになり、そして『感染』と時期を同じくして現れた『珪素生物(けいそせいぶつ)』も新たな都市のあるじたらんと、人間への襲撃を繰り返した。
 人間は、珪素生物とセーフガードにおびえながら、もはや全体の規模すらわからない巨大な階層都市の片隅に隠れ住むしかなかった。

 いまだ『感染』していないネット端末遺伝子を持つ人間を探し出し、都市のコントロールを人間の手に取り戻すことができれば、この状況に終止符を打てる。
 霧亥はそのために、もう思い出せないほど長い時間、階層都市を探索し続けていた。

 旅の間、多くの人間と出会い、そして別れてきた。その中のごく一部とは、しばらくの間行動を共にしたこともある。
 シボは、そうした者たちの中でもっとも新しい同行者だった。同時に、すでにもっとも長く行動を共にしている同行者かもしれなかった。



 十数時間の後、二人の姿は、塔の天辺にあった。

 上には、超構造体(メガストラクチャー)の天井が、見渡す限り果て無く広がっている。

「霧亥、ちょっと待って」

 シボが操作端末らしき構造物の前にかがみこんだ。

「物質転送装置みたいね。東亜重工内にあったシステムと似ているわ。これで、この上の階層に行けるかもしれない」

 こめかみから引き出したケーブルを端末装置につなげ、注意深く調べながら、シボが言った。

「転送装置にアクセスすると、セーフガードが作動するかもしれないわ。霧亥、注意して」

 霧亥は無言で、スキンスーツの懐から『装置』を引き抜いた。シボはうなずき、端末に向きなおる。

 彼女が端末の操作を始めて数秒、霧亥は、独特のイオン臭を知覚した。
 周囲を稲光めいた電気インパルスが走り、霧亥とシボが立っている塔そのものを構成している素材が、次々となにものかに変貌していく。

 『装置』を構える霧亥の周囲で、次々と異形の影が実体化した。

 白い能面めいた顔に、重金属の長い手足。階層都市の不法居住者を駆除する役目を持つ故に『駆除系』と呼称される、セーフガードの実行体だった。

 駆除系は長い両手両足を動かし、蜘蛛めいた動きで迫る。両手の鉤爪型のブレードが、ギラリと光った。あのブレードの一撃は、分厚い重金属の装甲でもやすやすと引き裂く。

 先頭の一体に狙いを定め、霧亥は小さな拳銃の形をした『装置』の引き金を引いた。

 腹に響く重低音とともに、装置の照準の先にいた駆除系の体が、まるでコルクを抜いたようにきれいに円形に消失した。破壊はそれにとどまらず、後ろに続いていた数体を衝撃波で引き裂き、さらには遥か数千メートル向こうの構造体に着弾し、爆発を巻きおこした。

 重力子(じゅうりょくし)放射線(ほうしゃせん)射出装置(しゃしゅつそうち)。霧亥が長い探索を始めたその時から携行している分身であり、理論上、この装置の直撃に耐えられる物質は存在しない。

 霧亥はさらに、2度、3度立て続けに引き金を引く。そのたびに駆除系が数体まとめて吹き飛ばされたが、駆除系は塔の構成材そのものを材料として次々と生成される。

「キリがないわね。霧亥、準備ができ次第、転送装置を作動させるわ」

 シボの言葉に、霧亥は無言でうなずく。
 が、次の瞬間、シボはハッとしたように身をひるがえした。刹那、爆発音とともに、彼女の機械の右腕が吹き飛ぶ。

「なっ……珪素生物!」

 シボの叫びに霧亥が視線を転ずると、駆除系の群れの向こう、一体の珪素生物が、こちらに向かって狙撃兵器を構えていた。
 そちらに装置を構えるが、珪素生物は素早く構造物の死角に身を隠し、装置の射線から逃れる。

 さらに次の瞬間、新たな珪素生物が駆除系の群れの中から突如躍り上がった。甲冑めいた外殻機械を唸らせ、倒れたシボめがけて両手に装備した重金属のブレードを振りかぶる。
 とっさにその間に割り込み、ブレードを素手で受け止める。超硬度の刃は霧亥の左腕の半ばまで食い込んだが、構わず装置を握った右の拳を叩きつけ、へし折る。
 甲冑型の珪素生物は体勢を崩しつつももう一方の手のブレードを突き出そうとしたが、霧亥が装置の照準を合わせるほうが一瞬だけ早かった。

 珪素生物の上半身が外殻機械ごと消滅し、赤熱する断面をさらした下半身が吹き飛んで、はるか数万メートル下へと落下していった。しかし、その隙に、駆除系の大群が霧亥に向かって殺到してくる。
 身を起こしたシボが叫んだ。

「霧亥、転送を発動するわ!」

 反応する暇もなく、視界が光に包まれた。




 霧亥は、ゆっくりと目を開けた。

 光が目を射す。かなり上方に、強烈な光を放つ発光体があるのが見える。
 発光体の周囲は、薄い青に覆われた空間がどこまでも広がっているように見えた。

『空』

 はるか下の階層で、シボが口にした言葉を思い出した。映像が空間投影されているのだろうか。かなりシステムが生き残っている階層なのかもしれない。

 立ち上がって周囲を見回す。あたりには、背の低い建物が並んでいる。珍しいことに、植物もあちこちに見受けられる。

 シボの姿はなかった。

 左腕に違和感。視線を向けると、へし折った珪素生物のブレードが半ば食い込んだままになっていた。引き抜いて放り捨て、傷口にシボに持たせられていた高分子テープを巻き付ける。
 この程度の傷なら、すぐに塞がるはずだ。


 背後から声。振り返ると、二人の人間がこちらに向かって歩いてきていた。
 若い女と小さな子供、おそらく親子か。

 この階層に人間がいるのかというかすかな驚きとともに、霧亥は彼らの網膜を走査し、ネット端末遺伝子の有無を確認しようとする。

 が、霧亥は走査を中断し、とっさに地を蹴っていた。

 母親の先を楽しげに走っていた子供の脇の曲がり角から、二つの車輪のついた乗り物が飛び出してきていた。
 大して速い速度ではなかったが、それでもあの質量が衝突すれば、強化骨格を持つようにも見えない子供の肉体では、負傷は免れない。
 一瞬装置を引き抜いて二輪車を破壊しようとするが、やめる。男が乗っているのが見えたからだ。

「きゃあ、タラちゃん!」

 女が悲鳴を上げる。

「うわアっ!」

 二輪車に乗った若い男も、叫び声をあげた。

 二輪車と子供が衝突する直前、霧亥は子供をひょいと抱え上げていた。
 危ういところで衝突を免れた二輪車は、急制動をかけたのかふらふらと走って横倒しに倒れ、乗っていた男は地面に尻餅をついた。

 霧亥にかかえ上げられた子供は、きょとんとしている。
 その網膜を走査し、霧亥はわずかに目を見開いた。子供は、ネット端末遺伝子を持っていなかった。しかし、『感染』の形跡もなかったのだ。

「タラちゃん、だいじょうぶ!?」

 霧亥が子供を地面に下ろしてやると、女が駆け寄ってきた。反射的に女の網膜を走査するが、子供と同様、ネット端末遺伝子も感染跡も存在しなかった。

「ダメじゃない、急に飛び出しちゃ!」
「ごめんなさいですぅ……」

 女が叱りつけると、子供は素直に謝った。乗り物に乗っていた男も、腰をさすりながら歩いてきた。

「イテテ……すいません、若奥さん。タラちゃんにケガはなかったですか?」
「いいのよサブちゃん。タラちゃんとしっかり手をつないでいなかった私が悪かったのよ、ごめんなさいね。そっちこそ、腰、大丈夫?」

 女は霧亥のほうに向きなおると、丁寧に頭を下げた。

「タラちゃんを助けてくだすって、どうもありがとうございました。……ほら、タラちゃんも」
「ありがとうです」

 母親に促され、子供もちょこんと頭を下げた。

「わたし、フグタサザエと申します。失礼ですけど、お名前は何ておっしゃるの?」
「……霧亥」
「キリイさんね。もし良かったら、お礼をさせてくださらない? うち、その先の角を曲がったすぐそこなのよ」
「いや……」

『霧亥、その女性の言うとおりにして』

 突然、霧亥の脳裏に声が響いた。

『シボ?』

 声を出さず、脳の機能を使って問い返す。

『最低限のことだけ伝えるわね。あなたの状況は観測している。けれど、通信を送るのは危険な状況なの。あなたはなるべくその階層の住民に不審を持たれないように行動して。また連絡するわ』
『どういうことだ?』

 問い返すが、通信は送られてきたときと同様に、唐突に途絶えた。

「大したお構いもできませんけど、ぜひお礼をさせてくださいな。ね?」

 サザエの言葉に、霧亥は少し考え、無言でうなずく。

「良かったわ。じゃあ、こちらへいらして」

 サザエは先に立って歩き出す。
 霧亥は懐に収まった装置を覗き込む。網膜に、『エラー』『操作不能』の表示が映し出された。セーフガードの武器の使用が制限されていた東亜重工内と、同じ症状だった。
 かすかに眉をひそめ、霧亥は無言で女の後を追った。


 主に木材で作られた背の低いその住居は、これまで5000を超える階層を登ってきた霧亥も、おそらく見たことがない類型のものだった。
 入り口をくぐり、サザエに教えられて、スキンスーツの一部であるブーツを脱ぎ、素足で中へと入る。

「いやはや、まことにありがとうございました」

 植物の繊維で編まれた床の上に座る霧亥の対面で、頭頂部が禿げ上がった初老の男が頭を下げた。男はサザエの父親で、ナミヘイと名乗った。

「ほんとうに、どうもありがとうございます。タラちゃんに怪我がなくて何よりです」

 その横でこちらも丁寧に頭を下げた比較的若い男は、サザエの夫でマスオというらしい。
 二人とも、何の電子的機能も備えていないレンズを両眼にかけていた。

 霧亥は無言だった。こういう時に、返すべき言葉は持っていなかった。

「何もお構いできませんけど、どうぞゆっくりなさっていってくださいな」

 サザエの母親で、フネと紹介された女が、霧亥の前の卓に湯気の立つ飲料の入った陶器のコップと、何やら黒色の四角い物体が乗った皿を置いた。
 走査してみると、植物の種子を潰して糖分と何らかの粘液質で固めた物らしい。
 勧められて口に入れると、種子の香りと糖類の強い甘みが知覚された。

「おや、羊羹は初めてかね?」

 ナミヘイが目を丸くした。

「服もずいぶんとハイカラだが……失礼だがキリイくんは、外国から来なすったのかね」
「……5000階層、下から」

 一瞬考えたが、霧亥は事実を口にした。その言葉に対する反応を探る。

「そうかい、よくわからないけど、ずいぶん遠そうなところから来たんだねえ」

 が、二人は特別な反応をみせず、マスオがにこにこと微笑みながら返答した。

「ネット端末遺伝子を持つ人間を探している」

 さらに続けた霧亥の言葉に、ナミヘイとマスオは顔を見合わせる。

「ネットタンマツ……マスオくん、聞いたことがあるかね?」
「いえ、お義父さん。わからないですね」

 二人の生体情報を走査するが、特に嘘をついているようには見受けられなかった。

「そうか……」
「ああ、待ちなさい、キリイくん」

 立ち上がろうとした霧亥を、ナミヘイが手で押しとどめた。

「今日の宿は決まっているのかね? もし良ければ、うちに泊まっていかんか?」
「キリイくんさえよければ、明日その、ネットタンマツとかいうものも調べてみるよ。力になれるかどうかはわからないけど、タラちゃんの恩人なんだ。できる限りのことはさせてもらうよ」

 マスオの言葉に霧亥は一瞬考えるが、しかしやはり断りの言葉を口に出しかけた。
 が、その時

『その人たちの勧めのとおりにして』

 またしても脳機能を介したシボからの通信。
 問い返そうにも、通信はその一言だけでそっけなく遮断される。

「ぜひ、お泊まりになってくださいな。大したおもてなしもできませんけど」

 フネも口を添える。霧亥は、無言でうなずいた。
 
 部屋の隅で丸くなっていた小さな四足獣が、霧亥の顔を見てにゃあと鳴いた。



「へえ、キリイお兄さんは、ずいぶん長いこと旅をしてるんだ」

 霧亥の隣に座るカツオが言った。サザエの弟にあたる少年で、頭を丸刈りにした、活発そうな眼をした少年だった。

「いいなあ、いろんなところを見て回れるんだろうなあ。おっもしろそう」
「お兄ちゃん、キリイお兄さんは人を探してるのよ。遊びに行ってるんじゃないわ」

 たしなめるように言ったのは、サザエとカツオの妹であるワカメという名の少女だった。
 この二人を加えた総勢7名、ナミヘイを家長とするイソノ家と、霧亥はいま食卓を囲んでいた。

 食卓の上には様々な種類の食材が並んでいる。
 おもに植物を原料としたものと動物を原料にしたものから成っている。階層都市での一般的な食料である、化学反応で組成された固形食材やゲル状の栄養素に比べれば、栄養摂取の面ではずいぶんと非効率である。しかし、これだけの種類の食材を一度に振る舞われたのは、霧亥の長い旅の記憶の中でも初めてのことかもしれなかった。

「キリイお兄さん、おはしの使い方、上手ね」

 霧亥の手元を見て、ワカメが感心したように言った。
 ナミヘイ達は片手で二本の棒を器用に使って、食材を口に運んでいる。最初、霧亥はフネから(さじ)を勧められたが、それを断り、ナミヘイ達と同じように2本の棒を使って食材を口に運んでいた。
 自分自身、なぜこのようなことができるのかはよくわからなかった。もしかしたら昔、今と同じようにこうして2本の棒で食事をする機会があったのかもしれない。
 しかし、長い時間の中、その記憶はうずもれ、他の記憶とまじりあい、判然としなかった。

「あちこち旅をしとるんだ、そりゃあ、色々な経験をしとるだろう」
 なあ、キリイくん、とナミヘイが笑う。

「あたしたちも今度、海外旅行にでも行きたいわねぇ」
「ママ、キリイお兄ちゃんは、あそびにきてるわけじゃないですよ」
「た、タラちゃん、もう」
「その通りだ。こりゃあ、タラちゃんに一本取られたな」

 食卓が、イソノ一家の笑いに包まれる。まるで、無口な来訪者をも包み込むようだった。
 めったにないことだが、霧亥は、自分がなんとも形容しがたい感情をおぼえているのを自覚した。シボと初めて出会ったときに似ている。強いて言うなら、困惑、に近い感覚だろうか。
 霧亥は黙って、器に盛られた白い穀物を口に運んだ。水で炊かれた穀物は、ほのかな甘みの知覚を舌に残した。



「キリイさん、よろしければ、お風呂をお先にお使いくださいな」

 フネに言われ、霧亥はわずかに考えたものの、シボの言葉を思い出し、結局その勧めに従うことにした。

 スキンスーツを脱ぐのは何万時間ぶりか記憶を探ろうとしたが、無意味なので、すぐにやめた。
 もとより洗浄をほぼ必要としない身体ではあるが、ナミヘイ達に不審に思われぬよう、体を洗い、適当と思われる時間湯につかる。

 湯から上がった霧亥に用意されていたのは、1枚の大きな布に袖をつけたような衣服だった。
 ナミヘイが着ていたものと似ている。

「お父さんの浴衣なんですけど、やっぱりちょっと短かったですねえ」

 フネが苦笑してごめんなさいね、と頭を下げた。

「客間にお布団が敷いてありますから、そちらでお休みくださいな。何かご不自由があったら、遠慮なくおっしゃって」



 207分後、霧亥は『フトン』の上で身を起こした。
 住居の中はすっかり寝静まっている。
 紙と木でできた引き戸を開け、静かに外へ。廊下の『アマド』を開けると、そこはもう外だった。

 土の上に素足で立つ。上空には闇が広がり、光量の弱い円形の発光体が、冴え冴えとした光を投げかけきていた。

『やっと、話せるわ、霧亥』

 脳に、シボからの通信。

「なにがあった?」

 端的な言葉だったが、すでに10万時間単位で霧亥と行動を共にしているシボである。質問の意図を正確に把握したようだった。

『転送装置が作動した時、何らかの力が働いて、私はその階層へのアクセスを拒否されたの。いまは、自分の絶対座標が観測できない、時空隙めいた空間にいるわ』

 霧亥の脳裏に、漆黒の空間の中、目を閉じて膝を抱えた姿勢で漂うシボの姿が映し出された。

『大丈夫、心配いらないわ。転送時のエネルギーは大部分は保持しているから、いざとなったらあなたの座標を目標に再転送を行うこともできるわ。世界線の乱れた空間に入るのも、初めてじゃないしね』

 ただし、とシボは続ける。

『現状では、再転送をしても、またアクセスを妨害される可能性が高いわ』
「原因はなんだ?」
『わからない。ただ、転送の瞬間、何らかの拒否の意思を感知したわ』
「どういうことだ?」
『何者かの意思、あるいはなんらかのシステムによって、あなたは転送を許可され、私は拒否されたということ。さらに言うと霧亥、あなたはまだ、監視されている状態よ』
「監視?」
『子供を助ける時に、重力子放射線射出装置を使おうとしたでしょ? あの時、あなたに対して私が転送を拒否されたと同じ何らかの拒絶の意思を感じたの。装置が使えないのも、関係があるのかもしれない』
「……」
『これまで自由に通信ができなかったのもそのせいなの。夜になって監視のレベルが低下したから、こうして通信を送れているわけ』
「……この階層は、なんだと思う?」
『ごめんなさい。それこそ『わからない』としか言いようがないわ。セーフガードの気配も珪素生物の気配もない。住民は何の身体改造も受けていないし、ネット端末遺伝子の痕跡すらない。わからないことだらけだわ。それこそ東亜重工の時のように、世界線のずれた空間、と言われた方がしっくりくるくらいね』

 シボの声からは未知の状況に対する苛立ちと、知的好奇心からくる高揚感が同時に伝わってきた。

『転送の時に、セーフガードと珪素生物が同時に襲ってきたのも気になるわ。とにかく、いまは現地住民に不審を持たれないようにして。そのうちに何か手がかりも……監視レベルが!切るわ!』

 またしても、通信は一方的に切断された。

「キリイさん?」

 ゆっくりと振り返ると、サザエが、廊下に立ってこちらを見ていた。

「どうなさったの、こんな真夜中に?」

 霧亥は、無言で上方の発光体に目をやった。
 上手い答えが見つからないゆえの所作だったが、サザエは別の意味にとったようだった。

「あら、もしかしてお月様をご覧になってたの? 確かに、今夜は満月ですものね」

 月。

 はじめて聞くはずのその単語が、旧い記憶のどこかを刺激した。

「───大地というものを、知っているか?」

 なぜか、そんな問いが口をついて出ていた。

 サザエは一瞬目を丸くして、そしてころころと笑った。

「やあねえ、キリイさん。あなたの立っているそこが、地面──大地じゃない」

「……大地」

 霧亥は、口の中でつぶやいた。足の裏からは、かすかな湿り気とひんやりとした感触が伝わってくる。何十万時間も前、もう顔も定かではない小さな同行者に読み聞かせてやったハードコピーの記憶がよみがえった。
 大地とは、階層都市のすべての構造物の土台となっているなにか、シボから以前、そう聞いたことがある。サザエはそれを知ったうえで、これを大地と言っているのだろうか───

 霧亥は、黙然とサザエの方を見つめる。が、サザエはあくまでも平然と微笑んだ。

「キリイさん、いつまでも外にいると風邪を引くわよ。いま雑巾をお持ちしますから、うちに上がる時は足の裏を拭いてくださいね」

 サザエはそう言って、住居の中に引っ込む。

 もとより、シボに釘を刺されている。霧亥は、サザエの言うとおりにした。





「さてお義父さん、今日はどうしましょうか?」

 翌日、朝食の後、マスオがナミヘイに尋ねた。

「ウム、わしはとりあえず、イササカセンセイのお宅にでもお邪魔してみるか。仕事柄博識でいらっしゃるし、運が良ければノリスケにも何か聞けるかもしれん。マスオくんは?」
「そうですねえ、僕は会社の同僚に当たってみますよ。アナゴくんなんか、あれで結構海外にも詳しいですからねえ」
「ちょうどいいわ。あたし、裏のおじいちゃんのところに回覧板を回してきますね。ついでに、なにか知らないか聞いてくるわ」

 サザエが立ち上がり、部屋を出ていく。

「僕も、ナカジマやクラスの友達に聞いてみるよ」
「じゃああたしも、お友達に聞いてみようかな」
「ぼくも、リカちゃんにきいてみるですー!」

 口々に言うイソノ一家の面々に、霧亥は無言だった。
 彼らの言う方法でネット端末遺伝子の手がかりが得られるとも思えなかったが、今はとにかくこの階層の情報を集めるのが先だ。そう考え、立ち上がろうとした時だった。

 不意に、部屋の隅に置かれた、陰極線管を用いたディスプレイが点灯した。

「あれ、テレビが? 誰もスイッチ入れてないのに」
「ヘンねえ、故障かしら?」

 ディスプレイには砂嵐が表示され、雑音がながれていたが、やがてゆっくりと浮かび上がった映像に、霧亥は目を細めた。

 縦の直線が、並列に3本。横の直線が、直列に2本。
 ネットスフィアの支配レベル、統治局のシンボルだった。

『……探索……霧亥に警告す……珪素生物……』

 雑音交じりのメッセージは、途切れ途切れに続き、やがて途切れた。

「なあに、今の?」
「うーん、故障かなあ?」

 暗くなった画面を前に、イソノ家の面々が首をひねる。だが、霧亥は立ち上がっていた。

『霧亥! 電気インパルスが!』

 シボの警告の声に、走り出す。

「キリイさん?」

 背後でフネのいぶかしげな声が聞こえたが、振り返らず外へ走りでる。

 外では、放電現象とともに、あちこちで駆除系が実体化していた。

『私と同じ、あなたの座標を感知して、それを目標に転送をかけているんだわ。転送の数に物を言わせて、強引に妨害を突破している!』

 霧亥の眼に、数時間前に腕から引き抜いた珪素生物のブレードが目に入った。ただの残骸だったはずのそれは、信号を発し、珪素生物による転送を導いていた。
 無言で踏み砕き、『装置』を取り出すが、相変わらずエラーが表示されていた。

 駆除系の群れが、霧亥を半包囲するように取り囲む。その向こうに、あの狙撃兵器を持った珪素生物の姿が見えた。本来能面のようにのっぺりとしているはずの駆除系達のフェイスプレートは、珪素生物に近い髑髏めいた意匠に置き換わっていた。

『わかったわ……この駆除系たちは、あの珪素生物が操っているのよ。セーフガードから、何らかの手段で盗み出しているんだわ』

 珪素生物が、にやりと笑ったように見えた。

「こりゃいったい、何の騒ぎだい?」

 肩越しに振り向く。住居の入り口から、イソノ家の面々が目を丸くしてこちらを見ていた。

「来るな!」

 霧亥が叫ぶのと、駆除系たちが動き出すのは同時だった。

 殺到する駆除系に、霧亥はとっさに腰の後ろに差した導電ナイフを引き抜いた。飛びかかってきた先頭の1体の鉤爪型のブレードをかいくぐり、装甲の隙間の駆動部にナイフを叩きこむ。駆除系はがくがくと痙攣し、機能を停止。
 その背後から、別の駆除系がブレードをふるう。霧亥は間一髪その腕を捉えて抱え込み、全身のバネを使って思い切り振りまわし、別の個体に叩きつけた。轟音と共に破砕された駆除系の四肢や顔が飛び散る。

 しかし次の瞬間、危険に反応し、霧亥はとっさに身をひねった。その肩に、珪素生物が放った固形弾頭が炸裂し、もんどりうって倒れる。

 その脇をすり抜けるように、数体の駆除系がイソノ家の面々に向かって突進する。
 進路上にいた小さな四足獣が驚いて飛び上がった拍子に、ブレードの一撃で胴を両断された。

「あーっ! タマー!」

 タラオが叫ぶ。
 霧亥はそちらに向かって駆けだそうとするが、複数の駆除系が霧亥の前に立ちふさがり、妨害する。

 駆除系が一家の先頭に立つナミヘイに向かってブレードを振りおろした。

 次の瞬間

「ばかもん! いいかげんにせんか!」

 ナミヘイの大喝。その瞬間、駆除系が後ろに弾き飛ばされて倒れた。

 霧亥は、目を見開いた。

 ナミヘイは、腕を組んだまま仁王立ちし、微動だにしていない。
 だが、彼の周囲の地面の構造体が変形し、まるで槍のように何本も突き出して駆除系の外殻を貫いていた。
 地面に縫いとめられた駆除系はなおもじたばたともがくが、周囲の地面が盛り上がり、あっという間に駆除系を飲み込んでしまった。

「困るなあ。ここは、君たちの来るところじゃないんだよ」

 マスオが別の駆除系に向けて手をかざすと、駆除系の背後にあった塀がぐにゃりと変形し、一種の食虫植物のように駆除系に覆いかぶさる。もがく駆除系が容赦なく地中に引きずり込まれ、金属が粉砕される音が響いてきた。

『あれは……?』

 シボも絶句していた。
 ナミヘイとマスオは、特に何か操作をしているように見えない。が、二人の周囲の地面が、構造物が、次々と攻撃的な形に変形し、駆除系に襲いかかっていた。

「お父さん、僕も僕も!」
「いかん。お前はすぐ調子に乗るからな」
「パパ、おじいちゃん、かっこいいですう!」

 さしもの珪素生物も、これは予想外だったらしい。しばらく呆然としてこちらを見ていたが、我に返ったように慌てて狙撃兵器を構える。
 が、それは遅きに失した。

「ごめんなさいね。ちょっと道を開けてくださらないかしら」

 いつの間にか背後に現れたサザエの声とともに、珪素生物はあっさりと両断されていた。

「って、あらま。駆除系かと思ったら珪素生物だったのね」
「まったく、そそっかしい奴だな」
「あはは。そこがサザエのいいところだけどねえ」

 のんきに笑いあうイソノ家の面々。
 倒れ伏した珪素生物は、霧亥の走査でも完全に死亡しているのが確認できたが、電気インパルスは止まることなく、なおも周囲には新たな駆除系が次々と出現し続けた。

「ふむ、しかしこりゃ、キリがないぞ、マスオくん」

 顎を撫でながら、ナミヘイが首をひねった。マスオが、上空の一点をさす。

「お義父さん、あそこを見てください」
「なんと、造換塔か。あの珪素生物、あんなものを転送で持ち込んどったのか」

 霧亥の視覚でも約23000m先の構造体上に、十字型の巨大な構造物が突き刺さっているのが見えた。
 珪素生物はあの造換塔を乗っ取り、駆除系を使役していたのだろう。そして珪素生物が死んだ後も、造換塔は最後の命令を遂行し続けているのだ。

「うーむ、あそこまで行くのはちと骨だな」
「ここは、ゲストさんにお願いしましょうか」

 マスオが駆除系を蹴散らしながら、不意に霧亥の方を振り向いてにこりと笑った。

「霧亥くん、申し訳ないけど、アレの破壊をお願いできるかな」

 フネが、手をつないでいたタラオに笑いかける。

「タラちゃん、頼めるかい?」
「はーい」

 タラオがちょこちょこと走り寄ってきて、『装置』に手をかざす。
 装置から操作不能の表示が消え、コントロールが自分の手に戻ったことを確認し、霧亥はタラオの顔を見直した。

懌者(やくしゃ)権限で一時的に綸督(かんとく)AIからの規制を無効化したです。これで、重力子放射線射出装置が使えるはずですよ」

 霧亥は手の中の装置を見つめた。装置は本来の機能を完全に取り戻しており、出力の上昇にも、何ら支障はなかった。

「物理的な破壊なら、すぐに再構成されるわ。周囲の被害は気にしなくて大丈夫よ、霧亥お兄さん」

 ワカメが言う。その足元で、先ほど胴を両断されたはずの四足獣が傷ひとつない姿で、何事もなかったかのようににゃあと鳴いた。

『霧亥』

 シボの通信にひとつうなずくと、霧亥は彼方の造換塔に向かって装置を構え、エネルギー射出レベルを一気に上昇させた。
 銃尾にあたる位置にある光源が、出力の上昇に合わせて次々と点灯して幾何学模様を描き、甲高いノイズが装置から響き渡る。

 霧亥は、引き金を引いた。

 一条の閃光が走り、ついで衝撃波そのものが重低音となって周囲を圧した。
 閃光は、その進路上にあるすべての構造物を消滅させ、そして造換塔を貫き、十字の原型を完膚なきまでに破壊した。

「うわあ、スゴイや! 軽く100キロメートル以上は貫通してる。さっすが第一種(だいいっしゅ)臨界不測兵器(りんかいふそくへいき)!」

 カツオが「たーまやー!」と歓声を上げた。

 射撃の反動で後方に吹き飛んだ霧亥は、ゆっくりと立ち上がる。その時にはすでに、周囲の駆除系はあらかた排除されていた。

「やれやれ、とんだ騒ぎだったわい」
「珪素生物の侵入も、ずいぶん久しぶりでしたねえ」

 霧亥は、重力子放射線射出装置が貫通した街並みを見やった。あちこちで構造材がひとりでに盛り上がり、圧倒的な破壊の痕は急速に修復されつつあった。
 装置を手に持ったまま、ナミヘイ達の方に目をやる。ナミヘイが照れたように、頭をつるりと撫でた。

「やあ霧亥くん。すまなかったね。いろいろと隠し事をしていて」
「僕らも、ちょっと事情があってねぇ」

 マスオも、済まなさそうに頭をかいた。

「もしよろしければ、いまのうちにお連れの方……シボさんもお呼びになったら」
「いまだったら、綸督(かんとく)の転送妨害もないはずよ」

 フネとサザエの言葉に、シボが息を呑む気配が、通信越しに伝わってきた。

「左様。よければ、うちにお入りなさい。あまり時間があるわけではないが、できる限り説明して進ぜよう」



「そもそも、ここにあるモノもヒトも、すべてがこの階層自体によって生み出されたものなんだよ」

 再び、イソノ家の客間。霧亥、そしてシボを前に、ナミヘイは言った。

「なんでも、はるか昔のとある都市を再現したものらしい。わしらもみんなそのために生み出されたクローンなんだ」
「そういうわけだから霧亥くん、残念だけど、この階層にネット端末遺伝子を持った人間は、おそらく存在しないよ。『感染』の有無以前に、僕らはネット端末遺伝子を持たない時代の人間のクローンとして造られているからねえ」

 マスオも、ナミヘイも数十分前までと全く変わらない口調だった。ただ、語る内容だけが、まるで違っていた。

「この階層を管理しているAIがあってな。わしらは『綸督(かんとく)AI』と呼んでおる。その綸督、とやらがどういう意味なのかも、もうすでに忘れられてしまっとるがね」
「その綸督AIから生み出されたのが、僕達『懌者(やくしゃ)』と呼ばれるクローンでね。誕生した時からこの姿で、歳を取ることもないんだ」
「一体、何のためにそんなことを……」
「さてなあ。わしらも元は、遠い昔にいた()()の再現なんだと思うんだが、もう、その記録もすっかり失われてしまっていて、わからんのだよ」

 シボの疑問に、ナミヘイはどこか遠い目をして答えた。

綸督(かんとく)AIはこの街を管理するのも仕事らしくてな。再現された時代にそぐわない存在は排除に動くんだ。さっきの騒ぎでも、綸督AIが珪素生物を排除するために、一時的にわしらに構造物の操作権を付与したのさ」
「じゃあ、私が転送を拒否されたのは……」
「たぶん、シボさんのその機械体が気に入らなかったのよ。霧亥お兄さんは外見がこの時代の人間に近いから、綸督AIも判断を保留したんじゃないかしら」
「僕らも普段は、時代にそぐわない言動はできないんだよね。だけど、今みたいによっぽどの騒ぎが起こると、街の修復が優先されて一時的に綸督AIの監視が緩むんだ。放奏事故(ほうそうじこ)って言うらしいよ」

 ワカメが、カツオが、口々に言う。

「こうやって自由に喋れるのはいつ以来だったかなあ、母さん」
「そうですねえ、500000時間より前だと思いますけどねえ」

 フネが頬に手を当てて言う。

「昔は霧亥さんたちみたいな外の方──()()()さんもたまにいらしたんですよ。でも、珪素生物がこの階層への侵入を狙うようになってから、綸督(かんとく)AIもどんどん厳しくなってねえ」
「おそらく、街の修復が終了したら綸督AIは、霧亥くんとシボさんを排除しようとするだろうなあ」
「携帯通信端末やデジタル撮影機くらいだったら何とかごまかしがきくけど、さすがに重力子放射線射出装置はこの街にはそぐわないからねえ」

 マスオが苦笑した。

「お二人は下の階層から来たのよね? このあとは、上の階層に向かうのかしら?」
「……ええ、そのつもりよ」

 サザエの問いに、シボは霧亥の方をちらりと見てから、うなずいた。

「じゃあ、わたし、二人をお送りするわ」
「ああ、それがいいよ、サザエ。()()を使うといい」

 その時、不意に住居の壁がブルリと震えた。
 周囲から敵対的な思考を感じ取り、霧亥は懐の装置に手をかける。

「おっと、そろそろかな。うおっほん……そうか、キリイくんたちは、もう出発するのかね」

 ナミヘイは咳払いし、ひとつ声のトーンを上げた。

「もっとゆっくりしていって頂きたいけど、探し人がいらっしゃるんじゃ、無理強いもできませんねえ」

 フネも、ことさらに声の調子を合わせる。

『私たちを、穏便に送り出そうとしてくれてるんだわ』

 シボが、声を出さずに通信を送ってきた。霧亥は黙って、装置から手を放す。

 イソノ家の面々は、二人を玄関まで見送りに出てきた。 

「それではな、キリイくん、シボさん。また近くに来ることがあったら、ぜひ遊びにきてくれたまえ」
「大したお構いもできませんで。お二人ともどうぞお気をつけて。」
「探している人が見つかるように、祈っているよ」
「またねキリイお兄さん、今度は野球しようよ」
「今度はシボさんも、いろいろお話聞かせてね」
「バイバイですぅー」

「……いろいろとお世話になったわね。ありがとう」

 シボが微笑んで、礼を言う。

 霧亥はイソノ家の面々の顔を見回し、ただ無言でひとつ、頷いた。

 そして背を向けて、住居を後にした。




 二人がサザエに案内されたのはイソノ家から徒歩5分もかからない、ちょっとした空き地だった。

「ちょっと待ってらして……いよっと」

 サザエが空き地に向かって手をかざすと、空き地の地面の構造物が変質し、むくむくと膨れ上がっていく。構成されたものを見て、シボが目を見開いた。

「これは……『気球』?」

 霧亥は、構成物を走査する。頑丈そうな繊維で織られた球体の内部に、比重の軽い気体が充填されている。なるほど、大気との比重差で浮力を得る乗り物か。

「塊都で超構造体に穴を開けようと試みていた時に、使ったことがあるの。原理が単純な分、信頼できる乗り物よ。……それにしても」

 シボは、何やら顔らしきものをかたどった黄色い球体を眺め、ついで、サザエの方を見る。サザエは顔を赤らめた。

「いやだ。あんまりしげしげ見ないでくださいな。さ、お乗りになって」

 サザエに促され、霧亥とシボは『気球』の籠の部分に乗り込んだ。

「そうだわ、霧亥さん。わたしね、あなたにひとつ謝らなくっちゃいけないことがあるの」

 振り向いた霧亥に、サザエは微笑んだ。

「もうわかっていると思うけど、この階層の地盤面はね、大地じゃないの。ただ、はるか昔にあった、大地を再現しただけなのよ」
「……」
「霧亥さん、あなたは大地から来たのかしら。それとも、大地に向かっているのかしらね」

 傍らでシボが目を見開くのを感じながら、霧亥は黙ってサザエを見つめた。

 それは、やがて、長い旅の果ての結果として霧亥の前に現れるべきものであり、その時までは、彼に語る言葉はなかった。



 不意に、気球の周囲の地面が変形し、無数の槍となって気球に迫った。

「もう、やーね。綸督AIがしびれを切らしたのね」

 サザエが手をかざすと、気球に迫る構造物が、急速に硬度を失い、崩れ落ちる。

「さあ、二人とも、今のうちに。良い旅をお祈りしてるわ」
「霧亥!」

 シボの声にうなずき、霧亥は導電ナイフで、気球を係留する綱を断ち切った。

 ふわり、と気球は天井めがけて浮かび上がる。

「うふふふ」

 微笑んで手を振るサザエの姿が、見る見る小さくなった。



「これは……」

 高度数千m、眼下の光景を見下ろし、シボが呆然とつぶやいた。

 眼下の街、サザエたちが暮らす街は、階層の中にあってなおも膨張し続けていた。
 外縁には無数の大型建設者たちが群がり、セーフガードの妨害も意に介さず、着々とその領域を広げている。それはある意味でこの階層都市そのもののミニチュアとでも言うべき事象だった。
 そしてその領域を無数の超大型ディスプレイが取り巻き、見る者とていない映像を延々と流し続けていた。

「ただいまー」

 ディスプレイの中、サザエがイソノ家の扉をくぐる。

「お帰り。ちゃんとキリイさんたちをお送りしたかい?」
「ええ、もちろんよ、母さん」
「いまどき珍しい、いい青年だったなあ」

 見覚えのある食卓で、一家が会話をしている。

「また、遊びに来てくれるといいですねえ」
「あたし、今度はシボさんの旅の話も、聞きたいなあ」
「ぼくもですぅ」
「話を聞いてばかりじゃ悪いよ。ぼくたちも何か話せるようなことがないと。……と、いうわけでお父さん、今年の夏はみんなでハワイなんてどう?」
「こら、調子に乗るんじゃない」
「えへへ」

 カツオが頭をかき、イソノ一家の明るい笑い声がディスプレイから響き渡る。

 彼らは、そしてこの階層は、これからも、動力が続く限り、終わらない日々をつむぎ続けるのだろう。


「霧亥」

 シボに促され、霧亥は上を見上げた。

 超構造体の天井が近づいてきている。
 そして、綸督AIによるものだろう、周囲の構造物が、巨大な腕へと変形し、気球ごとこちらを握りつぶさんと迫ってきていた。



 霧亥は装置を上に向かって構え、射出レベルを上昇させた。






 階層地盤面から垂直に上に向かって一条の閃光が走り、ついで巻き起こった爆発が、周囲の構造物を巻き上げて吹き飛ばし、一帯を震わせた。

 ヒトの手では破壊が不可能な故に超構造体(メガストラクチャー)と名付けられたその構造体にあいた穴から、二つの人影が姿をあらわす。

「結局、前の階層でも手がかりはなかったわね。今度こそ、何か成果があるといいのだけれど」

 長身痩躯の女がいい、黒づくめの青年は、やはり無言だった。


 やがて、歩き出した二つの人影の後ろでは、巨大な腕が、地盤に突き刺さっていた。

 固く握りしめた拳を上にして突き刺さったその腕は、顧みる者こそいない中でなお、長く残り続けた。




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