それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 艦隊防空ガール、全開。


093. ガラスのメモリーズ

 現在教導艦隊は、Eポイントと海域最奥部のOポイントの中間地点、海域中央部北寄りに広がる広い岩礁(リーフ)で明朝の再出撃のため休息にあたっている。

 

 初戦Cポイントは先制で空襲を受けながらも涼月の対空砲火で艦隊を守り切ってから反撃に移り敵を撃退、続くEポイントで待ち受ける重巡戦隊に対しては、空母部隊の航空攻撃で追い込み、最後は時雨と雪風の活躍によりS勝利を飾った。だが、初戦は赤城と涼月の小破に留めることができた損害も、第二戦を終え涼月が中破、さらに雪風も中破と損害が拡大。現時点で撤退を命じるほどではないが、最終戦での夜戦に不安を残す状況となった。

 

 「みんな、よくここまで辿り着いてくれた。今日はゆっくり休んでくれ。戦闘糧食で悪いけど、ちゃんと食べてよく眠る事、いいね」

 

 柔らかく、モニター越しに艦隊を労わる様に呼びかけるのは日南大尉。宿毛湾泊地本隊の作戦指令室には、依然として多くの艦娘が詰め盛り上がっている。だがその表情をよく見れば笑顔の中に緊張感が隠れている。教導艦隊の艦娘も宿毛湾の本隊の艦娘も、艦隊の現況と戦況は分かっている。勝つだけなら可能性は十分にある。だがそれだけでは足りないのだ。今回の作戦に課せられた条件が教導艦隊に大きくのしかかる。S勝利以外が意味するのは、誰もが分かっている。それでも、日南大尉は微笑む。

 

 岩礁に囲まれた広い遠浅の海の至る所に岩場が点在し、そのうちの一つに教導艦隊は投錨し、中継用に設置されたカメラとセンサーには、テーブルのような平面を持つ大きな岩場で寛ぐ六人の姿が映し出されている。

 

 「悪いだなんて、そんな…白米のお握りにお漬物、それに牛缶に秋刀魚缶まであるんですっ!…むしろこんな贅沢をさせてもらって…。あ、でも…帰ったら…その…ま、抹茶オレを…その…」

 日南大尉の声を聞き、慌てたような口調で手をワタワタさせて言いつのるのは涼月。動きに合わせて月明かりを纏うように銀髪が揺れ、中破した姿のままで画面にズームされたので、初月が思わず日南大尉とスクリーンの間に割って入る。涼月を除く姉妹三人は宿毛湾の本体所属だが、この2-5最終戦は涼月の応援のために集まっている。

 

 気まずそうに目を逸らす日南大尉に、自分がどういう状態か改めて気が付いた涼月は、くるりとカメラに背を向け、それでも夜目に分かるほど真っ赤にした顔でちらちらと振り返る。

 

 「抹茶…お、れ…? そ、そんなあり得ない贅沢を涼月のために…? そうでしたか…この秋月、長女として大尉のお気持ち、よーく分かりました。涼月は自慢の妹です、末永く可愛がってあげてください」

 「え、あの? いや…秋月さん? 何を…?」

 「だめですよ、そんな他人行儀な。秋月姉さん…いえ、義姉(おねえ)さんで構いません」

 大尉に向かい深々と頭を下げた秋月だが、がばっと身体を起こしぷうっと頬を含まらせ、先生のように人差し指を立て大尉を指導すると、すぐに大尉の耳元に口を寄せて、少し恥ずかしそうにこっそり打ち明ける。

 「…な、なので…私や妹たちにも、抹茶オレを、ですね…」

 

 

 「……時雨ちゃん、いいの? あれ、ほっといて」

 「てかアキ、妹と抹茶オレを引き換えっぽい?」

 「ごめん、なんか言ったかな? 聞いてなかった」

 秋月姉妹に贅沢を教え始めた日南大尉をジト目で見ていた村雨と夕立が、危機感を露わにして現場にいる時雨に警報を鳴らす。だが当の本人はご飯粒の付いた指先を舐めると、ん? と小首を傾げ、唇の端にもご飯粒を付け考え込んでいたが、アホ毛(センサー)を揺らして気まずそうに言葉を返す。

 

 「あ…ひょっとして、三角食べしてないから…? 夕立は食事のマナー厳しいから…」

 三角食べは主菜と副菜を順序良く食べる食べ方だが、今の時雨はとにかくお腹が空いていたのでお握りをパクついていた。妙に拗らせやすいくせに肝心な所でピントが外れる時雨に、白露型シスターズは顔を見合わせて大げさに溜息を付く。

 

 「も、もぉ~、白露ねえさんも何か言ってよ!」

 「ん? ごめん、なんか言ったかな? 聞いてなかった」

 

 茶色い紙袋に幾つか入った赤紫の紡錘形の塊、平たく言えば焼き芋を一つ取り出し、適当な大きさに折って頬張っていた白露が、ダメだこりゃと項垂れて顔を手で覆う村雨をきょとんとした顔で見つめていた。

 

 

 

 「……で、特佐はどのような御用向きで、この部屋に残られているのでしょうか?」

 

 問いかけてみた日南大尉だが、橘川特佐が敢えて居残る理由に見当はついている。借りている宿毛湾本隊の作戦指令室つまり桜井中将の執務室に詰め掛けていた艦娘達は既に全て退室し、しばらく前から執務室にいるのは日南大尉と橘川特佐の二人だけとなった。敢えて誰もいなくなるこの時間を待った以上、こないだの話の続きをするつもりなのは明らかだろうが、視線の先にいる特佐は、C4ISTARのモニターを食い入るように見つめ、大尉の問いかけに振り返りもしない。

 

 勝敗に関わりなく横須賀新課程に転籍する承諾を、この特佐は求めてきた。それは、全六戦以内で2-4と2-5を解放するこの挑戦自体を否定するものだ。

 

 

 宿毛湾泊地より遠く東南東に位置する沖ノ島(2-5)海域、教導艦隊が投錨する岩礁 (リーフ)に置かれたカメラの解像度はクリアで、夜空に輝く月明りも緩やかな波が渡る黒い海面も映しだす。月と星だけが照らす海、モニターの端からふわりと降りてきた二本の白い脚。

 

 一歩目のつま先がとん、と着くと水面に波紋が広り、その先に降り立った二歩目の生んだ波紋と干渉し、二つの輪郭を不規則に揺れながら月明かりを溶かすように映し出す。一つ、二つ、三つ…跳ねるように雪風の白い影が躍る。中破した雪風は元々丈の短いワンピース様の制服の下部が派手に破れ、ネームがバックプリントされたアンダーウェアに包まれるお尻さえ見えている。ただ白い脚は、砲煙の煤か出血が固まった跡か定かではないが、至る所が黒く汚れている。

 

 執務机に上体を寄せ、先ほどよりも目を細め鋭い視線を送る日南大尉に、依然として橘川特佐は反応しない。その代わり、モニター越しに雪風に話し掛け始めた。

 

 「ゆ…雪風(ユキ)、大丈夫なのか、オイ…」

 語尾を震わせながら、モニター越しの遠い海域に届かぬ手を伸ばす橘川特佐の声に反応せず、雪風は海面をとん、と弾むような足取りで小さく跳ね続けている。日南大尉からは見えないが、この時橘川特佐の顔は青ざめていた。演習や訓練ではなく、生身の艦娘が実戦で戦った結果を初めて目にした彼にとって、殴られたような衝撃を受けていた。

 

 「雪風、今日はもう遅い。明日に備えて就寝してくれ」

 「雪風は…何か……変ですね。気が付けば…こうやって夜の海を眺めてる事が多いのです。…では大尉、おやすみなさい」

 

 静かだがよく通る大尉の声が、画面の中の雪風の動きをぴたりと止める。席を立ちC4ISTARのオペレータ席の辺りまでやってきた大尉の呼びかけには、即座に反応する雪風。少し青ざめた笑顔で、茶色い髪を飾るレンジファインダーは片側が損傷している。中継用カメラを真っすぐに見つめ、ぺこりと大きく頭を下げるとフレームアウトしていった。

 

 感情を制御し命令への追従性を高め実際の練度以上の出力を発揮する、規格化モデル-第三世代(G3 )。問題点の発覚後、先行試験機(テストベッド)の三体-磯風・浜風・雪風は改装と記憶を無効化されたが、最初期ロットの雪風は、改装の影響を最も強く受けている。

 

 自分の事を忘れ去ったように反応しない雪風が大尉の声には敏感に応答する現実に、ぎりっと唇を噛んだ橘川特佐は、大きく深呼吸して気持ちを一旦静めると、初めて大尉に向き直った。

 

 「………………明日に備える、だと? 日南、あんな目に合った雪風(俺の娘)を戦わせる気かよ…。なあ…撤退しろよ。お前が優秀なのはよく分かった、こんな作戦、ここで引いても恥じゃねぇだろ?」

 

 

 「恥…ですよ。この上なく」

 

 

 淡々とした口調に意思を載せた強く短い大尉の言葉に、特佐の表情が険しくなる。自己抑制も階級差も放り出し、日南大尉は自分の言葉ではっきりと怒りと欲求を露わにする。

 

 「自分は未熟者だが恥知らずではない! 自分のために戦う彼女達に、今までの全てが茶番だと、努力が無意味だと、そう言えというのか!? 彼女達が誇りと命を賭けて戦ってるんだ、釣り合う重さかは分からないが、それでも自分が賭けられる全てで、自分は応えるっ!」

 

 「俺の娘を…ユキを…()()深海のクソヤローどもに…!」

 だん、っと大きな音を立て、胸ぐらを掴まれた日南大尉が壁に押し付けられる。憤怒の形相の橘川特佐は殴りかかってきそうな勢いである。それでも大尉は、特佐の目が今にも泣きだしそうだな…と感じていた。

 

 刹那、ばん、とドアが蹴破られ長い黒髪が風を巻いて踊り込み、大尉の制服の胸元を掴み上げた橘川特佐の右手首を見事に極める。咄嗟に逃れようとした特佐だが、関節技に逆らえば腕が砕かれる、とすぐに諦め、流れるように放たれた投げで思いっきり床に叩きつけられ、そのままマウントポジションを取られた。

 

 「…上官への危害確認、排除に当たる。大尉、艤装展開の許可を」

 

 淡々とした口調に怒りを滲ませる磯風が求める許可は、この至近距離から橘川特佐に砲撃を加えようというもの。絶対許可しない、と明言した大尉だが、なぜ磯風がここに…と頭の中に?が浮かんでいる。日南大尉の問いに対し、橘川特佐への警戒を続けたまま、磯風は返事をする。

 

 「本来ここは中将の執務室だ、異変があれば翔鶴(総旗艦)から急報が入る手筈でな。それに、場所がどこだろうと我々が大尉の護衛を怠る訳がないだろう。…なに? 大尉がそういうなら、まぁいいが―――む?」

 

 

 「俺の娘を…ユキを…二度と深海のクソヤローどもに…奪われてたまるか…」

 マウントを解かれた橘川特佐は、後頭部をさすりながら軋む体を無理矢理支えて立ち上がる。磯風は日南大尉を守る様に背中に庇ったが、特佐の言葉を聞き、色を成して吠えかかった。

 

 「雪風は、断じて貴様の娘ではない。貴様にしか分からない何かを求めてるようだが、雪風が思い出せないようにしたのは…貴様らだ。いいか、我々艦娘には…死と隣り合わせの生を送る我々だからこそ、失くしたくない思いはあるのだ! それを第三世代などと称して奪おうとしたのは誰だっ!?」

 

 

 -俺が…雪風から…奪ったの、か…?

 

 

 鋭いが悲痛な言葉に、特佐は今度こそがっくりと項垂れ動けなくなってしまった。そのまま沈黙が支配していた執務室が再び動き出す。悄然とした表情で橘川特佐は力なくふらふらと無言のまま部屋の入口へと向かう。磯風が蹴り飛ばし半壊した扉に手を掛けた所で、背中越しに日南大尉から掛けられた言葉に、ぴたりと足を止める。そして振り向かずに立ち去った。

 

 「…橘川特佐、誰にでも、忘れ得ぬ思い出はあります。大切な人を失くしたのは…貴方だけじゃ…ない」

 「……俺だけじゃない、か…。だがな日南、お前はまだ失くしちゃいない。お前の妹は…生きて日本にいる。新課程に引き抜く切り札に使うはずの情報(ネタ)だったが…教えてやるよ。見つけられたら、手放すなよ…………じゃあな」


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