それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 出撃前夜の娘さんたち。


091. Bitter Sweet Nightmare

 二〇一五(フタマルヒトゴー)・外来者用宿舎。

 

 今の仕事は学部生でもできるような試料分析や生検の繰り返し。率いていたチームからは一人また一人と去り、与えられた薄暗く古いラボには自分だけ。このままでは自分は技術者として終わってしまう。あれだけ酷評された第三世代艦娘(G3)だが試験先行配備として少しずつだが配備数が増え、実戦投入され戦果を挙げた部隊まででてきたではないか。さらにはG3だけで構成される部隊の編制…これは自分の技術の方向性が正しかった証拠だ。いわば自分は生みの親、なのにその自分を飼い殺しにするとは―――。

 

 …と、一頻り武村技術少佐の話を聞かないと本題に入れない。

 

 必要があるから定期的に連絡を取っているだけで、毎度同じ話の繰り返しに橘川特佐はうんざりしている。宿毛湾泊地への滞在が続く中、宿舎として与えられた一室で、特佐はベッドに横たわりながら携帯をスピーカーモードにして武村少佐の繰り言が終わるのを待っている。ただ、哀れに思わない事もない。

 

 -否定されてんのは技術者としてのお前自身だって分かんねーのかよ? いや、分かんねーから武村なんだろうな…。

 

 そもそもG3と呼ばれる第三世代艦娘は、明石の言う通り技術的に目新しい物はなく、枯れた技術の水平展開でしかない。長い年月をかけ確立された既存の艦娘開発技術は安定している、問題があるなら組み合わせ方…つまり武村少佐に問題があったと判断されている。橘川特佐がスポンサー様と呼ぶ黒幕が第三世代艦娘に価値を見出しているのは確かで、呉での失態を経ても技本そのものは組織として生き残った。むしろ新たな担当の手で改良を施された、いわば3.1世代や3.2世代は、依然として試験艦特有のトラブルを抱えているが、それでも武村少佐が手掛けた実験艦よりは安定している。そこまで振り返り、これからの事を思うと特佐の表情が険しい物に変わる。

 

 「…武村、これだけは答えろ。本当に…プリンツ・オイゲンの脳の状態を調査することが、雪風(ユキ)の記憶を取り戻すことに繋がるんだろうな?」

 

 武村少佐の愚痴が終わったのを見計らい、身体を起こしてベッドに腰掛けた橘川特佐は、内心別な事を考えながらも、声を低くして電話越しに少佐を問い質す。言外に『ホントにお前にできるのか?』との疑念を忍ばせているが、武村少佐は気付かないようだ。

 

 

 日南大尉を新課程に引き抜くのは、技本首脳陣の要望で、雪風の件は利害の一致した武村少佐との個人的な動き。

 

 二つの異なる目的で技本を舞台に動く橘川特佐もまた、自分が黒幕の動かす駒の一つに過ぎないと自覚している。だが宿毛湾に来て目にした、共に歩む未来を勝ち取るため無理筋な作戦に一丸となって挑み続ける日南大尉と教導艦隊の姿は、特佐に鮮烈な印象を残していた。彼らを引き離すのが良い事かどうか、正直に言えば迷いがある。だが仕事は仕事、心のどこかに蓋をしなければやっていけない。それに―――。

 

 「まずプリンツを横須賀(私の元)に送り込む手筈を整えなさい、話はそれからです。忘れてはいけませんよ、貴方は私の返り咲きに力を貸す。そうすれば雪風の件で力になる、それが我々の約束」

 

 愚痴から始まり実務的な話を挟んで恫喝で締めくくる…それが橘川特佐と武村少佐のいつもの会話だが、その後の行動は対照的とも言えるものとなった。

 

 「日南大尉と教導艦隊(あいつら)を切り離す…やるとしたら日南を二者択一に追い込む…生き別れた妹に関する情報と引き換え、ってのは結構効くと思うが、えげつねぇやり口だよなぁ…」

 深いため息をつき項垂れそのまま動かずにいたが、やがてぼそりと、耐え切れなくなったように感情を吐き出し、枕を殴りつける橘川特佐と―――。

 

 「レア艦として名高いプリンツ…欧州生まれの艦娘の生体分析を通して、私が名を上げるための新たな発見(ブレイクスルー)があるかも知れないのです! 何が記憶だ、そもそも雪風が呉で計画通りに動いていればこんなことには! 橘川のヤツもくだらない事に拘る…適当に記憶(情報)を上書きしてあげますよ」

 薄暗いラボで一頻り身を捩って哄笑すると、本音を叫び出した武村技術少佐。

 

 

 

 それは繰り返し見る夢の一部。

 

 作業用の鉄柱や通信設備が乱立する旧式の輸送艦の上甲板。マナド湾を出た直後に、激しい衝撃で船は大きく揺さぶられ、長くたなびく悲鳴を残しながら、大勢の人が甲板から夜の海へと放り出されるのが見えた。船の動揺が収まった頃、緩やかに船は傾き始め、甲板の上をずりずりと音を立てながら重たいコンテナがゆっくりと滑っている。怯え切った妹を両腕で抱え甲板の隅に蹲っている。自分でも震えているのが分かる。聞きなれないがちがちと鳴る音が自分の歯の音だと気付くのに時間がかかった。辺り一面、怒鳴り声と悲鳴、甲高い発砲音と砲撃音で満ちている。誰もが自分のことで精いっぱいで、自分の邪魔になりそうな者は押しのけ蹴倒し、少しでも安全な場所を確保しようと必死だ。

 

 「おにいちゃん、こわいよ…。パパとママ、どこ…?」

 「…分かんない。でもお兄ちゃんから離れちゃだめだよ。絶対に手を離さないで」

 

 兄・日南 要と妹・日南 咲―――二人の住んでいたスラウェシ島北端の街マナドは、深海棲艦の水上打撃部隊による猛烈な艦砲射撃を受け劫火に包まれた。どこをどう逃げたか分からないが、両親とは途中で逸れてしまい、逃げ惑う人々の波に押し流されるように港までたどり着いた。押しのけられ突き飛ばされ、それでも何とか乗り込んだ避難船が攻撃を受けている。

 

 顔も体もあちこち傷だらけ、汗と泥と埃で薄汚れた少年にも、守りたいものがある。妹が痛みに顔を顰めるくらい強く手を握り、立ち上がる。父さんや母さんはもしかしたら…どうすればいいかは分からない。でも、妹がいるんだ、びびってばかりいられない。遠くに立ち昇る炎と煙…攻撃を受けた避難船か、()避難船。ふと海を見れば、真っ黒な海面を彷徨うように青や黄色、赤の光が蠢いている。

 

 「あれは…蛍…いや、人魂?」

 

 今なら、色とりどりの燐光は深海棲艦の上位種が纏うオーラの光だと分かる。けれどあの時は、遠目にゆらゆらと海面に漂う光は、場違いなまでに奇麗で、怖さよりも不思議と安心感を与えてくれた。そしてもう一撃、さっきよりも激しい衝撃と轟音に、船全体が軋み悲鳴を上げる。ほとんど止まりそうなくらいに速度が落ちた輸送船は、それでも必死に逃げようとする。大人たちが半狂乱になりながら救命ボートに群がっている。ボートを海に下ろそうとしているのか、先を争って乗り込もうとしているのか、よく分からない。でも誰も親からはぐれた子供には目もくれなかった。泣きながら子供たちがボートに近づくたびに、大人の人に蹴り飛ばされている。喉まで出かかった『助けてください』という言葉は引っ込んだ。見たこともない深海棲艦よりも、目の前で大声を出して子供を苛める大人の方が怖かった。

 

 船底からわき上がるように、小さな爆発が立て続けに起き、もう一度大きく船が揺さぶられる。今度こそ船から投げ出されてしまった。目の前に満天の星空が、目の端には自分が手を離してしまった妹が遠くに投げ出されるのを一瞬だけ見た後は、海面に叩きつけられ沈み込んだ。無我夢中で海面まで上がってくると、輸送船は炎を上げ傾きながら遠ざかったゆく。浮かんでいる大きな板切れに掴まり潮に流され、偶然見つけた無人の救命ボートに必死にしがみ付いた。

 

 助かった、という実感と同時に、自分が助かったと実感できるまで妹の事を思い出さなかった自分に気が付いた。狂ったように妹の名前を呼び続け、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き続けた。泣き疲れボートに横たわっていると、少しずつ空の色が黒から紫に変わろうとしていた。二週間に渡る漂流の始まり―――。

 

 

 「…〇二三〇(マルフタサンマル)、か…」

 

 びっしょりと寝汗をかいて目を覚ました日南大尉は、ベッドサイドの時計をちらりと見る。寝起きらしい少し掠れた声で、確かめるように時刻を読み上げベッドに腰掛けて、ぼんやりしながら頭を振る。二時間は寝られたか、と思わず苦笑してしまう。幼い子供が受け止めるにはあまりにも重すぎる体験は、時を経た今でも大尉の心にPTSDとして残っている。以前ほどではないが、依然としてマナド襲撃時の夢にうなされる事は少なくない。ふぅっと息を吐いて髪を無造作に掻き上げる。着任当初は短く切り揃えていたが、気づけば手櫛で流せるほど長くなっていた。妖精さんにお願いして小まめに切ればいいのだが、桜井中将がその辺のことをとやかく言うタイプではないのをいいことに、そのまま伸ばしっぱなしにしていた。俯いたまま、ただ淡々と自分に言い聞かせるように、夜明けにはまだ遠い暗がりに包まれた寝室の闇に、日南大尉の声は溶けてゆく。

 

 「自分のような思いをする人を増やしてはいけない…この戦争に終わりの道筋をつけるべきだ。…嫌な夢だけど、なぜ自分が提督になると決めたのか、思い出させてくれるのだけは…感謝しないと、な…」

 

 

 「そんな悲しい夢に…感謝…しないで…」

 

 

 突然、柔らかい灯りが宙に点り、濃い陰影に彩られた前髪ぱっつんの黒髪ロングの顔が浮かび上がる。人間、本当に驚くと声も出なくなる。文字通り腰掛けていたベッドから飛び跳ねた日南大尉が声のする方を凝視すると、懐中電灯で顔を下から照らしながらセーラー服に半纏を纏った初雪が立っていた。何で寝室のドアを…と言いかけて大尉は苦い顔になる。教導艦隊に初期からいる子は明石が作った鍵の複製を持っていたことと、変えよう変えようと思っていて鍵をそのままにしていたことを思い出した。バクバクする心臓を宥めつつ、初雪に声を掛けようとするが上手く言葉にならない。

 

 

 「私たち…知ってる、から…。大尉が結構…夜うなされてる…こと。だから島風は…大尉がちゃんと寝られたかどうか…確かめるのに…朝イチで…来てる。涼月は…菜園の収穫がてら…外から灯りを…確認してる…。時雨は…低血圧だから…朝じゃなくて…夜はぎりぎりまで、いる…。や、初雪は…よくおコタで…寝落ち…してる、から…」

 

 「みんな知ってる、ってことかい?」

 「全員じゃない。あとは女王陛下…」

 

 つつつっと隣に来てベッドにちょこんと腰掛けた初雪の話を聞きながら、ようやく落ち着きを取り戻した日南大尉は、それほど心配をかけていたのか、と何とも言えないキナ臭い表情に変わるしかなかった。そんな大尉の肩に、こてん、と初雪が頭を預けるように寄りかかる。何も聞かずただ寄り添う初雪の、肩越しに伝わる温もりに気持ちが解けてゆくのを感じた日南大尉は、しばらく無言のまま時間を過ごしていたが、ぽつりと初雪が問いかける。

 

 「この戦い…2-5を突破すれば…ちゃんと…寝られる?」

 「どうかな…でも…少なくとも今日はもう少し寝られそうかな。…ありがとう、初雪。自分は寝るよ、ちゃんと自室に戻る事、いいね?」

 

 こくり、と頷いてしゃーっと寝室を後にした初雪の後姿を見送った後、日南大尉はベッドに転がる。深呼吸を一つ、そしてそのまま眠りに落ちていった。

 


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