それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

90 / 120
 前回のあらすじ
 諦めの悪い技本、暗躍中。


090. 前夜

 教導艦隊の残す戦いは沖ノ島沖(2-5)最終戦。

 

 教導艦隊の誰もが参加を望んだが、参加できるのは勿論六人。日南大尉の選択は、赤城、瑞鳳、神通、時雨、涼月、雪風の六名となった。しかし、しばしの出撃延期を余儀なくされている。出撃地の宿毛湾は快晴だが目的地の沖ノ島沖は荒れ模様の天気が続いていたためだ。その間、選ばれた者も見送る者もそれぞれに複雑な感情を抱きながら、その日-統合気象システム(JWS-2)の告げる出撃可能な状況を待ち続けていた。そしてその日が明日に迫った前夜―――。

 

 

 一八三〇・居酒屋鳳翔―――。

 

 「どうしたのですか、赤城さん? 食が進まないようですが」

 すっと箸がのび刺身を取ると、醤油皿に一瞬留まった後上品に開けた口に消えてゆく。俯き気味にしていた赤城が口を開きかけたのを遮るように、加賀は再びイサキの刺身に箸を伸ばす。咀嚼と咀嚼の間の短い気遣いは、いつも通り多くの来客で賑わう居酒屋鳳翔の喧騒に消えてゆく。消えてゆくのは気遣いだけでなく、テーブル狭しと並んだ大量の料理も同様で、加賀と赤城が揃った以上見る間に一掃されてゆく。ただいつもと違い、赤城の箸の進みは鈍い。心ここにあらずといった風情で箸を弄びながら、冬瓜と鶏肉の煮物を摘まんでいる。

 

 「日南大尉(あの人)ならここにはいませんよ、遠慮しなくても」

 「そういうのいいですからっ! 加賀さんはもう…」

 ぱくぱく食べ続けながら、加賀は話を赤城に振る。さっと頬を赤くしながら顔を上げた赤城が口を開きかけ、飲み込んだ言葉の代わりに少しずつ本音を吐露し始める。

 「明日、です…」

 「天候が急変するか、赤城さんが食べ過ぎでダウンしない限りは、そうね」

 「だから…はぁ………2-5、決着をつけられる…でしょうか?」

 

 珍しく加賀が眉間に皺を寄せ、何言ってるの? という顔を一瞬浮かべ、くだらない、と言わんばかりに頭を二、三度振ると再び食事に集中し始める。器用な手つきで大ぶりのホッケの開きから骨を外す加賀を見ていた赤城だが、少し不機嫌そうな表情に変わる。今は宿毛湾の本隊と教導艦隊に所属が分かれているが、二人は親友と呼べる仲だ。その自分が抱える不安に気付いてくれてもいいのでは、ともやもやした赤城は、目の前の加賀の表情が真剣なものに変わっているのに気が付いた。

 

 「2-2の広域同時殲滅作戦…。日南大尉は『赤城さんでダメなら納得できる』、そう言ったのよ。そして今、彼は再び貴女を選んだ…私でも、きっとそうするけど。それ以上、何が必要なのかしら?」

 

 加賀はそれだけを言うと、気分が高揚します、とホッケをひょいぱくひょいぱくと口に運ぶ。その様子を眺めていた赤城だが、目の縁を赤くしてぐっと唇を噛み締める。これだけの信頼に、どう応えればいい―――?

 

 「赤城さん」

 

 その声に応えようとした赤城に被せるように、加賀が宣言する。

 「ホッケ…食べないのでしたら、私が全部食べます」

 「そんな…鳳翔さんのホッケを…こんな所で失う訳には…」

 

 二組の箸がホッケの上で踊り、普段の調子を取り戻した赤城に、加賀はわずかに頬を緩める。

 

 

 

 一八三〇(同時刻)・宿毛湾泊地練武場―――。

 

 「ねー神通、そろそろ止めようよー? 私、夜戦に備えたいしさー」

 「那珂ちゃんも賛成っ! クールダウンも大事だよー」

 

 戦艦娘の打撃力と駆逐艦娘の機動性の中間をゆく巡洋艦娘の本職はもちろん砲雷撃戦だが、人型の特性を最大限生かすのと、局面を引っくり返す奥の手としてCQC(近接格闘)を修める者が少なくない。川内型三姉妹の場合、遠距離は川内、近距離は那珂、そして神通は中間距離での戦いを得意とする。

 

 練武場の端には神通、中央には那珂、反対側の端には川内。迎え撃つ那珂を突破して川内を倒せば神通の勝ち、それが二対一の変則組手のルール。何度も那珂に突撃を防がれ川内まで辿り着けずにいた神通だが、思い詰めたように組手を止めようとしない。前海域の2-4で戦艦ル級を仕留めきれなかった事が神通の頭から離れない。普通に考えれば軽巡洋艦が戦艦に大ダメージを与えただけでも大したものだが、神通としては納得できずにいた。

 

 明日の出撃を控えた神通に頼み込まれた二人だが、これ以上はむしろ疲れを残して逆効果になる。それに本気で突進してくる神通を()()で往なすのも限界がある。だが神通の返事は言葉ではなく行動で返ってきた。

 

 「も~っ! 人の話を聞かない神通ちゃんにはオシオキしちゃうぞ!」

 「いいよ、那珂ちゃんは下がってて。私がやるよ」

 

 何度も繰り返したこの組手、初めて川内が自分から前に出て那珂と入れ替わる。それを見た神通の唇の端がにやりと持ち上がる。マフラーを直しながら、とんとんとリズムを取るように体を軽く上下に揺する川内に狙いを定めた神通は、縮地と呼ばれる、距離を一気に潰す踏み込みから神速の蹴りを送り込む…はずだった。

 

 「なっ!?」

 何気なく、川内が予備動作なしで前に詰めてきた。神通は蹴りを放つために左足に力を込め既に右脚を持ち上げている。相対距離が一気に縮まり、蹴りに入れない。そこに川内が首の白いマフラーをしゅるりと外し、手首のスナップを利かせ顔を打つように奔らせる。一瞬視界を塞がれた神通は次の動作に入るのが一拍遅れてしまった。

 

 軸足をぽん、と払われた神通が目にしたのは練武場の天井で、背中を床板に打ち付け一瞬呼吸が止まる。体の悲鳴を無視して起き上がろうとしたが、川内にマウントポジションを取られ、体を動かすことができない。

 

 「はい、おしまい」

 

 川内のあっさりとした勝利宣言に、神通はぎりっと唇を噛み締める。そんな妹を困ったような表情で眺める川内は、神通を助け起こしながら優しく問いかける。

 

 「そのうち私なんか追い越して神通は強くなるよ? なんでそんなに焦ってるのさ?」

 「そのうち…じゃダメなんです。今勝たないと…大尉は…」

 「そっかー…じゃぁ那珂ちゃんが出撃しよ(舞台にあがろ)っかな? 今の神通ちゃんじゃ、実力の半分も出せないよ? 」

 

 川内と神通が反応したのを確かめた那珂ちゃんは、とびっきりのアイドルスマイルを浮かべて真意を明かし始める。

 

 「真剣なのと余裕がないのは、那珂ちゃん違うと思うなー。神通ちゃんはー、もっと自分を信じて、もっとのびのびとパフォーマンスした方がいいと思うの。こんな大舞台に神通ちゃんを選んだ日南大尉(プロデューサ補)の目は、確かだよ」

 

 那珂ちゃんに釣られた神通は、ぎこちないが、それでも少しだけ肩の力が抜けたように、柔らかく微笑み返す。

 

 

 

 一九三〇・艦娘寮―――。

 

 出撃を明日に控えた夜、自炊派の涼月が自室で晩ご飯の用意をしようと立ち上がる。エプロンをつけ奇麗に片付いた部屋を横切りキッチンへ向かうと、床に置いた篭からカボチャを取り出し、満足そうににっこりする。

 

 こんこん。

 

 首を傾げて不思議そうにドアを見つめていると、もう一度ドアがノックされる。取り敢えず手にしたカボチャを篭に戻しドアに向かう涼月。開いたドアの向こうには、土鍋を両手で持つ秋月と篭を下げた照月と初月の姿があった。

 

 宿毛湾全体で見れば秋月型駆逐艦四名が揃っているが、涼月以外の三名は本隊所属、しかも貴重な防空駆逐艦であり出撃の機会が多くなかなか涼月と顔を合わせる機会がなかった。だが今回、涼月が2-5最終戦に参戦すると聞いた三人は、涼月を応援する夕食会を開こうとこっそり企画していた。そして出撃前夜、涼月の部屋にやってきたのだった。

 

 思いがけないサプライズに、思わず半泣きの涼月を慰めるように集まり、広いとはいえないキッチンで四人仲良く料理を始める。できあがったのは―――。

 

 「こっ、これは! 秋月姉さん、な…なんというものを…」

 

 炊きあがったご飯を一口食べた涼月が、ぷるぷると肩を震わせる。その様子を見た秋月が満足そうに微笑み、にぱぁっと満面の笑みを浮かべる照月と、クールにふっと笑う初月がグータッチでさらなるサプライズの成功をお祝いする。

 

 「は…白米だけだなんてっ!」

 「今年度評価特Aのゆめぴりかの新米を、玄米で仕入れて自家精米したのよ。さぁ、みんなで食べましょう!」

 

 麦飯ではなく土鍋で炊いた最上級のお米、おかずにはお馴染み牛缶と入荷されたばかりの秋刀魚缶、涼月自慢のカボチャの煮物、そして自家製の沢庵が並ぶ。粗食(マクロビ)派の秋月型姉妹らしいが、素朴でも思いやりに溢れた食卓。

 

 「こんばんわー♪ 明日に向けた決起大会でしょう? なら一緒にしません?」

 

 大量の卵焼きが載せられた皿を両手で持った瑞鳳と祥鳳、漣がノックの返事も待たずに上がり込んできた。こちらはこちらで出撃する瑞鳳を励ます会を開いていたが、秋月達が来ているのを聞きつけて合流しようとアポなしで涼月の部屋に突撃してきた。

 

 「お初さん、秋月姉さん、照月姉さんっ! あんなにたくさん…黄金色の…良質のたんぱく質ですっ!」

 肩を抱き合いお互いを庇うようにがくぶるしながら瑞鳳の卵焼きから目を離さない秋月型四姉妹から逆に目を離せない来客たちだが、すぐに気を取り直して卓袱台に持参した皿を置き、賑やかな食事が再開された。

 

 

 

 二一〇〇・艦娘寮(別の部屋)―――。

 

 椅子に逆向きに座り背凭れに胸を預け、頬をぷうっと膨らませる時雨。おさげを解いて下ろしたセミロングの黒髪、大きめのTシャツとハーフパンツ…簡単に言えば寝る直前だった。視線の先には私室備え付けの冷蔵庫を勝手に開け、牛乳を紙パックのままごくごくと飲む村雨。湯上りで長い亜麻色の髪をタオルでまとめたシルクのパジャマ姿で、お尻でぱたんと冷蔵庫のドアを閉めている。

 

 「………何しに来たのさ? 僕は明日早いんだけどな」

 

 もっともである。時雨は明日出撃、よほどの用事がない限り時雨の休息を優先すべきタイミング。時雨の対応が気に入らなかったのか、紙パックを口から離した村雨は拗ねたようにぷいっと横を向くと、少しの間を空けてじろりと視線を送る。

 

 「べっつにぃ~。…時雨ちゃんが緊張してないかどうか、見に来ただけだし。…勝ってね。勝たないと…」

 

 

 続く言葉は、教導艦隊の誰もが分かっていること。

 

 

 仮に、百万歩譲って2-5を今回突破できなかったとしても、客観的に見ればきっと大きな問題ではない。日南大尉は横須賀に設置される新課程に転籍して、多少遠回りでもいずれ頭角を現す。教導艦隊の艦娘達は、究極的にはやることは変わらない。深海棲艦と戦い、これに勝つ。宿毛湾残留なら桜井中将の指揮下に戻るだけ、どこか別の拠点に転属を命じられたら新しい誰かの指揮の下で戦う。艦娘には、何を撃つのか、誰が引き金を引けと命じるのか、選ぶことはできるはずがなかった。

 

 

 そう、できなかった。

 

 

 司令部候補生制度と教導課程という、桜井中将が半生を賭けて作り上げた制度は、限定的とはいえ、艦娘達に選択の自由を与えた。教導艦隊の艦娘達は、日南大尉と出会い、彼のために戦いたいと望み、彼に望まれて戦うことを選んだ。時雨だけではなく、教導艦隊にとって2-5攻略は、自分たちが自分の意志を叶えるための戦い。だから負けるわけにいかない。

 

 「村雨、僕はもう寝るよ。………村雨、僕たちは…ここにいても大丈夫、うん、大丈夫だよ」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。