それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

82 / 120
 前回のあらすじ
 偉い人はだいたい何か企んでそう。


082. ドッグファイト-前編

 宿毛湾泊地・第二司令部、早朝と呼ぶには早い〇四二〇だが執務室には灯りが点っている。

 

 こんこん。

 

 ちょうど日南大尉が強張った体を解すように体幹を左右に回し、ボキボキッと骨が鳴ったのと同時にドアがノックされた。怪訝な表情で大尉がドアを見つめていると、もう一度ドアがノックされる。気のせいや聞き違いではない、と判断した大尉はドアに近づき、ゆっくりと内側に開く。ドアの前で所在なさげに立っていたのは―――。

 

 「おはよう涼月、随分と早いね」

 「おはようございます。いえ…大尉は…随分と…遅いようですね…」

 

 朝一で作物の収穫のため菜園に向かっていた涼月だが、煌々と灯りのついた執務室に気が付き、電気の消し忘れかと立ち寄ったとのこと。

 「ああ…いや…お見通しか。敵わないな…」

 早起きではなくずっと起きていた、と涼月に指摘され、少し気まずそうに日南大尉は涼月から視線を逸らす。実際大尉は徹夜で敵主力艦隊と教導艦隊の戦闘結果のシミュレーションを繰り返していた。

 

 暴走しがちな夕立を敢えて旗艦に据えリスクを抑え、海域最奥部まで損害を局限するよう、副旗艦の時雨が道中の戦闘をコントロールする進軍で、残るは敵の主力が陣取るPポイントへの突入のみ。

 

 勝利条件で言えば戦術的勝利=B判定でも海域解放が認められる。しかし戦力に勝る相手に判定勝ちを狙うのは極めて困難で、それは大湊艦隊との演習で経験済み。ましてこれは実戦である。当たっても痛いだけの演習弾と異なり、戦艦の大口径主砲の直撃でも受けようものなら…。だから引き気味に戦うなど愚の骨頂、全力で挑んでようやく互角の戦いになる。艦娘のみんなは、他でもない自分のために文字通り体を張って命を賭けて戦ってくれている。それに比べれば睡眠不足くらい取るに足りないことだ、と大尉は心の内を吐き出した。

 

 不安そうな表情のまま近づいた涼月が、そっと腕を伸ばし日南大尉の目の下に細い指先を伸ばす。白いインナースーツで指先までを覆い、その上にセーラー服様の上着と白いミニスカートを纏ういつも通りの出で立ち。背伸びしながら斜め上に伸ばした手のせいで、肩に羽織るだけで着ていたグレーのケープコートが、ふぁさっと軽い音を立てて床に落ちる。

 

 「す、涼月…?」

 「ひどい隈…ですよ? 2-4進出開始以来、ほとんど…寝てらっしゃらない、のでしょう…?」

 「いや別に…。自分は大丈夫だから…え? あの? 涼月?」

 話を聞きながら、じーっと大尉を見つめ続けていた涼月だが、日南大尉の目元を撫でていた指を下ろすと、そのまま彼の手を握りすたすたと歩き出す。行き先は応接の三人掛けソファ。まず涼月が奥側に詰めて座ると真ん中にクッションを置き、目線で反対側の端を指し示す。やれやれといった表情で、大尉が指定された通りの位置に腰を下ろそうとした瞬間、涼月は大尉の手をぐいっと強引なくらい引っ張る。

 

 「ええっ!?、あの…涼月? これは…?」

 日南大尉は涼月の太ももに覆いかぶさるように倒れ込む羽目になった。慌てて起き上がろうとする大尉だが、柔らかく動きを押しとどめられる。もも枕は実は意外と寛げない。頭の位置を太ももに合わせると首の角度が急すぎるためである。だがその点は真ん中に置かれたクッションが大尉の背中をかさ上げする事で緩和されている。見事なまでに計算された位置取り。だからといって部下にもも枕をされる訳にはいかない、と身体を起こそうとした大尉だが、涼月の指摘と懇願の前に沈黙せざるを得なかった。

 「すっきりした頭で…指揮を執っていただくのが…一番、です…。それに…お一人にしたら、また…お仕事に戻られるのでしょう…? 少しで…いいので、お休みになって…ください…お願い、ですから…」

 

 太ももに頭を預けながら、大尉は涼月の顔を見上げる。銀のさらさらした前髪越しに覗く蒼い瞳に根負けしたように、大尉は体の力を抜き、目を閉じる。

 「部隊が敵の警戒圏内に入るのは…夜明け頃になるはず、だ…。〇四五五になったら起こし…て…」

 太ももにかかる重みを嬉しく感じながら、涼月は無言で柔らかく微笑み、緩やかに大尉の髪を撫で続ける。

 

 

 

 低い姿勢で向かい風を切り裂きながら教導艦隊の先頭に立って疾走を続けていた時雨が、少しだけ速度を落とし身体を起こすとおもむろに振り返る。風向きと合わない動きを見せるアホ毛(センサー)がゆらゆらと揺れながら指す方向を、どことなく不安げな表情で見つめている。

 

 「…時雨、何か見つけたっぽい?」

 未だ夜明け前、黒い空と重油のように重い色をした海面は、その境がじわじわと赤く色づき始めている。白いマフラーを風に靡かせながら旗艦の夕立が時雨に近寄り、まだ暗い空を見上げる。遅かれ早かれ戦艦ル級の装備する電探は自分たちを探知するだろう。だが偵察機に見つかるのは極力遅らせたい。敵の電探の探知精度は精密とまでは言えず、偵察機の観測情報による詳細な修正と組み合わせて精度の高い砲撃に繋げる。もしこの時間で敵の偵察機が飛び回っているなら、危険な夜間カタパルト発艦を強行してまで自分たちを探している事を意味する。それは殲滅を指向する意志の現れ。

 

 優秀な電探を装備している時雨が意味ありげにアゴをくいっと上げて空を見上げれば、部隊の艦娘達が色めき立たないはずがない。

 

 「あ…いや…何か…少し危険な感じがするんだ。宿毛湾の方でね。…考えすぎ、かな…」

 

 ふるふると気を紛らわすように首を振った時雨は、ぺしぺしと自分の頬を叩き気持ちを切り替える。…同じ頃に第二司令部の執務室で起きている事を考えれば、あながち考えすぎとも言い切れないが、今はそれどころではない。予定では〇五〇〇に突入直前の最終打ち合わせ。そして時間通りに通信機に連絡が入る。送信元は無論日南大尉。

 

 「皆よく無事にここまでたどり着いてくれた。いよいよ海域最奥部、偵察情報通り、敵は戦艦ル級三体を擁する強力な水上打撃部隊だ」

 

 そこまで言うと、大尉の口調が変わる。

 

 「時雨、古鷹、村雨…よくここまで艦隊の戦力を保全してくれた、ありがとう。…夕立、神通、島風、待たせたね。ここから先は君たちの戦場だ。必ず宿毛湾に帰ってくる、それさえ守ってくれれば、あとは縦横に暴れ回ってくれていい」

 

 「おっそーいっ! 島風、待ちくたびれたよ」

 連装砲ちゃんを抱きしめながら、黒いウサミミを風に揺らして島風が自信満々に答える。

 「突撃…開始…」

 目を伏せ海面を虚ろに眺める神通は、唇だけで笑っている。

 

 「………もう、我慢しなくていいっぽい? ()っちゃっていいっぽい?」

 赤い瞳を輝かせ、可愛らしさ全開で物騒な事を言い立てる夕立。

 

 「ああ、全力で()ってくれるか、夕立?」

 通じているようで通じていないが、日南大尉の言葉に夕立はにぱぁっと輝くような笑顔になる。心なしか外はねの髪がぱたぱたはねている様にも見える。

 

「教導艦隊、突撃かい「ご、ごめんなさい大尉っ! …起こしてほしいって言われてたのに、涼月が…寝坊だなんて…。でも…すっきりしました、か…? 少しでも…涼月がお役に立てたのなら、それは…嬉しい事…「「「「「はぁぁぁぁぁっ!?」」」」」」」

 

 やはり気持ちが高ぶっていたのだろう、日南大尉は〇四五五に自力で目を覚ました。見上げれば可愛い寝顔で涼月が寝落ちしている。起こさないようにそっと体をずらしてソファを後にした大尉が予定通り艦隊と通信を繋ぎ、最後の激励を行っていた所で目を覚ました涼月は、艦隊と通信中だと知らずに、少し寝ぼけた声のまま、現状をほぼ正確に言葉にした。

 

 「よ、夜明けをふ、ふた、ふたりで…? うわ~ん、やられた~」

 「…へぇ…スッキリする役に立ってもらったんだ…? 」

 「ぽい?」

 「何でしょう…身体が…火照ってきちゃいます…」

 

 涼月の説明は何も間違っていないが、音声だけなのがまた余分な想像力を働かせる余地となる。教導艦隊は混乱に叩き込まれ、日南大尉が発するはずだった号令をかき消した。

 

 

 「そうだね…次こそ決戦だ……突入するね。戦艦ル級、か…僕たちの…このやり場のない思いを…ぶつけるのに値する相手だといいんだけど、ね。いや、本番は…帰投後かな、うん」

 

 自分たちが想像したようなことはきっと起きてない。でも…八つ当たり気味にゴゴゴしながら時雨と村雨が先陣を争うように切り込んでゆく。無自覚に開戦のゴングを鳴らした涼月は、執務室できょとんとしていた。

 

 

 

 電探と偵察機を併用し敵艦隊の位置を特定しての進撃。戦いは先手必勝、とは言うがそもそも互角の戦いではない。仮にお互い同時に相手を発見した場合、教導艦隊側の不利は明らかだ。敵艦隊と教導艦隊の相対距離は約九〇km、双方北北東へ移動中と状況が判明。追いつけば同航戦に入るが、相手が大人しく待ってくれるはずもない。速度を上げて北北東へ猛進する教導艦隊に対し、緩やかに回頭を続ける敵艦隊。こちらの前方を圧迫して丁字戦を成立させようとしている。

 

 敵の水上打撃部隊の中核を成す戦艦ル級の主兵装、一六インチ三連装砲の最大射程は三八〇〇〇mにも達する。対する教導艦隊側の砲戦火力は、古鷹と神通の装備する射程約二九〇〇〇mの二〇.三cm砲が最大。三〇ノットで突入しても、射程差で約一〇分反撃できない状態が続く。まして駆逐艦娘の射程は敵主砲の約半分程度。実際に命中率を考慮した有効射程は最大射程の半分程度とも言われ、教導艦隊が敵を攻撃圏に捉えるには、敵の最大射程に到達後二〇分以上も接近を続ける必要がある。

 

 「おおぉ~、たーまやー!」

 「射撃精度はイマイチだけど、散布界密度が高いっぽい…」

 

 すでに開始された敵の砲撃、警戒はしても恐れはしない。単縦陣で突き進む教導艦隊の左右では、空から墜落するような勢いで巨弾が海面に着弾し、巨大な水柱を次々と立ち上げ続けている。着弾位置はまだまだ遠弾、余裕の表情を崩さない村雨に対し、集中的に立ち上がる水柱を見て、夕立は眉を顰める。

 

 直撃弾を受けるのはよほど運がないと揶揄されるほど、戦艦の遠距離砲撃は()()()()()。そもそもが公算射撃、目標を主砲弾の散布界に収め、撃った砲弾が一つでも当たれば超ラッキーという攻撃方法。ゆえにたった一発で相手を屠る事ができる大和の攻撃力は脅威であり、二〇〇〇〇m超で命中弾を与えるウォースパイトの命中精度は驚異的だ。対する戦艦ル級は、三体合計六基一八門を集中的に叩きこむことで散布界の密度を高め教導艦隊を葬り去ろうと一斉射撃を続けている。

 

 「そうだね、このままいいようにさせておくにはいかないかな」

 速度を落とさずくるりとターンした時雨は、右の前腕に沿うように持った長一〇cm砲を空に向け対空射撃を始める。普段は背負い式に見える形状で装備される時雨の主砲だが、砲戦時には左右に分割され、背中の基部からフレキシブルアームを介して前方に伸びてくる。砲塔内側のガングリップを握って保持される砲は、時雨の腕の動きに合わせて稼働し火を噴き続け、しつこく付きまとい上空を旋回する深海棲艦の偵察機を爆散させた。

 

 「みなさん、あと五分…あと五分堪えてくださいっ!! そうすれば…古鷹の射程圏内に敵の最後尾が入りますっ!」

 

 古鷹の叫びに全員が頷く。全開にした足元の主機は唸りを上げ続け、加熱するタービンをそのままに、後ろに白く伸びる航跡を残しながら敵艦隊に食らいつこうと必死に走り続ける。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。