それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 歌(メタル)は希望。

 (一部表現変更/ Thanks to 鷺ノ宮様)


パンドラの海-前編
077. コンパス


 ことり、と軽い音を立て水出し茶のグラスと間宮謹製水ようかん、冷えたおしぼりが応接テーブルに置かれる。お茶を供された来客は満足げな表情を浮かべ、滴が表面に浮かぶグラスを掴むと旨そうに味わっている。お茶を出し終えた翔鶴は、桜井中将の隣に寄り添い座る。

 

 「B()L()O()C()K()1()とやらが発令されて以来、軍区内の各拠点長と巡回面談しておるのだ。人事も組織も相当動き、これからも動くからな」

 

 来客は呉鎮守府の提督を勤める藤崎 祥一郎(ふじさき しょういちろう)大将。定年を超えた年齢だが、艦隊本部からの要請で提督職と海軍大学校で非常任の戦術顧問を兼務している。風貌は好々爺然とした小柄な老体だが歴戦の猛将として畏怖を集める存在である。

 

 BLOCK1とは、ネーバルホリデーの終了と同時に発表された、海軍内部の大変更。従来六つに区分されていた海域は、東南アジア南西部を主戦場とする南西海域を新たに加え七海域に再編、それに伴う大規模な人事異動や組織改編も行われた。

 

 改めて軍の編成を整理すると、戦時に設置される、三軍と立法行政府の長を中心に構成される大君直属の最高統帥機関の大本営、その下に海軍の最高機関にあたる大海営(陸軍は大陸営)があり、艦隊本部、参謀本部、技術本部、監査本部、情報本部などなど多数の部門で構成される。泊地や基地など各地の拠点は、軍区と呼ばれるブロック単位で所管され、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の四大鎮守府と大湊警備府が主管となり管理される。

 

 宿毛湾泊地は藤崎大将が主管する呉鎮守府を頂点とする第二軍区に属し、大将が宿毛湾を訪れる事に不思議はない。だが―――。

 

 「…大将、ひょっとして翔鶴自慢の水出し茶を飲むために…?」

 

 中将の軽口に、藤崎大将がやれやれと首を振る。何の話が始まるのかは分からないが、大将の様子からしてポジティブな方向の話には思えず、翔鶴は不安を募らせてゆく。

 

 「桜井よ…日南大尉(あの見習い)、いつ司令部候補生として着任したのだ?」

 

 思いの他普通の、世間話の続きのような問いに、思わず顔を見合わせた中将と翔鶴だが回答に困るようなものではない。

 

 「昨年の七月一一日ですが、それが何か?」

 「一年超だな、確かに…。せめてBLOCK1発令前の課程修了なら、抑え込めたものを…」

 

 つまり、日南大尉の着任から一年を過ぎていると藤崎大将から指摘され、中将と翔鶴は再び顔を見合わせてしまった。

 

 確かに一年は超えたが、日南大尉の教導課程修了まで2-4攻略を残すのみ。そもそも一年という期間は最重要指標の一つだがあくまでも原則であり、中将の判断で一定期間の延長が可能となる。過去にも期間の延長が行われた事もあるが、今回に至るまで誰からも容喙を受けたことはない。その疑問が表情に出ていたのだろう、藤崎大将も唇を歪め苦笑いを浮かべる。

 

 「あの見習いは、良くも悪くも名を早く上げ過ぎたようだ。そうなると、雑音が入ってくるのだよ」

 

 海軍のエリートコースの一つとして認知される宿毛湾の司令部候補生制度には、他の教育機関にはない優遇措置が取られている。ゆえにこれまでも羨望と不平の両方を集めていたが、今回はまさにその点を突いて、監査本部から『教導期間は原則通り一年間で運用されるべきで、他教育訓練機関との平等性に配慮すべし』と今更ともいえる改善要請が唐突に寄せられた。桜井中将は、指揮権侵害としてこれを『下郎推参』の一言のみでバッサリ斬って捨て、監査本部を唖然とさせていた。

 

 「能力と成果に応じた公平な処遇と、機会における平等性の担保は本質的に異なるものです」

 「その通りだ。だが、連中は意図的にその二つを混同し、貴様が職権濫用であの見習いを依怙贔屓しているとの印象操作を行っている。…桜井、キナ臭いぞ。名前こそ表に出ていないが技本も絡んでいて、何より…伊達元帥が背後におるようだ」

 

 藤崎大将は、傍らの鞄から取り出したファイルを中将に差し出す。それは大海令と呼ばれる命令書で、海軍の最高機関たる大海営が発する最上位の強制力を持つもの。なかなか目にすることの少ない元帥が発令者となる命令書の内容に、桜井中将も翔鶴も唖然としてしまった。

 

 「例の第三世代を二名含む艦隊での2-3勝利には、技本の幹部が狂喜乱舞しておったらしいぞ。あの見習いなら横須賀の広告塔として文句なしと踏んだに違いない。…分の悪い賭けだが、あの見習いには勝ってもらわんと…儂にも都合があるのでな」

 

 

 すでに藤崎大将は宿舎となる居酒屋鳳翔の離れで寛ぎ、執務室には中将と翔鶴が残るだけ。執務机の前に立ち尽くす翔鶴に、桜井中将は僅かに悔しさを滲ませつつ言葉をかけ始める。

 

 「今回の海域再編とそれに伴う戦力の再配備の裏で、色々と暗躍している連中がいた、ということだろうね」

 「政治寄りのお話は私には分かりません……でも、あなたがどれだけ公明正大に制度を運用し多くの若手を育成してきたか…まして日南大尉を利用しようだなんて!」

 立てかけておいた杖を掴み、ゆっくりと立ち上がった桜井中将は、机を回り込み、肩を震わせる翔鶴を両腕で包むように背中から抱きしめる。

 

 大海令で示されたのは、司令部候補生が特例付与に値する優秀性を有する事を、作戦の成否をもって証明せよ。証明できぬ場合、当該候補生は新設される横須賀の新課程にて再教育を行う、というもの。だが示された作戦内容は―――。

 

 「今回の軍の大変更…色々裏がありそうだね。ふむ…日南君にばかり負担をかける訳にもいくまい、私も動くとしようか」

 

 

 

 宿毛湾第二司令部の講堂には、教導艦隊に所属する全艦娘が集められた。遠征中の者もいたが、それどころじゃない、と時雨は秘書艦令で遠征中止を命じ、全員を大至急帰投させた。

 

 「…ありえ、ない…ありえなさ過ぎ…」

 「何でしょう…混乱しちゃいます…」

 

 明かされた顛末に理解が追い付かず、戸惑っている初雪と神通の声が代表するように、この場にいる艦娘の全てが事態を飲み込めず、どよめきが波のように広がってゆく。

 

 だん、と時雨が黒板に拳を叩きつける。普段からは想像できない激しい仕草に注目が集まった。

 

 「こんな理不尽が罷り通るなんて…僕は…海軍に失望したよ。でも、これが僕たちの現実…。立ち向かうには…沖ノ島海域 (2-4)沖ノ島沖 (2-5)の最短解放、それしか…ないんだ」

 

 2-4は依然として羅針盤が荒れやすく、海域最奥部に到達出来るかどうかは確率論の問題。続く2-5は2-4解放で進出が許可されるExtra Operation(特務海域)で、海域最奥部に陣取る敵主力を撃破し海域を解放するには最低でも四回は全力攻撃が必要となるほど敵の守りが堅い。それでも理論上は二海域合わせ出撃五回で最短解放が可能となる。

 

 日南大尉と教導艦隊に与えられたチャンスは、出撃六回以内で二海域を解放する事。道中撤退や羅針盤に負けるのは一回まで、あとは是が非でも、特に2-5は全て敵旗艦を撃破して勝ち抜かなければ海域解放に辿り着けない。

 

 条件を満たせなければ、日南大尉は横須賀に新設されるという新課程に再教育のため編入、そして宿毛湾の教導艦隊の艦娘たちとお別れとなる。

 

 

 「どんなになっても絶対路線変更しないからっ! 勝つよ、絶対っ!」

 「勝てばいいんだよね? 勝てばひなみんと一緒にいられるんだよね?」

 とにかく勝つんだ、と気合を入れまくる那珂ちゃんさんと島風の決意に、全員が大きく頷き気合の入った表情へと変わる。唯一、ウォースパイトだけは冷めた表情を浮かべたまま、一時的な狂騒状態に陥っている他の艦娘達とは違う角度で、日南大尉に問いを投げる。

 

 「ヒナミ…このような状況に至った理由が興味深いですが、この国の海軍には、貴方のような優秀な指揮官を扱い切れる器がないようですね。もし…もしも、ですが、貴方が我が王立海軍(RN)への転籍を望むなら、私…ウォースパイトはその実現に尽力します」

 

 強烈な皮肉で日本海軍をこき下ろす女王陛下。さすがに他の艦娘達も唖然としたが、すぐに皆気が付いた。ウォースパイトは激怒している、と。いつも通りの秀麗で涼やかな表情だが、内心は怒りに震えているのが伝わってくる。

 

 -スターゲイジーパイ(スケキヨパイ)、思い出しちゃった…。

 -朝昼晩三食朝食がいいって聞いたことがあるっぽい。

 

 気が早く王立海軍に転籍した後の事をひそひそと話す声が聞こえる。聞き捨てならない、とばかりにウォースパイトが熱弁を振るう。

 「どなたですか、我が祖国の食に懸念を持つのは? 日本食は確かに多彩な味わいですが、イギリスにもおいしいものはたくさんありますよ?」

 例えばなーに? の声にウォースパイトが挙げたサンプルで、完全に評価は確定してしまった。

 「そうですね…ウナギのゼリー寄せでしょうか…? どうして皆さん、ドン・ビキーな顔をしてるの?」

 

 いやそりゃ引くでしょ…と顔を見合わせる日本の艦娘達と、思いがけない反応に半べそのウォースパイト。

 

 「Hey大尉、こんな作戦、ハッキリ言って無茶苦茶デース。それでも、アナタ次第で私達の覚悟も一八〇度変わってきマース」

 

 特徴的な口調は言うまでもなく金剛のもの。本来なら2-4を解放した後に行われるはずの手順、第二次進路調査。教導課程の修了をもって、与えられる任地に伴いたい艦娘から日南大尉が直接OKをもらう最終段階で、通称『告白タイム』などと言われるが、金剛は今ハッキリして欲しいと迫っている。すでに本来の教導課程は態を成さなくなり、この先のことなど誰にも分からなくなった。今しかチャンスがないという真剣な思いをぶつける。

 

 -私は…ハッキリと聞きたいのデス。戦艦娘とか教導艦隊とかじゃなく、私自身を必要としてくれている、と。第一次進路調査の時は…確信が持てなかったんダヨ、大尉…。

 

 「金剛―――」

 

 黒板に寄りかかり目を閉じたまま沈黙を守り続ける日南大尉に、真剣な視線が一斉に集まる。姿勢をゆっくりと正した大尉は、心の奥までを覗き込むように金剛から視線を逸らさず、はっきりとした口調で呼びかけた。続いて一人づつ、教導艦隊に所属している艦娘の名前を呼んでゆく。

 

 「………涼月、ウォース、初雪、島風。そして、時雨…」

 

 沈黙が支配する第二司令部の講堂で、再び日南大尉が口を開く。

 

 「自分は、宿毛湾泊地の司令部候補生として着任し今に至る。教導課程の修了は、もちろんここ宿毛湾で迎えるつもりだ。そして任地に向かう時に、君たちの誰一人であっても欠けている光景が自分には想像できないんだ。そのために…力を、皆の力を貸してほしい」

 

 深々と頭を下げる日南大尉。彼からは見えていないが、全員が立ち上がり敬礼を送る。あまりにも一斉に行われたそれは、一瞬だけ講堂にザッと音を響かせる。いないことが想像できない…やや回りくどいが、自分たちが必要だと言い切った若き指揮官に、これ以上ないほどに美しい敬礼と輝くような表情で応える彼の艦娘達。

 

 「総力戦になるのは間違いない、だが、宿毛湾泊地教導艦隊の実力、全海軍に見せてやろうっ!」

 

 大尉の言葉に艦娘全員が感情を爆発させ、教導艦隊最大の挑戦を後押しするように、叫びが講堂を揺らすほどに木霊する。




 入院とかスランプとかリアルライフ忙しいとかやってたら、連載開始から一年が経っていたのに気付かなかったという…。せめて第二期実装までには教導課程を決着させるつもりだったのですが、だらし無くて済まないのです…。

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