それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 三者三様。


Intermission 5
060. 忘却


 呉出張から数日が経過、Highly Confidential (極秘扱い)として第三世代艦娘に関する報告書を桜井中将に提出した明石は、人払いをした中将の執務室に招かれた。秘書艦の翔鶴さえ同席させない点で、中将が今回の一件を深刻に捉えていることが伺える。

 

 「技本というのは、昔から色んな意味でキレた連中が多くてね。あれは何時だったか、艦隊本部と癒着して非合法な実験を繰り返した霊子工学部門の急進派が反乱紛いの事まで起こし、当時の艦隊本部のトップ…三上大将が馘首される大事件もあったんだ。艦娘を深海棲艦化する実験を成功させたとかいう話だったが、そんなのは単なる噂だろうけどね」

 

 冷めたコーヒーを飲み干した桜井中将は、軍の暗部ともいえる昔話をぽろりして明石を驚かせる。技本-技術本部と言えばかつて海軍の徒花だった。バイオテクノロジーとオカルトロジーの粋を極めた艦娘を生み出し、飽くなき技術探求の欲望を隠さず不法な生体実験を繰り返した組織だが、非道な実験結果でも少なからず実戦にフィードバックされるため、大海営も痛し痒しで扱いに困っていた。頭脳明晰倫理皆無、そんな連中が暴走するとどうなるのか分かりやすく示した組織、ともいえる。そんな独善的な振る舞いは結果として組織を縮小させる方向に作用し、現在では新技術の開発というよりは既存技術の熟成とメンテナンスにシフトチェンジしている。

 

 「はえー…昔はそんな事があったんですかぁ。でも、今回呉での展示会は、そんなキレッキレの人はいなくて…実力はないけど出世はしたい人達がしなくてもいいことを頑張っちゃった、そんな感じでした」

 

 呉で行われた第三世代技術を用いた艦娘の展示会-結局は新世代どころか現行技術を稚拙に組み合わせたマイナーチェンジに過ぎず、利用された格好の参謀本部も、あやうく劣化した戦力を押し付けられそうになった艦隊本部も、怒髪天を突く勢いでキレている。結果として、これまでと違う意味で技本が暴走したことに変わりないのだが―――。

 

 「ふむ…技本が人材難から劣化しているのは確かだと思うんだ。だが…いや、だからこそ解せない。少し調べれば分かるこんな稚拙な内容を、なぜ誰も事前にチェックできなかった…? いや、分った上でやらせていた、とか? …なら、そんな事をして何になるのだ? …明石、この件では私から特命として指示を出すかも知れないが、その時は動いてもらう、いいね?」

 

 いつも通りの淡々とした柔らかい口調とは裏腹に、目が笑っていない。そんな中将を見るのは珍しく、はっ! っと短く返事をした明石はソファーから飛び跳ねる様に立ち上がると、緊張を隠さない敬礼で応えた。ワザとらしく軽いため息を突いた中将は、思わず一瞬だけ見せてしまった鋭さを仕舞いこむように、話題を切り替える。

 

 「ところで、彼女たちの着任は完了したのかい?」

 「はい、今朝〇八〇〇にっ! 今は夕張がバイタルチェックを行っている所です」

 

 明石の退出後、一人きりの執務室で桜井中将は椅子をぎいっと揺らしながら、呉鎮守府の藤崎大将と交わした数日前の会話を思い返す。状態が安定したので、雪風・磯風・浜風の三名を教導艦隊に転属させたい、との打診だった。第三世代-成長しない代わりに、建造したてでも練度換算で六〇-七〇に相当する高出力、後付のプログラムで脳機能を操作し感情を抑制する-見せかけの高機能モデルは、インストールしたプログラムを無効化し改装後の記憶を破棄する事で初期状態にリセット、練度も振り出しまで戻った。その三人を日南中尉の元へ、と藤崎大将は申し出てきたのだ。

 

 「日南君に確認しましたが、快く受諾してくれました。ですが藤崎大将…なぜですか?」

 「桜井よ、あの若いの、なかなか筋が良さそうだ。なに…海軍一〇〇年の計のためにも、次世代は大切にせねばな。まぁ…あの三人はいわば引き出物だ」

 

 そこまで思い返し、桜井中将は考え込むような呟きを唇に載せ始めた。

 

 「依然として軍に強い影響力を保つ藤崎大将に気に入られたのだから、日南君にとって悪い事ではないのだろうが…。組織の中で目立つというのは、良い点も悪い点もあるんだが…果たしてどうなるのか…?」

 

 

 

 第二司令部・執務室―――。

 

 日南中尉の執務机とL字に組まれた秘書艦席に、時雨はハムスターばりに頬を膨らませ腕を組んで座っている。その視線の先には挙動不審に下手な口笛を吹いて視線を逸らす明石。そして中尉の膝の上には横座りとなって両腕を首に絡ませる磯風、執務机の前には直立不動の姿勢で指示を待つ浜風と、にこにこ笑っている雪風。

 

 明石に伴われて姿を現した三人は、びしっと揃った敬礼を見せた…まではよかったが、答礼を終えた日南中尉が席に着くのを見計らい、磯風は流れるように中尉の膝の上に横座りで座り、体を押し付ける様に両腕を首に絡め、とんでもないことを言い始めた。

 

 「ふむ…やはり体が覚えている事は忘れない、ということか」

 「はぁっ!? いや…君は何を言ってるんだい?」

 「ええっ!? 磯風ちゃん、記憶が残ってるの!?」

 「体が覚えてる記憶って何したのさ?」

 

 明石が吃驚仰天、という表情で磯風をまじまじと見つめ、かたーん、と時雨が手にしていたペンを床に落とす。磯風は磯風で、唇の両端を僅かに持ち上げ満足そうにどやぁっという表情を浮かべている。

 

 問題となった第三世代技術は、元の練度が低ければ低いほどプログラムの影響が強いことが確認され、その点では建造で現界した雪風が最も強く影響を受けていた。一方、第一次改装の機会を利用してプログラムを施された磯風と浜風は相対的に影響が小さく、改装後の記憶を断片的に残す事が判明した。

 

 残る記憶の辻褄を彼女達なりに自分の中で咀嚼した結果、浜風の中では大和と涼月、そして磯風に助けられ、磯風の中では、日南中尉を助け守るために現界したとして、彼女達二人の成り立ちが再構成された。そういった背景もあって、呉の藤崎大将はこの三人を日南中尉の元へ送ったのである。

 

 「駆逐艦、浜風です。これより貴艦隊所属となります。それにしても磯風…そうなのね? なるほど、それもあり…ですか?」

 普通の挨拶から始まり、目的語なしで誤解を振りまく文脈を巧みに完成させた浜風は、駆逐艦離れした巨大な胸部装甲を含め、いたって普通の浜風と同じ姿と立ち居振る舞い。こちらは日南中尉へのこだわりというより、涼月と磯風と同じ艦隊に配備されたことに満足している模様。磯風を振りほどこうと四苦八苦している日南中尉を眺めていたが、覚悟を決めたように、しゅるりと黄色いスカーフをほどき始めた。

 

 「そんな所に手を…嫌いではないが、ここではどうだろうか?」

 「いや、それは偶然で、ゴ、ゴメンッ! というか磯風、膝から降りてくれないかっ」

 「そういう乱れた風紀…。私は……いやでも、命令なら…問題は…」

 「問題だらけだよっ! 君たち、僕の目の前で何してるのかな…てかまた銀髪きょにうが増えたんだ…」

 

 ハイライトが職務放棄した目でぼんやりする時雨。執務室の奥にある玉座では、我関せずとウォースパイトが読書を続けている。お馴染みの冷暖機能完備の炬燵に浸かり天板に顔を横たえる初雪が、我関せずという表情で口だけを器用に動かしアイスキャンデーを食べながら、『ひひゃみんひゃんぶぁへー(ひなみんがんばれー)』と適当な応援を続けている。

 

 

 

 「だいたい…なんのために呉まで行ったのさ?」

 ようやく磯風を引き離しぐったり疲れた日南中尉だが、時雨は明らかに不満タラタラである。ただ矛先は明石に向いた。

 

 「僕がへとへとになるまで監査対応してたってのに…。それが…なに? 332(涼月のコードネーム)だけでも手ごわいのに、新しいのまでくっ付いてきたんだけど? ねえ…『鉄骨番長』? こんなことなら間宮券、返してもらおうかな…うん」

 「え、いや…何のためにって、そもそも出張なんですけど…。向こうは向こうでホントに大変だったんですよ、時雨ちゃん? それに…使っちゃったのはもう返せないというか…」

 

 鉄骨番長-出張中の日南中尉が、出先で涼月の動きを監視し、現場状況の定期報告といざという時の実力行使を担って雇われた凄腕エージェントとして明石に付与されたコードネーム…のはずが、呉に着いた時と呉を離れる時の二回しか連絡をよこさない有様で、報酬の間宮券購入のため共同出資した艦娘達からぶーぶー言われていた。実際のところ、懇親会でフードステーションを飛び回ったり雪風のメンテナンスに掛かりきりだった明石はそれどころでなく、不可抗力である。それに三人が着任したのは明石のせいではない。

 

 盛大に溜息を付きながら、無言で時雨が立ち上がる。キレた…かに見えたが、踏みとどまったようだ。頬を両手でぺしぺしして気を取り直す。ふんすと鼻息も荒く、両手で小さくガッツポーズをして高らかに宣言する。

 

 「ダメだダメだ。間宮さんにも言われたばっかりだし、もっとしっかりしなきゃ。僕は秘書艦…誰よりも日南中尉を理解して支えなきゃ。新しい子たちの着任…いいじゃないか、うん…部隊の強化になるしね!」

 

 だが磯風が追い打ちを掛ける。

 

 「ほお…意外だな、呉での有様から涼月と懇ろな仲かと思っていたが…。まぁなんだ、浮気は男の甲斐性というしな。この磯風、悋気ではないぞ」

 

 「もーっ!! なんでたった一泊二日の出張でこんないい感じに仕上がっちゃうのかな?」

 ついに時雨がぷりぷり怒りながら磯風に食って掛かり、日南中尉にも文句を言い始める。そんな中、目の前の騒ぎを見守っていた雪風が言葉を漏らす。

 

 

 「楽しそうな艦隊で嬉しいです、きっと()()()()も安心してくれ…る?」

 

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐ時雨と磯風の声にかき消され、雪風の声は一番近くにいた明石にしか届かなかった。ただ、それでよかったのかも知れない。雪風も自分の口から出た言葉に戸惑い、助けを求めるように明石を見上げる。

 

 「あ、明石さん…? 何で雪風は『お父さん』なんて言っちゃったんでしょう…? 艦娘の私にそんな人がいるわけないのに…ヘンですね? あとで診てもらってもいいですか?」

 

 怪訝な、そして少しだけ悲しそう表情を明石は浮かべる。最も強く第三世代技術の影響を受けた雪風は、ほぼ全て…練度一の状態まで初期化され宿毛湾に着任した。記憶が残っていないはずの雪風が、自分でも分からずに口にした言葉…それは第三世代プロジェクトに関わった参謀本部の橘川特佐の切ない願い。

 

 失くした娘を重ねていた彼は、雪風と実の親子のように接していた。第三世代の正体を知った時、彼は、自分の事を忘れても構わないから雪風を救うため初期化するよう明石に頼み込んでいた。技本の片棒を担いだ橘川特佐にも大きな責任はある、それでも明石は彼を不思議と憎めずにいた。

 

 

 頭をぽんぽんとされた雪風は、不思議そうな表情で明石の言葉を聞き、意味が分かったのかどうかは分からないが、にぱっと満面の笑みを浮かべていた。

 

 「忘却は一番優しくて、一番残酷…でしたっけ? 誰にとって優しくて、誰にとって残酷、なんでしょうね…」


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