それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 ナイトクラブHO-SHOW宿毛湾店、期間限定営業。


051. ロミオとジュリエッツ-後編

 出待ちしていた艦娘が楚々と近づいてくる。スカートの裾を両側からつまみ小さく持ち上げ、片膝を軽く曲げ挨拶をする彼女は―――。

 

 「ウ、ウォースッ!? 君まで一体何をしてるんだっ!?」

 「ようこそヒナミ…いらっしゃいませ…」

 

 薄暗い店内でも鮮やかな白い肌と輝く金髪、穏やかに柔らかく微笑む表情。衣装は普段と同じだが、そもそも女王陛下である、下手なドレスなど足元にも及ばない仕立ての良さであり、その美貌を一番引き立てる装いとなる。見つめられ思わず目を逸らしてしまった中尉に、ウォースパイトは小さくクスッと笑いかけ、寄り添うように隣に座る。

 

 「Japanの男性はこういう風にnight clubbing(夜遊び)をするのですね…。ヒナミも、ですか?」

 青い瞳が揺れながら、日南中尉の心の中までを覗き込むように視線を合わせて逸らさない。キール留学中に知り合い、異国から来た者同士の寂寥感と親近感、兵学校生とはいえ軍人と艦娘、二人が心を開き合うようになるのに時間は要さなかったが、開いた心を重ねるまでの時間は当時の二人には与えられなかった。

 

 「思いを持ち続ける事はとても難しいことです。でも貴方は良くも悪くも変わらない…ヒナミ、私は…ウォースパイトは、貴方の剣となる機会を得られて、本当に感謝しています」

 中尉も真剣な眼差しで訴える女王陛下から目を逸らせずにいた。見つめ合ったまま、寄り添うウォースパイトの手がそっと日南中尉の太ももに載せられる。思わず中尉がびくっとしてしまい、ウォースパイトも我に返ったように、ぎこちなく視線をそらし真っ赤になりながら、そうでした、ドリンクをまだお出ししてませんでした、とテーブルの上のグラスにしゅわしゅわと音を立てる飲み物を用意する。

 「ヒナミはお酒が強くないのでしたよね。これでしたら…Cheers(乾杯)

 

 小さな泡を立て続ける薄い黄金色のドリンク。ビールならまぁ…と日南中尉はグラスを目の高さに持ち上げてウォースパイトとアイコンタクトして乾杯、口を付ける。…が、思わずリバースしかけてげほげほと咽込んでしまった。一方のウォースパイトは、ああ、倫敦(ロンドン)を思い出しますね…などど懐かしそうである。

 

 ジンジャービア、それはイギリスの家庭で古くから作られてきた微炭酸飲料。しょうがと砂糖、水を混ぜ、イースト菌を加えて発酵させたもの。発泡の様子がビールに似ているだけでアルコール分を含まず、簡単に言うと冷やしあめの炭酸バージョンみたいなドリンクである。もったりとした甘さと刺さるしょうがの味が炭酸に乗って喉をくすぐる一品だが、中尉の口には合わなかった模様。

 

 「せっかくです、倫敦の味と一緒に」

 ウォースパイトがすっと手を挙げると、間髪入れずに音もなく影がすうっと現れる。白いマフラーで口元を隠しながら黒い細身のスーツを着た黒服(川内)がウォースパイトの前に跪く。あまりの無音潜行ぶりに日南中尉もびっくりしてしまう。

 

 「呼んだ? 何?夜戦?」

 ナイトクラブでそんなことはしない。川内はウォースパイトからフィッシュ&チップスのオーダーを受け取ると、音もなく姿を消し、またすぐに戻ってきた。

 「これは…?」

 「分かんない、オーダー入れたらこれを渡されたよ」

 

 拍子切りにしたポテトとぶつ切りの白身魚のフライ…のはずが、なぜかお握りが出てきた。

 

 じゃあね、と言いながら川内は音もなく姿を消し、ウォースパイトと日南中尉は訳も分からずぽかーんとしてしまう。せっかくだし、とお握りに手を伸ばそうとした中尉を押しとどめ、細い指先でお握りをつまむと、支えるように手を添えてウォースパイトがお握りを差し出す。要するにあーんである。戸惑いながら日南中尉が口を開けた所で、再び川内参上。ぱくりとお握りを横取りすると、もごもごしながら何かを言い始めた。

 「ひぃかんでゃよー、ふぉーはいひょろひく(時間だよー、交替よろしく)

 

 軽くため息をついたウォースパイトだが、潔く引き下がるようだ。それでも名残惜しそうな視線を日南中尉に送り、一言だけ残すと軽く会釈をしてすっと立ち上がり、静かに席を後にした。

 

 「私も…あの頃と変わっていないのですよ、ヒナミ…」

 

 

 

 日南中尉がロミオなら、こちらはロミ男こと御子柴中佐。彼は日南中尉から離れた場所で桜井中将と同じBOX席にいた。同席するのは、もちろん本指名の金剛、そして鹿島。ちなみに桜井中将は事前に秘書艦にして愛妻の翔鶴の許可を取った上での来店である。

 

 「改めて思います。提督と呼ばれるには、妖精さんと交流ができる、中将や日南中尉のような稀有な才が求められるのですなぁ。いやはや、自分などとは比べ物にならない」

 ボウモア ヴォルトをロックでゆったりと嗜んでいた桜井中将だが、その言葉をきっかけにグラスをテーブルに置くと、御子柴中佐を少しだけ悲しそうな目で見つめ、話を切り出した。

 

 中将自身も妖精さんに関して確信的な考えはあり、それは中佐の仮説と概ね同じと思っている。けれどもそれが全てではない。中佐の長所は、合理的思考と割り切った行動。勝つためなら旗艦以外を犠牲にする…バシー島沖の戦いで彼が日南中尉に行った作戦指導は、まさにその象徴であり、同時にそれがそのまま彼を提督への道から遠ざけた短所である。

 

 「御子柴君…妖精さんに関する君の仮説はおそらく正しいと思う。だが、君が妖精さんを目にできなかったのはそれだけが理由ではない。例え不合理でも、割り切ってはいけない物、切り捨ててはならぬ物は厳然としてあるのだ。妖精さんは、艦娘との絆は、そういうものだと私は思っている」

 

 同席する金剛も鹿島も目を伏せたまま静かに中将の話に耳を傾けている。きょとんとした表情に変わった御子柴中佐は、何度か首を横に振ると、改めて日南中将を正面から見据えた。その表情は辛そうでもあり、どこか嬉しそうでもある。

 

 「自分が提督になれなかったのを…もう妖精さんのせいにはできませんね。…ありがとうございます、長年の心の雲が晴れたような気がします。何年経っても教官は厳しく、そして…優しい」

 反論も議論もなく、自分の中の足りないピースがかちりと嵌った、そうとしか表現できないほど御子柴中佐はさばさばとした表情に変わり、努めて明るく振舞い、即座にカモられた。

 

 「さあ金剛ちゃん、飲もうじゃないかっ! 自分は明日には参謀本部に戻らねばならぬ。それで…その、プライベートの連絡先とか…教えてもらいたいかなー、とか…思うのだっ!!」

 「Huh? …まだそういうの早いカナー。もっと時間をかけてカラ…例えばエンチョーとかgood ideaだと思いマース。あと、喉が渇いたナー。フルーツとかexcellentデース」

 「はい喜んでっ! そこの黒服、ここへっ! 一セット追加、あとドリンクとフルーツもっ」

 へーいと言いながら、面倒くさそうに黒いスーツに身を包んだ黒服(北上)が現れる。ドヤ顔の金剛は、北上の耳元でピンドンお願いしまース、とオーダーしている。

 

 しばらくして北上は、クーラーに入ったピンクドンペリニヨンと…お握りとともに戻ってきた。

 

 

 

 居酒屋鳳翔厨房―――。

 

 「僕は幸運艦って話なのに、何で負けたのかな…。上には上がいる、って事、だね…」

 ぶつぶつ言いながら、憑りつかれたようにお握りを作り続けるのは、時雨である。今までのこの手の集まりは広く浅く…全員参加で和気藹々と過ごす時間だとすれば、今日の慰労会は深く狭く。全員平等に薄いメリットよりも、ハイリスクハイリターンでも構わない、確実に中尉を独占する時間をゲットする方向に転換したものとなる。

 

 九州のナイトクラブHO-SHOW本店のBig Mamaによれば、こういうお店は接客の基準時間を決めたセット制という形のローテーションを取っているらしい。このスタイルの場合、全員が慰労会に参加を希望した訳ではないが、それでも教導艦隊と宿毛湾本隊の参加希望者全員がフロアに出ると大混乱になる。御子柴参謀(ロミ男)は金剛一択だからいいとして、日南中尉と接する時間をそれなりに個別に確保しようとすると、一時間で三組がいい所だろう。中尉はまず延長しないだろうし、じょーないしめい? というのを受けると、その時一緒にいた艦娘がその場のパートナーに固定されるため、これは涙を呑んで回避する、という前提で事前に行われた調整…一セットの三組に入るための、恨みっこなしのじゃんけん大戦が勃発した。BOXシートのサイズを考えても、一組一~四名までの最大一二名。ただ、ほとんどの艦娘はグループよりソロ活動を選ぶのが見えている。

 

 結果に従い、フロアに出る娘、ウェイター(黒服)、厨房、照明、音響、アプローチでのお出迎え役 etcが割り当てられた。三回戦で敗退した時雨は厨房担当になったのだが―――。

 

 「だいたい僕は凝った料理とか作れないし…。もういいや、何の注文が来ても全部お握りで」

 

 マイペースになげやりである。

 

 なお、じゃんけん大戦の勝者は、個々ではそれなりだが四人分の運を合わせて勝ち抜いた赤城with チーム南雲(加賀、ダブルドラゴン)、史上最高の武勲艦に恥じない堂々とした戦いを見せたウォースパイト、そして―――。

 

 「少し、休んでいただけますと…なぜかって…中尉は思い詰め過ぎですから。榛名のお願いです」

 

 姉の金剛が本来の第三枠の勝者・鹿島と交わした政治的取引の結果、榛名にその枠が譲られた。

 

 

 

 大方の予想通り日南中尉は延長せず、はっちゃけている御子柴中佐に挨拶をして帰途に着いた。本部棟から第二司令部までは大発で五、六分だが、挨拶に行った際に中佐に飲まされたこともあり、酔い覚ましにもちょうどいい、と中尉は大きく遠回りになるが歩いて帰る事にした。鳳翔の店の近くを流れる川にそって北上して橋を渡りまた戻って来る道の途中、橋の袂で街灯に照らされる一つの人影―――島風である。ちらりと中尉の方に視線を送ったが、ぷいっと夜空を見上げている。やがて中尉が橋の袂までたどり着き、足を止める。

 

 「ん」

 「ん?」

 

 差し出された小さな手を握り返す前に、日南少尉は制服の上着を脱いで島風に羽織らせる。春とはいえまだ夜風は冷たく、島風の肩が小さく震えているのを中尉は見逃さなかった。えへへーと嬉しそうな表情でだぼだぼの袖から指を出し、島風は改めて手を差し出す。

 

 「きっとね、ひなみんはまっすぐ帰ってくるだろうって思って待ってたの」

 「みんなの気持ちも分かったし、嬉しかったけど、自分はああいう場はちょっと苦手かな」

 「うん、きっとそうだろうな、って」

 

 二人は月明かりに照らされながら手を繋ぎ、静かに帰り道を歩き続ける。

 

 

 

 「ありがとうございましたー」

 日南中尉が店を出てからさらに二時間後、かなりの酒量を腹に収めご満悦の御子柴中佐と、『もう若くないのですからほどほどにしてください』と迎えに来た翔鶴に連れられた桜井中将が、ナイトクラブHO-SHOWを後にする。中佐の足取りはしっかりしており、彼にとってはほどほどに酔った程度の様子である。結局金剛ちゃんの連絡先はゲットできず、調子に乗って入れたピンドンのシャンパンタワーのせいで、分厚い財布の中身はほとんどすっからかんになってしまったが、本人はあまり気にしていないようだ。その中佐が、乱れのない奇麗な敬礼で中将に向き合う。

 

 「中将、ありがとうございました。次の任地は鳥も通わぬ、と言われてる島ですから、今日はいい思い出になりました」

 「…私から参謀本部に掛け合うよ。あまりにも理不尽が過ぎる」

 「いいのです。参謀本部の意向に逆らうなら、誰かが責任を取る必要がある、そう申し上げました。中将や日南中尉に累が及ばぬよう参謀として最後の作戦に臨むのです、むしろ誇らしく思っています」

 

 御子柴中佐の視線の先、壁にもたれるようにして立つ金剛の姿が目に入った。正確には、金剛の肩の辺りをふよふよと飛ぶ人形のようなものが、である。ぱちぱちと瞬きをし目を擦る姿を怪訝な表情で見ていた中将が、御子柴中佐の視線の先を同じように目で追いかける。

 

 「…いけません、自分で思っているより酔ったようです。変なものが見えたような…」

 「………素面(しらふ)でもそれを目にするようになったら、連絡しなさい。推薦状を書いてあげるよ」




 次回から新章になる予定です。

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