それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 至高と究極。


004. ふたりぼっち

 入れ代わり立ち代わり訪れていた人波も、ようやくひと段落した頃、日南少尉は時雨とともに休憩用にいくつか設けられたバーテーブルの一つに腰を落ち着けていた。

 「皆さん、何というか積極的ですね。…時雨秘書艦、どうかされましたか?」

 ハイチェアに座り足をぶらぶらさせる時雨は、テーブルに両肘をつき頬を押さえ、むうっとした表情で間を空けて口を開く。

 「……時雨。僕は君の秘書艦なんだよ? そういう堅い口調はどうかと思うんだ。ね、呼び捨てにしてくれない、かな」

 

 そんな事を考えていたのか…日南少尉は面食らい、頬をぽりぽり掻きながら柔らかく断ろうとする。

 「お会いしたばかりで馴れ馴れしいのはどうかと思いますので…。ご理解いただけますか、時雨秘書か「時雨」」

 

 時雨は複雑な表情を浮かべ、一層呼び捨てに拘る。日南少尉は一連の会話のどこに地雷があったのか理解できず困惑したものの、頭に浮かぶどの理由も時雨の頼みを断るには弱いな、と思い彼女の言うとおりにしてみる。

 

 「分かりまし…分かったよ、時雨。これからこう呼ばせてもらうけど、いいかな」

 「うん、嬉しいよ。でも、ね…もう一回呼んでくれるかな」

 

 練習の名の下、繰り返し名を呼ぶ事になった日南少尉に、にこにこと時雨が微笑み返していたが、やがてその背後に黒いウサミミがひょこひょこと揺れだした。

 

 -名前を呼ぶとウサミミが生える…訳ないよな。

 

 日南少尉の口から出かかった島風の名は、唐突に響いたバック◯ラフトのテーマ曲と、巻き起こったどよめきと歓声に飲み込まれた。

 

 「本日のメインディッシュの登場ですっ! 今日はですね、日南少尉の着任を祝しまして、鳳翔さんと大和さんが、それぞれ手掛けたお肉とお魚の一品、いえ、逸品です。日南少尉の実食を経て、皆さんの目の前で取り分けますっ!」

 

 テンション高めに司会を始める速吸の声に導かれる様に、大広間の入り口から現れた、白いクロスで覆われた二台のワゴン。その上にはクロッシュ(釣鐘型の蓋)で覆われた大きな銀の皿。ワゴンを押して入室してきたのは鳳翔と大和。二台のワゴンは予め間を広く取ってある二列のフードテーブルの間に横並びになる。

 

 「では、大和から。コホン…日南少尉、着任おめでとうございます。お祝いの席に相応しい料理を、と思い用意したのがこちらですっ」

 大和が静かにクロッシュを持ち上げる。姿を現したのは大皿にこんがりと焼き上がった魚の姿をした大きなパイ、その周囲をオレンジ色のソースが鮮やかに彩る。

 

 「Loup en croûte, Sause orangine(鱸のパイ包み焼き、オレンジソース添え)です」

 丁寧に下拵えをし、腹と鰓にムースを詰めた鱸をパイ生地で包み魚の形を作る。鰓や尾びれの形を残し、頭の部分にナイフで模様をつけ、鱗模様も再現する。これをオーブンで焼き完成となる。サクサクに焼き上がった魚型のパイの中には、朝獲れの七〇cm超の極上の鱸。中に詰められたムースも奢られている。貝柱、ひらめ、オマールに卵白、生クリーム、バターの濃厚な味に、粗く刻んだピスタチオとトリュフを加える。全てが大和の手による物で、気合の入り様が分かる。

 

 自信に満ちた表情で大和が切り分け(デクパージュ)を始める。上面のパイを切り取ってはずし、適度な大きさに切り分けた鱸の上身、ムース、パイを盛りつけ、ソースを添えた最初の一皿が、大和自ら日南少尉に手渡される。皆言葉を飲み、日南少尉に視線が集まる。ソースを絡めた身とパイを口に運び、じっくりと全てを確かめるように日南少尉は味わっている。

 

 「これは…なんと言うか…素晴らしい味です…」

 それ以上の言葉は不要、全ては目の前にいる日南少尉の表情が物語る。ぱあっと花が咲くような笑顔で大和が頬を上気させると、周囲から大きな歓声が沸き上がる。

 

 「日南少尉、私のお料理を食べる隙間もお腹に残しておいてくださいね。私からは、日南少尉が大輪の花を咲かせるようにとの気持ちでこのお皿をご用意致しました」

 柔らかく日南少尉にかけられた言葉が、注目を鳳翔へと集める。にっこりとほほ笑みながら、鳳翔もクロッシェを持ち上げる。その中から現れた一皿に、今度は歓声ではなく皆一様にため息を漏らす。

 

 黒織部の大皿に咲く、大きな赤い薔薇の花、そうとしか表現できない料理がそこにあった。無論薔薇ではなく、その正体は土佐褐毛牛の腿肉で作られた牛肉のたたきである。薄く切られた一枚一枚を柔らかく飾り、うっすら白く入った差しが彩る肉の赤身を花弁に見立て、全体として見れば一つの大きな花を描く盛り付けで、中央には薬味の白髪葱が添えられる。

 

 「土佐褐毛牛のたたきでございます」

 鳳翔は土佐褐毛牛の腿肉の大きな塊を、鰹のたたきを作る技法、藁焼きを応用し表面を焼き上げた。一気に高温になる藁の特性を生かし強火で表面だけを焼き旨味を閉じ込める。たたきはここの段階で中まで火が入り過ぎないよう氷水で締めるが、ここで鳳翔はひと手間加えた。肉の脂の溶ける温度は魚のそれより高く、普通のたたきではどうしても口当たりの滑らかさに欠ける、さりとてローストビーフのように中まで火を通したくない。褐毛牛の上品な甘さのうっすら入ったサシが、口にいれた瞬間に溶けるように調整するため、鳳翔は表面を焼いた肉塊を真空パックしぬるま湯でじっくり湯煎し、生でも火入れでもない状態に仕上げた。別添えのたれは、カボスと土佐醤油、刻んだ茗荷を合せた爽やかな味わいの物。

 

 「日南少尉、どうぞ召し上がれ」

 鳳翔手ずから配られた一皿。一枚のたたきを箸で取り上げた日南少尉は、たれにつけ口に運ぶ。土佐褐毛牛の甘味のある肉の味が最大限引き出され、カボスの酸味が口の中を爽やかに洗う後味。

 

 「…美味しゅうございました、その言葉しか出ません、申し訳ない」

 「はい、そのお言葉が聞けただけで甲斐がありました」

 

 

 「ではみなさん、大和さんの至高の一皿と鳳翔さんの究極の一皿、沢山ありますからぜひ味わってくださいっ!」

 

 大好評のうちに大和と鳳翔の手によるメインディッシュは皆のお腹に収まり、隼鷹と千歳、そして響を中心とするアルコール勢の勢いは止まらず、お酒の輪が徐々に、しかし確実に広がり、まったりとした空気が支配する大広間。

 

 

 再び賑やかに盛り上がる中、日南少尉はそっと抜け出す島風の後を追い、大広間を後にする。やや遅れて歓迎会を後にした桜井中将は、翔鶴を伴い私室へと戻る道すがら、恐らく同じように気にかけていた事を話題にする。

 

 「島風ちゃん、多分いつもの所だと思うんですけど…」

 抜け出した島風を追い大広間を後にした日南少尉の事に二人とも気づいていた。その上で桜井中将は、日南少尉に島風を任せてみよう、そう翔鶴に答える。そう言いながら二人は、下弦の月に照らされながら手を取り合いゆっくりと歩いてゆく。

 

 

 

 歓迎会の会場を抜け出した島風だが、行く当てがある訳ではない。落ち込んだり一人になりたい時、やって来るのは決まって港。島風は連装砲ちゃんを相手に一人二役で話をしていた。そこに少し肩で息しながら日南少尉が現れた。港に居なければ再び時雨に連絡をして協力してもらおう、そう思っていた矢先に、突堤の方から独り芝居のような声が聞こえ、その方向へと歩みを進めた。

 

 -結局、日南少尉とお話できなかったよ。

 -オウッ?

 -だってだって、阿賀野とか時雨とかがさ…。

 -あううっ。

 -だってなに話せばいいのか分かんないんだもん。

 

 「何でもいいよ。島風の話したい事を話してくれるかい?」

 「お゛お゛お゛お゛うっっっ! 」

 

 唐突に一人芝居にカットインされた島風は、文字通り飛び上るほど驚き、涙目で背後に立つ日南少尉を振り返る。

 

 

 月明かりと保安灯が照らす港、波音だけが規則正しく響く。隣り合い座る二人はどれだけの間無言でいただろうか。ぽつりぽつりと、島風が言葉を紡ぎ始める。

 

 

 「あの時『全速全開でやってくれ』って言ってくれたでしょ? 四〇ノットの風に乗って、髪がね、ぶわーって」

 

 視線は海に向けたまま、唐突に切り出された話。小首を傾げながら、日南少尉は話の続きを待つ。あの時とは、室戸岬沖の戦いのこと。一対三の戦いを制するため、日南少尉は島風の速度性能を最大限活かす戦術を選択し成功を収めた。その時の感覚を島風は忘れられない。自分の能力を活かす指揮のもと、望まれて全力を出し、しかも勝利した。全てが初めての事だった。

 

 「でも、公試の時とあの時だけ。誰もついて来れないの。姉妹艦もいないし、てーとくも矢矧も、みんなに合せろ、そればっかり」

 ふむ、と小さく頷いた日南少尉は、ゆっくりと言葉を選びながら島風に語りかける。

 

 「島風、君の最高速度は誰もが知っている。けどね、動きに幅をもたせたらどうかな。加減速にメリハリをつければ、君の動きには、敵も味方も本当に誰もついて来れなくなる」

 「ホント!? もっともっと、もっともっと速くなれるのっ!?」

 満面の笑みを浮かべて振り返った島風の表情が、日南少尉が続けた言葉で固まる。

 

 「いや。速くなるんじゃない、君は強くなるんだ」

 「え…?」

 「島風、君は室戸岬沖の戦いで、どんなことを考えていた?」

 胸に連装砲ちゃん(小)を抱きしめながら、目を伏せて島風は思い出す。とにかく一刻も早く輸送艦に合流して守る、イ級と戦って倒す、それだけだった。言われてみると速さの事なんて考えていなかった。

 

 「砲の大きさも魚雷の数も装甲の厚さも、そして速度も、全ては戦って勝ち、生き残る事、そのための武器だと思うんだ。君はすでに強力な武器を持っている。あとはそれをどうやって活かすか、そういうことじゃないかな」

 島風と視線を合わせるように横を向いた日南少尉が、柔らかく微笑みかける。頬の熱さを自覚した島風は、自分の顔を見られないように俯き、しばらく考え込む。再び顔を上げると、連装砲ちゃんで顔の下半分を隠しながら、上目使いで話し始める。

 

 「あ、あのねっ、教えてくれるかなっ。わ、私じゃないよ、連装砲ちゃんが興味あるって」

 わたわたしながら、それでも期待と不安に揺れる瞳、島風は日南少尉から視線を逸らさず言葉を重ねる。

 

 「急な加速や減速はタービンに負担がかかるって明石さんが…。私…じゃなくて連装砲ちゃんもそんな機動よく分からないし」

 「練度が上がればもっと自由に体を動かせるようになるだろうし、これから考えていけばいいんじゃないかな」

 「ほんとっ!? 一緒に考えてくれるのっ?」

 「…桜井中将と翔鶴さんに意見具申してみるよ。残念だけど、自分は君の指揮官じゃなく、司令部候補生に過ぎないから…」

 

 島風は再び目を伏せてしまった。やっと自分の事を分かってくれる人が来たと思ったのに…一人じゃなくなったと思ったのに…。知らないうちにぼろぼろと涙が零れてしまう。

 

 「し、島風?」

 「てきとーに期待させるようなこと言わないでよっ! 島風はね、ここに来る前も、ここに来てからも一人ぼっちだったんだよ。日南少尉には分かんないよっ!」

 「…分かるよ」

 流れる涙をそのままに島風が顔を上げ、少し悲しそうな表情で日南少尉が話を続ける。

 「兵学校在籍中、三年次を終了してから一年間ドイツに留学したんだ。帰国したら同期は先に卒業していて、自分は一つ下の連中と一緒に四年次だったんだけど…。兵学校の同期って連帯意識がすごく強くて、突然やってきた一つ上の先輩なんて、本当に異邦人扱いでさ、班分けやグループを作ると、自分は取り残されていた。ガラス越しに毎日を見ている、そんな感じだった」

 

 「で、でもっ! 日南少尉には、おとーさんとかおかーさんとか、家族がいるんでしょ?」

 「正確には()()よ。自分は外地で長く暮らしていてね。子供の頃自分が住んでいたマナド、昔はメナドって言ったらしいけど、とにかくその街が深海棲艦に襲われて、両親と妹とは離ればなれになったんだよ。三人が無事なのかもう死んでいるのか、それさえも分からない。辛うじて海に逃れた自分を救助してくれたのは………いや、止めよう」

 

 沈黙が二人の間に訪れる。先ほどまでと違うのは、二人の間の距離。島風は日南少尉に寄り添うように隣り合い、肩に頭を預ける。長いウサミミリボンが日南少尉の頬をくすぐる。

 

 「そっか…日南少尉は私と同じなんだね」

 


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