それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 コタツが手放せない初雪の季節。あと大佐。


035. 失くした誇りの見つけ方

 宿毛湾教導艦隊VS大湊警備府艦隊の演習-事前調整のため関係者の揃った桜井中将の執務室は、空気がどんどん緊迫してゆく。当初順調に進んでいた打ち合わせは、樫井大佐が桜井中将に違約なきよう、と念押ししたあたりから風向きが変わり始めた。

 

 怪訝な表情を浮かべる日南少尉に対し、樫井大佐が明かしたのは教導艦隊が勝てば涼月を宿毛湾に転籍させる、という話だった。大佐が勝った場合の条件は特に触れなかったが、問うた際の意味ありげな表情は『何かある』と日南少尉に悟らせるに十分で、その条件に激しく反発し始める。

 

 「演習に涼月を…艦娘を賭ける? そんな演習など参加は辞退させていただきたいっ!」

 珍しく日南少尉が不満を露わにし、立ち上がると樫井大佐に厳しい視線をぶつけるが、樫井大佐は意外そうな表情を浮かべ少尉に冷笑を返す。時雨は事の成り行きが理解できず、日南少尉を止めるべきかどうかの判断もつかないまま、ただ両者をおろおろと見る事しかできずにいる。

 

 「得る物があれば貴様も本気を出すと思ったが? 若造の指揮に後れを取るとは思わんが、それでも全力の候補生殿と戦って勝ちたいのだよ。勝って将官への道を掴むのだ」

 「…そんな理由で理不尽を艦娘に押し付けるような事が許されると…! こんなのは演習以前の話ですっ」

 

 

 「…私も、嫌よ」

 

 

 低く、怒りを堪えるような声に注目が集まる。大湊警備府の秘書艦、扶桑型超弩級戦艦二番艦の山城が冷ややかな視線を自らの指揮官に送っている。非難の色に染まる赤い瞳が樫井大佐を見据え、樫井大佐も視線を逸らさずに見つめ返す。しばらく続いた睨み合いだが、根負けしたように山城が吐き捨てる。

 

 

 「司令官は一体何のために戦っているの? 私、見る目無かったのかしら。貴方がそんな人だなんて……どうせ命令って言うんでしょう? いいわ、教導艦隊…蹴散らしてあげる。でも、私にも考えがあるわ…」

 ぐっと言葉に詰まり上体を揺らした樫井大佐だが、思いつめたような口調で吐いた言葉は、山城の表情を不愉快さから悲しさへと変えるのに十分だった。

 

 「構わん、この若造に勝たなければ、俺はどこにも行けないんだっ!!」

 

 それまで沈黙を守っていた桜井中将が、日南少尉に諭すように語りかけ、辛うじて演習は成立することになった。

 「…日南君、君には分かりにくいかもしれないが、この演習、受けるべきだよ。涼月を賭ける云々はさて置くとして、きっと君のためにもなると思う。無論樫井大佐にもだが」

 

 釈然としない表情ながら、桜井中将に言われては日南少尉に拒絶する選択肢はなく、しぶしぶ承諾したが凉月の転籍については最後まで譲らず、その件は棚上げとなった。

 

 

 今回の演習はブラインドゲーム-演習参加艦は事前に明かされず、双方から提出された所属全艦娘のリストを元に、参加艦六名を予想しつつ自軍の編成を決める。演習開始まで編成を伏せる点にこの形式は戦略性があるのだが、樫井大佐は意に介さず自軍の編成を予告し、秘書艦の山城を伴い執務室を後にした。

 「候補生殿、悩むことはないぞ。私は西村艦隊を中心に編成する。時間まで存分に考えるといい。準備ができたら知らせてくれ、こっちはいつでも構わん」

 

 「…少尉、あのリストで本当によかったのですか?」

 翔鶴にしては珍しく不安を表に出し、日南少尉を覗き込む。心配そうに揺れる琥珀色(アンバー)の瞳を見つめ返しながら、覚悟を決めたように少尉は頷く。

 

 

 「彼女…赤城さんの力があれば…いえ、彼女が参加したとしても、それでもどうしようもなく厳しいと思います。ただ強制はできませんので、もし来てくれなければ…その時はその時です」

 

 

 日南少尉は、教導艦隊への貸与を拒んでいた赤城型正規空母一番艦の赤城の真意を確かめる為、翔鶴に仲介してもらい赤城と話をした日を思い返していた―――。

 

 

 

 それは教導艦隊が1-4を突破した翌日の事。日南少尉は一人で宿毛湾泊地の本部棟近くにある甘味処 間宮に顔を出していた。所在なさ気に餡蜜をつつく少尉だが、からからと横開きの戸が開くたびに顔を上げ、また伏せる。何度か同じ行動を繰り返した後、すっと背筋を伸ばし右手を挙げ合図を送る。

 

 

 長い銀髪を揺らしながら、清楚な立ち姿で軽く会釈をする一人の艦娘-桜井中将の秘書艦にして宿毛湾泊地総旗艦の翔鶴が現れた。日南少尉の向かいの席に座り、伊良湖に抹茶セットを注文すると、楽しそうに微笑みながら少尉をからかう。

 「少尉に呼び出しを受けるなんて…何でしょう、告白、とかですか? …冗談ですよ♪」

 いたずらな少女のような翔鶴の姿に、内心日南少尉もドキッとしてしまうが、今日の本題はそういうことではない。

 

 「いえ、そ、そう言う事ではなくてですね…。実は赤城さんの事で相談がありまして」

 ぴくり、とスプーンを持った翔鶴の手が止まり、表情も真剣な物に改まる。

 「教導艦隊への貸与を拒んだのは知っています。でも、どうして私に相談を…?」

 「空の事は空を知る人に聞くべき、そう思いました」

 

 その言葉に、翔鶴は目を伏せながら昔話を始める―――。

 

 

 元々赤城は、宿毛湾泊地と豊後水道を挟んだ位置にある佐伯湾泊地の所属だった。ある日、南方海域で展開される遠征任務『MO作戦』を成功させ、他の艦娘や遠征に帯同した司令官の座乗する母艦ともども一路母港へと進んでいた。

 

 駆逐艦娘二人が帰路の対潜警戒を行っていたが、結果を見ればどこかに油断があったのかも知れない。

 

 佐伯湾泊地から東南東約五〇〇km、宿毛湾泊地から同方向三五〇km、見渡す限り海しかない地点で、残照が全方向を白とオレンジに輝かせ眩しくて目を開けられない時間帯、狙い澄ました様に深海棲艦の潜水艦隊の襲撃を受けた。一斉に放たれた六射線は見事に駆逐艦娘達と母艦を捉え、駆逐艦娘は瞬時に轟沈、母艦も急速に傾斜を増してゆく。慌てて海上に展開した赤城を含む四名の艦娘目がけ第二射が斉射され、大破漂流した赤城を除き、佐伯湾の司令官は戦死、部隊も壊滅した。

 

 夜明けとともに急行した宿毛湾の部隊に救助された赤城は、入渠を済ませ損傷を修復した後も、弓を引けなくなっていた。精神的な原因なのは明白で、様々な治療法が試されたが効果はなく、やがて所属基地の佐伯湾は匙を投げ、他に引き受け先が見つからなかった赤城は、宿毛湾泊地預かりとして時を過ごしている―――。

 

 

 「満足に動かない大破した体で深夜の海を漂流、深海棲艦の襲撃を受けても夜間では空母には成すすべがない…当時の赤城さんがどれだけの恐怖を感じ心に傷を負ったか、想像に余りあります」

 「…教えていただいてありがとうございます。翔鶴さん、これから赤城さんに会いたいのですが…連絡を取っていただくことは可能ですか?」

 

 目線だけで返事をした翔鶴はスマホを取り出すと通話先を選択し、通話のため席を外す。あまりにも有名すぎるミッドウェー作戦とその顛末だが、艦娘の赤城は、直上からの急降下爆撃ではなく、見えない足元からの雷撃により運命を狂わされた。

 

 -深夜の海は…ほんとうに嫌になる…。

 

 日南少尉は無言で天井を見上げながら、巡り合わせの皮肉を感じていた。理由や状況は違うが、少尉も赤城も同じ体験をした者同士だった。そして再びからからと扉が開き、翔鶴が戻ってきた。

 

 「日南少尉、三〇分後に突堤で待ち合わせ、とのことです。…私も、同行しましょうか?」

 「ご心配ありがとうございます、翔鶴さん。自分一人で、赤城さんと話してみます」

 

 

 

 突堤では既に赤城が待っていた。風になびく長い黒髪を手で抑えながら、海の果てのどこか遠くを見つめながらぼんやりと立っている。近づいてきた日南少尉の気配に気づくと、くるりと振り返り綺麗な所作で一礼する。

 

 「申し訳ありません、少尉。私なんかの事でお手を煩わせてしまいまして」

 

 夕陽に照らされた赤城が無理に作った笑顔は、例えようもなく美しく、同時に悲しいものだった。日南少尉は無言で敬礼し、赤城の元へと近づいてゆく。二人とも無言のまま何となく歩き、立ち止まる。

 「お疲れでしょう、少尉…」

 真っ白な第二種軍装を汚さぬようにと、自分の弓懸(ゆがけ)を右手から外し敷物にするよう差し出す赤城の申出をきっかけに、少尉は話し始める。

 

 「いえ、右手を守る大切なものを敷物にはできません。これからも…できれば自分の部隊の一員として、その手で矢を射てもらえれば、と…。ただそのためには…」

 「もう引くこともない弓のお道具なら、少尉のお召し物を汚さないように、と思ったのですが…。少尉は、私の事を…?」

 「ええ、翔鶴さんから教えてもらいました」

 

 そうですか、と小さく呟いた赤城は、ぼんやりと海を見つめながら誰に聞かせるともなく話し始める。

 「命令書や人を遣わせるのではなく、直接おいでくださった事にお応えする意味で、お話しします。あの日も…ちょうど今日のような残照が眩しい日でした。水面下から迫る雷撃に成すすべなく大破し夜間に漂流した私は、潜水艦からの攻撃に怯え、心が壊れそうになる恐怖に耐え、朝が来るのを待ちました。幸い救助され入渠させていただき体は元通りですが、私は…海に出ても前を向けないのです。どうしても、足元が気になり心が乱れて下ばかり見てしまう。前を、上を向けない私では矢を射れず、艦載機の子達を空に解き放つことが…。一航戦の誇りを、私はあの日に無くしてしまったのです。少尉、申し訳ありません…」

 

 夕陽の眩しさに日南少尉は目を細めながら、赤城の悲痛な心の声を正面から受け止めようとしていた。だからこそ、無理強いもできないし、適当なことも言いたくない。赤城は辛い心情を明かしてくれた。応えるなら、やはり自分の心情しかない。

 

 「深夜の海は…本当に怖い。自分は救命ボートで独り漂流しましたが、助けられるまでの間、死の恐怖に震えていました」

 それは少尉の実体験であり、今の道に至る原体験。偽りのない告白に、果たして赤城が反応する。

 「それは…?」

 「自分が子供の頃の話です。その体験があり、紆余曲折を経て、自分は提督になろうとして、今ここにいます」

 

 長い沈黙だけが二人の間に横たわったが、再び赤城が口を開く。

 

 「どうやって………どうやって、あの恐怖を乗り越えたのですか?」

 「乗り越えられたかどうかは、正直今でも分かりません。ただ、自分には叶えたい夢があります。叶うかどうかは分かりません、でも不安も迷いも全部ひっくるめて前に進む、そう選んだだけです」

 

 そこまで言うと日南少尉は二度三度屈伸をして、腰に手を当てて背中を逸らす。そしてくるりと振り返り、歩き出す。

 

 「あ、あの…?」

 どう見ても少尉は立ち去ろうとしている。自分を教導艦隊に誘いに来たのではないのか? 確かに自分は断っているが、そんなにあっさり引き下がるの…? 赤城は湧き上がる疑問で混乱し、思わず手を伸ばし呼び止めようとしてしまった。

 

 「自分は無理強いする気はないんです。でも、言葉で赤城さんは断ってますが、心では迷っているように見えました。都合よすぎの解釈でしょうか? 時間をかけてよく考えて、自分に一番いいと思った通りにしてください。どんな答えでも自分は受け止めますから」

 

 突堤を後にした少尉がぴたりと足を止め振り返り、一つ言い忘れました、と言葉を残す。それは、赤城の胸に深々と刺さった。

 

 

 「赤城さんが失くした物は…下を向いてても見つかりません。それはきっと、どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れる物だと思います」


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