それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 固有スキル:運命の出会い。


034. それぞれの壁

 出かけたなら、必ず帰ることになる。涼月を居酒屋鳳翔に送り届けた日南少尉は、片島地区の第二司令部に戻り、偶然司令部棟前にいた神通に出迎えられた。誰に頼まれたわけではないが、綺麗好きの神通は本部棟前を竹箒で掃き掃除をしていることが多い。挨拶を交わし、横を通り過ぎようとした日南少尉を、神通が僅かに疑問の音色を込めた声で呼び止める。

 「お帰りなさい、少尉………あら? いつもと違う匂いがしますね。これは…お花の匂いと…知らない艦娘の匂い?」

 「うん? 涼月は確かに…。ああいや、鳳翔さんの庭園にしばらくいたから、花の匂いが移ったのかな?」

 

 日南少尉は聡明である。ただ、色々な面で経験が足りない。涼月が動くたびに、髪からふわりといい匂いがしたのは確かだが、この場合名前を出す必要は全くなかった。だが、自分の部隊ではない、大湊所属の艦娘と一緒にいたのは事実で、先にそれを指摘された少尉は、無駄に正直さを披露し動揺してしまった。

 

 「その表情…何か隠し事でも? 何でしょう…不安な気持ちになりますね。少尉…?」

 すでに出迎えのため何人かの艦娘が集まり始めていた。先頭を切って現れたのは時雨で、満面の笑みで手を振り近づいた所で聞こえてきた少尉と神通の会話に表情が凍りつき、ゴゴゴ…という擬音と共に背中に青いオーラを背負い始めた。

 

 「ふうん…興味深い話だね、日南少尉。僕たちが明日の演習に備えて自主練をしている間、鳳翔さんの庭園で、よその艦娘とデートしていたってこと? (僕を一回も誘ってくれないじゃないか)」

 

 「デートって…そういう事じゃなくて…。時雨、自分は道を間違えて、大湊の涼月は道に迷い、たまたま鳳翔さんの菜園でばったり会ったんだよ…」

 腕組みをした時雨は、ぷうっと頬を膨らませて日南少尉から顔をぷいっとそむける。何で言い訳してるんだろう…と日南少尉が疑問に思い始めたが、時雨の勢いは止まらない。軽く涙目になり、最早少尉の話の整合性などどうでもよく、気に障る事全てに噛みつきはじめる。

 「へぇ…もう呼び捨てなんだ。仲が良いんだね。(僕なんかお願いしてやっと呼んでもらえたのに)」

 「いやそれは他人行儀だから呼び捨ての方がいいって、時雨が…」

 「僕のせいだっていうのかい? 君には失望したよ…洗いざらい全部白状してもらうからね、少尉」

 

 無理矢理腕を取られ執務室まで連行された日南少尉は、応接用のソファーに座らされると、時雨と神通に左右から挟まれ、背後から村雨にムギュられ動きを封じられる。他にも大勢の艦娘が応接コーナーに密集するという状況で始まった、質問という名の尋問。そして日南少尉は経験から学ぶこととなる。

 

 

 『無い物を無いと証明するのは困難である』こと。

 『女の子を怒らせた時は、相手の感情をいったん受け止めない限り収まらない』こと。

 

 

 その教訓が日南少尉の今後に活かされるかどうかは別だが、概ね全てー涼月にかつて出会った防空棲姫の面影を重ねた事以外ーを答え、やましいことはないと信用してもらえたようだ。密着するように少尉の右側に座る時雨は、満足そうに腕を絡ませ肩に頭を預けながら、囁くように言葉を零す。

 

 「君が僕を…僕たちの事を裏切らないのは知っているよ。でも、ううん、だからこそ、納得したいだけなんだよ。それに…君の気持ちを、できれば言葉や行動で現してほしい、かな。そうすれば僕は、もっと…」

 

 その場にいる全員の艦娘が同意してうんうんと頷きながら、笑顔で少尉から時雨を引き離す。そして何やらひそひそ話をしたと思うと、執務室を後にする。一人残された日南少尉は立ち上がり背筋を伸ばすと、執務机に向かい歩き出した。踏み出した足が載った床が唐突に、角度はごく浅いが滑り台のように急に斜めになり、少尉はバランスを崩し滑ってゆく。

 

 「あ、少尉…一緒におコタ…入るの? いいよ…。この床? できるだけ、歩かなくて済むように…可動式スロープを…作ってもらった…。えっと…『消える魔球』って夕張さん言ってた」

 騒ぎに加わらずコタツに浸かっていた初雪は、唐突にしゃーっと滑ってコタツに突入してきた日南少尉に動じることなく、彼の頭をぽんぽんとして、微笑みかけていた。

 

 

 

 二一〇〇(フタヒトマルマル)・宿毛湾泊地A会議室―――。

 

 日南少尉への中間評価会議の続きが行われる会議室A。今部屋にいるのは香取と鹿島であるが、こじんまりとした部屋でやや離れて座る二人の間にはどうも微妙な空気が流れている。どちらも何か言いたことがあるが切出せない、そんな空気を先に破ったのは香取だった。

 

 「鹿島、ちょっといいかしら? その…日南少尉とのことですが…」

 教官の立場で見れば肩入れしすぎで、公正な評価ができているのか不安になる。姉の立場で見れば、好意を寄せているのは妹だけのように見えて不安になる。教導を修了した後、少尉はいずれかの任地へと旅立つ。その時、彼は果たして妹を伴っていくのだろうか―――?

 

 一方の鹿島は、姉の言葉を聞き、またか…という気分になってしまう。確かに自分は日南少尉に肩入れしている。だからといって甘やかしているつもりはない。もちろん気持ちが上乗せされているかも知れないけど…。少尉は間違いなく優秀だが、課題もある。人を育てる上で『長所は最大限大きく、短所は相対的に小さく』が教官としての鹿島のポリシーであり、例え姉相手と言えども簡単に譲れない。鹿島が固い表情で口を開こうとした矢先に、香取が言葉を継ぐ。

 

 「男はみんな狼なのよ? あなたは少し男性へのスキンシップの度が過ぎるというか、あれでは相手が…そういう気になってしまうわよ?」

 

 顔を真っ赤にして、たどたどしい警告を発する香取。鹿島はそんな姉をぽかーんとした顔で見ていたが、すぐに自分の勘違いに気付いてくすっと笑い、いつも通りの柔らかい表情で返事をする。

 「大丈夫ですよ香取姉さん、鹿島は日南少尉にしかああいうコトはしませんし、その気になってもらって全然構わないというか…。あ、でも、最初は優しくしてほしいかな、なんて…うふふ♪」

 

 ぎいっと椅子を鳴らして鹿島がうーんと背伸びをすると、大きな胸が強調される。自分も小さい方ではないけれど…と香取が部分比較を始め、すぐに我に返る。

 「で、ですからっ。そういう隙がありそうな言動が良くないと…。と、とにかく節度を失くさないように…というか、鹿島…あなたは本気で日南少尉のことを…?」

 

 「宿毛湾に居ても、艦娘としても女の子としても先が見えないかなーって思ってるのは…確かで、少尉と一緒に新しい世界が見たいなーって思ってるのも確かです。ごめんなさい、香取姉さん」

 

 香取の顔色を窺うように、鹿島はちらりと視線を送る。宿毛湾の教官であることに誇りを持ち、それ以外の在り方を自分に認めずにいる姉-少なくとも鹿島からはそう見える。そしてその心の奥も、知っているつもりだ。

 

 

 香取の想いは、絶対…そう言ってもいいほど報われる可能性が低い。

 

 桜井中将により宿毛湾泊地で建造された香取は、中将の積み重ねてきた経験の全てを受け継ぎ宿毛湾艦隊と教導艦隊の教官として艦娘や若き候補生の育成に当ってきた。教官として中将の期待に応えること、それが香取の全てであり、練度はもう随分前から九九、そして今も九九。ケッコンカッコカリという制度があっても、桜井中将は翔鶴以外の艦娘に、例え仮初めの縁だとしても決して指輪を贈らない。宿毛湾では、九九という境界線の向こうに行けるのはたった一人だけ。艦娘にとって、人間とそこまで深い愛情で結ばれる憧憬であり、女性として見てもらえず艦娘としてもそれ以上強くなれない絶望。そしてそれは、実績人格ともに優れた桜井中将が越えられなかった限界でもある。

 

 「ふふっ…鹿島、私の事を心配してくれてるの? 大丈夫よ、あなたにどう見えてるか分からないけど、私、これでも結構幸せなのよ、うん……」

 

 鹿島が言葉を重ねようとした時に大淀が会議室に現れ、二人の話はそれきりになる。

 「ごめんさい、遅れちゃいましたよね? 教導艦隊の子達が急に大勢来てたので…」

 大淀に遅れて明石が会議室に飛び込んできて、さらに遅れて桜井中将と翔鶴が入室してきた。

 

 「済まない、大湊の司令官と演習の打ち合わせが長引いてしまってね」

 

 

 

 宿毛湾泊地は、元来太平洋で作戦や演習を終えた艦隊が整備休息のために寄港する後方拠点である、と何度か触れた。それが司令部候補生制度を擁する上で重要な要素となっている。様々な拠点から作戦毎に編成や装備、練度の異なる艦娘部隊が訪れ、教導艦隊にとって得難い演習相手となるからだ。来訪した艦隊も整備休息のお返しに、ということで候補生率いる教導艦隊との演習を快く引き受けてくれる。そして今回の来訪者、大湊警備府艦隊ともその前提で話は進んでいたのだが―――。

 

 やや疲れた表情で椅子の背もたれに深く寄り掛かる桜井中将、その彼を労わる様に翔鶴がテーブルの下でそっと手を重ねる。翔鶴も樫井大佐との打ち合わせに同席していたが、大佐が繰り返し繰り返し懇願していた事を思い出す。分からなくもない話、なのだが…。

 

 「つまり、大湊艦隊が勝利したら、中将と翔鶴さんは、樫井大佐を海軍大学校に特例として推薦を行う、と。そして教導艦隊が勝ったら、手に入れたばかりの新鋭、秋月型防空駆逐艦を転籍させてもいい、と…。へぇ…大規模進攻(イベント)の成果を賭けてまでやることなんでしょうかねぇ~」

 

 頭の後ろで腕を組みながら、明石が腑に落ちない表情で疑問を呈する。艦娘は景品ではありません、と中将の話を聞き大淀と香取の表情が不愉快そうに変わる。桜井中将はそんな三人を眺めながら、樫井大佐の悲痛な叫びを思い返し、説いて聞かせるようにゆっくりと口を開く。

 

 

 -勝ったり負けたりを繰り返し、越えられない壁を目の当たりにした時、目を逸らして心に蓋をする。それでその場は終わりにできるが、壁を超えられなかった事実がなくなる訳ではない。自分が十年以上かけて辿り着いた地点を、日南少尉は軽やかに超えてゆくだろう。自分と何がそれほど違うのか? まだ何も成し遂げていない若者ではないかっ! 中将、私は、日南少尉に勝つ事で、積み重ねてきた年月が無駄ではないと、自分自身に証明したいのです。そのためには、何を賭けてもいい…-

 

 

 「…表面上、涼月の転属や海軍大学への特例推薦を持ち出しているが、樫井大佐が本当に賭けているのは彼の意地であり、執念にも似た挑戦だよ。日南君は司令部候補生として真っ直ぐに歩いているだけだが、大佐の目には…彼を拒み続けた海軍の昇進制度の象徴に映るんだろうね。君たちには分かりにくいかもしれないが、この演習はきっと二人のためにもなると思う。上手く行けば、特に日南少尉は一皮むけるかも知れないね」

 

 

 三人とも腑に落ちないような表情で、中将がそう言うなら…と不承不承頷くが、鹿島は少し違う反応を見せていた。樫井大佐の考えよりも、教導艦隊の編成の方が気にかかってしまう。

 

 「…涼月ちゃんを賭けて、少尉は大湊と戦うんですね…うらやま…ゴ、ゴホン。編成上の問題なら、赤城さんの件もまだ終わってないのに…はぁ…」


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