それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 ジェラシーとコンプレックス。


033. 予期せぬ出会い方

 こんこん。

 

 ノックの音に全員の視線がドアに集中する。日南少尉への中間評価会議、それぞれ違う意見を持つのは当然だが、どうにも鹿島と香取がしっくりこない。おそらく自分でも気づいていないのだろうが、冷静な口調の中でも香取が珍しく感情的になっている。日南少尉への評価で意見が割れている、というよりは鹿島の意見を否定することに拘っているようで、議論が微妙に前に進まずにいた。

 

 秘書艦の翔鶴が目線で桜井中将に確認し、中将もこくりと頷く。一旦頭を冷やし潮目を変える方がよいだろう、と中将はこのタイミングで休憩を挟むことにした。翔鶴がノックに返事をすると静かにドアが開き、すらっとしたシルエットの長身の若い男性が、がっちりしているがやや小太りの中年男性を伴い入室する。隙の無い敬礼を桜井中将に向ける二人は、言うまでもなく日南少尉と大湊の樫井大佐であり、案内役の少尉が口を開く。

 

 

 「失礼します、教導艦隊日南司令部候補生、大湊警備府司令長官の樫井大佐をお連れしました。所属艦娘については、それぞれ状態に応じて入渠や休息を取ってもらっており、そちらの方は夕立と村雨が対応しています」

 その声にぴくん、とツインテールが動き、鹿島は花が咲くような笑顔で振りかえる。だが、同行者がいることに気付き無理矢理頬の筋肉を意志の力で抑え込んだため、奇妙にひきつった表情を少尉たちに向ける事になった。

 

 「ああ、ご苦労だね日南少尉。そして…宿毛湾泊地へようこそ、樫井大佐。太鼓規模侵攻(イベント)は首尾よく完走されたと聞きましたが」

 「はっ! この度は整備休息のための寄港をご許可頂き、誠にありがとうございます。我が艦娘達、精神力と気力で何とか防空埋護姫を撃破したものの、いやぁ、手こずらされました。持参した資材物資で足りるかと思ったのですが、ボーキと高速修復剤を使い果たしてしまいまして、ははは。おおそうだ、中将は今回のイベントには不参加でしたな、邂逅を果たした秋月型防空駆逐艦娘の新型をお目に掛けたく思いますがいかがでしょうか?」

 

 樫井大佐が嬉しそうに桜井中将にイベントの結果を披歴したのを契機に礼は終わり、執務室にいる宿毛湾の中枢メンバーとも呼べる艦娘達が大佐に挨拶をする。大佐の意見具申は、明石が新型の艦娘に強い興味を示したことで受理され、早速樫井大佐は自分の秘書艦の山城に連絡を取っている。

 

 一歩下がりつつ直立不動の姿勢を崩さない日南少尉は、目線だけをちらっと大佐に向ける。依然として樫井大佐は、いかに大湊の艦娘が苦境に負けず乾坤一擲の覚悟で戦い抜いたかを誇らし気に話している。艦娘の精神力に頼るよりも、そういう状況にならないよう彼我の戦力分析や資材消費の目算の方が先ではないのか…との思いが心をよぎったが、高度な独立性が保証される各拠点の運営方針に、他拠点の者、しかも候補生に過ぎない日南少尉が異を唱える資格はない。自分の役割はここまでだな、と少尉は再び敬礼をし、執務室を退出する。

 

 

 

 宿毛湾泊地の中核施設が集中するのは、池島地区である。港湾設備から片島地区との間にある大深浦に注ぐ小さな川で挟まれたエリアで、宿毛湾の入り口に近い西側から見ると、広大な港湾施設、工廠設備や倉庫群、桜井中将のいる執務室を含む本部棟、艦娘寮、防火帯を兼ねた緑地帯とその一角にある甘味処間宮、運動場と練武場、そして広い庭園と菜園が続き、川沿いに建つ居酒屋鳳翔へと続く。今回大湊の部隊三二名、樫井大佐まで含め三三名は、名前こそ居酒屋だが、五〇名程度まで対応可能な宿泊設備を備えた大型料亭というべき鳳翔の店に宿泊する。

 

 「鳳翔さんには宿泊と夕食と朝食の手配はお願いしてあるし、後で大湊の母艦(えんしゅう)の整備補給状況を確認して報告、と。………あれ? 一本曲がる所間違ったかな」

 

 桜井中将の執務室を後にした日南少尉は、先ほど会った樫井大佐の話が微かに頭に残り続けすっきりしない気持ちのままでいた。普段は池島の港から第二司令部のある片島地区まで大発で移動するが、何となく気分転換をしたかった少尉は池島地区を横断し、居酒屋鳳翔で川沿いを北上して橋を渡るルートで片島地区まで戻ろうとしていた。それでもその間、来訪者の樫井大佐の歓待の予定を確認しつつ歩き続けていた日南少尉は、鳳翔の管理する庭園と菜園に紛れ込んでいたことに気が付いた。

 

 季節の草木で彩られた和風庭園は丁寧に整えられ、折々の花は手折られ鳳翔の店を美しく飾る。冬直前の今の季節は目立った花は無く、代わりに赤や黄色に色づいた葉を風に揺らす木々が秋の終わりを知らせている。

 

 「鳳翔さんが手入れしてるだけあって、どの季節に訪れても美しい庭なんだろうな」

 

 色づく木々の紅葉に感心しながら、日南少尉は庭園に設けられた小道沿いに進む。やがてまた別の色合い、今度は花の美しさではなく実りの美しさ、居酒屋鳳翔の菜園が少尉を出迎える。『関係者以外立入禁止』と書かれたプレートの貼られた木戸の向こうに広がるのは、鳳翔が中心となり大鯨、秋津洲、速吸が世話をする四季の野菜や果物と鶏。そして時折艦娘、特に駆逐艦娘が忍び込んで盗み食いをしている。

 

 鳳翔に言えばもちろん分けてくれるが、楽しみは味だけではなくスリルもあるのだろう…日南少尉は、視線の向こうに揺れる銀髪を見ながらそんなことを考えていた。とはいえ、目にした以上止めなければならない。普段は優しさの権化のような鳳翔だが、そういうことには非常に厳しい。ただ今いる位置からは銀色の髪の一部が見えるだけで誰かは特定できない。少尉は小さく木戸を鳴らすと菜園へと歩みを進め、その艦娘に声を掛ける。

 

 「君、ここは鳳翔さんの菜園なのは知っているだろう? 誰にも言わないから、一緒に出ようか」

 「ここの菜園のカボチャ…こんなに大きく! 煮つけにしてもいいですね。きっとお味も、期待できそうです」

 

 すっと立ち上がった艦娘は、左側をひと房束ねたセミロングの銀髪で、大人びた風貌、肩にジャケットを羽織っているのが印象的だ。日南少尉の記憶にない艦娘、けれど忘れた事の無い誰かの面影を感じさせる面差し。あの人はもっと色素が薄かったかな、もっと髪が長くて、瞳の色が青ではなく赤なら…何を考えてる? あの人がこんな所にいるはずが…ない…。日南少尉は自分の考えを振り払うように頭を左右に振り、問いかけられた言葉に辛うじて応える。

 

 「秋月型防空駆逐艦三番艦、涼月です。ここ、どこでしょう? 迷って…しまいました」

 「君は…涼月、か…。そうだよな、あの人の訳が…ない。ここは居酒屋鳳翔の菜園だよ」

 

 

 「樫井大佐、そう気にしなくてもよいでしょう。涼月はまた別な機会にでもご紹介ください。それよりも今日の宿、鳳翔の所でゆっくり休息を取ってはいかがかな?」

 

 経過した時間を考えると、とっくに到着していなければならないが、未だに涼月が姿を現さない。明石が工廠に連絡をして状況を確認した所、涼月はすでに検査を終え本部棟の司令部へ出発していた。イベント攻略の成果を桜井中将に見せる予定は潰れた形になり、苛々と困惑が混じったような表情で、ソファーに腰掛けた樫井大佐は気忙しそうに貧乏揺すりを続けている。

 

 当の涼月が、本部棟とは反対方向にある鳳翔の菜園に迷い込んでいたとは誰も知らず、大淀は捜索の指示を出しながら樫井大佐の気の利かなさを内心感じていた。確かに工廠から本部棟まで迷うほど複雑な道ではない、だが邂逅したばかりの艦娘は練度で言えば一、何もかもが新しく不安な状態なのに、案内も付けず一人で寄越す、というのはいかにも不親切だ。この方には想像力が不足している、それは不確定要素の想定と対応が必要な作戦立案と運用にも如実に現れる…知らない所でシビアな評価を大淀に下されたとも知らず、樫井大佐は何かと桜井中将に話しかけている。

 

 

 その頃、日南少尉と涼月は菜園内に設けられたベンチに距離を空けて腰掛けていた。ベンチの中ほどに座る涼月と、端に座る少尉。何となく話しかけたそうな空気を纏う涼月は少尉に視線を送っているが、当の少尉は困惑したような表情を隠さずに黙り込んでいる。このままでは埒が明かないと思ったのだろう、涼月が口を開く。

 

 「私は…桜井中将へのお披露目ということなので、本部棟という所に行きたいのですが…迷って…いえ、なぜかこの泊地は懐かしくて、つい歩き回っているうちに…やっぱり、迷った、で合ってますね」

 「そうか、君は今回のイベントで大湊に合流した艦娘なんだね。送っていくよ。けれど、宿毛湾が懐かしい、か…。君とここには、何か縁があるのかな?」

 

 少尉の言う縁は、確かにあった。往時の涼月は、普通なら轟沈しても不思議はない重大な損傷を三度に渡り受け、その三度とも生還を果たす不死身とも言える艦歴を持つ駆逐艦である。最初に受けた損傷は、第二回ウェーク島輸送作戦に参加した時のもので、米潜水艦の雷撃を受け2本が命中、凄まじい大爆発によって艦体中央部分だけが残る変わり果てた姿となってしまった。それでも生き残った涼月はなんとか宿毛湾泊地への避難に成功し、最終的に呉まで回航され約半年に渡る大規模な修理を受ける事となった。

 

 「貴方も…私に縁のある方なのでしょうか? 私を…見ていた瞳、綺麗で、でも…悲しそうでした」

 少しだけ間を取りながら、落ち着いた声で語りかける涼月の声に、少尉は思わず視線をむけると、涼月の青い瞳が不思議そうに自分を見ている。

 

 

 -似ている気はするけど、やっぱり違うんだよな。

 

 子供の頃に住んでいた街が深海棲艦の攻撃で壊滅し、避難用フェリーも襲われ、運よく乗った救命ボートで海を漂流し死を覚悟した。そんな自分を助けてくれたのは防空棲姫で、涼月の姿に面影を重ねて見ていた…などとは言えるはずもなく、少尉は涼月から視線を逸らしてしまう。

 

 「ひょっとして…どなたかご存知の方に、私が似ている…のですか? 悲しい事を、思い出させてしまいましたか?」

 非がないのに申し訳無さそうに肩を落とす涼月の姿に、日南少尉は慌てて内心を吐露してしまった。

 

 「いや、違うんだ。申し訳ない、君は何も悪くないんだ。でも、そうだね…君には、昔遠い場所で僅かに時間を重ねた、忘れられない人の面影が…いや、ごめん、聞かなかったことに―――はい、日南少尉です。…分かりました、本部棟に? そうですか、居酒屋鳳翔ならすぐ…い、いえ、何でもありません。はい、了解しました」

 

 -今でも…あれから何年経ったのか。それでもあの赤い瞳と白い影を忘れられずにいて、今一緒にいる艦娘の皆に距離を置いてしまう…。こんな事誰にも言えずにいたけれど、あの人に似た面影の彼女に、つい言ってしまったな…。

 

 助け舟とはこういう事だろうか、と日南少尉は携帯の呼び出し音に即座に反応した。

 

 「涼月、君の司令官と仲間達が居酒屋鳳翔で待っているそうだ。ここからすぐだから、案内するよ」

 

 自分の感情を整理するのに忙しい日南少尉は、ベンチから立ち上がり、振り返らずに歩きはじめる。何か言いたげに手を伸ばした涼月も、目の前の背中に黙ってついてゆく。


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