それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 高練度の機動部隊マジヤベーから。


020. 何もない記憶

 風を鋭く切り裂く音が一瞬鳴り、すぐさま乾いた音が響く。宿毛湾泊地内に設けられた近的用の弓道場、射場に一人立つ祥鳳。28メートル先の的を見据える目には、はっきりと焦りの色が浮かんでいる。彼女の放った矢は辛うじて的の右端に当った程度で、的中には程遠い。射れば射るほどに矢が当たらなくなってゆく。残心、という点ではまったく失格となるが、結果を見て深いため息と同時に項垂れ、祥鳳はついに動きを止めた。すでに弓道場は夕日で照らされ、そこにあるもの全てを赤々と染め上げる。磨き上げられた板張りの床にぽつぽつと黒いしみが増え始める。俯きながら大粒の涙をこぼし、誰に聞かせるでもなく途切れ途切れに吐き出された言葉が彷徨う。

 

 「こんなんじゃ…こんなんじゃダメだよ。もっと、もっと頑張らないと…私が」

 

 

 

 朝食を済ませやってきた弓道場には、すでに他の空母娘が練習に来ていた。空母娘が艦載機を発艦させる方法はいくつかあるが、主流は弓を使い矢を放つ方法。どんなに荒れた海面で戦闘機動を行いながらでも安定して矢を放つこと、それはどんな状況でも盾であり矛である航空隊を発艦させることと同義で、空母娘の基礎にして目標となる。そのために、弓矢での発艦を行う空母娘は文字通り弓道を修める。祥鳳は射場の脇正面に正座し、瑞鶴や飛龍、蒼龍の射法を見学していた。練度も経験も段違いに高い、宿毛湾泊地機動部隊の主力たち。ごく自然に、流れる様な所作で軽く射る。無駄のない洗練された動き。いずれも練度九九かそれに近い強者ばかりだが、先日翔鶴と同じ部隊で演習に参加した祥鳳にとっては、何となく物足りなく見えてしまう。それほどまでに翔鶴の射法は完成されていたように思える。

 

 道場に一礼し、飛龍と蒼龍が座を空けて脇正面へと移動する。次は自分の番。祥鳳は自分の弓を取り上げ、射位へと進むが身体が固いのがよく分かる。二航戦の二人に見られている、さらに隣では瑞鶴が、柔らかい所作で放っているとは思えない速度と威力で矢を的に撃ち込んでいる。緊張が嫌でも増す。

 

 -あ、だめだ。全然集中できてない。

 

 はたして祥鳳の放った第一射は、的を大きく外れ鈍い音を立て安土に刺さった。それから放った十何本かの矢の軌道は全く安定せず、気持ちが焦る一方だった。やがて瑞鶴が去り、飛龍と蒼龍が去り、加賀が訪れては去り、いつしか誰もいなくなった弓道場。朝からもう何本矢を放ち続けただろう。祥鳳は周囲の状況の変化を気にする余裕もなく、ひたすら矢を放ち、矢が尽きれば矢取り道を走って矢を拾いに行き、再び射を繰り返す。

 

 そして気力と体力の限界が近づいた夕暮れ時、我に返った祥鳳はぼろぼろと泣き出してしまった。

 

 

 彼女がそこまで自分を追い詰めた理由、きっかけは一人の来訪者だが、根本はやはり自分自身にある。

 

 

 

 ある日の事、幌筵(パラムシル)泊地から長駆台湾の高雄まで訓練航海に出ていた艦隊が、根拠地に帰投する前の整備休息として宿毛湾に寄港した。それ自体は珍しい事でもないが、その艦隊を指揮していた人物が問題だった。

 

 猪狩 斗真(いがり とうま)少尉。

 

 幌筵泊地補佐官であり、同地司令官の命により艦隊の訓練航海に同行していた。軍内部では、柱島泊地前司令官を務めた猪狩中将のドラ息子として有名である。桜井中将が校長を退いた後の兵学校は、徐々にではあるが軍政側の圧力に抗しきれなくなり、有力者の子弟に対する()()が目立つようになっていた。そしてこの猪狩少尉こそ、日南少尉の卒業年度のハンモックナンバー第二位である。ハンモックナンバーは各科目の成績を元に行う定量評価と、兵学校の教官会議での定性評価を組み合わせ総合的に判定されるが、その教官会議の内容は非公開、かつ軍政側からも()()()()()()()()といえば、どのような物か想像に難くないだろう。

 

 兵学校の変質は、宿毛湾泊地での教導が提督になるための優先レーンと認知された事に他ならない。帝国海軍と海上自衛隊の後身となる日本海軍のキャリアパスは、海軍兵学校卒業(尉官)→軍艦の艦長になり出世(佐官)、上官の推薦→海軍大学校入学→卒業後に将官→出世して提督、となる。これが艦娘の登場後、ルートが大きく三つに分かれた。

 

 軍艦の艦長になる代わりのキーポイントは妖精さんへの感度。ゼロならどれだけ優秀でも通常戦力部隊や参謀本部、技術本部等への配属となる。最低限度『妖精さんを目にすることができる』者は、各拠点に補佐官として着任、地道に何年も働き続け中佐または大佐まで出世した後に、赴任地の司令長官と秘書艦の両方から推薦を得て海軍大学校へ入学資格を得られる。難関の試験を経て入学した同校を二年後に卒業してようやく将官へ、そして戦果を挙げようやく提督へ40歳代半ばで辿り着けるかもしれない。猪狩少尉はこの組である。

 

 宿毛湾泊地での教導は、このルートを大幅にショートカットする。

 

 成績優秀かつ『妖精さんと意志疎通が図れる』ほんの一握りの者を対象に、基本一年最長二年以内と言う期間で濃密に教導を行う。海軍大学校と同等水準の座学、さらに拠点運営の実践と深海棲艦との実戦を伴うので密度は遥かに上とされ、この教導を無事修了できた者は、最低でも少佐、成績次第では中佐か大佐へと昇進、拠点長としていずれかの拠点に配属される。その時点で「司令」「司令官」の職名が与えられ、戦果次第ではすぐに将官への道が開く。その点、日南少尉は三〇歳前に提督に辿りつくことさえ夢ではない。さすがにそれは極論だが、現実的な可能性が十分にあるのも事実である。

 

 女の嫉妬は愛情から、男の嫉妬は出世から、と言われるが、学生時代の成績は日南少尉に迫るほど優秀だった猪狩少尉が、妖精さんとのコミュニケーション力が決定的な差となり、司令部候補生の座を逃した。その彼が日南少尉にどのような感情を抱いているか、推して知るべしである。

 

 果たして、桜井中将が催した幌筵部隊慰労会の席上で、猪狩少尉はねちねちと日南少尉の悪口を言いたて始め、それに五十鈴が激ギレして喰ってかかる状況になった。桜井中将の仲裁もあってそれ以上に事態は悪化しなかったが、もやもやは残る。結果的に軍人らしく演習で白黒つけようという猪狩少尉の言い分を日南少尉は受けて立った。

 

 「日南、お前はこれから1-4に進出するんだろう? いいぜ、協力してやるよ。機動部隊同士で演習と行こうじゃないか。幸い、幌筵の司令官から今回預かってる部隊には千代田と千歳がいるからね。まあ練度はそんなに高くない、改二になったばかりだよ。日南、お前の空母は―――?」

 

 この時点で教導艦隊にいる空母戦力は、祥鳳とその妹・瑞鳳、いずれも着任から日が浅い二人である。

 

 

 

 「あ、あれ…おかしいな…。指…弓から離れないや…」

 

 板張りの床にぺたんと女の子座りで座る祥鳳。涙で濡れた頬を拭おうと弓を置こうとしたが、弓を握ったまま膝の上に置いた左手が開かない。何時間同じ形で握りしめていたのか、手が自分の言う事を聞いてくれない。

 

 祥鳳が途方に暮れていると、射場の左右に設けられた出入り口で影が動く。

 

 「あ………」

 

 無言のまま、夕日に照らされた第二種軍装を着た日南少尉が近づいてくる。祥鳳の正面に片膝を立て座ると、そっと左手を取り、マッサージを続け、少しずつ、緊張で強張った左手をほぐしゆっくりと開いてゆく。戒めを解かれた弓は、祥鳳の膝に落ち、その上を滑る様にして床へと落ちる。

 

 かたーん。

 

 乾いた固い音が弓道場に響き、その音を切っ掛けに二人の目が合い、日南少尉が初めて口を開く。

 

 「気は済んだかな?」

 

 ただ淡々と、思いつめ過ぎた祥鳳を柔らかく窘める言葉。祥鳳は涙が止まらず、無我夢中で日南少尉の胸に飛び込んで大声を上げて泣き始めた。そのままの勢いに押される様に、少尉は座ったまま祥鳳を抱き止める。

 

 

 

 どれほど泣き続けていたか、やっと落ち着きを取り戻した祥鳳は日南少尉を見つめ、自分がどういう体勢でいるのかに気付き、慌てて少尉から体を離し、肩脱ぎにしていた弓道着を着込む。そして正座から深々と座礼をする。

 「あの…日南少尉…本当に申し訳ありませんっ! 私、何て事を…」

 対する日南少尉は胡坐から片膝を立てて、薄く微笑みながら頷く。

 「努力家なのは知っていたつもりだけど…何が君をここまで駆り立てるんだ?」

 

 「艦娘は過去の記憶を持つ…のでしょう? でも、私には何もないんです。覚えているのは、必死に敵の急降下爆撃隊の攻撃を躱して躱して、それでも最期は…」

 

 それもまた過去の記憶。珊瑚海海戦-史上初の航空母艦同士の激突であり、往時の祥鳳は日本海軍が最初に喪失した空母となった。九〇機を超える米軍機に襲われ、それでも二八機もの急降下爆撃機の攻撃を躱し切る離れ業を見せたが、衆寡敵せず、軽空母一隻を沈めるのには過剰な爆弾一三発・魚雷七本を叩き込まれ珊瑚海に沈んだ。

 

 「今度の作戦海域でも、いいえ…あの幌筵の指揮官との間の演習、絶対に負けたくないんです。少尉の事をあんな風に言うなんて…。でも…私が戦いの中心になる、そう言われても、どう戦えばいいか…自信が無くて不安なんですっ! だから、とにかく一本でも多く矢を放って、感覚を身に付けないと…」

 

 「なるほど、ね…」

 改めて日南少尉は祥鳳に視線を送る。この小柄な少女は、自分を悪しざまに見下した相手との演習に臨むため、戦力差のある相手に立ち向かうため、一人でここまで思いつめていた。

 

 「努力と無理は、それでも違うと思うんだ。そもそもそんな状況にさせないよう、作戦で負けるつもりはない。それは演習でも実戦でも同じだ。だから、何もかも一人で負う事は無い、いいね? さあ、帰ろう」

 その言葉に祥鳳が顔を上げる。目の前には先に立ちあがった日南少尉が手を差し出している。その手を掴み、引き上げられるよりほんの少し勢いよく立ちあがり、再び少尉の胸に顔を埋める。今度は無我夢中ではなく、はっきり自分の意志で。

 

 「…ありがとう、ございます。…これからも頑張りますね…」

 


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