それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 宿毛湾アイテム屋の売れ筋:合鍵


018. 例えばこんな休日:後半

 朝食を済ませた日南少尉は、島風に頼まれポニーテールを結び直していた。

 「お願い、曲がってるような気がして、何か落ち着かないの」

 そう言いながら膝の上にぽすんと座り少し前かがみになる島風は、両手で長く垂れた金髪の束をかき上げる。白く細いうなじに日南少尉が戸惑っていると、「ねー早くー」と島風が体を揺らして不平をこぼす。

 

 そっと、壊れ物に触るように、島風の頭をなぞる日南少尉の指がゆっくりと髪の結び目まで至り、解く。背中を向けられた少尉からは勿論見えないが、この時島風は頬を染め僅かに唇を開き声を漏らしそうになったが、そこにノックとほぼ同時に入室してきた黒髪の艦娘が登場する。

 

 「…初雪、何も見てない、から」

 紙袋を抱えた初雪がちらりと二人に視線を送ると、そのまま進んで冷暖炬燵にINする。テーブルにポテチやお菓子を逆U字型に並べ終えると、小さな枕を置き頭を置く。そして左手で枕元に置いたマンガを読み始め、右手は時々思い出したようにお菓子を摘む。

 

 日南少尉と島風が流れる様に自然な動きで定位置を確保した初雪を呆然と見ていた所に、今度はウォースパイトがやってきた。同じように二人にちらりと視線を送ると、こちらもまた定位置の玉座を模した椅子に腰かけ、持参したハードカバーの本を読み始める。執務室に据えられた玉座もどんどん豪華に大型化し、玉座へと昇る階段の段数も増え、特に背もたれの部分は今では天井に届くような高さにまでなっている。その後も鹿島、荒潮、綾波、由良と続々と執務室に姿を見せ、普段より人が多いくらいの有様である。

 

 今日は休日だというのに、何でこんなに朝から人が集まるのか? よく見ればウォースパイト、初雪、島風以外は私服を着ている。状況が呑み込めずにいる日南少尉は、島風を膝に乗せたまま問いを発する。

 

 「あー…みんな、どうしてこんなに集まってるのか分からないけど、一応休みだから私服でいるけど、今日は仕事をしようと思ってるんだ。」

 

 全員がざわめくが、鹿島が執務机に進み出て、日南少尉と向かい合いその理由を問い返す。鹿島はいつもの白い礼装をベースにした軍服ではなく、腰にリボンのついた黒のボックスプリーツスカートに、襟元が刺繍で飾られた、胸元が広めにあいたキャメルブラウンの柔らかい素材のブラウスを着ていて、まるでどこかに外出するような出で立ちである。

 

 昨夜完成できなかった遠征計画の続き、そう聞いた鹿島は、綺麗な人差し指を唇に当て一瞬だけ考えた表情を浮かべると、にっこりとほほ笑む。

 「分かりました少尉、それでは私がそのお仕事を引き継ぎますね。休む時に休むのも、立派なお仕事ですよ」

 「いや、お気持ちは有り難いのですが、鹿島教官もどこかに出かけるのですよね? これは自分の仕事ですし、そこまでご迷惑は…」

 「そうですね…出かけようかな、と思っていましたが、その予定はなくなりました。全然分かってないようですので…。とにかく、少尉は今日はお休みする事、それが大事ですっ。それに、遠征計画とP/L(損益計算)なら、私の方がはるかに得意ですから。…そりゃあ、教官としてはどうかと思いますけど…」

 ジト目で日南少尉を見つめる鹿島は、はあっと大げさなため息をつくと腰に手を当て、生徒をたしなめる教官の顔に戻る。同じように他の艦娘達もやれやれ、といった表情を浮かべている。それでも言い返そうとした少尉を制するように、頭上から声が降ってくる。無論、玉座に座すウォースパイトの声である。

 

 「ヒナミ、work hard, play harder(よく働き、よく遊ぶ)…メリハリが無くてはよい仕事はできませんよ」

 

 

 

 そして〇九〇〇(マルキュウマルマル)、半ば追い出される様に執務室を後にした日南少尉は、所在なさ気に第二司令部棟の玄関前に立ち尽くす。

 

 「うーん、休めって言われてもなあ…。自分の仕事を肩代わりしてもらってるのに」

 頭の後ろで両手を組み、ぼんやりと周囲を見渡す日南少尉は、正門の傍にいる一人の艦娘に目が止まった。所々白い雲が浮かぶ澄み切った秋晴れの空の下、規則正しく響くざっざっと地面を掃く箒の音。

 「制服は個体認識上有効だっていうのが良く分かるよ。髪型と服装が変わると、まるで別な人みたいだから…」

 

 くるり、とまるで少尉の気配を察知したかのように、その艦娘-神通が振り返る。薄い笑みを浮かべ、ゆっくり箒を地面に置き、敬礼の姿勢を取る神通に、日南少尉も反射的に敬礼を返し、ゆっくり近づいてゆく。

 

 先ほどまでのゆるゆると気ままな艦娘達と打って変った、規律のみで動いているような神通に日南少尉は直れを命じる。ようやく右手を下した神通だが、それでも休めの姿勢を取っている。うーん…何となく堅苦しく感じた少尉は、思わず鼻の頭をぽりぽりと気まずそうに掻く。軍人という意味では、目の前で神通が取っている姿勢の方が正しいのだろう…そんな事を考えていたが、自分を見つめる神通の視線に気が付いた。

 

 「発言…してもよろしいでしょうか?」

 「もちろん、どうした?」

 「この格好…少尉はどう思われますか?」

 この格好とは今神通が着ている私服の事だろう。黒い薄手のニットは神通の上半身にフィットし、その引き締まったスタイルと胸の膨らみを明らかに示す。タイトジーンズも同様に細過ぎでも太過ぎでもない長い脚をより綺麗に見せている。無造作に後ろで一本にまとめている髪型でさえ、余計な手を加える必要がない、そう宣言しているようだ。神通に見とれている自分をじっと見つめ返されている事に気付いた日南少尉は、慌てて視線を逸らす。

 

 「いや…ごめん、女性をまじまじと見るのは失礼だよな。でも、とてもよく似合っていると思う」

 「そう、ですか…。那珂ちゃんに無理矢理着せられたのですが…でも、私には…よく分かりません」

 

 無防備に無造作に、自分の体を日南少尉に見せるかのように神通は立ち尽くしている。その様子は戸惑っているようにも見える。

 

 「神通…?」

 「兵器…兵士…どう見られているか、それはお任せしますが、少なくとも、()()()()()()では、ありません…。いくら柔らかい女性の体を得たとしても、私は軽巡洋艦の神通です。なのに…みんなはごく普通の女性のように振舞っています。那珂ちゃんなんて、この戦争が終わったら艦隊のアイドルを卒業して、国民的アイドルになるんだ、とかはしゃいでいます。それだけじゃない…少尉に心を寄せている子までもいます。私には理解できなくて、混乱しちゃいます…」

 

 日南少尉も、突然の告白に言葉を返せずにいると、目の前を見ているようでどこも見ていない、不思議な表情を浮かべながら、神通が言葉を続ける。

 「素体と呼ばれる人工生命体に移植された、往時の記憶と魂、それが私達です。国を守り民を守り敵を殺し沈むまで戦場で戦う。私はまだまだ練度が低く砲雷戦では十分なお役にたてませんが、幸い、この素体の運動能力はかなり高いようです、それが前回の戦いで分かりました。私が理解できたのは、どうすればこの体の性能を最大限発揮するのか、それだけです」

 

 

 時雨だけじゃない、神通もまた―――救うとか導くとか、そんな傲慢なことは言えない。君達は心があるから人間だ、なんて綺麗事も言えない。ただ、それでも自分だけの思いはある。

 

 「…戦いは避けられず、君たちの力は絶対に必要だ。自分が目指すものはその先にしかなくてね…。他人(ひと)の力を借りなきゃ辿り着けない、叶うかどうかも分からない夢。それでも自分は諦めたくないし、少しずつでも一歩ずつでも前に進む。だから、この先も一緒に戦ってほしいし、その先にあるものを、自分の目で見て判断してほしい」

 

 不思議そうに見返してくる神通から日南少尉は目を逸らさずにいる。しばらく経ち、ふっと寂しそうな表情で神通が呟く。

 「夢、ですか。少尉の仰ってるのは、過去でも現在でもない、未来のお話ですよね。もしよかったら、少尉の夢を教えていただけますか? 私には…ないものですので…」

 

――――――――――。

 

 「そんなことが…本気で実現できると思っているのでしょうか? ますます混乱しちゃいます…」

 それでも先ほどまでとは違う、柔らかい微笑みを浮かべた神通が、何となく納得した表情で頷いている。

 

 「今の私には…やっぱり分かりません。でも、司令官の作戦をどんな状況でも実行するのが私の役目です。だから、戦いの先にある物を見ろ、そう命じられたと理解します。きっとこのご命令は、あなただけが下せる、そんな気が…します」

 

 

 

 「はい、日南少尉、こちらが向こう三か月間の任務消化に対応した遠征計画です。計画を実施した場合に得られる資材と任務報酬の見込み、それらに基づく収支のベースラインはこうですね。ここにデイリー任務での支出と収入と加えると―――」

 

 神通と別れた後、宿毛湾の市街地を独りでぶらぶらした日南少尉は、日暮れ頃に第二司令部に帰投した。夕陽が赤く照らす執務室では、鹿島一人が残りラップトップで何か仕事をしていた。ドアの開く音に気付き、たっと駆け寄ってくる。満面の笑みで差し出してきた計画書のサマリーを見て、日南少尉は落ち込みかけていた。内心の動揺を見透かすように、鹿島がふふーんというような表情で話を続ける。

 

 「それもこれも、日南少尉が昨夜まとめていた計画の精度が高かったからですよ、これはもう、花マルあげちゃう出来でした、うふふ♪ そうじゃなきゃ私だって三時間でこの計画をまとめられませんでした」

 

 三時間ってほとんど午前中だけで、ここまで緻密な計画を組んだってことか…立てた人差し指を唇に当て、軽くウインクしてくるツインテールの艦娘の実務処理能力の際立った高さに、日南少尉は圧倒されると同時に、任せきりにして甘えてしまったことに罪悪感を覚え、謝罪の言葉を口にしようとして、果たせなかった。

 

 鹿島の細い人差し指が、開きかけた自分の唇を塞いでいる。

 

 「ごめん、よりも、ありがとうの方が嬉しいかな。鹿島、どんどん成長してゆく少尉をサポートできることが本当に嬉しいんです。私だけじゃなく、今日はみんなで協力して色んな書類関係片づけちゃいました。少尉、もっとみんなを頼っていいんですよ。たまには凪の日があっても、いいじゃないですか、うふふ♪」


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