それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ。
 日南少尉、始まる。


015. VS自分

 細かく波立つ海面を切り裂くように足元の主機は唸りを上げ、体を前へ前へと推し進める。今日は風が強いが、六人の艦娘達は風圧に負けない力強さで前進を続ける。唯一玉座を模した艤装に腰掛ける形のウォースパイトを除き、時雨、島風、綾波、神通、五十鈴の五名は、吹き荒ぶ風に髪を躍らせ、制服のスカートの裾も大きくはためいている。先頭を行く旗艦を務める時雨が敵前衛艦隊との戦闘で損傷しているが、他の艦娘達には目立った損傷もなく、艦隊の士気も高い。

 

 今回で五回目となる製油所沿岸海域への進攻は、北回り航路に入ることに成功した。この航路に入り敵前衛艦隊を突破すると、敵主力艦隊が陣取る海域最奥部へ到達できる可能性が高まる。あくまで高まるだけだが。

 

 可能性―――。深海棲艦との戦端が開かれて以来、人類は敗走に敗走を重ねてきた。その理由は至って簡単なもの。深海棲艦をレーダーやソナー、センサーで探知できないからだ。だが言いかえると、電子兵装に障害が発生する海域に深海棲艦は巣食っている、その関係性が明確になった。そして、その海域で、原理は不明ながら深海棲艦の存在を感じられるのが妖精さんであり、その力を宿す艤装を身に付ける艦娘である。

 

 それでさえ進軍は不安定なものになる。妖精さんが深海棲艦の存在を感知できる範囲は大雑把で精度は低く、それを頼りに前進し艦娘の電探により中短距離で探知精度を補う。要するに行ってみなければ分からない、そういう方法ゆえに、いつしか大航海時代に準え『羅針盤に勝つ』という言葉まで生まれた。

 

 今回の出撃で時雨たちは一度目の羅針盤に勝った。この海域では二度羅針盤に勝たねば最奥部への航路を取ることができず、それゆえに教導艦隊は出撃を重ねていた。

 

 

 

 「前衛艦隊は全艦撃沈とのことだけど、よくやったね。ところでこっちの被害状況は?」

 「ありがとう…よくやった、そう言ってもらえるのは本当に嬉しいよ。被害は…僕がかすり傷を負ったくらいだよ」

 

 海域最奥部に向け進行中の部隊、旗艦の時雨と日南少尉は状況把握のため通信中だが、時雨の言った『かすり傷』の言葉に日南少尉は眉を顰める。報告と呼ぶには主観的な表現、言葉通りなのか、あるいは正確に報告すれば作戦の中止を命じられる損傷なのか。いずれにせよ時雨には曖昧にしたい何かがある…日南少尉の声に力が籠る。

 「時雨…正確に報告してくれるか? 損傷は艤装なのか身体なのか、状況によっては―――」

 「少尉、ごめんねっ。妖精さんが何か感知したって言ってるんだ。ここからが勝負所だね。航路が確定したらまた連絡するよ」

 

 今行くから、という時雨の声。おそらくは僚艦への呼びかけだろうが、その声が遠くなりながら通信は終了し、日南少尉と鹿島は何とも言えない表情で顔を見合わせる。ずいっと、頬を膨らませた鹿島の顔がすぐ間近に迫る。思わず身を引いた少尉だが、鹿島の表情がいつものように自分をからかうものではない事に気付く。

 

 「大丈夫でしょうか、時雨ちゃん達…いえ、時雨ちゃん…」

 

 これまで四回の出撃では、羅針盤に翻弄され海域最奥部に陣取る敵主力艦隊との交戦には至っていないが、日南少尉は言葉通り迷いの無い指揮を取っている。今日こそは、の思いで作戦司令室には遠征組以外の艦娘が詰め、今回の戦いの成り行きを見届けようとしている。教官の立場を利用して作戦補佐という役割を強行に主張し日南少尉の隣に陣取る鹿島だが、往時は第四艦隊の旗艦を、さらに現界した今は宿毛湾で教官を務める経験と実績を活かし、的確かつ献身的に少尉をサポートしている。

 

 

 

 「や~りま~したぁ~」

 ニコニコしながら海面を飛びはねる綾波が、海上に突き出した櫓のような建造物へと急ぎ、五十鈴や神通もそれを追う。妖精さんが感知したのは、遺棄された海上プラント。深海棲艦の登場以来、それまで海底資源の採掘用に建てられた施設が至る所に遺棄されている。深海棲艦の攻撃で破壊された物も多いが、難を免れ今も現役で稼働している物も多い。ここ製油所沿岸海域では、その名の通り石油精製プラントが生き残り、艦隊に僅かながらの補給を齎してくれた。だが、島風とウォースパイトはプラントへ向かわず、時雨の様子を気に掛ける。

 

 「時雨、ほんとにどこも痛くないの?」

 「シグレ、きちんとヒナミには報告しましたか? 彼は何と?」

 「うん? 損傷は艤装なのか身体なのかって確認されたかな。この程度で日南少尉に心配かけたくないしね」

 「中破はこの程度とは言いませんよ。シグレ、貴女は一体何を考えているのです?」

 

 顔を覗き込もうとする島風を躱す様に、頭の後ろで両手を組み、くるりとフィギュアスケートのようにその場でターンする時雨を、ウォースパイトは冷めた視線で眺め厳しい言葉を投げかける。その言葉に、ぴたり、と動きを止めた時雨が真っ直ぐに見つめ返す。

 

 「遥か昔、僕たちがまだ軍艦だった頃の記憶…あの時、スリガオ海峡を突破しようとした扶桑も山城も…どんなに被雷しても前進を止めなかった。それでも…辿り着けなかった…。何かが僕を駆り立てるんだ、止まるなって…日南少尉のためにも、僕は…」

 

 ウォースパイトは思わず顔を顰めてしまった。過去の記憶を受け継ぐ艦娘は、濃淡の差はあるがその影響を心身に受けている。自分は身体だが、時雨の場合、生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)として心理面に現れているようだ…ウォースパイトが重ねて声を掛けようとしたのを遮るように、五十鈴が慌ただしく時雨の元へ駆け寄ってくる。部隊で唯一電探を装備している五十鈴の齎した情報は部隊を騒然とさせるのに十分な内容だった。

 

 「正しい方向に連れてきてくれた妖精さんにお礼しなきゃだね。南東四〇km地点に、戦艦ル級を中心とする敵主力艦隊を五十鈴さんの電探がキャッチしたよ。第二戦速で北西に進行中だって。僕たちを迎え撃つつもり、かな」

 

 

 

 南東に向かう教導艦隊と北西に進路を取る敵艦隊。向かい合わせで四〇kmの距離をお互い第二戦速で潰し合えば約三〇分後に会敵する。

 

 「反航戦カッコカリ、ですね」

 同意を求める視線を送る鹿島の声に、厳しい表情を崩さずに日南少尉が頷きかけた所で、緊迫した声で神通が事態の急変を告げてきた。

 

 「日南少尉っ! 時雨ちゃんの左主機から煙が…戦列から落伍中! ああ…中破なのに無理をするから…。と、とにかく、指示を…いただけますでしょうか!!」

 

 スピーカーから届いた時雨中破の言葉に、作戦司令室がざわめく。片側の主機が停止ということは、楽観できる状態ではない。しかも落伍した時雨を支えるためすでに戦列は乱れ足が止まりかけているようだ。指令室に満ちたざわめきは、すぐに日南少尉の怒号でかき消された。普段穏やかな彼がここまで感情を露わにするのを皆初めて見た。

 

 「なにがかすり傷だっ! 状況が分かってたら違う手も打てたのにっ! …今言っても仕方ない、神通、敵艦隊状況知らせっ。鹿島、情報精査、敵の動きを予測っ」

 

 神通からはこちらの動きが乱れ速度が落ちたのを察知した敵艦隊が増速したとの情報が入り、それを聞いた鹿島が顔色を変える。

 「これでは格好の的になっちゃいますっ。反航戦を挑むように見せかけ、相手が釣られたら急加速してから回頭、丁字に持ち込んで瞬間的に大火力を叩き込む…やろうとしてた事をやられちゃうかも…少尉、どうしましょう…」

 

 必死の表情で鹿島が日南少尉に訴える。状況は一気に悪化した。この間にも彼我の距離はどんどん縮まり、このままでは艦隊は大打撃を受けかねない、最悪の場合誰かが轟沈する恐れさえ…。作戦司令室にいる全員の視線を一身に集めながら、日南少尉は一つ大きく深呼吸をすると指示を出す。

 

 「全員良く聞いてくれ。全員第三戦速まで増速し突入続行」

 

 その言葉に全員の顔色が変わる。犠牲を顧みないつもりなの? 囁かれ始めた非難めいた声を気にする様子もなく、日南少尉は指示を続ける。

 「敵艦隊との距離二〇kmまで接近したら…ウォースパイト、斉射開始だ。弾着観測は不要、target at random(自由目標で攻撃)、広角で撃ち続けてくれ」

 「ちょ、ちょっと待ってヒナミ。私達の位置だと追い風なのよ。そんなことをしたら砲煙で視界が遮られて命中弾が得られないわっ」

 堪らずにウォースパイトが割り込んでくる。追い風での砲撃は、第一斉射の砲煙が風で前方に流れそれ以降の砲撃の視界を遮ってしまう。しかも少尉は連続砲撃を指示している。

 

 「そう、追い風だからね。砲煙が君達の姿を覆い隠してくれているうちに体勢を立て直す。神通、君は五十鈴、島風、綾波を率いて突入、雷撃戦を仕掛ける。深追いはしなくていいが、できれば雷巡と駆逐艦は叩いてほしい。そして時雨…」

 

 非難の囁きは、すでに感嘆の声へと変わっている。状況と天候、人型の大きさを利用し、砲煙で自分達の姿を隠しながら体勢を立て直し、反転攻勢に打って出る作戦…特に鹿島はキラが三重についた状態で日南少尉に熱い視線を送り続けている。だが深追いはしない―――状況が状況だから、判定勝ち狙いは仕方ない、というより合理的な判断、誰もがそう思ったがすぐにそれが間違いだと気づかされる。

 

 一方、名前を呼ばれたものの指示がない時雨は、ある種の覚悟を決めていた。損傷を隠し進軍し、肝心な場面で部隊の足を引っ張った…時雨の行動を客観的に見ればそう言われても反論の余地はない。当然、厳しい処罰を後日下す、そういう意味の話が続くのだろうかと、再び指令室に緊張が走る。

 

 少しの間が空き、見えないのを承知だろうが、日南少尉はふっと相好を崩し話し続ける。

 「…君はウォースパイトの護衛だ。そしていざとなったら回避に専念すること。これは命令だ。神通率いる水雷戦隊は、敵に打撃を与えるだろうが、相応に被害も受けるだろう。君には残存の水雷戦隊を率いて夜戦を仕掛けてもらう。だから、これ以上の損傷を負う事は許さない。…損傷の過少報告…君を信頼しているから、自分は君を叱らねばならない。だから…必ず帰って来るんだ、いいね?」

 

 スピーカーからは、時雨のうんうんと頷く声とすすり泣く声が伝わってくる。

 

 「シグレ、さあ泣き止みなさい。そろそろ二〇km地点よ。Enemy ship is in sight. Open fire!」

 

 ウォースパイトの凛とした声が嚆矢となり、敵主力艦隊との戦端が開かれる。


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