それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 女王陛下のサービスと回想を両立する回。


013. それだけでうれしい

 桜井中将は執務机に就き日南少尉が提出した報告書にじっくりと目を通し、一つ大きく頷いた。机を挟み直立不動の姿勢の日南少尉も、小さな安堵のため息を漏らす。だが報告書を読み終えても中将は何か言いたげな視線を日南少尉に送っている。

 

 「………中将、何か?」

 「ふむ…日南君、時間はまだ少しあるかな。応接の方へ移ろうか」

 

 促されるままに、広い執務室に設えられた応接セットへと少尉は向かう。杖を突きながらゆっくりとした足取りの中将の着席を待ってから、革張りのソファに浅く腰掛けた少尉は、少し身を乗り出す様にして中将が口を開くのを待っている。

 

 「済まないね、秘書艦(翔鶴)には席を外させたからお茶の一つも出せず」

 

 意図的に自分と二人で話をする時間を作ったと言われては、日南少尉は気を引き締めるしかない。膝に肘を置き口元を隠す様に手を組む中将の視線は柔らかく日南少尉に注がれている。

 

 「聡明で自己抑制が強い君が相手だ、単刀直入に言わせてもらうよ。君は、幼少時の経験から深海棲艦との和平を夢見ている、そしてキール留学時の経験から艦娘の損傷を恐れている。この二つが混ざり合った結果、艦娘の指揮は守勢的になり、深海棲艦との戦闘も殲滅せず敵が引けば追わない。違うかな? 日南君、曖昧な指揮は彼女達を死地に導いてしまうよ」

 

 視線を日南少尉から逸らさず、それでいて世間話をするような穏やかな口調の桜井中将。的確な内容と分析に、日南少尉は一言の反論もできず、ただ俯くだけだった。だが続く言葉に、堪らず日南少尉は顔を上げる。

 

 「和平は過程に過ぎない。その結果として何を目指しているのかな? ゴールが曖昧だから君は迷う、当然のことだ」

 

 戦争や紛争・災害が無く世の中や暮らしが穏やかな状態が平和、争っていた当事者が仲直りするのが和平、意味は似ているが明確に違う。ある日海から現れ、無差別に攻撃を開始した深海棲艦。軍民の別を問わず海を行く船は全て沈められ、その攻撃はすぐに内陸部へも及び、いくつもの街や地域が灰燼と化し数多の人命が失われた。産学官に宗教まで日本が総力を挙げた『天鳥船プロジェクト』の成果として艦娘が誕生するまで、どれほどの犠牲を払い続けたか。平和に至る過程としてしか和平は成立せず、相手を圧倒し交渉の場に引きずり出すか、双方が相互理解のもと交渉に臨むかとなる。深海棲艦とどうやって交渉するのか? その答を日南少尉は持たねばならない。それは政治の話だ。それでも―――。

 

 「―――軍人、分けても提督であろうとするなら、君は艦娘達を戦わせるより他ない。戦って勝って、深海棲艦を和平交渉の場に連れてくるしかない。艦娘の目的意識と存在理由は不可分、彼女達は戦船であり女性であり、何より軍人なのだよ。日南君、この場で君に答えは求めない、けれどハッキリさせるべきだよ。軍のためにも艦娘のためにも、そして君自身のためにも…む、済まない、電話のようだ。ああ、私だ。今は日南少尉と…ふむ、そっちに島風が…そうか、そういうことなら―――」

 

 携帯を片手に立ち上がり席を外していた桜井中将が呼びかけるが、再び俯いた日南少尉は、ぼんやりと膝に置いた自分の拳が震えるのを眺めるしかできずにいた。

 

 「もうこんな時間か…気分転換に鳳翔の所にでも行こうか。私は一つ片づける事があるので、先に行って始めていてくれ、いいね」

 

 

 居酒屋鳳翔―――。

 本部棟に近いこの施設はいつも多くの艦娘で賑わっている。白木のカウンターが眩しい代名詞の居酒屋、日南少尉の歓迎会の会場となった和洋広間、そして敷地の西側を流れる川に面したプライバシーの確保された個室…名前こそ居酒屋だが、その規模は料亭と呼んでも遜色ないものである。

 

 からからと軽い音を立て店の入り口の引き戸を開けると、中から涼やかな声がする。

 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、日南少尉」

 

 白木のカウンター席に着いた日南少尉。その向こうには、薄紅色の着物の上に白い割烹着を着た鳳翔が、左手に持った小皿を口元に運び味見をしている。納得がいったようで、うん、と小さな声を上げくるりと振り返る。鳳翔の動きに合せポニーテールも揺れる。

 

 「歓迎会以来でしょうか、随分お会いしていない様な気がしますね」

 「済みません、こんな立派なお店だと気おくれしてしまいまして」

 イタズラっぽい笑顔でからかう鳳翔に、苦笑いを浮かべながら返す日南少尉。

 

 「ふふ…日南少尉の部隊のみなさんは、ちょくちょくお店に来てくださいますから。遭遇戦を避けてらっしゃる、という所かしら?」

 

 料理を用意する所作の流れに乗せ、さりげなく発せられた言葉に日南少尉は固まってしまい、辛うじて目だけで鳳翔の動きを追いかけていた。視線に気が付いた鳳翔は、片手を頬に当てながらワザとらしく嘆息する。

 

 「いえ、こういう場所でお店をやっておりますと、色々な話を耳にしますし、桜井中将からも日南少尉のお話をゆっくり聞いてあげて欲しいと頼まれまして。貸切ですのでゆっくり寛いでくださいね。さて、今日のお料理は私にお任せいただいてよろしいですか。含め煮から始めますね」

 

 今度は日南少尉が嘆息し、桜井中将は最初から自分一人を居酒屋鳳翔に行かせるつもりだったことをやっと理解した。既に自分はここにいるし、席を立つのは中将にも鳳翔にも失礼である。せっかくだし…と気分を切り替えて日南少尉は鳳翔の料理を楽しむことにした。

 

 含め煮。

 素材の持ち味を引き出すためたっぷりの薄味の煮汁で時間をかけて味を含ませる煮方。季節感、素材同士の相性、全体の色彩、食感…これらを念頭において組み合わせられ、基本にして奥深い料理である。

 

 ことり、と小さな音と共に、椎茸、人参、南瓜、高野豆腐、鶏肉が盛られた器が日南少尉の目の前に置かれ、香りがふわりと広がる。思わず箸に手が伸びかけた日南少尉だが、まず鳳翔に向かい軽く目礼し、料理に手を合わせてから食べ始める。まずは出汁の良くしみた高野豆腐から。口に含むとじゅわっと染み出る出汁は、どうも灰汁が感じられる。んん? と思いつつ南瓜に箸を伸ばすと煮崩れている割には芯まで火が通り切っていない。人参も同様だ。いや、これは…歓迎会の時の料理には程遠い、でも…。日南少尉が微妙な表情で逡巡する様を、鳳翔はなぜかにこにこしながら眺めている。

 

 「いかがですか?」

 「え…そ、そうでね…」

 

 問いかけながら答を確認しようとせす、鳳翔は真面目な相に変わり話し始める。

 

 「含め煮は決して難しいお料理ではありません。ただ、仕上がりのお味をきちんと想像して、素材ごとの持ち味を最大限活かすよう、下拵え、煮る順番や火加減に注意して、時間を掛けて仕上げないと、思ったとおりのお味になりません。日南少尉、どう思われますか?」

 「いや、自分は料理を………いえ、料理の話ではないのですね…」

 

 自分が目指すものを示し、様々な個性を持つ艦娘達、その彼女達の持ち味が生きるよう指揮を執る。何より優先順位を定め強弱を付けた行動により、時間を掛けて達成する。自分に足りないのはそれではないのか。鳳翔は料理を通してそれを教えようとしている―――。

 

 日南少尉の指摘に、鳳翔は微笑みながら意味ありげな言葉を残すだけだった。

 

 「ふふふ、どうでしょうか。私は、純一な気持ちに少し手をお貸ししただけです。改めて含め煮を召し上がっていただきますね」

 

 鳳翔の視線の先を追いかけるように日南少尉も見ると、その先―――。

 

 湯気がほんのり上る器を載せたお盆を持った島風が、覚束ない足取りで近づいてくる。緊張しているのか、一歩歩くたびに黒いウサミミが揺れ、日南少尉に目もくれず視線はお盆に注がれてる。

 

 「し、島風っ!?」

 

 まったく予想していなかった展開に日南少尉は上ずった声を上げてしまった。その間にも自分の座る席までやってきた島風が、おずおずとお盆から含め煮の盛られた器を目の前に置き、不安そうな視線を送ってくる。どういうことか分からず、少尉は助け船を求める様に鳳翔の方を見る。

 

 「随分心配をかけてるようですよ、日南少尉。その点は反省してくださいね。島風ちゃんは、元気のない少尉が心配で、元気が出るお料理を教えてほしい、そう言って私の所に来たのです」

 「でもっ!!」

 鳳翔の言葉を遮るように鋭く声を上げる島風。大粒の涙が目の端に溜まり、ぷるぷると震えている。

 「でも…ぜんぜんできなかったもん…」

 「大丈夫ですよ、二度目に作ったのはとてもいいお味でしたよ」

 「だってだって、ほとんど鳳翔さんにやっちゃってもらったし…」

 鳳翔がぱたぱたとカウンターから出てくると、そっと島風の両肩に手を置き、ほんとうに優しく励ます様に島風に声を掛ける。島風が一人で作ったのは最初に出された含め煮。そして今持ってきたのは、鳳翔がアドバイスしながら作ったもの、ということか。

 

 「…自分は本当にだめな候補生ですね。こんなにもいろんな人たちに心配をかけて」

 

 日南少尉は新たな器に手を合わせ、ゆっくりと島風が作った含め煮に箸を伸ばす。具材は全て同じだが、整った形の根野菜にはしっかり芯まで火が通り、野菜本来の甘さを鶏の旨味と上品な出汁が引き出している。何と言うか、安心する優しい味。鳳翔の言葉によれば、違うのは順番と加減と時間、それだけでこれほど仕上がりに差が出るとは―――。

 

 「島風、ありがとう。本当に美味しいよ。…元気になったよ、うん」

 「おう゛っ!? ほんとにおいしいっ!? ほんとに元気っ!? えへへ~」

 期待半分不安半分の表情で日南少尉の横に座わり、僅かな動きや表情の変化も見逃さない、と至近距離からガン見していた島風が、ぱあっと満面の笑みを浮かべ少尉の首筋に勢いよく抱き付く。

 

 「あらあら、仲がいいのですね。少尉、あちらの小上りに移りませんか。せっかくおいで頂いたのに、何もお出ししないとあっては『居酒屋 鳳翔』の名折れです。島風ちゃんのお料理ほど少尉には響かないかも知れませんが、鳳翔のお味、ぜひご賞味くださいね」

 

 

 

 「…ひなみんが元気になるなら、島風、何でもするから言ってね。 でも、ひなみんが元気じゃないと、島風も頑張る気にならないよ」

「心配かけてごめんな。自分は…どうすべきか覚悟しなきゃ、それはハッキリ分かったよ。島風のお陰だ、ありがとうな」

 

 居酒屋鳳翔からの帰り道、日南少尉と島風は月明かりに照らされながら夜道をゆっくり歩いている。本部棟から第二司令部までは大発で五、六分だが、歩いて帰ることもできる。その場合居酒屋鳳翔の近くを流れる川にそって北上して橋を渡りまた戻って来るので大きく遠回りとなる。だが今日に限っては島風が歩いて帰ることを主張した。

 

 「ん」

 「ん?」

 

 小さな手を差し出した島風と包むように握り返した日南少尉は、月明かりに照らされ静かに歩き続ける。しばらく経って、意を決したように日南少尉が口を開く。

 

 

 「島風、明日朝イチで全員を集めてくれ。先延ばしにしていた次の作戦に取り掛かる」


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