それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 艦隊のマネージャー速吸。かわええ。


The Beginning
012. 女王陛下の憂鬱


 「―――それで時雨は納得したのかい?」

 

 その問いに、桜井中将の秘書艦・翔鶴は静かに首を横に振る。時雨から頼まれ時間を取った翔鶴は、彼女の思いや悩みを受け止め、提督であり伴侶でもある中将に相談していた。翔鶴も翔鶴なりに時雨に話をしたというが、納得は得られなかったという。一連の話を注意深く聞いた中将は嘆息するしかなかった。

 

 なるほど、全て得心が行く。インドネシアの東端の街マナドが深海棲艦に襲撃された際の、数少ない生き残りの子供。保護された際に『白い深海のお姉ちゃんが助けてくれた』と繰り返していたとは、確かに噂で聞いたことはある。彼の名前は秘匿されたが、その後引き取られた先の養子となり変わった名字、さらに兵学校入学を境に本来の姓に戻すなど、その後の彼がどう過ごしたのかを物語るようだ。

 

 「日南君には二つの問題が混在している。一つは幼少時の体験から来る深海棲艦との和平を模索する思い。もう一つは、キール留学時のウォースパイトの件だ。それが、非戦主義者、彼の行動をそう言われても否定しにくいものにさせている。そして現状、艦隊運営と教導に強く影響を出しているのは後者だね。前者は…嫌いではないが正直青臭い理想論だと思うよ。彼が成長する過程で軌道修正してくれればよし、としよう」

 「はい…。ですがウォースパイトさんの件は、日南少尉の責任とは言えないのでは…」

 「責任転嫁する男でないのは好感できるけど、必要のないことまで抱え込むのも困り者だ。過去の記憶を受け継ぐ艦娘は、濃淡の差はあるがその影響を受けている。夜を怖がる者、特定の季節になると不調を訴える者、そしてウォースパイトのように特定の部位に不調をきたす者…こういう不安定な面があるから、司令官は艦娘を心身ともにサポートするけれども、一方でそれだけではどうにもならない事もあるからね…」

 

 

 

 「う~ん…ウォースパイトさん、ごめんなさい。原因が特定できません。こういう不定愁訴が一番技術屋泣かせなんですよ~。できれば調子が悪い時に来てもらえると助かるんですが…」

 「No worry, アカシ。気難しいだけのドイツのエンジニアと違い、貴女はよくやってくれたと思います」

 

 執務室を後にしたウォースパイトが訪れたのは、工廠設備だった。玉座とは異なる、無骨な鋼鉄製の椅子に座り明石の検査を受けていたが、ひんやりとした冷たさが意外と心地よく感じる。ウォースパイトは、座面に右の踵を載せ膝を立て、少し前かがみになると両手で爪先から象牙色のニーソックスをゆっくりと履き、短いスカートを少しめくりガーターで留める。何気ない仕草だが、ショルダーオフのローブから覗く豊かな胸、ミニスカートでの片膝立てで露わになる太もも…気品ある色気には同性の明石でさえ目を離せなかった。当のウォースパイトは、憂いを帯びた表情で前髪を触り、何事かを考えているようで、明石の不躾な視線に気づかないようである。

 

 

 英国デヴォンポート海軍工廠で誕生したウォースパイトは、誕生と同時に往時の記憶を引き継ぐデメリットを受ける事となった。かつてHMS Warspiteとして幾多の海を駆けた時と同様、原因不明の舵や機関の不調を起こしたのである。いつ、どのように起きるか法則性は無く、その度合いもその時々で異なる。英国初の艦娘として誕生した彼女だが、当時の英国海軍には彼女を扱い切るノウハウがなく、艦娘先進国の日本ははるか遠くの極東にあり、情報交換も思うに任せない。ジョンブル魂にとっては屈辱ではあったが、英国海軍は欧州で艦娘運用の最先端を行くドイツにウォースパイトを派遣し、運用ノウハウの習得と同時に原因不明の不調の修復に当らせようとした。

 

 その派遣先は、ドイツ海軍の根拠地の軍港を抱えるキール基地である。当時の同地は、さながら欧州産艦娘の見本市の様相を呈していた。ビスマルク、プリンツオイゲン、グラーフツェッペリン、Z1、Z3のドイツ艦隊、イタリア、ローマ、アクィラ、リベッチオのイタリア艦隊、フランスからもコマンダン・テストが集まり、ドイツの誇る艦娘運用ノウハウを吸収しようとしていた。無論ドイツとしても単なる親切心で各国の艦娘を受け入れる訳もなく、各国から相応以上の見返りを受けての事である。

 

 どちらかといえば往時の枢軸国の艦娘が大勢を占める中、一人堂々と英国から乗り込んできたウォースパイト。その彼女を含めた一一名の艦娘の訓練にあたったのが、日本から留学でやって来た日南少尉である。無論他国からも派遣された士官や留学生もいたが、その中でも艦娘運用の先進国・日本から来た日南少尉の存在は際立っていた。当時学生だった日南少尉に出来る事は限られており、主に訓練指揮を担当し、演習の指揮を通して、少尉は艦娘の挙動や特性を、艦娘達は人間の指揮の元組織的な戦闘を、お互い学び合った。

 

 キール基地で唯一の東洋人として良くも悪くも周囲と壁があった日南少尉と、かつての枢軸国の艦娘に囲まれる孤高の女王ウォースパイト。二人は少しずつ距離を縮め、お互いの心中を語り合い、やがて深く信頼を置く関係へとなっていた。

 

 「戦は避けられないものです。それでもヒナミは戦いたくないと言うのですか? ヒナミ、私は貴方を臆病者と思いたくない。私の誤解を解いてもらえますか? 」

 「戦いそのものを終わらせればいい、自分はそう思います。そのためにどうすればいいのか、それはまだ分かりません。ただ、この思いを失くさない限り、いつか道は見つかる、そう信じています」

 

 「……それは軍人ではなく、政治家…いえ、王の発想です。ヒナミ、貴方が信じる道を違えぬのなら、いつの日か私は貴方の剣となり、貴方の道を拓きましょう。これは、その約束です」

 

 涼やかに、それでいて艶やかに、静かに右手を差し出すウォースパイト。日南少尉もまた、中世の騎士のように、進み出ると片膝をつき、その手を取り軽く口づける。手の甲に軽く触れる感触に僅かながら頬を赤らめたウォースパイトの表情を、少尉が知ることは無かった。

 

 

 

 そんなある日、異変が起きた。日南少尉が指揮を執る五対五の演習が、島々が入り組むキール湾を抜けた先、デンマークとスウェーデンに挟まれたカテガット海峡で行われた。その帰途で、北海から侵入してきた深海棲艦の水雷戦隊の襲撃を受けることとなった。燃料弾薬とも残量少、あったとしても演習弾のため効果は期待できない。

 

 「この()()、ようやく私の出番が来ましたね。Sally go!」

 キール基地が騒然とする中、演習であればヒナミの指揮下で作戦行動が取れる、と独断で動いたウォースパイトを追認する形で、日南少尉は彼女の指揮を執った。

 

 演習部隊がシュラン島とフュン島の間を抜け退避するのに逆らうように、ウォースパイトは前進し、シュラン島西端の近くまで進出した。複雑な海岸線を形成する同島の突き出た半島を遮蔽物に使い、演習部隊を追いかけてくる敵部隊が姿を見せた所に斉射を加える―――演習部隊とも連携を取り、全ては上手く行くはずだった。ウォースパイトの舵がシュラン島西方一五km地点で突然故障するまでは。

 

 演習部隊と敵部隊を遮るような位置で動きが取れなくなったウォースパイトは、機動力に優れる水雷戦隊との戦いに苦戦し、回避もままならず魚雷を叩き込まれた。それでも果敢に反撃し、敵を食い止め続けている間に、帰投した演習部隊は補給を済ませ実弾に換装しウォースパイト救援に急行、敵の殲滅と彼女の救助に成功した。

 

 港で帰投を待つ日南少尉の前に現れたのは、セーラー服とオフショルダーのドレスローブを合わせたようなアイボリーの制服は至る所ボロボロで艤装も半壊、火傷や出血も痛々しいウォースパイトの姿。兵学校で教わった()()()()()が、血を流し痛みを堪えながら撃ち合う現実を目の当たりにして、まだ軍人になりきっていない、当時の日南少尉は愕然とした。

 

 「The old lady never loses if she lifts her skirt」

 

 雷撃のせいで脚部に大きな被害を受け、足を引きずるように帰投したウォースパイトは、往時のカニンガム提督の台詞をもじり、「オールドレディもスカートをたくし上げれば負けませんよ」と日南少尉を励ます様に華やかに微笑んだ。

 

 だが―――。

 

 元々不調を抱えたウォースパイトの舵と機関は、この戦いで受けた雷撃によりさらに不調となり、入渠でも解消できなかった。他国から派遣された艦娘に損傷を与えた責任を回避したいドイツ海軍は、指揮権逸脱として日南少尉に責任を押し付け、幕引きを図る日本海軍の判断で留学期間は当初予定から大幅に短縮され帰国することになった。

 

 

 自分が戦場に送り込んだ艦娘に癒えない傷を残した、その思いが日南少尉を縛り、留学の前後で、勝つための指揮から負けないための指揮へとガラッと変わってしまった。

 

 

 

 「とにかく、今後は不調を感じたら、いつどのような状況で何が起きたか記録してもらえますか? そこから原因と対策を探ってゆきましょう。大丈夫ですよ、ウォースパイトさん。私一人じゃなく、夕張にも協力してもらいますからっ」

 明るく励ます明石の声に、深い思考の海から引き揚げられたウォースパイトは、微笑みだけで返事をすると工廠を後にした。

 

 

 「ヒナミを縛っているのは私…。ヒナミが責任を感じる必要などないのに…どうすれば分かってもらえるのでしょうか」

 


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