それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 日南少尉、語る。時雨、理解できず。


011. 過去と今と将来

 飛び出していった時雨を日南少尉が追いかけ、その間にウォースパイトから部隊の艦娘達に明かされた、少尉の思い。全体としては何も間違っていない、自分たち艦娘が戦う理由は深海棲艦との戦いに勝ち海を取り戻す事、それ以上でもそれ以下でもなく、その先に訪れる、その先にしかない時間のためだろう。だからこそ自分たちは命を賭けて戦っているのだが…。

 

 話の後半に綾波から語られた日南少尉の指揮ぶりに、ウォースパイトは怒りと言うよりは悲しそうな表情になり、それ以上口を開くことはなかった。後程一人で戻ってきた時雨に注目が集まったが、その表情を見ると誰も声を掛けられなかった。自分に注がれる無言の視線に、少し煩わしそうにしながら、それでも時雨は一言だけぽつりと零した。

 

 「日南少尉は…僕たちがどうしてここにいるのか、分かってくれないのかな」

 

 

 

 それから数日、執務室はアンバランスな雰囲気へと変容を遂げていた。

 

 執務室に運ばれた一脚のゴージャスな仕様の椅子。家具職人の妖精さん達がウォースパイトの高貴なオーラに膝を折り、他の全ての仕事を投げ出し精魂込めて作製したそれは、イギリス王室の戴冠式に用いられる由緒正しきエドワード懺悔王の椅子の形状を踏襲しつつ、素材やデザインははるかに豪華な造りとして設えられた逸品。その椅子に優雅に足を組み座り、本を読むウォースパイト。日南少尉が就く執務席はもちろん、宿毛湾泊地全体を統括する桜井中将の物よりも明らかに格の違う高級さを漂わせ、そこだけが荘厳な玉座という風情である。その向こう、少尉の執務机とL字型に組み合わせられる秘書艦席からかりかりとペンの走る音が静かに続く。あの日以来、日南少尉も時雨もお互いぎこちない挨拶を交わし、業務上必要な事以外は喋っていない。折々お互い何か言いたそうな視線を向けるが、仕事に集中しているような雰囲気を醸し出してお互い婉曲に遮っている。

 

 

 ぎいっ。

 

 不意に椅子が動く音が二重にしたと思うと、同時に日南少尉と時雨が立ち上がった。

 

 「あ…」

 「う…」

 

 ぎこちなく空中で絡んだ視線、慌てて目を逸らす時雨と目を伏せる少尉。ウォースパイトは依然として微動だにせず本を読み続けている。

 

 「少し早いが午前の業務はここまでにしよう。自分は少し出かけてくる」

 「ぼ…僕もちょっと翔鶴さんの所へ行ってこなきゃ」

 

 

 「…あの三人が揃うと…特に空気…重い……。島風、そこのおせんべい、テーブルの上しゃーってして。…ん、ありがと(あふぃがほ)

 いつもの冷暖炬燵に浸かりながらテーブルの上に頬を載せている初雪は、冷暖炬燵の常連になり始めた島風に何気ない頼みごとをする。初雪の方を見ず、頼まれた通りに煎餅を滑らせる島風。待っていた口にジャストインした煎餅をもごもご食べる初雪と頬杖を突いてぼんやりとしている島風は、席を立った二人を見守る。

 

 「わひゃしはひょういのひうほうりにひゅるひゃけ…ひゃってひゃんむふはんひゃきゃら」

 「何言ってるのか分かんないよ。…でも、ひなみん……どうしたいのかな?」

 

 

 

 日南少尉と連れだって歩くのは、補給艦の速吸。実は日南少尉も、悩みに悩んだ末桜井中将に相談をしようと思い席を立ったのだが、時雨に中将の秘書艦の翔鶴の元へ行く用事があると言われた。さてどうしようか、と思いながら本部棟周辺をぶらついていたところで、速吸とばったり出くわし、誘われるまま散歩することになった。道すがら、過去の体験の事は伏せ、時雨との間でのすれ違い-極力犠牲を払わずに戦い続ける-について話をしていた。というより、ある程度の事は速吸の耳にまで届いていたようで、むしろ彼女の方から水を向けられたほどだ。

 

 「―――そうだったんですね。…少尉さん、今年の夏も終わろうとしています。私、毎年夏になると、少しお腹が痛くなるんです。何でか分かりますか?」

 思いがけない質問に、日南少尉は眉根に皺を寄せる。わざと元気を装って大きく手を振りながら速吸は先を歩き、前を向いたまま答を明かす。

 「実は…速吸にもよく分かってません。でも、私がフネだったとき、夏の終わりに魚雷攻撃で沈んだみたいなんです。だからその時の記憶がきっとそうさせてるのかな、って」

 

 そして立ち止まり、振り返る。真面目な相で日南少尉をまっすぐに見つめる。

 

 「少尉さんは、きっと『将来』の事を語ってますよね。でも私達艦娘は『今』と『過去』の両方を生きてます。戦船として戦い、破れた過去を下敷きにして甦って、新たな時代でも戦っています。そんな私達に『戦うな』って言うのは、ちょっと残酷かなあ、って…。私は補給艦でとっても弱くて、でも、もし目の前で仲間や少尉さんが深海棲艦に攻撃されたら、絶対に戦います。自分の身を犠牲にしてでも守りたいですっ」

 

 殴られた、そうとしか表現できないほどの衝撃を日南少尉は受けていた。結果として齎されるはずの深海棲艦との和平。過程にある戦いは現状では避けられず、何より艦娘自身が自らの存在理由として拠っている事実。方法論の無い理想など絵空事に過ぎない。だいたい和平とは言うが、どうやって深海棲艦を対話のテーブルに就かせるのか? かつて自分は姫の一人に助けられた。だがそれは単なる一つの特異な例で、一つの極例を全てに当てはめるのは全体を歪めてしまうかもしれない―――。

 

 暗然とした表情に変わった日南少尉の制服の袖口をくいくいと引っ張り、速吸は手近にあったベンチへと少尉を誘う。ダークグリーンと白を基調とし、オレンジのストライプがアクセントになるZ(瑞雲)カラーと呼ばれるジャージにプリーツミニを履く速吸。ジャージの中に手を突っ込み、スポーツドリンクのペットボトルを取り出し日南少尉に手渡すと、にっこりとほほ笑む。

 

 気を取り直し、いったいどこから…そう思い速吸をじっと見ていた少尉に、はにかみながら速吸が答える。

 「あ、これですか…。期間限定で着る様に、って艦隊本部から指示があったので。もう少ししたらいつものジャージに戻りますから」

 ジャージ(そっち)じゃなくてペットボトルの話ね、と言いながら、個人的にはそのジャージの方が可愛いと言うか…と心の中でぽつりとつぶやいた少尉の声は、しっかりと速吸に付いてふよふよ飛んでいた妖精さんによって伝えられてしまった。

 

 「わわっ!? ドキっと(被弾)しました。私、恋愛的に免疫(防御力)ないので、少しピンチです」

 顔を赤くして日南少尉に背を向けながらも、ちらちらと様子を窺う速吸。当の少尉は何の事だかわからずにきょとんとしている。照れたような笑いを浮かべながら、胸に手を当て深呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせるようにする速吸が、思わぬ事を口にし始めた。

 

 「少尉さんの事、注目している艦娘、とっても多いんですよ?もしかしたら宿毛湾(ここ)から連れ出してくれるかも知れない人だから…。鹿島さんなんて『絶対少尉と一緒に行く』って宣言してますし。私のように戦闘が得意じゃない艦娘でも、やっぱり強くなってみんなを支えたい、そう思ってます」

 

 そこまで言うと、速吸は目を伏せ、言いにくそうにしながら、それでもハッキリと言葉を続けた。

 「でも宿毛湾にいる限り、限度があります。桜井中将はとても優しい方で、艦隊の指揮も巧みで、得難い指揮官だと思います。でも、あの方は翔鶴さんしか見ていないから、翔鶴さんを除いて練度の高い艦娘でも99止まり…。中将に恋愛感情を抱いてる子も、ただ強くなりたい子も、今のままでいいやって子まで様々です。けれど、ケッコンカッコカリっていう制度があっても、ここではガチなので翔鶴さんだけ。何て言いますか、閉塞感というか、戦力としても女の子としても中途半端というか…。だから、候補生の方が来ると皆期待しちゃうんです、えへへ」

 

 女性としての夢や憧れと、戦船としての強さへの渇望がないまぜになった複雑な感情。それが艦娘という在り方であり、自分が相対し指揮する存在。自分が自分の知識や思い込み、あるいは幻想を通して艦娘を見ていたことに気付かされた少尉だが、だからといって今すぐ何かができる訳でも自分の考えが一八〇度変わる訳でもない。キールでの出来事がどうしても頭に残っている。それでも、ただ、あるがままに目の前の艦娘を見る、今の自分にできるのはそれだけなのだろうか…少尉は深く考え込み始めた。

 

 そんな日南少尉を見つめていた速吸だが、軽く反動を付けてベンチから立ち上がるとくるっと振り返り、赤く染まった頬に満面の笑みを載せ、小さなガッツポーズを見せる。そして足早に立ち去って行った。

 

 「大丈夫ですよ、少尉さん。速吸がサポート、頑張りますっ」

 

 

 

 ぱたり、とハードカバーの本を閉じる音が執務室に響く。沈黙が支配していた室内に思いのほか響いた音は、冷暖炬燵で眠りに落ちていた初雪の目を覚ますには十分だった。

 

 ぼんやりと虚ろな視線で周囲を眺める初雪の目に映ったのは、玉座から立ち上がると一歩歩みだし、唐突に膝を折りしゃがみ込んだウォースパイトの姿。突然の事に思わず身を起こした初雪だが、一瞬だけ顔を歪めたウォースパイトは、何事も無かったように立ち上がる。そして初雪の方を振り返り、綺麗な人差し指を口に当てウインクをすると執務室を出て行った。その仕草が誰にも言うな、という意味なのは明らかだろう。

 

 「………執務机に玉座に炬燵、変な部屋…」

 

 再びこてんと炬燵のテーブルの頬を載せた初雪は、そのままうとうとと眠りに戻って行った。


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