それでも僕は提督になると決めた   作:坂下郁

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 前回のあらすじ
 なかまになりたそうにこちらをみています。


その海の先に
102. 役目


 「桜前線の北上に合わせ各拠点の間宮で解禁される限定品、『季節の桜色タルト』。九州の拠点でお目見えしたと聞いて、宿毛湾での解禁日…すなわち今日が来るのを待ち侘びていました。…欲しいのですか? 残念ね…季節のタルトは初日にして最終日、私が全て買い占めたわ」

 

 アーモンドクリームを焼き込んだサクサクの生地に飾られるのは春の果物。イチゴや土佐文旦を向こうが透けるほどに薄切りにし何層にも重ね合わせ、さらにあえてうっすら半透明に白濁させたナパージュでコーティング。イチゴの赤、文旦の黄、ナパージュの白、これらが重ね合わされ桜色に染まる色合いは、まさに季節のタルトの名にふさわしい仕上がり…のはず。向かい合う日南少佐から見ればそんな繊細な品は跡形もなく、白い丸皿が回転寿司のように加賀の前に(うずたか)く積み上がっているだけである。

 

 相変わらずのポーカーフェイスの中に、僅かにふふんと勝ち誇った色を浮かべる食母娘(加賀)にとって、日南少佐の答えは虚をつき図星をつくもので、飲み込みかけのタルトを一瞬だけむぐっと喉に詰まらせた。

 

 「いえ…加賀さんにしては珍しく饒舌だな、と思っていました。やっぱり好物を目の前にすると気分が高揚するんでしょうか」

 

 少しだけ頬を桜色に染めた加賀は静かに手元のナプキンで口元を拭う。そんな仕草を見ていた少佐は改めて感心する。食べる速度と量は呆れるほど、でも所作はむしろゆったりと流れるようで上品でさえある。同じ空母でも雰囲気が違うなぁ、と教導艦隊の軽空母娘を思い出し、少佐は軽く笑みを浮かべる。きっと祥鳳や瑞鳳、千代田ならきゃいきゃいと盛り上がりながら表情をくるくる変え、明るい声のガールズトークで盛り上がるはず。そして次に浮かんだことをふっと口に出し、加賀がピクリと反応する。

 

 「赤城なら、頬に手を当てながら満面の笑みを浮かべそうかな」

 「呼び捨てはよい傾向ね。期待しているわ」

 

 何に期待しているのか-目的語を欠く言葉に微妙な表情に変わる少佐に、加賀にしては珍しく柔らかく微笑みかける。普段のクールな表情とのギャップに、少佐でさえ思わずどきっとさせられたほどである。

 

 「赤城さんのことを貴方に託したのは…正解だったようね」

 

 季節のタルトが姿を消した後に注文した道明寺を竹の菓子切で二つに分ける加賀は、一見すると表情を変えず、けどよく見れば満足そうに口角を僅かに持ち上げる。ただ…少佐の目には、微笑みながらも心なしか寂しそうな、アンビバレントな印象に映った。

 

 赤城と加賀--栄光と悲劇の第一航空戦隊。

 

 かつての戦争序盤の快進撃を担う一翼として太平洋からインド洋に至るまで勝利を重ねた末に、戦争の転換点とも呼べる大敗北を喫し、二人は北太平洋の荒い波間に姿を消した。長い時間を経て艦娘として現界した今、二人は対照的とも言える道を歩んできた。

 

 一人は長く戦い続ける宿毛湾泊地の艦娘、加賀として。

 

 一人は比較的近年に現界した佐伯湾泊地の艦娘、赤城として。

 

 教導泊地でもある宿毛湾の性格上、艦娘の入れ替わりはかなり多い。練度の上がった艦娘は要請があり受諾すれば他拠点へ、あるいは司令部候補生に伴われ異動する。数少ない例外が翔鶴と加賀で、桜井中将の赴任以来一貫して宿毛湾に所属している。一方の赤城は元々佐伯湾泊地の所属で、現界から間もないある日、深海棲艦の潜水艦隊による薄暮攻撃で艦隊壊滅という悲劇に見舞われた。唯一生存したものの大破漂流の末に保護されたが弓が引けなくなるほどのPTSDを負い、紆余曲折を経て宿毛湾に転属してきた。

 

 鋼鉄のフネならどれだけ損傷が酷くても修理すれば元に戻る。だが赤城が心に負った傷は容易に癒えなかった。赤城のメンタルケアも含め同室で暮らすことになった二人だが、俯いて立ち止まる赤城を、加賀は励ますでも慰めるでもなく、ただずっと見守り続けてきた。人に言われたからといって踏み出し生き残れるほど、戦いの海は優しくない。立ち上がるのでも蹲るのでも、かつての一航戦同士、加賀は赤城の意志を最大限尊重すると決めていた。

 

 そして赤城は日南少佐と出会い、自らの意志で教導艦隊への転属を受け入れ、前を向いて進むことを決断した。それは心で願っていても、加賀にはできなかったこと。

 

 「赤城さんは自分自身を乗り越え、少佐と共に戦うことを選んだ。とても喜ばしい…ええ、間違いないわ」

 

 すっと視線を上げた加賀は、今度こそはっきりと寂しさを表情に現した。

 

 「だから…私の役目は終わり…。赤城さんには…貴方がいますので…。少佐、重ねて言います」

 

 一旦言葉を切ると表情を改めた加賀は、日南少佐に懇々と説いて聞かせ始める。

 

 「赤城さんは見た目も中身も大和撫子ですが、それに甘えてフラフラしないこと。だいたい…時雨島風村雨祥鳳涼月磯風浜風榛名響、さらに舶来の金髪娘が二人、あとは鹿島教官もいましたか…まったく節操のない…。軍がジュウコンを認めている以上、私が口を挟む筋合いではありませんが…それでも約束しなさい、赤城さんを大切にすると、身も心もお腹も必ず満たしてあげると」

 

 問答無用で指切りげんまんをさせられ伝票を渡され、私からはそれだけです、と一方的に加賀に宣言された日南少佐はぽかーんとするしかできずにいた。

 

 「…どうしました? 早く赤城さんの所へ行ったらどうなの? この時間は…間違いなく部屋でおやつを食べているはずです。私は…そうね、二時間ほどは戻らないから。そうそう、入り口から向かって左側が私のベッドよ、間違ってもそっちは使わないでね」

 

 ナニイッチャッテルノコノヒト…と少佐が口をパクパクさせていたが、加賀は涼しい顔で薯蕷まんじゅうを頬ばっている。仕方なしに伝票を手にして立ち上がり間宮を後にしようとした少佐だが、立ち止まり加賀に言葉を残す。どうしてもひっかかりを覚えた一言に対する、彼なりの問い。

 

 「自分も赤城も…教導艦隊は戦い続けます。それが自分たちの役目であり、生きる意義です。…加賀さんの役目は、赤城を見守るだけなんですか?」

 

 少佐は答を求めずに間宮を後にし、加賀は答を返さずにテーブルを見つめていた。

 

 

 

 ぼすんっ。

 

 人当たりが良くいつも柔らかい笑顔を絶やさない鹿島だが、今日は自室でイライラを爆発させていた。

 

 見た目同様ガーリーであまーい感じに白とピンクを基調としてコーディネートされた自室、ベッドの上にぺたんと女の子座りしていた美貌の教官は、手近にあったクッションを鷲掴みにすると壁に向かって放り投げ、はぁっと深く溜息を吐き肩を落とす。その拍子にキャミの右の肩ひもがするりと下がる。Tバックのショーツにキャミソールを着ただけの格好、髪はツインテールをほどきゆるふわの髪を無造作に下ろしている。少し乱れた感じで、柔らかい鹿島の曲線美が強調され実におっふうな雰囲気である。

 

 のろのろとベッドの上を四つん這いで進み、自分が投げたクッションを拾うと、そのまま壁に背を預けて胸元にクッションをぎゅうっと抱きしめる鹿島がぽつりと呟く。一言だけだが、彼女の悩みの深さを現すような沈んだ声。

 

 「はぁ……どうしよ、ほんとに…」

 

 ツインテールを結び直すのがどうしても決まらず、ついに鹿島は癇癪を起した。両サイドの髪を持ち上げて頭の高い位置で根元を結ぶ髪型、高さと前後と結ぶ髪の量を左右で揃える必要があるが、何度やっても納得がいかない。数えたことはないが何万回もしている髪型なのに、どうして…結んでは解きを繰り返しているうちに、ついに爆発した。髪型は結果でクッションはとばっちりの被害者、イライラの原因は分かっている。分かりすぎるほどに。

 

 「日南少佐…鹿島は…一緒に行きたいんですよ…」

 

 鹿島はもう一度、さっきよりも強くクッションを抱きしめ顔を埋める。今度は八つ当たりではなく、目の前にいない誰かの代わりとなったクッションが柔らかく形を変える。

 

 日南少佐が宿毛湾を旅立つまで残り僅かな日々、いまだに『一緒に任地に来てください』と言われていない。少佐が教導課程を修了した日から、元々大きな胸をさらに期待で膨らませ、転属を打診された(告られた)時の返事まで何通りもシミュレーションし自室で練習していた。姉妹の気安さでノックなしに姉の香取がドアを開け、少佐から抱きしめられる練習で体をくねっていた所を見られ、本気で心配され明石さんの所に連行されそうにもなった。

 

 けれど--肝心の言葉が日南少佐から貰えない。少佐が教導課程を修了した今、教官という役目も同時に終了した。そしてそれ以上の接点が作れない。速吸のことは聞いた。蒼龍と飛龍のことも聞いた。

 

 「あっ! 教官は転属対象外って思ってるのかな?」

 

 顔を上げ一瞬いいこと思い付いた的にぱぁっと表情を明るくしたがすぐにしょげる。なら、自分からはっきり言えばいい、そう思ったりもする。貴方と一緒に行きたいです、と。

 

 教導艦隊を巡る情勢は依然として予断を許さない、と鹿島は見ている。今は大人しくしている技本、軍上層部の介入、2-5で対峙した特異種、少佐の話を踏まえ調べた結果判明した、行方不明のハンモックナンバー一位の動向…佐官に昇進し任地を得たと言っても、不確定要素が多すぎる。前線での戦力としてはイマイチな自分でも、拠点運営や後方支援で少佐を支えられる、というか支えたい。でも…。

 

 「自分のしたいコトをしたい、って言うのは…勇気がいるんですね。やっと少佐の気持ちが…分かった。だって…」

 

 クッションから顔を離した鹿島がゆっくりを頭を持ち上げ、ごつんと音を立て壁に当たる。ぼんやりと天井を見上げる鹿島の目が不安の色に彩られる。

 

 「オコトワリされたら…って思うと…怖い…」

 

 着任したての司令部候補生(日南少尉(当時))を見て、特別な何かを感じたけど、それは大成しそうな素質を教官として見出したから、そう思っていた。

 

 最高指揮官の桜井中将が翔鶴以外に指輪を渡さない宿毛湾泊地での、自らの果たすべき役目と未来予想図-艦娘ごとに違いはあって、例えば香取は宿毛湾の教官であることに誇りを持ち、それでいいと納得している。

 

 宿毛湾の外の世界をずっと見たかった鹿島だが、これまで何人かの候補生と出会ったが、日南少佐ほど深く心に住む相手はいなかった。行くなら彼しかいない-艦娘が傷付くのを嫌がる優しさと、深海棲艦との和平という途方もない夢、その両立には繊細すぎる少佐を支えたい…すぐに想いが勝っていることを自覚した鹿島は、正式な教導艦隊の所属ではなく接点が限られるため、ちょっとやり過ぎかなーというくらい、思い切ったアプローチを続けた。そして…動けなくなった。

 

 

 日南少佐に求められたい以上に、自分が求めていることに気が付いたから。

 

 でも、求めて受け入れられなかったら、どうすればいいか分からない。

 

 だから、少佐の方から求められたかった。

 

 

 「そろそろ着替えなきゃ。中将から呼ばれてたんだっけ…。はぁ…仕事に身が入ってないなぁ…」

 

 仕方なくベッドから下りた鹿島は、制服に着替えるのにのろのろとクローゼットの前に立つ。


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