ダンジョンにミノタウロスがいるのは間違っているだろうか 作:ザイグ
——死ぬかと思った。
あの滅茶苦茶強い人間達から逃げおおせた僕は一旦、樹の中のような階層に身を潜めた。そして追撃がないと判断した後、更に下の階層を目指すことにした。
パワーアップした僕は強い。それこそ相手はなるのは灰色の巨人みたいな特別な怪物くらいで、人間に負けることはないと思った。
その根拠のない自信は粉々に砕けた。今回は幸運にも恵まれ、何とか逃げれたが次もそうとは限らない。力が必要だ。どんな敵が来ても勝てる力が。そのためには上質な紫紺石を。
膨大な紫紺石を食べて分かったことだけど、ある一定からパワーアップが微々たるものになった。おそらく質の低い紫紺石では強くなり過ぎた僕を強化できない。だから、上質な紫紺石を持つ強い怪物を求めて下の階層に降りる。
それに装備も整えないと。先の戦いで僕は武器と防具の全てを損失した。
防具は怪物を倒して得る『ドロップアイテム』でどうにかできる。ただ武器はどうしようもない。あの強い人間達がいるかもしれない街にはいま近づきなくない。かと言って他の怪物が使う棍棒や石斧は脆い。しばらくは素手で戦うことになりそうだ。
体一つで未知の階層に降りるのは一抹の不安があるが強くなるためには多少のリスクは仕方ない。
覚悟を決め、下の階層へ続く洞窟へ入った。
『——』
次の階層へ続く洞窟。その先の『絶景』に心を奪われた。轟然と音を奏でる、凄まじいまでの大瀑布。
どうどうと地響きにも似た音を何百メートルも離れた僕に届ける馬鹿デカイ滝を、目の当たりにした。
幅は四百メートル、その倍はある高さから大質量の水が絶え間なく流れ落ちる。光を反射して
何より凄いのは、崖から真下に広がるのは大きな滝壺。その
信じられないことにこの大瀑布は階段のように、滝が下の階層へ貫通していた。
階層を貫く滝。上の階層てはありえなかった現象だ。綺麗な階層を見た時も打ち震えたが、この階層はそれにも勝るとも劣らない。
——それにしても『森』の次は『滝』か。つくづくこの巨大洞窟は常識外れな場所だ。
階層毎に独特な環境をしているのも、壁面から怪物が産まれるのもありえない。もう慣れてしまい、考えたってわからないと思考を放棄。
そして僕はこの水の階層の探索に乗り出した。
◆ ◆ ◆
……帰りたい。
探索を開始してしばらく。僕は心が折れそうになっていた。
あれだけ意気込んでおいてどうした、と思うだろうけど仕方ないんだ。
美しい絶景に気を取られ忘れていた。この階層はヤバイ。ヤバ過ぎる。僕にとって天敵といえる環境をしていた。目の前の大瀑布。通路と並走する水流。この水に満ちた場所は僕が戦うには致命的だ。何故なら
——前世からの
いまの発言に訝しげな表情をした人もいるでしょう。でも、本当なんです。人間だった頃から泳ぐ才能がからっきしで何度チャレンジしても溺れていた。
だからと言って今世では泳げてもいいはずだと思うかもしれないが、この
——泳げるかああああああああああああああああああああっ‼︎
見てよ。この筋骨隆々なミノタウルスを! 無駄な脂肪など一切ない全身筋肉は浮かない! 足なんて蹄だよ、蹄! バタ足もできない! これでどう泳げと⁉︎
ゼェ〜、ゼェ〜……申し訳ない、取り乱した。でも、どうしよう? 強くなると意気込んだ手前、帰りづらい。かと言って武者修業で溺死なんて笑えない。
僕が頭を悩ませていると後ろから足音。それも複数。怪物……ではない。怪物はこんな隊列を組んだような規則正しい足音にならない。おそらく人間。人数は三、いや四人かな。
いま僕がいるのは一本道。横道に逸れることもできず、背後に不安要素を抱えたまま進むのも避けたい。仕留めようと判断し——疑問に思った。
人間達はどうやってこの水の階層を攻略しているんだ?
人間は純陸上生物。
可能性はある。僕は気配を消して人間達に近づいた。
人間は四人。全員耳が長いからエルフかな。気付かれないように隠れて様子を伺うと会話が聞こえる。
「これから『下層』に入る。全員、『
「この美しい蒼色が見えないのか、ルヴィス」
「我々は何度も『下層』に
「これさえあれば水中活動の恩恵がある。水流に落ちても大丈夫だ」
「馬鹿を言うな。水棲のモンスター相手に恩恵など気休めにしかならぬと知っているだろう!」
「そう声を荒げるなルヴィス。場を和まそうとしただけだ。気を張りすぎるのはよくない」
ふむふむ。『カソウ』とかよく分からない言葉があったが、つまりあの蒼色の布が人間達の水中対策か。
蒼色の布は水の抵抗や水圧が低減し、素早く泳げるようになる。
……あれがあれば僕も泳げるようになるか? 少なくとも浮遊力ぐらいは得られる。
——そう判断した僕の行動は速かった。
蹄にも関わらず無音かつ高速でエルフ達に接近。リーダーらしき男に裏拳を見舞う。完全な不意打ちに男の頭は胴体から離れ、大きく弧を描きながら地面に転がった。
リーダーの体はその場に崩れ落ちる。あまりの早業にリーダーは何が起きたかも分からずに絶命した。
「え……?」
「ル、ルヴィス……」
仲間も目の前の光景に思考が追いついていなかった。彼らからしたらいきなりルヴィスの首が飛び、背後にミノタウロスが立っていたのだ。
「な、何で『下層』にミノタウロスが!」
「いいから殺れ‼︎」
「待て、片目がない! あの『隻眼のミノタウ——」
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』
動揺しながらも彼らは『下層』に到達した熟練の冒険者。すぐに剣を抜き、弓を構え、詠唱を始める。だが、ミノタウロスの方が速かった。
詠唱を始めた者の首を手刀で落とし、構えた剣もろとも剛腕で吹き飛ばし、弓に矢を番えた者は双角で貫かれた。
瞬殺。全員がLv.3の第二級冒険者。それが瞬く間に全滅した。
よしよし。蒼色の布は無事だな。
僕は仕留めたエルフ達から蒼色の布を剥がす。エルフというイメージ通り華奢な体をしている彼らの衣服はミノタウロスの巨躯が装備するには小さすぎたが、四人分を合わせれば全身を覆う外套になる。
……装備しただけだと特に何もないな。水の中でこそ真価を発揮するので当然といえば当然だけど。纏う前より涼しくなった気もする。
早速、効果を試そうと僕は水の中に入ってみることにした。なるべく脚が水底に届く浅い所を選んで。
結果を言えば大成功。水の抵抗が無いように体の動きに違和感が殆どない。軽く水の中を漂ってみる筋肉の塊が浮いた。手足を動かすと泳ぐこともできた。
——やった。やったぞ。やったあああああああああああああっ‼︎
僕は水を克服した。前世からできなかったことができるようになった。流石に蹄では水中速度は亀の歩みだが、確かに僕は泳いでいた。潜っても不思議なほど息苦しくない。水中で息ができるわけではないが30分は息継ぎは必要なさそうだ。
いける。いけるぞ。これで僕もこの階層で戦える。
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』
興奮した僕は雄叫びを上げる。初めてみる水の世界の探索を開始。あちらへこちらへと泳ぎ回った。
そのすぐ後、調子にのった僕は、大瀑布に巻き込まれ落下した。
◆ ◆ ◆
途切れることのない滝の音が轟く。暗い水底を背中に感じながら、死の淵に引きずりこもうとする冷たい水の手を振り払い、一気に浮上した。
昇る大量の気泡とともに、光が揺らめく水面をぶち破る。
『ブハッッ⁉︎ ブフゥッッ、ブウゥッ——ブハッ⁉︎』
勢いよく水面から顔を出し、盛大に咳き込んだ。し、死ぬかと思った……。
広大な滝壺のド真ん中で、僕は生還した。人間なら砕け散ってしまう激流落下も馬鹿げた耐久力と怪物特有の
ばしゃばしゃと音を立てて水をかきわけ、滝壺と接する岸を目指した。距離はさほどなくすぐに浅瀬へと辿り着く。
水が脛ほどまでの浅瀬で立ち上がり、僕は顔を上げ、大瀑布を仰いだ。
——かなりの高さから、落ちたな。よく無事だったよ。
立ち上がって周囲を見渡す。滝壺はまるで湖のようだった。大空洞の半分を占めるほどに広大で、滝の直下は深さを物語るように濃い蒼色をしている。頻りに舞っているのは細かな水飛沫で、白い霧を生み出している。滝音は甚だしく鼓膜が破れそうだ。
滝壺、いや湖に背を向ければ幻想的な風景が広がっている。まるで岩場に見える水晶の岸辺、水晶の谷、水晶の崖。全て
だが、見とれていると——ビキリッ、と聞こえた。
——何処かで怪物が産まれ落ちるな。
僕はこの音が何の予兆か瞬時に理解した。この洞窟で暮らしていれば日常茶飯事な現象。壁面から怪物が産まれようとしている。でも、見渡す限り亀裂が見当たらない。何処だ、と疑問に思いながら下を見ると見つけた。
滝壺の中、膨大な水で満たされた水晶壁に亀裂が走り抜いていた。それも夥しい量のヒビが、水底の全域にわたって。
——ああ、
大繁殖。彼がそう呼ぶこの現象は、冒険者の間では『大量発生』、『
そして水晶壁を破り、夥しい数のモンスターが現れた。
——おお〜、でかい蛇、いや水中にいるから海蛇か。
現れた巨大な海蛇。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』
……ただ、今回はその数が仇になった。滝壺には幾匹もの大海蛇が重なり合い、何匹いるのかもわからない。でも、これだけは言える。
例えるなら、バケツに詰められた鰻だろうか? 広大な滝壺は長大な海蛇の群れで埋め尽くされ、まともに泳ぐことさえできない。仲間同士で体をぶつけ合い、うねうねと動く様は気持ち悪い。
紫紺石に貪欲な僕もこれに飛び込む気にはなれずにその場を後にしようとする。
『ヴゥオ?』
すると変なものが視界の端に映った。水が膝までもない浅瀬。滝壺を埋め尽くす海蛇から逃げるように匍匐前進のような姿勢で岸辺へ這う生き物がいた。
緑の鱗と魚の尾びれを有した下半身と、
『——マーメイド?』
あ、ちなみに僕、金髪の剣士達との戦いの後から喋れるようになりました。
◆ ◆ ◆
——コレ以上、逃ゲラレナイ!
『人魚』のマリィは追い詰められていた。滝壺を優雅に泳いでいたらモンスターの大量発生。それも大型のアクア・サーペントが湖を埋め尽くすほどの。
どれだけモンスターが増えようと余程の事がない限りモンスター同士で争いは起こらない。でも、彼女は違う。
マリィは普通のモンスターではない。『
人型のモンスターに限っていえば多くが人間に近い容姿を持ち、本来なら真っ白な眼球や血の気が一切感じられない青白い肌などおぞましい容姿の人魚でありながら、マリィが美しい容姿をしているのはこのためだ。
そして何より理性を宿している『
もしあの滝壺を埋め尽くすアクア・サーペントの群れの中にいたら、彼女は四方八方から喰い荒らされていただろう。
水棲モンスターの中でも人魚は『水の中の鳥』と比喩されるほど群を抜いた水中速度と旋回能力があり、通常の人魚より、『
そんな彼女でも逃げ場なければその速さを発揮できない。マリィは巨駆のアクア・サーペントがこない浅瀬へ避難するしなかった。
「ドウシヨウ……」
浅瀬の最端。もうあとは陸しかない場所でマリィは途方にくれる。魚の下半身を持つ彼女は陸地を移動できず、水中は隙間がないほどのアクア・サーペント。完全に身動きがとれなくなった。アクア・サーペントがいなくなるのを、せめて数が減るのを待つしかない、と思っていた時だった。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』
「ヒッ……!」
水面を勢いよく爆発させて現れたアクア・サーペント。彼女の存在に気付いた一匹が顎を開き、襲ってきた!
浅瀬で彼女の機動力は活かせない。食べられる、と死を覚悟した時
『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ‼︎』
突然の横槍。繰り出された拳砲が炸裂。アクア・サーペントの頭部を粉砕した。
何が起きたのか理解できないマリィは乱入者を見た。
全長は二メートル強。牛頭人体の外見を持つ筋骨隆々の巨躯。モンスターの代表格と呼ばれ、しかしこの階層には出現しないはずの怪物の名は
「ミノタウロス……」
マリィは怪物を見詰めながら呟いた。
補足
階層を貫く滝=巨蒼の滝(グレート・フォール)
水の階層=25〜26階層『水の迷都』
蒼色の布=水精霊の護布(ウンディーネ・クロス)
リーダーのエルフ=ルヴィス
エルフの冒険者達=シャリオ、ラーナ、アレク
巨大な海蛇=アクア・サーペント