銀河は英雄のもの   作:mojito

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二人の司令官

 その日イゼルローン要塞を襲った出来事は、口にするのも憚られるほど恐ろしくまた恥ずべきものであったので、帝国軍内には厳重に箝口令が敷かれた。そして、それが余りにも特殊な事情によって引き起こされたこともこともあり、単純に時代が体制と体制の端境期だったこともあって(つまり他にもっと面白く、人の興味を惹く事件が沢山あったので)、人々に省みられたのはかなり後の時代になってからのことである。

 しかし幸いなことに、それでも今筆者はいくつかの史料を活用することができる。特に貴重なのが、当事者としてその出来事に直接的に身を投じていた要塞防御司令部や要塞駐留艦隊の幹部たちが残した証言である。生存者の中で最も高位にあり、かつまとまった記録を残してくれたのが、要塞駐留艦隊参謀長の職にあったカルツ少将で、彼の回顧録は一般にも刊行されたので目にされた読者も多かろうものと思う。

 残念ながらカルツ少将の証言は、出来事の核心に近すぎるが故に敢えて真実を曲げている箇所も多いと言われる。言うまでもなく他の史料にも拠って、カルツ少将の隠したこと、隠さなければならなかったことにも迫らなければ、出来事の本来の姿を復元するのは覚束ない。

 もちろん、如何に証言を多種取り揃えようともそれは巨象の表皮を撫ぜたに過ぎないことも確かである。最も肝心な、この出来事を惹起した張本人──要塞駐留艦隊司令官フォン・ゼークト大将の内心は、最早誰にも言い当てることはできないのだから。

 ともあれ、帝国暦四八七年二月に起きたその出来事、巷に言う「ゼークト事件」についてしばしお付き合いを願うこととしよう。

 

 

 

 カルツ少将は「事件」の起きるおよそ三週間前、二月初旬の頃、帝都オーディンの統帥本部との間に頻繁に通信を行っている。それは、丁度その頃にあった駐留艦隊の出撃、そしてそれに伴って惹起した叛乱軍小艦隊との戦闘に関する報告と、間近に迫っていた帝国軍の出征についての連絡とを主な内容としていた。

 この帝国軍の出征は、結果として「アスターテ星域会戦」として戦史上名高い戦いにつながった。ローエングラム伯ラインハルト上級大将の率いる艦隊が“叛乱勢力が卑劣にも占拠する”星域に進出する遠征作戦であり、当然それはイゼルローン要塞を策源地とする。そのため場合によっては要塞駐留艦隊にも後詰としての役割が生じることとなる。

 カルツ少将は、駐留艦隊の先般の出撃で獲得した捕虜の情報として、叛乱軍がこのローエングラム伯の出征を察知しあることを統帥本部に報告した。しかし、この殊勲に対し統帥本部の反応は鈍かった。これは後世には、そもそもこの作戦が高度な政治上の要請によってローエングラム伯の敗死をも織り込んだものだったからだとされているが、もちろん当時のカルツ少将の知るところではない。

 むしろ統帥本部は、そういう大事な時期に軽率に駐留艦隊を全部出撃させ、イゼルローン要塞を空城としたことを問題視した。カルツ少将も内心首肯するところであり、返答に苦慮したそうである。

 この出撃はゼークト大将が反対を押し切って半ば強行したものであり、密に協議連携すべき要塞防御司令官シュトックハウゼン大将への連絡も疎かにしていたため、要塞防御司令部は厳重にこれに抗議している。統帥本部もまた、ゼークトの行動を苦々しく感じていたのであろう。

 ゼークト大将の精神状態は、後の「事件」を考察する上で常に議論の中心的な位置を占めるが、その一つの論点にこの強行出撃問題も数えられている。

 

 ところで、カルツ少将はその回顧録の中で特に触れていないが、同時期に軍務省との間にも連絡を持っていることが記録上明らかである。こちらは、その強行出撃に際してゼークトを諌止したため解任された駐留艦隊高級参謀のエルンスト・フォン・アールガウ大佐の処遇と、その後任人事に関する連絡だった。

 軍務省としてもエルンストには同情的で、また正直に言えばそんな面倒事にかかずらっていられず、エルンストの再任で決着させようとしていた。アールガウ家は権門でないとはいえ伯爵家であり、本来そう簡単にその当主を解任というわけにもいかなかったのである。しかし、こちらは結局「事件」まで棚上げ状態のまま終わることになった。

 なお、エルンストについては、ゼークト大将を諌止したというよりほとんど酔漢同士の喧嘩のような有り様で激しい罵倒の応酬を繰り広げたという巷説もあるが、これについては当事者は誰もその詳細を語っていない。比較的信頼に足る二次史料では、ごく穏当なやり取りの末に唐突に大佐が解任されるに至っているが、その不自然さをゼークトの精神的な不安定さの現れと見る者もいれば、やり取りの内容が事実に反していると見る者もいる。もちろん、そこに少しも不自然さを見いださない者もまたいるのである。

 

 二月十二日には、ゼークト大将とシュトックハウゼン大将の両司令官が、二月に入って初めての会見を行った。それぞれの司令部の丁度中間に位置する、例の会見室においてである。この時の協議内容は、幕僚たちが同席していたことから比較的正確に再現することができる。

 会見当初、ゼークト大将はカルツ少将ら部下が心配していたほどには神経を昂ぶらせておらず、むしろいつになく穏やかな口振りで、一同を驚かせている。元来二つの司令部は主導権を巡り熾烈な争いを繰り広げてきたので、一方の頭目がゼークトでなくともその会見には緊張感が走っていたものだが、この日に限ってはお互いに軽口を言い合うほど和やかな雰囲気であった。少なくとも会見当初はそうであった。

 

 しかし、それもシュトックハウゼンが強行出撃問題に触れてからは一変した。

「駐留艦隊は、回廊に侵入した叛徒を屠るためにのみあるのだ」

「卿とそんな原則論を云々するつもりはない! 千隻程度の敵軍に全軍を投じる必要があるのかないのか、それを答えてもらおう」

「常に全力を以て敵に当たることの何が悪い」

「全力でなくては満足に戦えんほど、駐留艦隊は惰弱なのか? 駐留艦隊は臆病者の集まりということか!」

「なにィ……」

「必要もないのに過大な戦力を投じ、このイゼルローンを手薄にするなぞ、畏れ多くも皇帝陛下の御盾たるをなんと心得る。士官学校で帝国軍人の精神を叩き直して貰うべきではないか!」

「……」

 シュトックハウゼンの一方的な口撃に、ゼークトの表情は瞬く間に凍りついた。ゼークトは能弁家ではない。返す言葉の少なさは、心中の憤りの激しさの裏返しと見えた。慌てて艦隊作戦参謀フロム中佐が割って入る。

「し、しかし、我が艦隊が全力を以て出撃を行った甲斐あって、敵艦隊は殲滅され、結果としてはイゼルローンの防衛に資することとなったではありませんか」

「それが無用だというのだ。仮に千隻の叛徒がそのまま要塞に取り付いたとて、たった千隻ぽっちでは何をどう足掻こうと所詮我が要塞を危機に陥れることはできん。むしろ貴公らが出撃するより、少ない労力と犠牲でこれを殲滅できたはずである」

「いずれにせよ損害は軽微で、問題というほどでは……」

「一個艦隊が出撃するだけでどれだけの国庫の浪費か弁えておらんのか! 残敵掃討の必要が生じれば、その時はこちらから出撃を要請する。そうでなければ大人しくイゼルローンに籠もっていればよいのだ!」

 フロム中佐は、ここはこちらの──今にも激発しかねないゼークトの──顔を立ててどうか矛を収めてくれ、とシュトックハウゼンや要塞防御司令部の幕僚たちに目線で哀願した。しかし、シュトックハウゼンはシュトックハウゼンで口撃の圧倒的優勢に酔いしれ、敵の命乞いを無情にも受け付けない。ついには、これまで彼自身決して踏み込まなかったゼークト個人の問題を土足で踏みにじる挙に出た。

「ゼークト、卿は最近どうかしているぞ。随分頻繁に司令部の人員を入れ替えているそうではないか。駐留艦隊が落ち着きを失っているように見えるのも、そのせいだろう。これは同期の誼で言うのだが……焦っているのではないか?」

 ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト大将とトーマ・フォン・シュトックハウゼン大将はともに五十歳。士官学校でも軍大学校でも同じ釜の飯を喰い、軍功を競い鎬を削りあってきた間柄であった。ともに要塞に並び立ってからは伝統的な両司令部の関係性によって不仲さを強調されてきたが、それまではむしろ切磋琢磨しあう良きライバルだった。

「勲功を急いているのか知らんが、今の卿は蛮勇を通り越してヤケクソに見えるぞ」

 思わず青年将校だった頃のような言葉遣いに戻ったシュトックハウゼン。本心では、ゼークトのことを嫌ってはいないのだろう。しかし、責められたゼークトはそれを許し難い侮辱と受け取っていてもおかしくない。短く唸り声を上げたが最後、一切口を開くのを止めてしまった上官に、すでに己には手の施しようのないことを悟ったのか、もともと痩せて面長な顔立ちのフロム中佐はげっそりとした表情を浮かべた。それはまるで、死にかけの病人のように見えた……とはカルツ少将の記述である。

 

 最早完全に冷え切った会見室内の空気に、シュトックハウゼンもやや居心地の悪さを感じたのだろう。押し黙るゼークトに投げつける言葉は、終いには独語のようにシュトックハウゼン自身の思考をなぞるものになった。

「卿が焦燥を抱くのもわかる。我らの二つの司令官職は、常にポスト削減の検討対象なのだからな。まして、今度この要塞に投錨するあの金髪の孺子、あやつはすでに上級大将。また戦功を重ねるようなことになれば次は元帥だ。三長官職が近々空く気配はないのだから、孺子に与えるには要塞防御司令官兼駐留艦隊司令官というのも丁度……」

 シュトックハウゼンの予想は、ある程度は帝国軍の高級幹部たちに共有されていたものだ。ラインハルトの栄達はすでに軍のピラミッド構造の頂点近くにまで達しつつある。だからこそ、彼の致命的な失敗を望む者が数多いのだが。

 カルツ少将はゼークトの表情を横目に見た。だが、果たしてその考えていることはシュトックハウゼンに対するものなのか、それとも何か別のことなのか、皆目見当も付かなかった。結局、この日の会見はなんら得る物もなく終わったのであった。

 

 この時、会見室の要塞防御司令部側の幕僚の中に、エドムント・フォン・アールガウ少佐の姿もあった。数人いる作戦参謀の一人としてである。だが、エドムントにはこれといって発言した形跡はない。彼はその兄と違い、参謀部の中ではまだ地位の伴わない若輩に過ぎず、両司令官の会話に口を挟めるような立場ではなかった。よしんば何事か述べたとしても、駐留艦隊のフロム中佐のようにもう一方の司令官から冷たくあしらわれて終わっただろう。

 むしろ、彼の関心は別のことに向かっていたかもしれない。隣席であった同じく作戦参謀のハウアー少佐は、エドムントが周囲で交わされている会話に対し興味を示す様子もなく、ただ無表情に駐留艦隊司令部の面々を眺めていたのを記憶している。そう言えば、彼の兄は本来その一人として同席していたはずなのだ。

 当時三十代半ばのハウアー少佐は、普段それなりに社交的に振る舞っている年下の同僚が珍しく触れ難い雰囲気を醸し出していることに驚いたという。年若く眉目が整ったエドムントは幹部の夫人連に密かに人気があって、それはハウアーも単身赴任で妻を本土に残してきた自分の選択を誉めるほどだった。だがこの時のエドムントは、やや痩せすぎて薄い頬を全く緩めず、目にも輝きがなく、どこか酷薄なものを窺わせた。

 ハウアー少佐は寒気を覚え、身震いしてエドムントから目を逸らし、折しも始まったシュトックハウゼンの独擅場に意識を集中した。エドムントがこの時どのようなことを考えていたのか、それを推測できる材料は何もない。

 

 この会見の後、ゼークトはこれまでにない行動を取るようになった。毎日の昼食の後、午後二時から四時までの間(人工天体であるイゼルローン要塞のそれは、標準時に一致する)、仮眠を欠かさなくなったのだ。

 最前線であり、いつ駐留艦隊が出撃しなければならない事態──シュトックハウゼンですら出撃を乞うような──が生じないとも限らないのだが、それも意に介さないようだった。

 口さがない兵士たちは、

「ゼークトが無気力に陥った」

「それはシュトックハウゼンに言い負かされたせいだ」

「いや、むしろシュトックハウゼンを痛い目に合わせるため、敵が来ても艦隊をあえて動かすつもりがないのだ」

 などと噂しあった。

 数日してローエングラム艦隊が補給のために要塞に立ち寄った時も、ゼークトはまた己の部屋に籠もったまま顔を見せなかった。

 

 そして二月二六日。その「事件」が起きる日の昼過ぎにも、ゼークトはやはりルーチンを消化し、午睡に入る旨を従兵に伝えた。

 奇しくもその日、アスターテ星域において、ローエングラム伯ラインハルト上級大将率いる帝国艦隊は戦闘状態に入った。




ゼークトとシュトックハウゼンの関係って、旅順要塞のロシア軍の、ステッセリ将軍とスミルノフ将軍の関係が直接の元ネタなんですかね。
それで色々参考にしようとしたら、ステッセリの部下にアレクサンドル・フォークという人がいました。上官に取り入って出世したけどまあ無能で、日露戦争後それを批判したスミルノフを恨んで殺そうとしたらしい。フォーク准将の元ネタはこれか……。

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