銀河は英雄のもの   作:mojito

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酒乱が修羅場で

 アールガウ伯家は「ルドルフ大帝以来」、つまりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに直接仕えた功臣に始まる家柄であり、その後四百八十余年、家祖の名を汚すことなく血脈を伝え続けたことも合わさって、帝国貴族としては高い家格を誇っている。

 しかし、それは実際の権勢とは別の話である。中央政界にあって富貴を得ること、そして婚姻政策によって大門閥を築き、外戚としてゴールデンバウム王朝と血縁を共有すること──そういったいわば貴族としての花道を、歴代のアールガウ伯はほとんど歩んでこなかった。

 そうなったのには伯領の立地と、伯領の成り立ちも関係していたろう。その所領の中心であるアールガウ星系は、いわゆる帝国本土と帝国辺境との丁度境目に位置している。初代アールガウ伯がそのような場所に封じられたのは、辺境の抑えとしての役割を期待されていたのだ。それが数百年の間、伯の視線を中央から逸らし辺境へと向け続けたのは間違いない。

 もっとも、そういったアールガウ伯の役割は、時間の経過とともに失われていた。「叛乱勢力」の出現のためである。彼等は、これまで伯家が相手としてきた宇宙海賊などとは比べ物にならない難敵であった。中央に発言権を持たない伯家は、帝国を挙げて行われる「叛徒」征討事業の中で脇役に転落した。

 辺境の抑えアールガウ伯は、こうして田舎の寒門貴族アールガウ伯へとその立場を変えたのである。あるいは放蕩に耽った先代のアールガウ伯も、己の家系がすでに歴史的な役割を終えていることを、意識的にか無意識的にかはいざ知らず、鋭く見抜いていたのかもしれない。

 

 ただ、中央と違って辺境においては、アールガウ伯の家名はまだ幾許かの輝きを保っていた。辺境にはモザイク状に、男爵・子爵・騎士(リッター)・領主(ヘル)などの称号を持つ群小貴族の所領、内務省の所管する皇帝代官領、そしていくつかの流刑星が散らばっていたが、少なくとも前二者の領主・領民には、数百年に渡ってアールガウ伯家に守られた記憶が色濃く残っているのだ。加えて、中央との婚姻には消極的な分、アールガウ伯家と辺境の諸領主との血の繋がりも深かった。

 イゼルローン要塞に働く軍人には、貴族平民を問わず辺境出身者が多い。そもそも辺境は貧しい地域で、進路を選ぶにあたり軍人の道が普通の者以上に大きな選択肢となる。そんな辺境出身者が軍務に服するなら、「おらが星」を守ることに直結するイゼルローンで働きたいと思うのは、自然な成り行きであろう。

 要塞工兵部に所属するザロモン大尉もそういった辺境出身者の一人だった。だから、エルンストの姓名を聞いたとき、あのアールガウ伯家の者であるとすぐに気が付けたのだ。

 イゼルローン要塞に勤務する辺境出身者にとって、新たにエルンスト・フォン・アールガウという人物が艦隊高級参謀という要職を占めたことは、それなりに意味を持った。要は、イゼルローン要塞における辺境出身者の代弁者、「辺境閥」の利益代表者としての活躍を期待されたのである。

 

 要塞駐留艦隊に配属されてから、エルンストは多忙な日々を送っていた。とは言え、駐留艦隊が全艦出撃するような急迫の事態がしばらく生じていないのは彼にとって救いで、慣れない仕事でも時間をかけて着実にこなしていく余裕に恵まれた。

 四苦八苦しながらもなんとかその一日一日を過ごし終えた後、時間が捻出できれば、エルンストは迷わず要塞の士官サロンや商業区域で酒を飲むことにしていた。声をかけることもあればかけられることもあったが、杯を交わす頻度が多いのはやはり辺境出身者である。

 高級参謀になってから得た知人が大半だが、いくらかは以前から面識のあった者もいた。駐留艦隊ではなく要塞防御司令部にいた頃に知り合った者、もっと昔、軍服に腕を通す前から知っていた者……。

 要塞憲兵隊のロベルト・フォン・ラインフェルデン中尉は、特に以前から関係の深い青年である。ラインフェルデン男爵家はアールガウ家の分家筋にあたる貴族で、その三男坊であるロベルトはエルンストにとっては従兄弟同然。昔からよくともに遊ぶ気の置けぬ間柄だった。

 

「正直に言えば、エルンスト、あんたが高級参謀なんて、うまくいかないと思っていたんだが」

 エルンストより二つ年下のロベルトが発する言葉は、年齢差も階級差もまるで考慮していない。しかし胸襟を開いて接するこの時間が心地よいので、それを咎めるようなことはしない。ちなみにロベルトは軍服を着崩し、文字通りに胸元をはだけていた。

「なんだかんだと、高級参謀殿として大手を振って歩けてるじゃないか」

 言葉の合間合間に彼の喉を潤すビールのいくらかは、そのはだけた胸にもいく筋かの傍流となってこぼれ落ちていた。ロベルトは二十代前半の軍人という、人の肉体の健康にとってある種の理想を体現した条件の下に身を置きながら、極端な肥満体である。常日頃人の目も憚らず、酒をこぼし食べかすを散らかしながら鯨飲馬食に勤しんでいるので、年齢不相応のスピードで腹部が膨張していくのは仕方がない。

 質実剛健を建国以来尊んできた帝国にあって(というか人類社会一般にあって)ロベルトのごとき人種が高い評価を得ることは永遠にないのだろうが。

「おかげさまで、なんとか務まってるよ」

「人柄かな、どうも皆あんたを実力以上に評価しやがる。務まっていなかったとしても、周りがかばってくれるんだろうよ」

 しかしその歯に衣を着させぬ言葉こそが、ロベルトをエルンストの一番の酒飲み友達としていた。貴族の鯱張った社交を内心苦手としていたエルンストにとって、同じ貴族同士でありながら気を許せるロベルトのような人間は得難い存在だ。

「いや、流石に私の実力と思っている者は誰も居るまい。言うとおり、私が多少失敗しても皆が助けてくれるのさ。伊達にイゼルローンの参謀をやってる連中じゃない」

 さすがにロベルトほどの境地にはまだ達していないエルンストは貴族らしい上品な飲み方をしていたが、こちらはこちらで杯を干すペースが尋常でなく早い。アールガウ家やその親族には、エルンストの父を一つの典型例としてどうもアルコール中毒者の気があった。

 

 

 

 翌日。エルンストは頭痛に苦しめられていた。無論、普段ならそんなことは織り込んだ上で節度を守って酒を嗜み、明くる朝にはきちんと酒気を抜いて勤務に差し支えの出ないようにするのだが、この日に限って彼にはその余裕が与えられなかったのである。

 全艦隊幹部に招集がかけられたのは、杯を置いてからまだ一時間も経たない深夜。エルンストは折悪しくまだ一睡もしていなかったが、タンクベッド睡眠を行うことさえ許されず、シャワーを浴びて身体にこびり付いたアルコール臭を落とすのが精一杯だった。

 

 取る物も取りあえず艦隊司令部に駆け付ければ、情況は切迫していた。と言っても、叛乱軍の全面攻勢などではない。確かに叛乱軍の回廊への進出が探知されていたが、それは規模としてはたかが千隻。普段の哨戒よりは多いが、それでも精々威力偵察がいいところの小兵力だ。

 問題は、我らが駐留艦隊司令官が、全艦隊を挙げてもこれを即時撃滅せん、と主張して止まない、ということである。エルンストは出頭早々、ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト大将の砲声の如き絶叫に直面した。

「なんとしても生かして帰すわけにはいかん! 要塞に取り付かれる前に、討つ!! 全艦出撃これあるのみ!!!」

 たった千隻でこの難攻不落のイゼルローン要塞に肉迫するようなら、敵の指揮官は常軌を逸している。その場の誰しもがそう思ったが、なにしろこちらの指揮官も軍事上の常識を忘れ去るほどに興奮しているので、言い出す勇気もない。追従を述べる者もいないのが、帝国軍に軍隊としての理性が保たれていることをかろうじて証明していた。

 艦隊参謀長カルツ少将は片方の拳をもう片方の掌で包み込み、それを凝視し続けて一言も発しなかった。艦隊副司令官ミクラス中将や数人の分艦隊司令官といった他の将官級も同様の態度である。となれば、ゼークト大将にそれとなく翻意を促す役目は、自然に高級参謀のエルンストが負わされることになる。しかし思考がまとまらない。頭脳を占拠する不快感を払って、ややもすれば声ではなく胃の内容物を披露しそうなところをようやく絞り出したのは、随分不躾な発言だった。

「閣下、敵の撃滅を第一とするは帝国軍人として当然ですが……あの程度の寡兵に駐留艦隊をわざわざ全部駆り出す必要もないでしょう」

「なんだと?」

「敵はおそらく千隻を超えるか超えないかといった程度です。その……こちらも二千隻、不安なら三千隻も出せば撃滅するに足るのでは」

 

 エルンストの隣にいた作戦参謀のフロム中佐は、無言のまま全身で驚愕を表現した。彼は駐留艦隊の参謀たちの中では最も古株である。エルンストの前任者たちが駐留艦隊司令官の勘気を蒙ってどういう運命を辿ったかも全て承知している。

 駐留艦隊の高級参謀は、ここ三年の間に四度も交代している。短い者は赴任して一週間も経たぬうちに更迭された。副司令官は三度、参謀長は二度、そして作戦参謀も一度、ゼークト提督の機嫌を損ねて経歴に傷を付けたのだ。皆、エルンストと同じくごく常識的な意見を、エルンストとは違ってもっとやんわりと上申したのだが、この勇猛果敢な駐留艦隊司令官は決して許さなかった。

 フロム中佐は、エルンストがその場で司令官に殴り倒されるのではないか、とすら心配した。その場を直接目撃したわけではないが、カルツ少将も一度ゼークトに呼び出され、帰ってきた時には何故か彼の眼鏡が壊れていた。カルツは黙して語らなかったが、何事か好ましくない事態が司令官室の中で生じたのは明らかである。

 フロムは決して新任の高級参謀を好いてはいなかった。貴族のボンボンのお守りをさせられるのを喜ぶ平民はそういない。が、エルンストが不釣り合いな高級参謀の地位に収まった経緯を知っているので、その彼が短期間でまたもや更迭されるというのも望むところではない。あまりに悪評が立ちすぎて、すでに帝国軍内に高級参謀の成り手がいないのだ。

 

 エルンストが不用意な発言を続けるようなら羽交い絞めにしてでも止めなければ、とフロム中佐が悲壮な決意を固めかけ、エルンストが再び口を開こうとした瞬間、ゼークトの大喝が飛んだ。

「何を言うか!! 敵戦力の大小など問題ではない!!! 皇土を不埒にも犯す輩に対しては、常に我が全力を以て迎え撃たんとするのが軍人の責務である!!!!」

 最早それは論理ではなかった。帝国軍人にありがちな、敵を叛乱軍と規定するのか外敵と規定するのか曖昧になるという弱点をゼークトもまた抱えていたが、そんなことはどうでもいい。すでにこの老練の提督は、軍人として致命的なほどの非論理の中に生きていた。

 ゼークトの頑丈な双肩は小刻みに震え、顔色は赤黒く、興奮の極致にあることは誰の目にも明らかだったが、如何せん、相手が悪かった。エルンストは何故か他人の怒気を表情から読み取るのが苦手だった。まして酒気帯びの状態では尚更である。カルツ少将が髪の薄い頭を抱え込み、フロム中佐が泡を噴いたことにも気付かず、火に油を注ぐような反論を加えた。すでに論理を捨てている人間に対して、悪手という他ない。

「ですが、あの千の敵が囮なら如何されますか。その背後に数万の艦隊が潜んでいたとしたら、うかつに誘き出されれば包囲殲滅の憂き目に遭います。あるいは我が軍を横目に見て、イゼルローンに殺到するというのも考えられます。そうなれば我々は進むも退くも叶わず、回廊を枕に討ち死にするは必定です」

「回廊を枕に? 結構ではないか! それこそ武人の本懐というものだ!」

 ゼークトは小賢しい若造め、とあからさまにエルンストを見下した表情を浮かべた。怒りが蔑みに変わり、やや興奮が収まってきたのだ。それでも、一度昇った血はゼークトの顔を浅黒く染めていた。

「少しは骨のあるやつかと思っていたが、臆病風に吹かれたか。そんなことでは戦場では物の役にも立たん。聞く耳を貸すだけ無駄だ!」

 まくし立てて、ゼークトは席を蹴った。有無を言わさず出撃するつもりなのである。実際、艦隊司令部の他の面々は貝のように沈黙を保っている。口を閉じていないのは、ただエルンスト一人である。

「お待ちください、閣下!」

「黙れ! シュトックハウゼンに連絡、駐留艦隊はこれより全艦出撃する!」

 

 慌ただしくそれぞれの部署へ向け退出していく幹部たち。満足気なゼークトは最後に一度だけエルンストを見やり、付け加えた。

「アールガウ大佐、貴様は艦隊司令部付とする。ここで指を咥えて戦況を見ておれ!!」

 エルンスト・フォン・アールガウは、この瞬間高級参謀を解任されたのである。幸いにも最短記録は免れていたが、着任から一ヶ月と過ぎていない。エルンストにとっては人生で初めての酒による失敗だった。しかし、アールガウ伯家の当主としてはあるいは何人目の失敗者だったのか……。


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