銀河は英雄のもの   作:mojito

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二人は要塞へ

 エルンスト・フォン・アールガウ大佐が長期の服喪を終え、イゼルローン要塞駐留艦隊高級参謀に転じたのは、帝国暦四八七年一月のことであった。

 

 要塞駐留艦隊といえば銀河帝国軍宇宙艦隊の中でも最前線に布陣する部隊であり、言わずもがな帝国軍中の精鋭集団の一つと目されている。

 その高級参謀は、艦隊にあっては参謀長に次いで高位の参謀であり、艦隊運営の実務にあたる参謀達のまとめ役と言える。現場の声を吸い上げ、そして司令官や参謀長の手足となってその意向を現場に反映させるのである。当然、無能者には務まるわけがない重職で、長年に渡って功績を上げ百戦錬磨の経験を積んだ人間や、幹部養成の過程において優秀な成績を収めてきた将来を嘱望される人間にしか、このポストは与えられない。

 ところで、こういった職位は自由惑星同盟軍(当時の帝国においては知っての通り叛乱軍と呼称されていたが)にももちろんあり、例えば後のアスターテ会戦の際、かの名将ヤン・ウェンリー准将は第二艦隊次席幕僚の任にあった。そして、艦隊司令官パエッタ中将の負傷に伴って艦隊指揮を引き継ぐことになったのは有名であろう。ヤン提督の場合、エル・ファシル戦以来の軍功大であることを以てこの職を与えられたに違いない。もっとも彼は司令官や参謀長、他の参謀らとの間に信頼関係を築いていたとは決して言い難いようであるが。

 また、そのヤン提督が後に自ら率いたいわゆるヤン艦隊では、パトリチェフという人物が艦隊副参謀長を務めていた。この点、次席幕僚と副参謀長との関係は詳らかではない。艦隊司令部内における職掌や立場は明らかに重なっているものと思われるが、同じ役職の別の呼び方に過ぎないのか(とりわけ帝国語への翻訳の段階でこの問題が生じやすい)、全く別個の役職であり並立していたのか、同盟軍の職制に短期間のうちに何らかの改編があったのか。如何せん、筆者には同盟軍の軍事史についての知識がなく、何れとも判断し難い。

 

 閑話休題。

 この高級参謀という肩書きは、幾分エルンストには荷が勝ちすぎている。それは、本人も拝命した時点ですでに自覚していたのである。エルンストには艦隊参謀の経験がない。大佐に昇進したのも伯位を襲ってからのことであり、まだ一年と経っていない。人事としては誰の目にも異様に映るものと言わざるを得ない。

 エルンストは一時軍務省に怒鳴り込んで辞令を突き返そうかとすら考えた。が、確かに前線勤務を自ら希望したのも事実である。現下、帝国軍の最前線がイゼルローン回廊に限られる以上、イゼルローンに配属されることは予想の範疇ではあった。どうせ同じ場所で働くなら、より重い責を負っての仕事の方が経験になる、と言えないこともない。

 それに加えて、弟の存在もあった。エドムント・フォン・アールガウ少佐も、同じ人事でイゼルローンに配属されたのである。配属先が駐留艦隊ではなく要塞防御司令部なのは残念だが、これまで通り相談しあい助けあうことができれば、困難を乗り越えることもまた可能ではなかろうか。

 悩んだ末に、エルンストは高級参謀として精励する道を選んだ。幸いそうと決めさえすれば他に心配はない。家督相続後、服喪に名を借りて多少時間をかけて取り組んできたアールガウ伯領内の引き締めも、弟がテキパキと差配を下してくれたおかげで物事が捗り、女色に耽った怠惰な父の時代に弛緩した統制を取り戻すことに成功していたのである。

 父の死んだ後やけに若返ったようにも感じられる母や使用人ら、それに宇宙港までの沿道に動員された多くの領民に見送られ、以前より活気付いたアールガウ星系を後にしつつ、エルンストは前途に不安と希望との奇妙なコントラストを抱いた。

 

 兄の新しい任地を聞いて、エドムントは驚愕した。あの兄がよりによって要塞駐留艦隊の高級参謀! 荷が勝っているどころの騒ぎではない。はっきり言って、不適格の一語に尽きる。

 参謀というのは軍の頭脳である。艦隊参謀であれば、その双肩に一個艦隊とその全将兵の安危が懸かっているのだ。成績の優秀なこと、などというのは前提の前提であり、その優秀な者を更に絞り込んだ上で高度な参謀教育を施し、ようやく多岐に渡る参謀の職務をこなせるようになる。ましてやその参謀の上に立つ高級参謀に参謀の経験もない人間を就けるなぞ、帝国軍三長官が一度に三人とも乱心したとしか言いようがない人事。狂気の沙汰だ。

 受けるエルンストもエルンストである。エドムントには、つくづくこの兄が度し難い存在に思えてくる。彼を心の底から憎悪している、という色眼鏡はもちろん外しての話だ。それくらいの客観的な思考ができないエドムントではない。

 父が死んでから、兄にアールガウ伯領内の改革を任された。これまで軍務一筋に過ごしてきて、民政の実務経験など無論備えていないエドムントは、この無茶な要求に頭を抱えた。兄の方はそれを無茶とは微塵も考えておらず、とことん楽観的。エドムントが素人として精一杯にひねり出した言葉を誉めそやしてくるばかり。

 抱いていた殺意を大幅に増幅したエドムントであったが、ここで失敗して兄の期待を裏切れば、胸中に温めている計画に支障が生じる。もともとの生真面目な性格も手伝って、目の前の難題になんとか解決に至る方策がないか、八方手を尽くさざるを得ない。

 結論から言えば、答えは簡単に見つかった。領内のことを知り尽くしたアールガウ伯家の使用人らに聞けば、アールガウ伯領の経営がうまくいっていないのは、父が伯としての務めに興味を失い、ここ十年来同じ予算のまま過ごしてきたからであった。当たり前であるが、十年前に適切であったものも十年も経てば適切でなくなる。予算を見直し、必要な場所に必要なだけの金を出してやれば、立ちどころに歯車は噛み合った。

 拍子抜けしたエドムントには、それを弟の大手柄であるかのように大はしゃぎしてくる兄は、最早、自分とは別種の生物にしか思えなくなった。

 エドムントには多少他人を見下す悪癖があったが、とりわけ一度無能のレッテルを貼った相手に対しては苛烈だった。そんな彼にとって、昆虫レベルというに相応しい兄を害することは、人類に課せられた神聖なる義務に等しい。すでに、エドムントには害意の生まれた当初の激情を思い出すことさえ難しかった。

 その昆虫の兄が高級参謀。己の正気をこそ疑うべきではないか。あるいは兄が無惨な失敗を犯すであろうことを、大神オーディンに感謝すべきか。自らもまたイゼルローンへの旅路の中にあったエドムントは、軍用船の質素な座席に身を沈めつつ乾いた笑みを浮かべ、いささか狂いの生じた計画の修正に没頭した。

 

 現任の要塞駐留艦隊司令官は、フォン・ゼークト大将である。歴戦の勇将として知られ、それに相応しく堂々たる体躯に豪放磊落とした性格を宿していた。エルンストは、司令官への着任の挨拶でそのことを再確認した。司令官室に通されるなり、待ち構えていたゼークトは新任高級参謀の両肩を捕まえ、雷霆のごとき大声を響かせながら曰うたものである。

「俺は経験なぞ問わん! 死ぬ気を見せろ! 死ぬ気があるなら、悪いようにはせん!!」

 しばらく耳鳴りと格闘したエルンストは、収まると同時に直立不動となり、ゼークトほど胸郭が発達していないために金切り声になりつつも、負けじと答えた。

「小官は命令さえあらば、今ここで自裁するも厭いません!!」

 どうやらその答えは無事にゼークトを満足させるに足りたと見え、エルンストは参謀長に引き継ぎを受けるよう命じられ、退室を許された。

 

 打って変わって艦隊参謀長のカルツ少将は、ネズミに似た細面の上に年齢相応に薄くなった後頭部を乗せた、見るからに小心翼々たる木っ端役人風の男である。

「そうか、司令官閣下は貴公を気に入られたかもしれんな」

 先ほどの出来事を伝えると、カルツは消え入るような声で応じる。あまりの音量差に、エルンストは司令官の大音声のために自分の鼓膜が破れてしまったのではと心配になってしまったほどだ。

「そうして調子を合わせていれば、大丈夫だろう。ただ、閣下は気難しいところもある。今日うまくいった手が明日も使えるとは思わんことだ」

 そう言ってつまらなそうに笑うカルツの話は、似たような処世術に類するものに終始した。実務に関する引き継ぎなど一言とてもない。エルンストはいささか途方に暮れつつ、参謀長室を辞した。

 

 本来なら、参謀長室から出てすぐ左の部屋に入ればそこが作戦参謀室であり、高級参謀たる自分のデスクもその中にあったのである。だが、にわかに不安が大きくなり気持ちが浮ついていたエルンストは、思わず右に曲がってしまった。

 すると、やたらに廊下が長い。考え事をしていたエルンストでも、歩きながらその歩数の多さに違和感を覚えるほどに長い廊下である。しかも曲がりくねり、方向感覚を失う迷路。苦心惨憺してそれを抜けると、突き当たりに荘重な扉が一つだけあった。作戦参謀室の隣には、さらに情報・通信・後方などの各参謀室が並んでいるはずなのに。

「道を間違えたか……?」

 そうつぶやいた頃には、彼はすでに扉の前に立ち尽くしていた。

「どうなさいました。今、ここにはどなたもおられませんが」

 不意に扉の向こうから声をかけられ、エルンストは心臓を口からつかみ出されたように驚いた。扉が重々しく開くと、その向こうには警備兵らしき一団が十人ばかり、銃を肩にしている。

「そんなに驚くこともないでしょう、足音でわかりませんか。身分証を拝見します」

 苦笑しつつも有無を言わせぬ態度で誰何するのは、その隊長と思しき口髭をたくわえた大尉である。腰のブラスターにいつでも手を伸ばせるようにしているのは、軍規の行き届いていることを伺わせた。

「ほう、随分お若い大佐殿と思いましたが、新任の艦隊高級参謀殿でしたか」

「ああ、勝手が分からず失礼しました」

 相手の身分を確かめると階級に見合った敬礼をし、大尉は破顔した。

「申し遅れました、警備当直のザロモン大尉であります」

 警備当直士官は、要塞内の警備の担当者である。二十四時間交代で、要塞各部署の士官が持ち回りで務めている。ザロモンは工兵部に所属しているようだった。

 

 読者の方々は、疑問に思われるかもしれない。専属の警備担当部署は存在しないのか、と。もちろん存在している。要塞陸戦隊と要塞憲兵隊とがそれである。が、何分イゼルローン要塞のような巨大な空間を警備するとなると、それだけでは手が回らない。そこで、要塞内の巡回であるとか、国旗・軍旗の掲揚、民間人居住区に鎮座するルドルフ大帝像の前での衛兵交代など、実際的な重要性の割に人手が必要で、かといって廃止することもできないような種類の警備については、一般の部隊が人員を出すことになっているのだ。ただ、この要塞ではそれも単一部署では賄いきれないほどなので、同じ日にいくつかの部署が警備担当となる。責任者である警備当直士官も、この日で言えばザロモン以外に四人の大尉が務めていた。

 

 余談であった。

 ザロモンは、要塞中枢の様子に不慣れなエルンストに気さくに道を案内してくれた。先ほどエルンストが間違って入りかけた部屋は、要塞防御司令官と要塞駐留艦隊司令官の会見室である、ということまで教えてもらった。

 それぞれの司令官室から丁度等距離に位置する一室を特別に改装したのだそうである。当然、室内には両司令官が己の部下を統率するため、両司令官室と同様の設備が備わっている。畢竟、この要塞には司令官室が三つあることになる。

 いや、正確に言えば、四つ存在するのである。この両司令官の会見室の周囲は、異常に広い高級士官のサロンとなっている。もとはと言えば会見室もその一室であった。如何に巨大な要塞とはいえ、要塞防御司令部と要塞駐留艦隊の高級士官だけならそこまで広いサロンを必要としない。

 このイゼルローン要塞は銀河帝国の最前線である。唯一の、と付け加えてもよい。極言すれば、この要塞には全帝国軍宇宙艦隊が投錨することだってあり得るのである(実際には、宇宙港の方に収容限界というものがあり、そんなことは不可能であるが)。そして、となれば、帝国軍の統帥者である銀河帝国皇帝が、大親征の征途にあってこの要塞に滞在することも当然想定されなければならない。四つ目の司令官室とは、もう言うまでもないだろう、サロンの中に会見室と並ぶように作られた皇帝の行在所である。イゼルローン要塞は、もとより大本営となることを前提に設計された空前の大要塞であった。

 

 余談に余談を重ねてしまった。

 作戦参謀室に向かう道すがら、短時間ながらエルンストはザロモンと会話に花を咲かせた。例えば駐留艦隊司令部と要塞防御司令部、それぞれの「オヤジサン」つまり軍隊の背骨である古参の下士官の気質の違いについて、とか、それぞれの司令官の気質の違いについて、とか。要塞司令官のシュトックハウゼン大将は「校長」と呼ばれているが、ゼークト大将は「教頭」なのか「体育教師」なのか、とか。

「道理で話が分かりますね、以前はこちらにお勤めでしたか」

「その時は今のあなたと同じ大尉で、民政部にいました。それでこの辺りには不案内で……」

 エルンストは一時期、要塞防御司令部にも勤務したことがある。民政部はその名の通り民間人居住区の行政を担当する部門で、当然ながら軍事要塞であるイゼルローンにおいては民間人と言えども軍の命令が至上であった。

「そりゃあまた、大出世だ。待てよ、アールガウと言やあ、確か伯爵様じゃあないですか。その御令息なら肯けますよ」

「いや、まあそのアールガウなんですが、もう父は死んで代替わりしたんです」

 エルンストの話しぶりは貴族にしては随分軽い口調だったが、ザロモンは自分の失言を取り繕うのに必死で、気が付かなかった。

「そ、そりゃあご愁傷……」

 その慌て方に、エルンストは噴き出してしまう。会見室の前で驚かされた復讐は済んだようだ。

「おっと、これから先は艦隊司令部の領分だ。あなたも私も、一緒にいるところを見られるのはまずいでしょう」

 どうやら来た道を戻ることができた。ザロモンはもとの警備当直士官の顔を取り戻し、それぞれに私語を楽しんでいた部下を一喝して規律を甦らせる。敬礼を残し、彼等は一糸乱れぬ歩調で要塞防御司令部の方へと戻っていった。




 第一話と第二話で、改行や改段の仕方を多少変えました。読みやすいかどうか、忌憚なくご意見をお寄せください。

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