しかしまた遅い更新が続くと思いますが、待って頂けると幸いです。
実体のある幽霊に殺されて生き返り、血の繋がらない姉と遭遇し、自宅に実体のある幽霊の女の子がいるという状況であっても、夜に眠り朝が来れば人は目覚めるし腹も空く。
昨日の騒ぎから一夜開けて、士郎は相変わらず厨房に立っていた。いつもと比べればかなり早いどころか、明け方に近く窓の外はまだ薄暗い。ろくに眠れなかったせいなのだが、彼はあまり疲れは感じていなかった。
朝食は魚にご飯に味噌汁という、普通の和食である。
何時も来る大河や桜には、ちょっと今日だけは考え事があるからと断った。
大河はイリヤスフィールの一件を知っているし、桜も彼女からそれを伝えられて納得してくれたらしい。だから今日、衛宮邸は怖いくらいに静かだった。
嘘を付いているようだが、考え事があるのは本当だ。
士郎の後ろでは、その渦中の象徴であるアヴェンジャーがいる。彼女は昨日と同じ白いシャツと黒いスカートを着たまま、居間の卓袱台に地図を広げて何かを書き込みつつ、テレビのニュース番組を見ている。情報収集をしているらしいが、現代文明に馴染むのが早すぎである。
本人曰く魔術もある程度は使えるとのことで、使い魔も飛ばしているそうだ。
実際の所、アヴェンジャーのサーヴァントとしての魔術の技量や戦闘能力は士郎には未だ分からない。
ヘラクレスを見て来たように語っていたから古代ギリシャ辺りの人間とは思うのだが、古代ギリシャは英霊の伝説が多すぎる。
それでも女性となるとまた数は絞られるのだが、結論としては何とも分からないと士郎は思っていた。
「シロウ?」
考え事に囚われていたらしい。
ふと見ると、アヴェンジャーが寄って来ていた。
「あ、悪い。待たせてるか?」
「いえ、何か手伝いたくて」
「……じゃ、そこの皿を持って行ってくれ」
はい、とアヴェンジャーは答えた。
皿を運んで並べるというだけの動作なのに、背筋に一本芯を通しているかのように凛としている。
いつもは三人で囲む食卓によくは知らない少女だけがいる。けれど、士郎にはそれが嫌ではなかった。
「いただきます」
「ご、ご馳走になります……」
ややおずおずと煮魚に箸を付けたアヴェンジャーは、すぐに小さく美味しいと呟いて顔を綻ばせる。
「美味しいか?アヴェンジャー。慣れない味なんじゃないかと思ってたからさ」
「あ……はい。とても美味しいです、シロウ」
「そっか」
それなら良かった、と士郎は思う。とはいえ、それ以上は特に会話することもなく食事は終わる。
片付けも終えて、卓袱台に向かい合って座ると士郎は顔を引き締めた。
「アヴェンジャー、俺は聖杯戦争から降りない」
昨日考えて決めたことを最初に伝えた。
聖杯戦争から衛宮士郎は降りない。
自分が巻き込まれた側の人間だという感覚が完全に消えた訳ではない。士郎は聖杯を欲しいとは思わない。
奇跡のようにあらゆる願いが叶うのだとしても、そのために沢山の人間が争って傷付くのは許せない。
自分が関わることでそうなる人を少しでも減らしたいという考えを、結局、士郎は捨てられなかった。
それに、と士郎の脳裏を昨日この居間で写真を見ていた少女の面影が過る。
切嗣の娘、イリヤスフィールという女の子。あの子は必ずまた現れるという確信があった。
士郎を殺すために来るのか、話をするに来るのかそれは分からないが、少なくともその時まで自分はイリヤスフィールと同じ、マスターという立場にいなければならない気がした。
アヴェンジャーは拙い士郎の言葉をゆっくり聞いていた。聞いて、彼女は目を瞑って頷いた。
「了解しました。剣も槍も無い私ですが、あなたと己のために、この眼と術を振るいましょう。……契約、続行ですね。マスター」
「ああ、改めてよろしくな。アヴェンジャー」
アヴェンジャーは士郎の言葉に小さく笑顔になった。そんな顔をする人間は、やっぱり復讐者には見えないと士郎は苦笑しかけて慌てて頬の内側の肉を噛んだ。
「そう言えばアヴェンジャー、聞きたいコトがあるんだけど良いか?」
凛や言峰から聞かされてきたサーヴァントや聖杯戦争の仕組みは覚えているが、その中にアヴェンジャーという枠は無かった。
尤も凛に言わせれば、聖杯戦争では通常の七クラス以外のイレギュラーが召喚されることも無いことではなかったらしい。
しかし士郎がアヴェンジャーというクラスをよく知らないのに変わりはない。
第一、あの青いランサーと違って、アヴェンジャーには分かりやすい武装が無いのだ。これでは作戦の立てようがなかった。
そう言うと、アヴェンジャーは大体のクラスについて説明しましょう、と言い出した。
「一般的な七つのクラスは、三騎士とそれ以外に大別されます。三騎士である剣、槍、弓のサーヴァントたちは主に白兵戦に優れています。これに次ぐ白兵戦能力を持つのは、恐らくライダーやバーサーカークラスですね」
「ライダー……騎乗兵ってコトだよな?」
「ええ。戦車や、幻獣を乗りこなす英雄などが当て嵌められるでしょう」
次のバーサーカーは狂ったサーヴァントを指す。
彼らは正気と引き換えに、ステータスを引き上げる『狂化』というスキルを発揮する。そして、今回それを引いたのはアインツベルンだった。
「でも、ヘラクレスを狂わせるなんて戦略的に大失敗な気がするんですよね……」
「そうなのか?」
「はい。理性を無くしては、それまでの経験が役に立たず本能のみで動くことになります。必然、マスターの作戦や采配が重要になる。でもそういうことは、一般に研究の徒である魔術師に向いている分野では無いでしょう?」
神からの十二の難行を、知恵と忍耐で切り抜けたヘラクレスがその力を十分に発揮するなら、聖杯戦争など三日やそこらで終わるだろう。
しかしそんなに言うとは、アヴェンジャーは余程ヘラクレスのことが引っかかっているんだな、と士郎は思った。
士郎の内心はさて置いて、アヴェンジャーは説明を淀みなく続ける。
「残るはアサシンとキャスターですね。一般には正面切っての白兵戦には向いていないクラスです。……前者は名前の通り、暗殺者ですね」
「暗殺……?」
まさかサーヴァントを暗殺するのか、と聞きかけて士郎は思い当たった。
サーヴァントには分かりやすい弱点がある。自分を含めたマスターたちだ。というかそれで言うなら自分は真っ先に狙われるだろう。
士郎は知らず自分の二の腕を掴んだ。
「じゃあ、アサシンのサーヴァントが暗殺するのは……」
「ええ。この争いにアサシン陣営があるのなら、彼らの基本はマスター狙いになって来るでしょう。だからシロウ、私がもしあなたの近くにいないとき、背後に何かいると思えば令呪を使って下さい。それは空間転移などの魔術すらも行えるはずです」
じ、と曇りのない黒い瞳で見つめてくるアヴェンジャーから、士郎はつい目を逸らしてしまう。アヴェンジャーはまだ淡々と言葉を紡いだ。
「続けます。キャスターは魔術師ですが、三騎士と魔術師であるキャスターがまともに戦うと、どうしたってキャスターが不利になります」
「……確かに、研究者とがちがちの騎士が戦うんじゃ仕方ないってコトか」
「概ねはそうです。なのでキャスターは自分の陣地を作り、基本的には籠城戦を展開します」
といっても、とアヴェンジャーは一旦言葉を切って士郎の淹れたお茶を飲んだ。
「以上七騎は基本的な並びで、英霊というのは星の数ほどいます。あくまで一般論と考えて下さい。それに私が召喚されたので、どこかのクラスは必ず入れ替わっているはずですしね」
「数が増える訳じゃないんだな。八騎目のサーヴァントが召喚されたりは……?」
「まずあり得ないと考えて良いかと。そして今回、ランサー、アーチャー、バーサーカー、それに私が召喚されていることは分かっています」
「そう言えば言峰がキャスターも召喚されているって言ってたな」
昨日の冬木教会であの神父がそう言っていたのを思い出した。
「では、欠けたのはアサシンかセイバー、ライダーになりますね」
暗殺者か最優の騎士か、騎兵。
どれが欠けたのか今はまだ分からない。
前途多難だなぁ、と士郎はふと壁の時計を見る。
「あ、学校……!」
イリヤスフィールやアヴェンジャーのことで完全に忘れていた。
今日は学校があるのだ。あのアーチャーのように霊体になれたら学校にまで付いてこれるのだろうが、アヴェンジャーはそれができない。
それでも自分は今まで通りに登校するつもりだと言うと、アヴェンジャーは眉を吊り上げた。
「聖杯戦争最中で学業というのは、賛成しかねます。休むことはできませんか?」
「でもな、昨日の藤ねえを覚えてるだろ?あの人、俺の担当の先生なんだ。アヴェンジャーが家に泊まってたコトも、イリヤスフィールのコトも知ってる」
「イリヤスフィールが訪れ、私が泊まった翌日にシロウが学び舎に来ないとなると――――」
色々と不味くなりそうだろ、と士郎は頷いた。それに今日は断ったが明日からは何時も通り朝食を作りに来てくれる桜がいる。
アヴェンジャーのことはまだばれていないが、何れは分かってしまう。
「むむ……」
アヴェンジャーは腕組みをし、ややあってから口を開いた。
「シロウの学び舎の何処かに、私が隠れていて大丈夫な場はありますか?」
「って、何が何でもついてくる気か!?」
「はい。何というか……
これは多分、何を言ってもアヴェンジャーは着いてくると、士郎は確信した。
「今の時期に誰も来ない場所なら……屋上とかか?吹きっ晒しで寒いけど」
「サーヴァントにこの程度の暑さ寒さは関係ありませんので、そこにいましょう」
そうとなれば早く早く、とアヴェンジャーは士郎を急に急き立てた。
こいつの積極的になる場所はどこなのか分からない、と首を傾げる。
そもそもさっきの話では、一般的な七つのクラスの話なら出たがアヴェンジャークラスの話はされなかった。アヴェンジャーは自分のことは一つも語らなかったのだ。
「なあ、アヴェンジャー。で、結局お前のクラスとかは何なんだ?」
玄関で靴を履きながら聞くと、士郎の貸したコートを羽織りながらアヴェンジャーは答えた。
「アヴェンジャークラスは、名前の通り復讐者です。さっきの七つのクラスのような分かりやすい宝具や特徴はありません。強いて言うなら、復讐を遂げるまで決して折れない精神がアヴェンジャークラスの条件かと」
「ふわふわしてないか、それ?で、宝具ってのは確か」
遠坂か言峰か、どちらに聞かされたかは忘れたが、ともかく宝具とはサーヴァントをサーヴァント足らしめる伝説の結晶である。
恐らくセイバーなら剣、アーチャーなら弓、ランサーなら槍が宝具になるのだろう。
アヴェンジャーにはそういうのは無いし、あの杖かとも思ったが、あれはただの魔術用の杖兼武器で宝具では無いそうだ。
「私の戦力としての一番の能力なら、予言ですね」
門を潜り、朝早いせいで道にはまだ誰もいない。これなら誰かに見られる前に、学校に辿り着けるかもしれない。
ぴりぴりと肌寒い道を士郎の横を並んで歩きながら、アヴェンジャーは言う。
「予言?」
「予言です。私は……過去や未来をある程度視ることができます」
何か、さらりと、凄いことを言われた、と士郎は一瞬固まった。
でもそう言えば、アヴェンジャーは所々そんなことを言っていたような気もした。
「それじゃ、アヴェンジャーには聖杯戦争の先とかサーヴァントの正体なんて全部視えてるんじゃないのか?」
「いいえ。そうではありません」
未来と過去を視る。
それは如何にも万能なものに聞こえた。
けれどそれならどうして、首を振ったアヴェンジャーの表情は士郎が見たこともないほど陰っているのだろう。
影を背負ったまま、アヴェンジャーは言葉を継いだ。
「過去から現在、未来へと至る時間の流れは私には濁流です。そして未来視の力とは水面に浮かぶ水泡の表面を読み取るもの。……とても難しく、力があっても好きに視ることはできません。更に、今私の意志で視えるのは、あなたや私の近くに迫った
「……」
そう言えば、遭遇した日の夜にアヴェンジャーは言っていた。
教会に行けば士郎は死にかねない、と。
あのときアヴェンジャーには、士郎が死ぬ未来が視えていたということになる。
「……ちなみに戦うときはそれを応用しています。それで私は武の腕を補っているのです」
要はアヴェンジャーは、戦うとき相手を先読みしているのだ。
ただし先読みができても、対応し切れるかはアヴェンジャーの技量にかかっているそうだ。
「過去……ってのも視れるのか?」
「はい。土地を視ればその土地の、人を視ればその人の過去をある程度視ることができます。しかし、サーヴァント相手では幸運値の判定次第で、通常は私と同程度の幸運値か、より低いサーヴァントに限られます」
「……」
未来や過去が視えると言っても、そう上手い話もないのだ。
それにそういうものが視えるということは、人より余分な痛みや嘆きも視えてしまうのではないだろうか、と士郎はつい黙ってしまう。
彼の沈黙をどう捉えたのか、アヴェンジャーは顔を上げる。新都の方を向いた彼女の瞳を見て、士郎は思わず息を呑んだ。
アヴェンジャーの大きく黒い右眼の奥に、とぐろを巻く蛇に似た赤い渦が浮かんでいたのだ。
「例えばこの街は……十年ほど前に……大きな……とても大きな炎に包まれましたか?」
片目に赤い螺旋を宿らせて、アヴェンジャーは士郎を見た。
ぐるぐると回る螺旋の赤は炎と血の色そのまま。少女の瞳に宿るにはあまりに禍々しく不吉な印に、士郎の喉を締め付けた。
落ち着け、と士郎は本能的な恐ろしさに跳ね上がった心臓を押さえた。目の前の彼女はアヴェンジャーだ。
一昨日から何も変わっていない、衛宮士郎の相棒だ、と言い聞かせる。
それでようやく、心臓は落ち着いた。
「……なんで分かったのかって聞きそうになったけど、つまりこれがアヴェンジャーの過去視なんだな」
アヴェンジャーは瞬きをして頷く。一度閉じられ、開かれた瞳は元の黒さを取り戻していた。
禍々しさの消えた瞳に士郎は安堵したが、アヴェンジャーの顔色は瞳が元に戻った瞬間、また白くなっていた。
アヴェンジャーが視たのは
冬木の街に決して消えない爪痕を残した聖杯戦争の齎した大厄災にして、士郎に戦いを決意させた光景。
衛宮士郎の奥に深く刻まれた地獄を、この少女に断り無く垣間見られたのだ。
「……ごめんなさい。禍々しかったでしょう?」
けれど、右眼を覆って、アヴェンジャーは俯いていた。
多分彼女は、さっきの士郎の沈黙を彼がアヴェンジャーを不信に思ったと捉えてしまったのだ。
だから過去視の力を実際に使った。衛宮士郎に信用されたかったから。
しかし恐らくアヴェンジャー本人にとっても、この力は好ましくはないのだ。そうでないなら、顔色を悪くしたり、右眼を恥じらう様に隠したりしないだろう。
何か言わなければならない、と士郎は自分を急き立てる。
「あ、アヴェンジャーが謝るコトじゃないだろ。ちょっと驚いただけださ」
赤の瞳は確かに、不自然なほどの悍ましさすら感じた。でもだからと言って、アヴェンジャーの何かが変わった訳じゃない。
衛宮士郎はそう思ったし、確かに心で感じている。
それをどう伝えるべきか思案するマスターを、従者は黒の瞳でただ見つめ、黙って足を進めるだけだった。
sn時空でセイバー不在という色物なのに、感想が来たりバーに色が付いたり……。
ありがとうございますとしか言えません。本当に。
ちなみにアヴェンジャーは初期好感度は上がりやすいが、一歩踏み込むのは難しい人物です。