残照の巫女   作:はたけのなすび

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感想、評価くださった方、ありがとうございました。

では。


act-4

 

 

 

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 士郎に向けて少女はそう名乗った。

 昨日までの彼なら貴族みたいな名前だな、としか思わなかっただろうが、神父から聖杯戦争の事情を聞かされてからでは全く意味が異なる。

 アインツベルンとは、聖杯戦争始まりの御三家の一つ。冬木の聖杯を造った者たちの名だ。

 

「アインツベルンだって……!?」

「あら、そんなに反応するってコトはわたしが誰なのかくらいは知っているのね。お兄ちゃん」

 

 イリヤスフィールと名乗った少女は坂道を降り、二人の前でくるりと身を翻して一礼した。

 

「マスター、あなたには妹がいたのですか?」

「い、いや、いないぞ」

 

 そもそもこの女の子に全く見覚えはない、と言いかけて士郎は思い出した。ランサーに殺されかける前の日、士郎はこの子と夜道ですれ違っていた。

 早く呼び出さないと死んじゃうよ、と言われたことも共に思い出す。

 

「お前もマスター……だったのか」

「そうよ。お兄ちゃんもちゃんとマスターになれたみたいで安心ね。……でもなあに?その弱っちいサーヴァント。珍しいだけで、わたしのバーサーカーの相手に全然ならないわ。これじゃあ、殺す気にもなれないじゃない」

 

 バーサーカーと聞いて身構える士郎を庇いながら、アヴェンジャーは彼を振り返って見た。

 

「物騒な妹君ですね、マスター。本当に覚えがないんですか?あちらはマスターに執心しているようですよ」

「ホントに無いんだって。俺とあの子は一昨日が初対面だ」

「本当ですか?本当の本当に?」

 

 やたらと念押ししてくるアヴェンジャーである。何で自分のサーヴァントの方から胡乱な視線を向けられねばならないのかと士郎が頭を抱えると、イリヤスフィールはくすくすと笑い出した。

 

「面白い使い魔ね、お兄ちゃん。それと安心して。今は日が出てるから殺さないわ。聖杯戦争は夜にやらなきゃいけないから」

「それくらいは俺も知ってるさ。で、お前は何をしに来たんだ?」

 

 警戒を解けない士郎の前で、イリヤスフィールは指を立てて振った。

 

「その前に私、お兄ちゃんの名前が知りたいな。レディにだけ名乗らせるのは不公平だし、紳士じゃないわ」

 

 拗ねたように上目遣いに見てくるイリヤスフィールに、士郎は肩を落とした。完全に弄ばれている。

 

「悪かったよ。俺は士郎。衛宮士郎だ」

「うん、シロウね。分かったわ。それと、アヴェンジャーの名前は要らないから」

 

 どうせすぐ殺しちゃうんだから聞いても仕方ないもの、と空恐ろしいことをイリヤスフィールは笑顔で言う。

 

「……要らないも何も俺も知らないぞ」

「ええ!?使い魔の真名も知らないで、そんな弱いのをサーヴァントにしたの?お兄ちゃん、そんなに死にたい?」

「んな訳あるか!そもそもアヴェンジャーに助けられるまで、俺は聖杯戦争のコトも知らなかったさ!」

「あの、シロウ、何もそこまで喋らなくても……」

 

 思わずイリヤスフィールの前に出た後、服の袖をアヴェンジャーに引っ張られ、士郎は我に返った。イリヤスフィールは目をぱちくりさせている。

 

「とにかく、お前は一体何しに来たんだ?それに、どうして俺をお兄ちゃんって呼ぶ?忘れているなら謝るが、俺はイリヤスフィールのコトは本当に分からないんだ」

 

 分からない、と言った途端にイリヤスフィールの紅玉の瞳が陰った。

 白銀の髪を冬の風に遊ばせながら、小さな淑女はまた一歩士郎とアヴェンジャーに近寄る。

 

「そんなに言うなら、教えて上げる。どうせそんなサーヴァントじゃシロウなんて生き残れやしないんだから、勿体ぶる意味も無いわ」

 

 一瞬だけ、士郎には赤い刻印がイリヤスフィールの顔に浮き上がったように見えた。

 

「あなたの父親、アインツベルンを裏切った魔術師、衛宮切嗣の実の娘よ」

 

 刃物のような殺気すら篭った冷たい赤い瞳で睨み付けるイリヤスフィールに、士郎は気圧されるしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 藤村大河はその日怒っていた。

 それもこれも、弟分の士郎が悪いのである。

 衛宮士郎は朝から電話には出なかったのだ。

 これには、士郎に昼のお弁当を期待、というかアテにしていた大河には痛かった。弓道部顧問として、休日にも拘らず出勤している姉貴への労りがないとはどういうことなのだ。

 これは許し難いと憤懣遣る方無く、衛宮邸へと虎は夜の冬木市を歩く。

 そんな風にして衛宮邸に辿り着いた大河は、屋敷に光が灯っているのに気づく。ちゃんと家にいるんだ、と安堵しながらも、大河は砂埃を立てそうな勢いで走り出した。

 

「しぃろぉおぉ!どこだー!」

 

 正に獲物を見つけた虎のように、大河は衛宮邸の廊下をかけて居間に辿り着く。

 

「こらー!し、ろうって―――――あれぇ!?」

「ふ、藤ねえ!」

 

 すぱんと障子を開け放った大河の前には、三人の人間がいた。

 目と口をまん丸にしている士郎は分かる。しかし、その隣に座っている黒髪黒瞳の少女に、向かいに座っている銀髪に赤い瞳の女の子を大河は全く知らなかった。

 あわあわと混乱する大河の前に、銀髪に赤い瞳の少女は優雅に立ち上がった。

 

「初めまして。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと言います」

 

 貴族のようにスカートの端を摘んだ典雅な礼をする横で、黒髪の少女も侍女のように恭しく礼をする。大河は更に混乱した。

 

「え、えーと、こんにちは。私は藤村。藤村大河です」

「はい。シロウから聞いて存じています、タイガ・フジムラ様ですね」

 

 黒髪の少女にも淀みなく言われ、大河はとりあえず近くで同じ様に凍っている弟分の襟首を掴んだ。

 目を白黒させる彼を、大河はそのまま隅に引っ張っていって問い詰める。

 

「ちょっと、ちょっと士郎!あの子たちはどこのどなた様なの、どーいうことなの!?」

「い、いや。俺も今日初めて会ったんだよ。切嗣の娘だって言うイリヤと、外国の知り合いの娘だっていうアヴェン……」

「き、切嗣さんの娘さん!?」

 

 ぐるんと大河はイリヤを見た。

 宝石のような瞳のイリヤはきょとんと無垢に首を傾げて、アヴェンジャーも同じように大河を静かに見た。

 異国の雰囲気を纏う少女たちに大河はむむむと、唸りながら目を白黒させる。

 瞬間、ストーブにかけられていた薬缶が甲高い笛の音を響かせ、全員の動きが止まった。

 ちょっと全員座って落ち着いてくれ、と士郎は何とか言葉を絞り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 衛宮邸の居間は何とか平安を取り戻した。

 卓袱台の上には士郎が引っ張り出したアルバムや、切嗣の古いパスポートが出ている。

 

「だからな。イリヤスフィールは切嗣(オヤジ)が冬木に住む前に暮らしてた所で結婚した人との間の子どもなんだよ」

「じゃあ、そこのアヴェンちゃんは?」

「向こうで結婚生活してたときの、切嗣(オヤジ)の知り合いの娘さんだってさ。日本に留学するから、イリヤの案内を兼ねてうちに立ち寄ってるんだよ」

 

 説明しながら士郎はばれないか冷や汗をかいていた。イリヤとアヴェンジャーの存在を二人まとめて誤魔化すに仕方ないとは言え、説明にはかなり無理がある。

 無理はあるが、二人共が見た目だけは可愛らしい幼い女の子と邪気の無さそうな少女であるからか、二人を見る大河は驚いているだけだった。士郎の下手くそな嘘に気付かないくらいには、彼女も混乱している。

 それに、イリヤスフィールのことに関して言えば嘘ではないのだ。

 

「俺も知らなかったんだよ。娘がいたことも、その子が切嗣に会うために日本に来ることもさ。藤ねえに連絡入れられないくらいどたばたしてて……」

「それは分かったわよ、士郎。にしても、イリヤスフィールちゃんにアヴェンちゃんかぁ……」

 

 士郎の言い間違いをそのまま偽名にしたアヴェンジャーは、白いシャツに黒のロングスカートという普通の格好をして黙って正座している。

 感情を読ませないで静かに構えている様子からして、アヴェンジャーはこういう場面に慣れているのだろうかと士郎は思った。

 

「……切嗣さんに、娘さんがいたなんて私も知らなかったわ」

 

 思わず呟いてしまったのだろう。大河がぽつりと言うと、イリヤスフィールは卓袱台を叩いて立ち上がった。はずみで彼女が膝の上に置いていたアルバムが転がり落ちる。 開いたページには切嗣と幼い士郎の笑顔が見えた。

 

「あなたたちが知らなくっても、私は娘なの!キリツグが……死んじゃってて、弟がいつの間にかいたなんて……!」

 

 言葉は尻すぼみになって、イリヤスフィールは腰を落として、落ちたアルバムを拾い上げてまた膝の上に置いた。

 その取り乱し方は演技には見えなかった。士郎が知らなかっただけできっと本当に、衛宮切嗣にはイリヤスフィールの父親だった時間がどこかであったのだ。

 アルバムを膝の上に広げているイリヤスフィールに士郎は向き直った。

 

「俺が……キリツグを取っちまってたのか?だったら……ごめん。イリヤスフィール」

 

 アルバムに貼られた切嗣の微笑みに指を這わせていたイリヤスフィールは、顔を上げた。

 

「イリヤ」

「え?」

「呼び方よ。イリヤで良いわ。イリヤスフィールって言いにくいでしょ?その代わり私もシロウって呼ぶから」

「……分かった。イリヤ」

 

 士郎が頬をかきながら言うとイリヤは少しだけ笑って、あとはひっそりと下を向いて静かにアルバムを捲るだけだった。

 とっくに日は落ちていたけれど、結局イリヤスフィールは何もしなかった。

 士郎が持って行ってくれていいと言ったアルバムと一緒に、いつの間にか呼んでいた迎えの車に乗って何処かに去って行ったのだ。

 黒塗りのリムジンのエンジン音が微かになっていくのを聞いて、士郎は思わず門柱に手を付いた。何だか、どっと疲れが出た。

 

「士郎?」

「あ、悪い……藤ねえ。飯、まだだったよな」

 

 士郎が言うと、大河は首を振った。

 

「そんなこと心配しなくったって良いわよ。ねぇ、今日はもうゆっくりしなさいよ。ご飯ならアヴェンちゃんが作るってさ」

「……え、あいつ、料理できたのか」

「そうみたいよぉ。アヴェンちゃん、悪い子じゃ無さそうね」

 

 サーヴァントの知識か生前の経験なのか。

 アヴェンジャーの作った肉と野菜の煮込み料理は、風味は不思議だったがともかく味は塩が効いていて良かった。

 温かい物が腹に収まった所で、アヴェンジャーが数日間だけホームステイよろしく泊まると士郎が半ば恐る恐る切り出すと、大河は部屋を離すことを条件に存外にあっさり納得した。

 そのまま大河はいつものように賑やかに騒ぐ事もなく、自宅へ帰って行った。

 多分、大河にとっても切嗣の娘というイリヤのことがかなり衝撃で、そのことについて考えたいのだろうと士郎は思う。

 そうしてやっと、士郎はアヴェンジャーと向き合った。しかしアヴェンジャーは現代風の服を着てエプロンを付けたままだったので、どうも締まらなかった。

 

「その……アヴェンジャー、料理ありがとな。美味かったぞ」

「はぁ。それは良かったのですが……シロウ、あなたは大丈夫なのですか?」

「ん……まあ、何とかなってるぞ」

 

 本当の所、大丈夫かと言われても、士郎には何一つ大丈夫なことは無かった。

 イリヤスフィール。妹みたいな姉で、雪の妖精のように可憐で、そしてこの世にたった一人だけの切嗣の娘。

 とてもではないが、戦えそうに無かった。

 

「そういや、イリヤにバーサーカーの真名も教えられたけど……」

 

 去り際にちらりとイリヤはバーサーカーの真名を漏らし、それを聞いた途端、アヴェンジャーから一瞬完全に表情が失せたのだ。

 元から色が白いので非常に分かりにくかったが今もアヴェンジャーの顔色は悪かった。

 

「バーサーカーはヘラクレスですか……」

「ヘラクレスなら俺も知ってるぞ。ギリシャ神話最強の英雄だろ?」

 

 その、最強という言葉すら温いとアヴェンジャーはため息をついた。そもそも彼女にとってヘラクレスとは、戦うという考えができる次元の存在ではないという。

 

「そんなに言うなんて、アヴェンジャーからしたらヘラクレスってのは何なんだ?」

「……ヒトの英雄という括りに収められているだけの、動く()()です。と、彼は死後は神に迎え入れられましたっけ……。いえ、それはどうでも良いことです。……シロウ、あなたは地震や大嵐と正面から戦おうと思えますか?」

「……」

 

 無茶苦茶だったが、言いたい事は伝わった。

 そしてイリヤが真名を言い残した理由も。

 つまり、イリヤは士郎に遠回しに降伏しろと言っているのだ。ヘラクレスに勝てる訳がないのだから、サーヴァントさえいないなら士郎は殺さないとでも言いたいのだろう。

 同時に、アヴェンジャーがイリヤのことを話す士郎を見て徐々に顔色を曇らせた理由も分かった。

 サーヴァントに力があり過ぎてどうやっても敵わないなら、必然的に狙うのは弱点であるマスターになる。しかし士郎はイリヤが誰なのか知ってしまった。

 そして士郎がイリヤをどう思ったのか、アヴェンジャーには読み取れたからこそ彼女は何も言えないのだ。

 士郎は視線を手の甲に刻まれた赤い令呪にやる。自分を助けてくれたアヴェンジャーの願い、人々を救いたいという祈りを、士郎は叶えてやりたかった。

 でもその為に何をすべきかと考えたら、士郎の考えはとたんに袋小路に迷い込んでしまう。

 明るい照明に照らされた部屋は、深海のように静かだった。

 

「……シロウ、今日はもう寝ましょう」

 

 時計の針がカチリと音を立てた瞬間、アヴェンジャーがきっぱりと言った。

 

「は……はぁ?」

「このままでは何にもなりません。考えてどうしようもないなら一度眠り、明日に備えるべきです。兄の教えですが、今の状況に相応しいでしょう」

 

 アヴェンジャーが兄と言い、ふと士郎は何となく頭を掠めたことを口にした。

 

「そういえばアヴェンジャーは、妹とか姉って言葉によく反応するよな」

「そう、ですか?」

「そうだよ」

 

 教会の前でイリヤと会ったときがそうだった。

 あのとき、イリヤの名乗りに士郎が呆気に取られている間に、アヴェンジャーがイリヤに言ったのだ。

 あなたは確かにマスターの姉かもしれないけれど、マスターはこの通り何にも知らない。だからその殺気を少し止めて、マスターが十年間を過ごした父親の話も聞いてほしいと。

 それに丸めこまれる形で、イリヤは衛宮邸にまでやって来たのだ。そうして士郎がアルバムやパスポートを引っ張り出して、切嗣の話をし始めるとイリヤの顔色はゆっくり戸惑ったものへ変わっていった。

 しかし普通なら、魔術師が他所の魔術師の陣地に前準備もなしに入るなど無いことなのだが、

 

「それはあれです。イリヤスフィールから見れば、私と士郎は何時でも潰せる組でしょうから、逆にそれで警戒されなかったんでしょう」

「あー、なるほど。確かに俺も三流だしなぁ……」

 

 プライドの高い魔術師ならアヴェンジャーの言葉に怒るだろうが、事実なのだから仕方ないと士郎は割り切った。

 それに士郎にとって魔術は手段でしかない、そういう類の誇りは持っていなかった。

ともあれ一度話を戻すと、アヴェンジャーはきょうだいの話に敏感だったのだ。

 

「そうですね。確かに私には大好きな兄たちと妹たち、弟たちがいました」

「きょうだいが多かったのか?」

「ええ。……まあ、マスター。私の真名は必要なときに言いましょう。今日はさっさとお休みなさい」

 

 そういうアヴェンジャーは、寝ないで屋根の上で見張りをしているという。

 急き立てられて、士郎は立ち上がった。何時もの鍛錬だけはこなすと士郎が言うと、アヴェンジャーは肩をすくめて礼をし、一跳びで屋根の上に乗って姿を消す。

庭に出て見上げると、アヴェンジャーは母屋の屋根の上で星の光を背にし、膝を抱えて座っている。

 星明かりで白い顔と艷やかな黒髪を輝かせるアヴェンジャーは、そうして見るとイリヤと同じくらい華奢で小さな少女に見えた。

 

―――――俺には何ができるのだろう。一体、彼女たちへ何をすべきなのだろう。

 

 冬の冷たい夜が更けていく中、答えは何一つ思い浮かばず、士郎はただ右手を握りしめるしかなかった。

 

 

 

 

 





詰みかけの状況に陥りつつ、物語は明後日の方向へ進みます。
これはイリヤ√では無いからして。

尚、『アガメムノン』ではカッサンドラは過去視、未来視の両方ができるようなのでそれに準じます。


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