では。
士郎と凛がアインツベルンの森にまで辿り着いたとき、既に戦いは始まっていた。
生きた樹木と魔術の気配の濃い、アインツベルンの森の中、ぶつかり合うのは弓兵と槍兵。
あらゆる運命が始まったあの夜のように、二騎のサーヴァントは戦っていた。
蒼のランサーは槍、紅のアーチャーは双剣。
弓兵が何故剣で斬り合いを続けているのか、などとは、もう言っていられない。その光景を見て、つい立ち止まりかけたのは凛。ちらりと目だけ動かして、足を止めなかったのは士郎だった。
凛は戦う己のサーヴァントを見る。瞬きよりも短い一瞬、紅の主従の視線が交錯し、次の瞬間には別の方向へ動き出した。
凛は士郎の後を走り、アーチャーはランサーを止めるために剣を振るう。
「士郎!方向、わかってるんでしょうねっ?」
「ああ、こっちだ!」
アヴェンジャーとの繋がりが、より強くなる方へと走る。
木々の間から、人影が士郎の前に
その内の一人の若い女性の胸に抱えられているのは、見知った少女だった。
「イリヤ!」
駆け寄ろうとして、士郎は女性の一人に睨みつけられて止まる。
彼女も、それに無表情なもう一人も、よく見れば白かっただろう服があちこちほつれて、土に汚れている。一見すれば、無事とは言い難い姿をしていた。
貴族の侍女のような彼女たちは、士郎を見て止まる。
「止まりなさい。……いえ、待ちなさい。貴方はアヴェンジャーのマスター、衛宮士郎ですね?」
「そうだ。あんたたちは?いや、待ってくれ。アヴェンジャーを見たのか?」
無表情なほうの侍女は森の奥を指さした。
「……アヴェンジャーは、あっち。英雄王を、とめてる」
それだけ聞いて、士郎は走り出す。
「ちょっ!馬鹿、待ちなさいよ!」
「遠坂はイリヤたちを頼む!」
焦燥が士郎の足を速めていた。
さらに速く、もっと速く。間に合わなければ、必ず取り返しのつかないことになる。
「あの馬鹿……!」
英雄王が誰なのか、どんな英霊なのか、そんなこと士郎よりも理解しているだろうに。
──────それなのに、どうして……!
刻印の疼きが指す方へ士郎は走った。
そのとき、唐突に何かが砕け散る硬い音が響き渡った。音のした方へ振り向いて、そして凍り付く。
アヴェンジャ―が大切にしていた唯一の武器、白銀の杖が真ん中から真っ二つになって土埃に汚れて転がっていたのだ。
先ほどの音はこれが割れた音だった。それならば、アヴェンジャーもまた近くにいるはずだった。
「アヴェンジャー!」
叫びが森の木々の間に虚しく木霊した。
気配を感じ、士郎は振り向く。小高い丘の上に、三つの人影があった。
黒衣の神父と黄金の髪の青年、それに─────青年に首を掴まれ、持ち上げられた黒い髪の少女。
アヴェンジャーの足は宙を蹴り、自らの首を掴んだ手を引き剥がそうともがいていた。
その抵抗を、英雄王は冷たい目で見やる。無造作に手を一閃すると、彼の片手には黄金の盃が握られていた。宝物とでも呼べそうな盃の中は、黒い『何か』で満たされていた。
その盃を英雄王は傾ける。何をされるのか悟ったのか、アヴェンジャーは顔を背けて必死で抗っていた。
「やめろ!」
咄嗟に、士郎は魔力回路を励起させる。
工程を数段蹴り飛ばし、手の中に投影で槍を生み出す。強度も何も確かめる間もなく、士郎は片手で槍を投擲した。
急増の張りぼてながら、槍は空中で分解して砕けることもなく、一直線に飛ぶ。
しかし、槍は青年に届く寸前で宙から飛び出た別の剣に砕かれ、呆気なく解れて砕け散った。
「ほう。貴様のマスターが追いついて来たようだぞ、巫女よ」
「な……に、を……!」
首を掴まれたまま、アヴェンジャーの瞳が士郎の姿を捉えて大きく見開かれた。
「そいつから手を離せ!」
英雄王は応えることすらしなかった。ただ心底くだらないとでも言うように、鼻を鳴らした。
武器が彼の背後から射出され、士郎へ向けて飛ぶ。躱しきれずに吹き飛ばされ、士郎は背中から木に叩きつけられる。
受け身も取り損ねて全身に衝撃が走る。息が詰まって士郎は倒れ伏した。
頭だけを持ち上げれば、英雄王はアヴェンジャーに向けて盃を傾けていた。彼女も全身全霊で抗っているが、元より英霊としての格も、基本的な性能も違いすぎる。
アヴェンジャーの手足から力が抜け、糸が切れたように垂れ下がる。
士郎の視界が真赤に染まった。
「そこで見ておれ、雑種。貴様の従者が、この世に再誕する様をな」
そのまま彼は杯を傾け、アヴェンジャーの口の中へ杯の中身を注ぎ込んだ。
白い喉が動いて、黒い『何か』が彼女の中へと送り込まれる。瞬間、閉じていたアヴェンジャーの両目がこぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「あ、あ、あァァァァァァァッ!!」
獣のような悲鳴が吹き上がる。士郎が一度たりとも聞いたことの無い、血が逆流するような絶叫だった。
キャスターのときよりも聞いていられなくなる、胸をかきむしりたくなるような、ひどい悲鳴だった。
その悲鳴を上げてアヴェンジャーは、宙に持ち上げられたまま身体を捩る。
黒い髪は毛先から順に命の死に絶えた冬枯れの白へと、黒い瞳は禍々しさを湛えた金へと変わっていく。
けれど彼女は完全に変貌を遂げたわけではなかった。髪の先のほんのわずかな部分だけは黒いままで、瞳の底には黒曜石の漆黒が残っている。
それでもその姿形の変貌ぶりは不吉で、それを士郎は見ていることしかできなかった。
その彼女の細首から、ギルガメッシュは無造作に手を離す。支えを失って落下しかけた彼女の身体を、宙から生み出された黄金の鎖が絡めとって虚空に繋ぎ留めた。
「ふむ、完全に反転したのか。ギルガメッシュ」
「そのようだな。正気を失くすかと思ったが、存外踏みとどまったようだ。……ま、神の甘言に靡かなかった小娘ならば、この量の泥では今すぐ染め切ることはできぬものよ」
「染め切った先に出来上がるのは、
アヴェンジャーを見つつ言う神父の言葉には、どこか問いかけるような気配を帯びていた。それでも、元の色を失った少女は答えない。答えられないのだ。
士郎には一体目の前で何が起こったのか、彼女がどうなってしまったのか何一つわかっていなかった。
ただ、わかることはただひとつ。
「アヴェンジャーから、離れろよ……!お前たち……!」
頭を打ったせいだろう。士郎の視界は揺れていた。負傷もしたのか、視界が赤くなっている。
それでも士郎は立ち上がった。令呪の魔力は死んでいない。キャスターのときのように、つながりが断たれてしまった感覚はない。それならばまだ契約も生きているはずなのだ。
「離れろというか。そうは行かないのだ。このサーヴァントはこちらが有効に使わせてもらおう。そのためにこの少女を
「受肉……?」
サーヴァントとは特別な、言ってみれば幽霊のはずだ。
アヴェンジャーはその中でもさらに何か事情があるせいか、霊体化はできない。が、それでも人間としてこの時代に生きているわけではないはずだった。
真っ当な生者の影法師のような少女に肉を与えたという。─────何の為に?
──────何だろうが、ロクなことであるわけがない。
士郎が魔術回路を励起させようとしたとき、新たな人影が場に飛び込んできた。
「何、これ……。綺礼!アンタ、そこで一体何をやってるの!」
黄金の英霊とその傍らの黒衣の神父、そしてアヴェンジャーと士郎の姿を見て取って、遠坂凛は吼えた。
「追いついて来たか。ランサーはどうした?凛」
「そんなの、アーチャーがどうにかしてくれてるわよ!……いいから、答えなさい。アンタはそこで一体何をしてるワケ?」
手に宝石を握りながら、凛は問いかけた。返答次第では宝石を叩きつけることも厭わない。
それだけの怒りが凛から放たれていた。
ルール破りをしていたことに対するものなのか、他の理由があるのか。
いずれにしろ、その怒りを浴びせられる神父は涼しい顔のままで顔には毛一筋ほどの動揺も見受けられなかった。
「答を得るため、と言えば納得するかね?」
「冗談でしょう。じゃあ、そこのアヴェンジャーに一体何をしたの。その子は士郎のサーヴァントよ。アンタたちが奪ってどうこうしていいものじゃないっての!」
「ほう、吠えるではないか。遠坂の娘よ」
そこでようやく、英雄王ギルガメッシュは遠坂凛を正しく認識したかのように頭を巡らせた。
「だがコレは必要なのだ。そうさな、貴様らが手にした聖杯の娘と引き換えならば、返してやらぬこともないが」
いや、それはないか、と英雄王は薄く酷薄な笑みを浮かべた。
「コレは、少々面白いものを生み出すために使えると我が定めた人形よ。故にこうして手に入れるのだ」
アヴェンジャーの長い髪を英雄王は掴み、顔を引き上げた。
元々色の白いアヴェンジャーの顔色は、紙のようで───まるで死人の肌のようにあたたかみを失っていた。
「ふざけんなよ、オマエ────!」
衛宮士郎の魔術回路が回転する。
手に握られるのは、彼が今生み出し得る最強の武器。相棒たる少女の兄が、護国の英雄だった彼が振るった一本の槍だった。
宙を切り裂いて投げられたドゥリンダナはしかし、空間から呼び出された盾に阻まれる。
返しとばかりに、ギルガメッシュは乱雑に剣と槍の雨を士郎と凛へ向けて降らせた。
如何に雑な弾幕だろうが、そのひとつひとつはすべて宝具。それでも前へ進もうとする士郎の襟首を、凛は引っ掴んで後ろへ彼の身体を放り投げた。
「ばか、遠坂ッ!」
「バカはどっちよ!」
死にたいのか、と士郎に向けて叫びながら凛は宝石で以て半球状の盾を形成する。
それで辛うじて剣弾の切っ先は逸らされ、彼らを串刺しにすることなく地面に突き刺さった。
それでも森の大地は破壊され、砂埃が舞う。見れば英雄王は空に黄金の船を浮かせ、その舳先に佇んでいた。神父とそしてアヴェンジャーも諸共に、船に乗っている。
英雄王は見上げるしかない少年と少女を一顧だにすることなく、船の頭を巡らせる。代わって彼らを見下ろしたのは、言峰綺礼だった。
「己のサーヴァントを取り戻したくば来るが良い。衛宮士郎。ただしそのときには、アインツベルンの娘を伴え」
それが条件だ、と言い置いて、黄金の船は一瞬で凛と士郎の視界から飛び去って行った。
あれも何らかの宝具なのだろう。しかしそれがわかったところで、空を飛ぶ術がない以上追うのは不可能だった。
「くそ!」
士郎は大地に拳を叩きつけた。
何もできなかったのだ。何もできずに、アヴェンジャーは連れて行かれてしまった。
無茶な投影を行ったがための体の痛みも気にならないほど、きつく拳を握りしめる。
「……」
凛はその様子を黙って見ていた。
奥歯を一度強く噛みしめ、船が飛び去った方向の空を睨みつける。それから再び士郎へ向き直ると、膝をついてい彼の襟首を掴んで引っ張り上げた。
「しゃきっとしなさい!アンタ、まだあの子のマスターなんでしょ?悔やむのはいいわ。怒るのもいい。わたしだって、腸が煮えくり返ってるんだから」
でも今は、何ができるのかを見極めなさい、と凛は士郎の瞳を真っ直ぐに見て言い放った。
怒りで曇っていた士郎の目に、少しずついつもの光りが戻るのを確かめて、凛は手を離す。
「……悪い、遠坂」
「別にいいわよ。わたしだってキレそうなんだから」
髪を片手で払い、凛は腕を組んだ。
いつものその様子に、わずかばかり士郎の冷静さが戻る。
左手の刻印は、確かにまだ消えていなかった。契約を断たれたわけではない。
アヴェンジャーを受肉させたと彼らは言った。あの不吉な泥のような『何か』でそうしたのだろう。が、少なくともそれはサーヴァントとの契約を破棄させるようなものではないのだ。
──────それなら、まだ。
取り戻せる、はずだ。
尤も、あちらがキャスターのように契約を断てる宝具とて保有していてもおかしくない。というより、あれだけ多彩な宝物を持つ英雄王がいて、契約のひとつや二つを断つなどということができないわけがない。
何であれ、急がなければならなかった。
「ちょっと、ちょっと待ちなさい、士郎!」
そして躊躇いなく歩き出そうとして、凛に再び止められる。
「やっぱりアンタ、全然冷静じゃないわね。せめてアーチャーとイリヤが戻るまで待ちなさいっての」
でないと呪いをぶち込むわよ、と凛は指先に魔力を集中させた。
その言葉に込められた本気に、士郎は止まる。
「そうだ遠坂、イリヤは!?」
「……わたしなら、ここよ」
樹木の間から、幼い少女が姿を現した。その両脇にはさっき見かけたメイド姿の女性が二人いる。
イリヤスフィールは辺りを見回した。英雄王が放った破壊の跡を見てから、士郎へ向き直る。
「シロウ、アヴェンジャーは?」
「……連れてかれた。あいつら……言峰とギルガメッシュにだ」
口にすると再び怒りがこみ上げて来る。
それでも一度深呼吸して、士郎はイリヤと同じ目の高さにまで屈んだ。アヴェンジャーは、イリヤと話すときこうしていたっけ、とそんなことをちらりと思う。
「イリヤ、バーサーカーはどうしたんだ?」
「……死んだわ。あの黄金のサーヴァントに殺されたの」
イリヤは俯いて、小さな手でぎゅっとドレスの裾を握りしめた。
「こちらのバーサーカーは消滅しました。その直前にアヴェンジャーが飛び込んで来たために、お嬢様を逃がすことができましたが……」
メイドの片割れが口を開く。彼女も白い制服に土汚れこそ目立ったが、怪我をしている様子はない。
つまりアヴェンジャーは彼女たちの下には間に合ったのだ。
間に合って、逃がして、その引き換えに自分は囚われてしまったのだろう。
結果としてバーサーカー・ヘラクレスは消滅し、アヴェンジャーは連れ去られた。どちらも、英雄王と神父の手によって、だ。
血が出るほど強く、士郎は拳を一度握りしめる。それから力を一度抜いて、空を見上げた。冬の空は変わらずにただ高かった。
「アーチャーは今こっちへ向かってるわ。ランサーは、あいつらが去ったのを見て離脱したみたいよ」
「……そっか。一度家に戻ろう、遠坂。これからどうするか決めないと。それから、イリヤとあんたたちもついて来てくれ」
「わかったわ」
お城も壊されちゃったしね、とイリヤは淡々と呟くように言う。侍女の二人も否はないのか頷きを返した。
「じゃあ、森の抜け方はわたしが案内するわ。ついて来て、シロウ、リン」
小さな少女の先導で、彼らは破壊の跡が刻まれた森の中を歩き出す。
その途中、無造作に折れて放り捨てられていた白銀の杖があった。
「士郎、どうしたの?」
「ああ、悪い。ちょっとこれをさ……」
そう言いつつ、士郎は杖の残骸を拾い上げた。
無惨に壊されてしまったそれを持つ。アヴェンジャーの手の中では、軽々と振るわれていた白銀の杖は、ただ冷たくずっしりと重かった。
長らくお待たせしました。
その間にギリシャ師弟がfgoに現れるとは、最初期は思ってもみませんでした。
アキレウスとの話はいつか書いてみたいと思った次第です。