では。
自らの名前を、アヴェンジャーであると名乗った少女は杖を両手で持ち直すと、辺りを見渡した。
「シロウ、早速なのですが、新たなサーヴァントと魔術師の気配が近寄っています」
如何しますか、と問うアヴェンジャーに士郎はひたすら困惑した。
「ちょっと待ってくれ!マスターにサーヴァントって……一体何言ってるんだあんたは?」
「……端的に言えば、マスターとはサーヴァントと呼ばれる使い魔を召喚し、聖杯戦争を戦う者たちのこと。サーヴァントとは彼らに力を貸す霊体のことです。ちなみに、先程の戦士も私もサーヴァントです」
さらに分からない言葉が増えた。
聖杯戦争とはそもそも何だ、と士郎は言いたくなる。
だがそれを言う前に、アヴェンジャーは士郎の顔の前に手を広げて言葉を遮った。表情は厳しく、士郎に疑問を挟むのを躊躇わせた。
「説明はいずれ。現在この家に向けて、魔術師とサーヴァントが接近しています」
「敵……ってことか?さっきのヤツみたいに?」
「……何とも分かりません。敵にならない未来もあります。では、私が外へと出るのでシロウは後から来てください」
言ってすぐに、アヴェンジャーは衛宮邸の壁を一跳びで乗り越えて姿を消した。
「おい、あんた!」
我に返った士郎が道へと飛び出すころには、アヴェンジャーは街灯の灯りの下、一つの人影と睨み合っていた。双剣を構えた赤い外套の男に向け、アヴェンジャーは先端に光球を灯したあの杖を握って相対していた。
明らかに殺気だっているアヴェンジャーへと、険しい顔で剣を向けている男の後ろには、へたりこんでいるもう一人がいる。
その人影を見た瞬間、士郎はアヴェンジャーの細い肩を掴んでいた。
「シロウ、何を……!?」
「待ってくれ!こっちは事情がさっぱりだ!ちゃんと説明してくれ!」
アヴェンジャーの瞳が揺れ、杖先の光球が消滅する。それを見て、男の後ろにいた少女が顔を出した。
「……ふぅん。あなたたち、どうやら面倒なコトになっているみたいね」
「と、遠坂?」
そうよ、と微笑む少女、同じ学校の生徒である遠坂凛に士郎は呆気に取られるしかなかった。
事情を説明してあげる、と言って遠坂凛は赤い外套の男と共に衛宮の屋敷の門を潜った。
赤い外套の男はすぐに姿を消し、士郎とアヴェンジャー、そして遠坂凛だけが衛宮邸の中へと入ることになる。
槍兵の襲撃で、家の窓ガラスが根こそぎ割られていることに驚く凛の眼前でアヴェンジャーが指を一本振ると、硝子はたちまち元通りになる。その様子を見て、凛は感心したように眉を上げた。
「さすがに無詠唱で魔術が使えるんだ。まあ、キャスターならそのくらいできて当たり前かしら」
「キャスター?」
「魔術師のサーヴァントよ。あなたのはそうなんじゃないの?衛宮くん」
言われてみれば、と士郎は改めてアヴェンジャーの格好を見る。
両手で杖を胸の前に持ち、白いローブに似た衣装を纏っている彼女は、確かにファンタジーに出て来る魔術師のように見えた。視線を感じたのか、アーチャーの消えた方角を見ていたアヴェンジャーは士郎の方を見る。
「私の顔に何か付いていますか?シロウ」
「い、いや。そういう訳じゃなくてだな……」
暗闇でも艷やかに光る黒髪を揺らして小首を傾げるアヴェンジャーから目を逸らしながら、士郎は居間に凛を通し、アヴェンジャーは士郎の横に正座で座った。
卓を挟んで向き直った凛は、鞘から剣を抜くような勢いで説明を始めた。
先ほどアヴェンジャーが口走った聖杯戦争という言葉の意味から、サーヴァントとマスターの関係。そして、士郎の右手に刻印されている赤い紋様が何なのか、ということを、遠坂凛は流れるように語った。
それを聞いて、士郎はようやく理解した。自分が、聖杯戦争という魔術師同士の殺し合いの儀式に巻き込まれてしまったのだということを。
「つまり、アヴェンジャーは……」
士郎が情報を整理しようと呟いたとたん、凛が反応した。
「待ちなさい。アヴェンジャーですって?そこのサーヴァント、キャスターじゃないっていうの?」
「……ええ。私はアヴェンジャー。魔術師ではなく、復讐者のサーヴァントです」
胸に手を当て、アヴェンジャーはそう名乗った。
「まさか、あなたはエクストラクラスのサーヴァントだって言うの?」
「そうです。
なんてコト、と凛は顔を覆い、しかしすぐに黒髪を手で払って腕組みをした。
「まあ、あなたの格好からしてセイバーじゃないとは思ってたけどね。アーチャーはわたしのサーヴァントだし、ランサーはあの青いのでしょ。でもまさか、エクストラクラスとは」
興味深そうにアヴェンジャーをじろじろ見る凛に対し、見られているアヴェンジャーは特に思うこともないのか士郎の淹れた茶を啜っている。
士郎は頭を掻いた。
「……って、まあ、私から教えてあげられるのはこの程度。後はこの聖杯戦争の監督役に聞きなさい」
この戦いに監督役なんてものがいたのか、と驚く士郎に凛は告げた。聖杯戦争には監督役がおり、彼は冬木の教会にいるということを。
時刻は午前零時をとうに過ぎていたが、一先ずはそこへ向かおうかと士郎は思い、しかし思い直して傍らのアヴェンジャーを見た。
改めて見ると、アヴェンジャーは士郎より頭一つ分は小柄だった。
黒髪は銀の絹で一束に纏められ、白いゆったりした衣は凡そ戦いのためとは言えず、魔術師か神官のように見えた。よく見れば、彼女の杖にも何処かしら神々しい美しさがある。
この少女は、青い槍兵や赤い弓兵のように戦うための生き物には全く見えなかった。
それまで凛の様子を伺いながら、話を聞くだけだったアヴェンジャーは急に士郎の方を見た。
「マスター、今晩動くのは賛成しかねます。教会に行けば
「は?」
「ちょっとあなた、私が敵になるとでも言いたいの?」
剣呑な目付きになる凛へアヴェンジャーは首を振った。
「違います。あなたはマスターの敵ではない。でも教会に行けばマスターは敵に出会います……必ず」
「解せないわ。どうしてそう思うの?」
「……それは」
奇妙なほど、確信に満ちた言い方だった。アヴェンジャーは教会に行けば士郎が死にかねないと断定している。
士郎はアヴェンジャーの言うことを信じたかった。何せさっき命を助けてくれた相手だし、彼女は嘘を付く人間にも見えない。
しかし凛は違ったようだった。おまけに彼女に問い詰められても、アヴェンジャーはその根拠を話せないようだった。目を伏せるアヴェンジャーを見下ろす凛は唐突に視線を彷徨わせた。
「何よ、アーチャー。……ん?……ああ、そういうコトもあるかもしれないってのね」
などと、士郎の前で凛は独り言のように呟く。
「アヴェンジャー、うちのアーチャーから一言よ。あなたのそれは予言の類いじゃないかってさ。だからあなたは正しい答えは見えても、根拠が言えない。違う?」
諦めたように、アヴェンジャーは頭を振った。
「……あなたのパートナーは聡いようですね」
「あら、あっさり認めちゃうの」
「誤魔化しても、意味がないと判断しましたので。ええ、確かに私には予言者としての力は備わっています」
取り澄ました口調でアヴェンジャーは語る。
納得したのか、凛はコートを肩に掛けて立ち上がった。
「そういうなら今日はもう帰るわ、……一応、さっきアヴェンジャーを止めてくれたのは貸しにしておくわ。衛宮くん。だから忠告もしてあげる。教会には必ず行きなさい。戦うか戦わないか、どちらにしろあなたは選ばないといけないから」
「遠坂、それ、どういう……!」
士郎が止める間もなく、遠坂凛は窓から庭に出る。その横に赤い外套の男、凛のサーヴァントだというアーチャーが出現した。
士郎の視界の隅で、アヴェンジャーが杖を手元に引き寄せていた。アーチャーはその姿を見て僅かに目を見開いたようにも見えた。
「じゃあね、衛宮くん。次に会ったら殺すかもしれないから、またねとは言わないでおくわ」
優雅に礼をし、凛はアーチャーに抱えられて夜空へと跳び去る。
後には縁側に所在なさげに佇む士郎と、アヴェンジャーだけが残された。
「……シロウ?」
気付くと、アヴェンジャーが思いがけないほど近くに立っていた。斧にも似たあの杖をまだ抱えている。
反射的に士郎が半身を引くと、アヴェンジャーも一歩下がった。黒い大きな瞳の中に士郎は自分の瞳が映っているのを見た。
何となく気まずくなり、士郎は部屋の中へ戻る。今度は士郎と卓を挟んだ反対側に、アヴェンジャーは腰を下ろした。
「……なあ、俺はお前のこと、アヴェンジャーって呼べば良いのか?」
「はい。……これは、物騒ですのでもう片付けますね」
アヴェンジャーは手から杖を消す。杖は光の粒子になって一瞬で消え去った。
思い出すと、先程の槍兵もアーチャーも同じように槍や短剣を虚空に消していたし、霊体化と言って自らの姿も自在に消していた。
アヴェンジャーにも同じ事はできるのだろうかと思う。
脇道に逸れる士郎の思考は知らず、アヴェンジャーは指を士郎の服へ向けた。
「あの、シロウ。提案がありますが、一先ずその格好を直して休まれてはどうですか?」
「その格好って……ああ」
士郎はランサーに、校内で刺殺されたままの格好である。血塗れの制服をそのままにしてはおけない。
特に朝やって来る後輩や居候のような姉貴分に見られでもしたら、もう大惨事だ。
そこまで考えて、士郎はアヴェンジャーのことに思い立った。明らかに外国人の、怪し気な格好の女の子が家にいると知ったら、あの二人がどういう反応をするのか予測できない訳がない。
ざっ、と士郎の顔から血の気が引いた。
「アヴェンジャー。アーチャーみたいに霊体になれるか?」
聞いた途端、アヴェンジャーは首を振った。
「いえ。申し訳ありませんが、イレギュラーな召喚のせいか、私は霊体になることができません」
「イレギュラー?」
「……本来なら、聖杯戦争のサーヴァントをマスターは満を持して選び、呼び出します。けれど私は召喚の呪文や儀式などを根こそぎ蹴飛ばしてやって来たので、幾つか不具合が出たようです」
それ、もしかして俺のせいかと言うと、それまで淡々としていたアヴェンジャーは慌てたように首を振った。
「そ、そう言うつもりではありませんでした。むしろ私は召喚されたかったから、受け取った言葉を逆さに辿って参戦したのです。私の方こそ飛び入りも良い所というか……」
「あー、うん。何となく分かった。分かったことにしておくさ。とりあえず……助けてくれてありがとう、アヴェンジャー」
挨拶のつもりで士郎は右手を差し出した。
ぽかん、とアヴェンジャーは呆気に取られたように目を丸くし、伸ばされた手を見ている。何か自分はおかしなことを言っただろうか、と思う。形がどうあれ、アヴェンジャーが士郎を助けたのは事実だった。ならば礼を言わなければならない。
復讐者のサーヴァントは落ち着かなげに士郎の差し出した手に、細い指を絡ませた。手と手が繋がれた瞬間、改めて令呪が輝いたような気がした。
熾火に触れたようにそろそろと手を引いたアヴェンジャーは、部屋を一瞥して問うた。
「シロウ、ところで先ほどはどうして私に霊体化を?どこかに行く予定でも?」
言われ、士郎は目先の問題が一つも解決していないことに気が付いた。
「そうだ、藤ねえに桜……。ええと、俺の姉貴みたいなのと妹みたいな子が来るんだ」
「はあ……。その人たちは聖杯戦争のことなど知らないと?」
「ついでに言うと、俺が魔術師ってことも知らない。俺がマスターってのになったことも、魔術師だってことも俺は知らせたくないんだ」
「では、何がしか嘘で誤魔化しましょう。マスター、それからその服を貸してください。それ程度の汚れなら、すぐに落とせますから」
言われた通り士郎が血に濡れた制服を脱ぐ。アヴェンジャーに渡すと、彼女は先ほどと同じように指で服をなぞる。
するとたちまち服から血が落ちた。胸のところに空いた穴すら、元通りになっている。
「お前、こんなことができるのに魔術師じゃないのか」
服を士郎に差し出すアヴェンジャーの手が一瞬止まった。
「血の汚れを落とすのは、得意です。それだけです。それとマスター、私は魔術師ではなく、復讐者のサーヴァントです。それを忘れないでください」
先ほどまで彼女の見せていた、見た目相応の少女らしい戸惑いと柔らかさが、その瞬間跡形もなく消え失せた。復讐者と言った時、アヴェンジャーの瞳からは士郎にも分かるほど光が失せた。
「……ん、分かった。忘れない。でも、一つ聞いて良いか?お前のアヴェンジャーってのは、ホントの名前じゃないんだろ?」
「ええ。能力や弱点の秘匿のため、私たちは指揮をするマスター以外には真名を名乗らず、クラス名を名乗って戦うものです。ですがシロウの場合は……」
「?」
「シロウは魔術師として未熟のようです。従って、暗示などで私の真名が聞きだされる可能性が高いのです」
「ああ、そういうことか」
要するに士郎の未熟さで、真名が露見することをアヴェンジャーは案じていたのだった。
「確かになあ、俺はその手の護りはからっきしだ。アヴェンジャーの心配も尤もだ」
そういうんなら真名は聞かないでおく、でもよろしくなと言って頬をかく士郎を、不思議そうにアヴェンジャーは見つめているだけだった。
冬の夜は、そうして静かに更けていった。