残照の巫女   作:はたけのなすび

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評価、誤字報告くださった方、ありがとうございました。

では。


act-18

 

 

 

 

 意識が途切れるたび、古代の街が目の前に姿を現し、自分がその中に佇んでいるのにも、衛宮士郎はそろそろ慣れた。

 これは夢だと彼は認識している。

 否、夢ではないのかもしれない。それにしては、あまりにはっきりとしているから。

 あるいはマスターとサーヴァントのラインと、アヴェンジャーの使った精神同調の術の名残とが混ざり合って、こういう風景の中に士郎の意識を招くのだろう。

 理屈も仮説もそうやって、どうとでも付けられるし思い付ける。

 けれど、今考えるべきはそれではない。

 早く覚醒しなければならないと分かっているからだ。

 だが、かと言ってあっさり出て行けるとも限らないようだった。

 誰も彼も士郎に気付かず素通りしていく陽炎のような街をうろうろと歩き回った。

 ふと思い立って、街の門へと向かう。そこには予想通りの人影があった。

 

「またアンタか」

「またとは挨拶だねぇ。少年」

 

 今度は城壁の大扉にもたれていた男は軽く手を上げた。

 相変わらずの髭面で、前と変わらぬ槍を携えていた。

 

「夢を見る度、俺はアンタと会話しなきゃならないっていう決まり事でもあるのか?」

「さあね。オジサンは夢幻のようなものだからな何とも分からないさ。だが、どちらかと言うと対話を望んでるのはお前さんだろ?」

「……」

 

 ここはアヴェンジャーの記憶の中、目の前の幻は記憶が再現した人物である。彼と対話を続けていれば、彼女の記憶により深く潜ることになるだろう。

 武具の記憶をより多く引き出すためには、確かにそれは必要だった。

 とは言え、アヴェンジャーがそれを受け入れているか士郎には分からない。

 誰だって心の中にずかずかと入って来られては嫌だろう。だから士郎は、この夢を見続けることに罪悪感があった。

 

「……話ならアヴェンジャーが起きてるときにするさ」

「どうかねぇ。オジサンが言うのもあれだが、あいつは強情だぞ。一番大事なコトは隠す人間だ。まあそうなったのは、アレだな。人の信じ方を忘れかけているせいだけどな」

 

 男は頭をかいた。

 誰かに心の裡を打ち明けること。自分ではない他人を信じて頼ること。

 何を言っても信じてもらえない人間には、それはひどく恐ろしいことになる。

 打ち明けた本心を長年否定され続ければ、心には淀みが溜まり、いずれ何も感じなくなるだろう。

 だから誰かに何かを明かすこと事態を、恐れるようになる。その方法すらも、忘れてしまうようになる。

 

「マスターとは言え、あいつはお前に言ってないことだってあるだろう。嘘を付かない人間が、真実のすべてを語っているとも限らない」

 

 士郎はアヴェンジャーの願いを聞いたときにた、彼女の目に灯っていた強く固い光のことを思い出した。

 確かに彼女はあのとき、士郎を拒絶した。

 彼女の眼が視ていて、士郎に見えていないものは沢山あるだろう。きっと多くのことをアヴェンジャーは隠している。

 話してくれないならば、確かに記憶に潜ればそれが何かは分かるかもしれない。

 でも、それは―――――。

 

「……俺は、俺の知りたいコトをアンタには尋ねない。それは、俺がアヴェンジャーを全然信じてないってコトになる」

 

 話せないことがある。

 そんなのは当たり前だ。士郎だって、桜には隠し事をした。

 まして士郎はアヴェンジャーと出会って数日しか経っていない。

 彼女が聖杯に掛けているのは、この故郷と、そこに生きていた人々、つまりアヴェンジャーが一生掛けて愛していたもの、今でも愛しているものたちだ。

 何度傷付いても、何一つ救えなくても、それでも彼女は故郷を、人々を、家族を、愛しているのだ。

 

 そういう彼女を、士郎は信じると約束した。

 何故自分が信じられるか、その理由を探すより信じられている今を優先して。

 

「だから俺は帰るよ。前みたいにさ。そこを、退いてくれ」

 

 英雄王と、アヴェンジャーはあの金髪の男を呼んでいた。

 お互い見知った空気があったが、いきなり剣を投げてくるような奴の前に彼女一人だけを放り出していられるわけがない。

 衛宮士郎という魔術使いは、アヴェンジャーをサーヴァントという名の兵器だとは、どうしても思えなかったのだ。

 男の横を通ろうとし、士郎は彼の構えた槍に阻まれた。

 いつの間にか、槍の穂先はぴたりと士郎の喉元に向いていた。

 

「そりゃ結構。……だが、今お前が起き上がっても何にもならん。やってみなけりゃ分からない、なんて理屈も置いておけ。あいつ一人の方が、今は切り抜けられる」

 

 あちらに引っ張り上げられるまで通さない、と男は槍を下ろさず言った。

 眼が鋭い。紛れもない殺意がある。

 紛れもない英雄の殺意が、未熟な少年一人に向けられた。

 

「構えろ。稽古の一つもつけてやる」

 

 士郎も無言で意識を集中させた。

 夢の中だからか、簡単に槍は現れる。

 ずしりと重いそれを、士郎が拙い動きで構えるか構えないかのうちに、男は既に踏み込んでいた。

 幻の街に、寸分違わぬ二つの刃の交わる甲高い音が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふっ飛ばされ斬られては立ち上がり、容赦無しに傷めつけられる。音を上げることだけはしたくなくて粘り続けると、結局意識が落ちるまで散々に扱かれる。

 正に鍛練を終えた後の気分で士郎は目が覚めた。

 ごろりと寝返りを打つ。

 横を向くと見慣れた部屋の障子窓が見えた。

 外は暗く、日はもう落ちているらしい。

 辺りはしんとしていて、部屋の中は少し寒かった。

 布団の上に起き上がると腕や足、こめかみに引き攣れたような痛みが走った。

 確かめてみると体のあちこちに包帯が巻かれていて、少しだけ動かしづらい。触れると頭にもガーゼが貼られていた。

 けれどそんなことよりも気になることがある。辺りを見渡すと、部屋の片隅に小さな白い影があった。

 白い装束を纏った黒髪の少女は、暗がりの中で膝を抱えて丸くなっていた。眠っているのか、額を膝の上に付けてゆっくりと細い肩が上下している。

 アヴェンジャーは怪我もしていない。いつかのように、気配が極端に薄くなっている訳でもないようだった。

 彼女は確かに、まだここにいる。

 それに安堵して、アヴェンジャーがこうして眠る姿を見るのは、そう言えば初めてだなと気付いた。

 

―――――確か、サーヴァントに睡眠の必要はないと言っていたはずだけどな。

 

 起こそうかと伸ばしかけた手を士郎が少し躊躇って止めたとき、アヴェンジャーの頭が持ち上がった。

 黒い瞳はほんの数秒間遠い何処かを視るように曇っていたが、すぐに焦点を結ぶ。

 

「おはよう、アヴェンジャー」

 

 とりあえず片手を上げて、士郎は何でもないように時間のずれた挨拶をした。

 士郎を見上げるアヴェンジャーの眼の端が、安心したように下がる。

 白い手が伸ばされて、ガーゼに触れた。

 

「……良かった」

 

 ぽつりと呟いて、アヴェンジャーは一瞬だけふわりと笑った。暗がりに蹲っているのに、そのときだけ士郎は日溜まりを感じた。

 

「シロウ、何があったか覚えていますか?」

 

 けれどすぐその表情は掻き消える。

 アヴェンジャーはいつも通りの平坦な口調で問い掛けた。

 

「えっと……教会に行っただろ。で、それから―――――」

 

 鮮やかな血の痕、隠れていた慎二。それにあの黄金の髪の青年。手繰り寄せた記憶が一度に押し寄せて来て、士郎は呻いた。

 

「あいつ……あの英雄王って奴は?」

「……分かりません」

 

 アヴェンジャーが言うには、彼は士郎たちを敢えて見逃した。逃げるがいいと、道を譲ったそうだ。

 だから戻って来ることができたという。

 

「あなたがあの盾を投影して、剣を防いでくれたから、私たち二人とも助かったんです。でもあなたは頭に瓦礫が当たって気を失ってしまって……。ここに帰り着いたあとは、脳震盪と投影の反動のせいか目覚めなくて……体は問題なく治せたはずなのですが、しばらく起きなかったから」

 

 言葉尻が震えたあと、アヴェンジャーは首を振った。

 

「吐き気や目眩、体で動かない所はありますか?」

「いや……無いな。てことは、俺を抱えて帰って来てくれたのかありがとな」

「いえ……」

 

 体の節々は痛かったが、引き攣れたような最初の痛みはもうほとんど無かった。ただ、ほんの少しだけ腕の皮膚の一部が浅黒く変色している。前は無かった変化だった。

 それは袖を引っ張ってさり気に隠しつつ、士郎はほら、と両腕を広げて見せた。

 

「アヴェンジャー、今、外はどうなってるんだ?」

「深夜です。夜明けまでは数時間ほどかと。凛は離れで眠っています。アーチャーはそちらで護衛に」

「……英雄王のコトはもう言ったのか?」

「はい。偉い剣幕で神父に怒っていましたが、凛が察するに英雄王のクラスはアーチャーではないかと言っていました。そして彼本人ですが……直に確認した所によれば前回、第四次聖杯戦争の生き残りにして、言峰神父のサーヴァントです」

 

 つまりあの神父は、何食わぬ顔でこの聖杯戦争が始まる前からあの英雄王と契約していたというのだろうか。

 

―――――十年もの間、ずっと?

 

 考え込む士郎にアヴェンジャーは何か言いたげだった。恐らく怪我人にはまた眠ってほしいのだろう。

 士郎だって、立場が逆ならアヴェンジャーには安静にしていてほしいと思う。

 ただ、物騒な夢の名残なのか妙な時間に目覚めてしまったからか、眠気は全く感じなかったし、もう一度安らかに眠るつもりもなかった。

 

「……英雄王たちの狙いも、聖杯なのか?」

「少なくとも彼のマスターは聖杯を求めているようです。英雄王に関しては何とも言えません。ただ―――――」

 

 そこでアヴェンジャーは言葉を切り、心を決めたようにもう一度口を開いた。

 

「英雄王が狙うものなら、分かります。……彼の狙いは聖杯の器を得て、それを降臨させること。つまり、()()()()()()()()です」

「……え?」

 

 アヴェンジャーは士郎の受けた衝撃にも気付かないかのように続けた。

 

「イリヤスフィールの心臓こそが聖杯を降臨させるための核になるものです。英雄王はそれのみを欲しています」

「じゃ、じゃああいつは、必ずイリヤを狙うってのか?」

 

 アヴェンジャーは頷いた。

 では、英雄王はイリヤの心臓だけを狙っているということになる。

 きっとイリヤの命は野に咲く花よりもあっさりと踏み躙られてしまう。英雄王の紅玉の瞳の奥にあった残忍さを、士郎は思い出した。

 

「でもさ……イリヤにはバーサーカーがついてるだろ?」

 

 アーチャーとアヴェンジャーを足したよりも強いだろう、破格の英雄。

 彼がイリヤスフィールを守護しているのだ。

 

「……」

 

 けれど、アヴェンジャーは俯いていた。

 彼女はバーサーカーが負ける可能性も視ている。そんな気がした。

 言葉を無くす少年の瞳を、そのとき巫女は覗き込んだ。

 

「……シロウ、私はイリヤスフィールが聖杯になるということを、知っていました。キャスターが私から引き出した情報がそれです」

 

 イリヤスフィールが聖杯になることがどういうことなのか、アヴェンジャーはそれも見通していた。

 英霊たちの魂を受け入れていけば、イリヤスフィールは身体と心を圧迫され弱っていく。心臓が聖杯の核である特異な少女は、ただでさえ短い寿命を更に縮めることを彼女は士郎に語った。

 アヴェンジャーはそれを知っていた。

 士郎の家族がこの先どうなるかを知っていて、彼女は彼には告げかったのだ。

 

 けれど、何故なんだ、と士郎は彼女をどうしても糾弾できなかった。

 

 何度も夢をくぐり抜けて、士郎もアヴェンジャーが故郷と人々にかける想いを知っている。英霊に成り果ててまで捨てられない祈りがあるのだと、理解してしまった。

 

 少女が一体何を天秤にかけ、どちらを取っていたのかは、尋ねられなかった。

 

「……そっか。そう、だったんだな」

 

 畳の上に落ちた格子縞の影が、黒髪の上に描いている不思議な模様を士郎はぼんやり見つめた。

 

―――――()()()()()()()()()()()()

 

 少年の言った言葉に、彼のサーヴァントは一瞬虚を付かれたようだった。

 けれど彼女はすぐに俯いて手で顔を覆う。

 

「どうしてあなたは、そういう人なの?」

 

 手の隙間から漏れた声は掠れていた。

 アヴェンジャーの声にあった芯が感じ取れなかった。

 掠れた声のまま、彼女は言った。

 

「私は、あなたに嘘を付いた」

「アヴェンジャーは嘘つきじゃない。言わなかったコトがあったんだろう?なら、俺が桜に言ったのと同じだ」

「同じじゃない。私は自分が聖杯が欲しいから、あなたに言わなかった。あなたはあの子を守る為に言わなかった。全然違うわ」

 

 顔を覆ったまま、アヴェンジャーは髪が乱れるほど首を振る。

 思わず、士郎は彼女の手首を掴んでいた。細くて華奢な、若枝のようだった。

 

「違わない。どこが違うもんか。お前だって故郷の人たちを守りたいって言ってただろ。何でも自分が悪いんだって、そんな風に思うのは()()()()()。それに……それに―――――いくら眼が良くたって、アヴェンジャーはその前に普通の女の子だろ!」

 

 アヴェンジャーの動きが、凍り付いたように止まる。顔を覆っていた手が、ぱたりと力を失って落ちた。

 零れ落ちそうなほど見開かれた瞳を見て、士郎はようやく自分がとんでもないことを口走ったのに気付いた。

 姿形がいくら少女じみたものであっても、目の前にいるのは人智を越えているはずの存在、英霊なのだ。

 けれど、訂正しなくてはいけないとは思わなかったしするつもりもなかった。

 英霊であるはずの少女は、力なく首を傾けた。

 

「……シロウ、違うよ。あなたの言うこと、どこかが違う。数日前にしか会っていない私より、あなたは家族のことを気にかけなきゃいけないはず」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()とアヴェンジャーは呟いた。

 士郎にではなく、アヴェンジャーは自分自身に言っているようだった。

 もしかしてこっちの方が、アヴェンジャー本来の口調なのかと士郎は頭の片隅でそんなことを考えていた。

 

「分からない。私には分からないわ。シロウ、あなたの願いは何なの?あなたは何をして、何になって、どこへ行きたいの?」

 

 そこに痛みを感じているかのように胸に手を当て、凛と背を正してアヴェンジャーは尋ねていた。

 ちょうど雲が切れたのか、横から差し込んできた月明かりで、その顔は白く光って揺らめいていた。

 

 遠い日に微笑んでいた、事切れる直前の義父の顔と、目の前の白い顔の儚さがふと重なる。

 

「俺―――――俺は」

 

 舌の上に、士郎はその言葉を乗せる。

 アヴェンジャーは揺るがずに、じっと彼を見ていた。

 

「俺は、正義の味方になりたいんだ」

 

 冴えた月光に照らされる部屋で、少女は静かに彼の言葉を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 




エンディングに関わる系イベントその2。
選択肢をミスると後々道場行きです。

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