では。
アヴェンジャーと凛がランサーのマスターを探しに出、アインツベルンの城にイリヤスフィールが戻ると、家の中は静かになった。
それでも、鍛練には却って都合が良いと士郎は思った。
土蔵の床に胡座をかいて座る。その動作をするだけで、体中が軋んだ。
まともに動けるのに一晩かかると凛に言われたが、確かにそんな簡単な動作をするだけで息が切れた。
凛には投影はみだりに使うなと言われた。
それでも今のままでは、何もできない。
誤魔化し誤魔化しやっては来たが、まずもってアヴェンジャーは戦いに向いていないのだ。
だからと言ってマスターが戦うというのは短絡的に過ぎるだろうが、それでもドゥリンダナを投影したときは何か掴みかけた気がするのだ。
意識をついさっき作り上げた魔術のスイッチに集中する。
「
唱えた呪文は呆気なく暴発し、全身を痺れさせるだけになった。
畜生、と悔しくなって何気なく土蔵の外を見ると、黒い影が佇んでいた。
「―――――貴様、何をやっている?」
アーチャーに見下され、士郎はむっとした。
自分でも分からないが、士郎はこいつとは相容れないと思うのだ。
それにアーチャーは、アヴェンジャーがカッサンドラだといち早く察知していたのに、それをマスターである凛に伏せていたらしい真名不明のサーヴァント。
一言で言えば、信用できなかった。
「別に。関係ないだろ」
「そうもいかん。未熟者が潰れるのは勝手だが、貴様のサーヴァントはそれなりに眼が良い。共倒れされる訳には行かない」
「未熟者未熟者っていちいち何なんだよ。言っとくけど、俺はお前を信用してないからな。アヴェンジャーがカッサンドラだって知ってたんだろ?何で黙ってたんだよ」
それこそ、士郎がアヴェンジャーに打ち明けられるより先にアーチャーは気付いていたのだ。
アーチャーは鼻で笑った。
「お前こそ、アレのマスターだろう。打ち明けられるより前に何故気づかなかった?呪われ祟られ、死に際でしか人に信じてもらえない女予言者など数えるほどもいないだろうに」
アーチャーの挑発のような言葉よりも、士郎には最後の言葉が引っかかった。
「ちょっと待て、死に際だって?」
知らなかったのか、とアーチャーは肩を竦めた。
「書物を読め。カッサンドラは生涯一度だけ、その予言を真実と認められている」
「……アイツ、何を予言したんだよ」
嫌な予感を感じながら、士郎は尋ねた。
弓兵はどこか冷たく言い捨てた。
「自分の死だ。ここが己の死ぬ場所だと、カッサンドラは敵国で予言した」
―――――貴様の命運は尽きた、我が祖国を亡ぼした王よ。
―――――貴様は誇り高き武人の刃に斃れるのではない。憎しみと嫉妬で狂った己が妻に、奸計で殺されるが末路と知れ。
―――――それを私は見届けてやる。私と共に冥府へ下れ。そこで朽ち果てろ、王者アガメムノン。
カッサンドラは最後にそう予言した。
聞いたのは、彼女が連れて来られた敵国の者。彼らはそれを信じた。
自分の末路を知って死に場所へ行く彼女を、彼らは誇り高いと讃えたと言う。
「……」
「命と引き換えに予言を成就させたのだ。復讐者となるのも当然だろうさ。穏やかな少女に見えようが、聖杯へ託す願いがどれほど優しかろうが、復讐者のサーヴァントとなったならば憎しみを懐き続ける」
裡なる憎しみに気付いてそれを解かねば、記憶に喰われるぞとアーチャーは言った。
笑った顔、張り詰めた顔、怒った顔。様々なアヴェンジャーの表情が目の前を駆け巡る。
あの少女が、死に際に憎しみを吐き捨てたというのだろうか?
握りしめた手を開いて、士郎はアーチャーを見上げた。彼の表情は黒く沈んで見えなかった。
「なぁ、お前は誰なんだ?」
アヴェンジャー個人に何か思う所がなければ、そんなことは言わないはずだ。
そうでなければ
アーチャーは顔をしかめたようだった。
「私が誰かなどという、意味の無い問いで時間を浪費するな。アヴェンジャーを
アーチャーの姿がかき消える。彼はもう話すつもりが無いのだ。
士郎はごろりと土蔵の床に寝転がった。
土蔵の窓から見える夜空には、月が輝いている。冷え冷えとした輝きを眺めていると、本当に一人きりになった気がした。
ここ数日は屋敷の中には誰かがいつもいて、呼べばどこからか現れた。だから、そういう感覚は久しぶりだった。
「助けるってったってどういうコトなんだよ……」
願いならもう聞いた。
アヴェンジャーは自分の大事な人たちを助けたいと言っていた。顔を知らない誰かではない。
その願いが間違っているとは思えない。
それでもアーチャーはアヴェンジャーを救え、と言いたげだった。そうでなければ決して救われないのだと。
あの言い方ではまるで。
「聖杯を手に入れるコトが、願いを叶えるコトが、アイツ自身の助けにはならないってのか」
そんなのはおかしいだろう。
何一つ報われないことになる。
――――それじゃあ一体、何のためにアヴェンジャーは戦うんだ。
その答えもやはり決まっているのだ。
自分の国の人々を救うためだ。
けれどそうなると、問いがまた最初へと戻ってしまう。
ああくそ、と士郎は髪をかきむしった。
両手を使って起き上がり、また自分の内側へと集中する。
「―――――
この手で一度だけ編み出せた幻想の槍。
あの槍の持ち主がここにいれば良いのにと、そんな弱音を封じ込めて士郎は魔術を続けた。
それは、明け方近くなって帰って来た凛とアヴェンジャーに見つかり、彼女たちにどやされるまで続いたのだった。
#####
「信じられない」
翌朝。
卓袱台に突っ伏す遠坂凛がいた。朝が弱いという凛の前に、士郎は熱い茶を置く。
残されていた腕から、ランサーのマスターだった瀕死の女性を見つけてとりあえず病院へ送り、衛宮邸へ帰って来た勢いで、無茶な鍛練をしていた士郎をどやしつけて自室に彼を叩き込み、そのまま離れで凛も眠った。
数時間の睡眠の後、朝食の席に現れた凛が最初に言ったのがこの言葉だったのだ。
一緒に行って街中をあちこち跳び回っていたというアヴェンジャーは困ったように、湯呑みから茶を啜っている。
「なぁ、アヴェンジャー。過去視は上手く行かなかったのか?」
「いえ。それは済んだんです。ランサーのマスターを襲い、令呪を奪ったのは間違いなく―――――言峰綺礼です」
あっさりと明かしたアヴェンジャーに、士郎は驚愕した。
「言峰が!?アイツ、監督役だろ!?」
「監督役でも、聖職者であっても、人の子です。万能の願望器となれば誰でも冷静ではいられない。それに……戦いの監督役と自ら名乗る者はまずもって信用できません」
神々にさんざんに介入された戦争に生きた人間は、しかめ面をしているだけでさして驚いてはいなかった。
サーヴァントがこれでは、マスターも驚く気が削がれる。士郎は浮かしかけた腰をおろした。
「……で、遠坂は何でこうなってるんだ?」
「あのねぇ、こっちは複雑な気分なの。アヴェンジャーの言葉が信じられないって感じと、綺礼ならやりかねないって感じがぶつかってるのよ」
でも実際にアヴェンジャーの予言を単独で聞いて、分かったこともあると凛は突っ伏していた顔を上げた。
「受けた感覚でいうと、アヴェンジャーの呪いってのは、要するに他者の精神を汚染するスキルよ。それもかなり高ランク。多分AとかA+とかじゃないかしら」
そうやって魔術師としての分析を行えた凛でも、アヴェンジャーの予言を聞くと、本能的に信じたくないと思ったという。
アヴェンジャーが嘘をつく理由がないと、理性は言っているのにも関わらず。
茶のお代わりを注ぎながら、アヴェンジャーは言った。
「リン、分析は有り難いですが無理をしないで下さい。そんな高ランクスキルに抗っては魔力が喰われますよ」
「あのね、これはあなたのためじゃなくて自分のためなの。サーヴァントのスキルにわたしがどれくらい耐えられるか、やってみてるだけ。無理をしない範囲でね」
それにね、と目の下を隈で真っ黒にした凛は茶を勢い良く飲み干して言った。
「わたしの中じゃ、言峰綺礼ってのは元々それくらいやりそうな奴なのよ。あの似非神父なら、マスターに成り代わるくらいやるわ」
確かに、と士郎は同意した。
あの神父は人の葛藤、苦悩を見てそれらを味わい、楽しんでいる節があった。
加えて気になったことと言えば、アヴェンジャーがどこからか不審な視線を感じたこと。それを辿るには時間が足りず、昨夜はひとまず戻って来たのだという。
「教会への使い魔はすでに送っていますが、神父の反応は感知できません。しかし、一度教会に赴くべきだと思います。間桐慎二は教会に送ったと聞きましたが、彼の気配もありません。それも気になりますから」
「そうだな。それがいいと思う」
教会で過去視を行って何があったかを探ろうと、士郎は立ち上がった。
「遠坂は休んでおいてくれ。俺とアヴェンジャーで行ってくるから」
「……そうさせてもらうわ。でもね士郎。キャスターには気を付けるのよ。もう一回あっさりと狙われたら、はっ倒すからね」
再びくたりと萎れながらもおっかないことを言う凛を残し、士郎とアヴェンジャーは家を出たのだった。
「俺が言うのもおかしいけど、お前は休まなくて良かったのか?」
家を出て、並んで教会へと向かいながら尋ねると、アヴェンジャーはきょとんと首を傾げてから答えた。
「私、元から睡眠がそれほどいらない
「でもお前、普通にご飯は食べてるよな」
「美味しい物は好きです。そういう嗜好は変わりありませんから」
つまりは食事はただの趣味で、睡眠の浅さはただの習慣。
サーヴァントになっても変わるものと、変わらないものがあると言うことらしかった。
アヴェンジャーは済まし顔で言って、黙って先を歩いている。
束ねた黒髪を揺らしながら、横を歩くアヴェンジャーの顔は平静そのものだった。
彼女が誰かへ呪詛と憎しみを吐き捨てるとは、やはり思えない。
今ならまだ、尋ねられる気がした。
「アヴェンジャーはさ、願いを叶えたらその後はどうなるんだ?」
「?」
はぁ、と言いたげにアヴェンジャーが眉にしわを寄せたものだから、士郎は慌てた。
「いや、またこうやってどこかでサーヴァントとして召喚されるのかなって思ってさ。お前も英霊なんだろ?」
「はい。いずれはそうなります。今はまだ違いますが」
今度は士郎が首を傾げた。
その言い方では、まだアヴェンジャーが英霊になっていないことになる。
「契約が正しく繋がったので確信できたのですが、私はまだ正式な英霊ではありません。霊体になれないのもそのせいでした。シロウのせいではなかったのです。誤解をしていたので、謝罪します」
「……それは構わないけどさ、でもそこらをもう少し分かるように説明してくれないか?」
実際、霊体化の問題は士郎には重要ではなかった。アヴェンジャーが大した事ではないと思っていることの方が重要だという、そんな気がした。
彼女は怪訝そうな顔をしながら、ひとつ頷いた。
「と言っても、願いを叶えるためにサーヴァントとなっているのは他と変わりはありません。私は世界と契約して、サーヴァントと化していますから、
死人ではないから、霊体になれない。
考えてみれば当たり前のことだった。
アヴェンジャーは、彼女の時間軸ではまだ死んでいない。死ぬ手前で世界と契約し、サーヴァントとなって未来で召喚されているのが今の状態になる。
願いを叶えたならば、彼女は元の時間軸へ帰って命を終え、それから改めて英霊として登録されるのだ。
では、契約の対価は?
「さあ、大したことではありませんよ。シロウは知らなくても、問題はありません」
世界との契約という部分を尋ねる士郎を、アヴェンジャーはきっぱりと踏み入らせなかった。
あなたには教えない、と頑なで鋭く強い光を湛えた黒い瞳が言っていた。
それを見れば、彼女は士郎に何も言うつもりが無いのだと悟らざるを得なかった。
「……では、マスター。そろそろ教会に到着します。気を引き締めて下さい。不味そうならすぐに撤退しますから」
そのまま歩むうちに、気付けばもう教会に到着していた。
今度はアヴェンジャーも入るつもりらしく、杖を手に持っている。
頭を振って、士郎は集中した。
凛たちにどやされて止められる前に行った鍛練の成果で、自分一人でも、何とか即席のすかすかの槍なら投影はできる。
ラインが繋がっているアヴェンジャーとの距離が近ければ、そこから更にましなモノが造れるだろうという確信もあった。
一方のアヴェンジャーは、さっきから目を擦っていた。
「どうした?」
「何故か……眼が急に視えにくくなって」
「調子、悪いのか?」
「……いえ、大丈夫です。行きましょう。少し待てば回復するかもしれません」
アヴェンジャーは、そのまま無造作に教会の扉を開け放った。
中は数日前と変わらずにしんとしている。けれど、前回のとき十字架の前にいた神父の姿だけはなかった。
床板を軋ませながら、二人は中へ入る。後ろで、扉が重々しい音を立てて閉じた。
「まさか、本当にもぬけの殻なのか?」
「いいえ。奥にまだ誰かがいるようです。注意して進みましょう」
頷き合って教会の奥へ進む。
礼拝堂を抜け、中庭に差し掛かる。そして、中庭の中心に血の跡を見つけて駆け寄った。
臭いは然程ない。血はすでに乾いていた。
「まさか、これ言峰の……?監督役を襲撃した奴がいるのか?」
「ルールを真正面から破りに来る監督役です。彼に同じことをする者も当然いるでしょう」
珍しく辛辣に言いながら、アヴェンジャーは血痕に手を翳した。
士郎は辺りを見渡す。中庭は回廊に囲まれていて、見上げれば四角く区切られた青い空がある。
視線を戻してよく見ると血痕以外にも床や壁に割れ目があった。確かに、ここで何かがあったのだろう。
ふと、士郎は回廊の扉の一つが開いているのに気付いた。
「アヴェンジャー、ちょっと来てくれ」
目を擦りながら血痕を確かめていたアヴェンジャーが駆け寄ってくる。
同じように半開きの扉に気付き、士郎に目で合図しながらそっと押し開けた。
中は漆喰の壁に戸棚、簡素なベッドしかない、殺風景なものだった
それでも何か、気配がある。アヴェンジャーは躊躇いなく進むと、部屋の奥にある戸棚の扉を押し開けた。
瞬間、そこから人影が転び出る。アヴェンジャーがあっさり横に避けながら足を払ったために、人影は足を滑らせ床にしたたか頭をぶつけた。
「慎二!?」
紛れも無い間桐慎二に士郎は驚き、慎二の方はアヴェンジャーに見下されていることに気づくと後ずさった。
「な、何なんだお前!まさか、僕を殺しに来たのかよ!?あの魔女みたいにさぁ!」
「……」
錯乱したように叫ぶ慎二から目を逸らし、何とかしてほしい、と言いたげにアヴェンジャーは士郎を見た。
士郎はかがんで、慎二と視線の高さを合わせる。
「そんな訳あるか。ここで何があったんだ?監督役はどうしたんだよ」
「監督役だって!?」
「神父ですよ。間桐のマスター。コトミネという神父がいたでしょう?」
慎二は震える声で言った。
「あ、アイツなら、し、死んだんだろ。ここは、キャスターに襲われたんだからな」
「キャスターが?それはいつですか?」
「しつこいな!僕がここについてすぐだよ!聖杯の器がどうとか言ってたさ、それ以上のコトは知らないね!」
慎二はアヴェンジャーを鬱陶し気に睨むと、音を立てて部屋を出て行く。
残された二人は顔を見合わせた。
「つまり、俺たちを攫ってすぐにキャスターはここを襲撃したって言うのか?」
「けれども聖杯の器が手に入らなかったから、捕まえておいた私を使おうとした、ということでしょうか。……何にせよ、神父はランサー共々行方不明ですね」
頭痛を堪えるように、アヴェンジャーはこめかみを指で叩いた。
「アヴェンジャー、本当に大丈夫なのか?」
「……すみません。ここでは何故か眼が、上手く働かないのです」
俯くアヴェンジャーに、士郎は首を振った。
「いいさ。そんなときもあるだろ。今日は帰ろうか」
アヴェンジャーが頷きかけた、正にその時だった。
「―――――ほぉ。如何な雑種が二匹紛れ込んで来たのかと思えば、存外愉快な者が混ざっていたようだな」
酷薄な声に士郎は扉を振り返る。
いつの間に現れたのか、金髪の青年が一人、そこに立っていた。顔貌は美しいが、浮かべている表情には人が死ぬのを風景のように見ることのできる残酷さがあった。
紅玉よりも赤く、氷よりも冷たい神性を帯びた瞳が、士郎を素通りしてアヴェンジャーへと向けられる。
見られた瞬間、冬の湖に氷が張るようにして彼女の表情が張り詰めて行くのを、士郎は見ることしかできなかった。
バゼットは保護されました。
そしてまだ好感が完全に足りていないうちに、特大の地雷と遭遇した話。