では。
確かに凛の言ったように、アヴェンジャーの回復力は呆れるほど高かった。
目覚めた次の瞬間から何事も無かったように動き出し、士郎とイリヤスフィールが凛へ伝えようと離れて戻ってみれば、布団を丁寧にたたみ終わって庭に立っていたのだ。
目の上に手をかざして太陽を見ていたアヴェンジャーは、三人の気配を感じたのか振り返ると凛とイリヤスフィールに深々と礼をした。
「ありがとうございました。リン、イリヤスフィール。あなたたちがいなかったら、こうしていられませんでした」
凛はやや照れくさげに、イリヤスフィールはただ柔らかにその礼を受けた。
「アヴェンジャー、そうは言うけどそもそもあなたならわたしたちが来るの、分かってたんじゃないの?」
凛に言われてもアヴェンジャーは肩をすくめただけだった。答えるつもりが無いのか、それとも答えられないのか、どちらともとれる仕草だった。
「……まぁ、どっちでもいいわ。結果的にはキャスターとアサシンの真名と所在は分かったんだし」
作戦会議よ、と凛はアヴェンジャーと士郎を手招く。居間に入って卓袱台の周りに全員が腰を下ろしてから、凛はイリヤスフィールに顔を向けた。
「で、イリヤスフィール。あんたは何でまだここにいるのよ」
「どうしてよ、リン。わたし、いちゃいけないの?」
「あったり前よ。昨日のは士郎たちを助けるためだけの同盟って約束だったでしょう。お城で首を洗って待ってなさい」
「……あの」
小さくアヴェンジャーが手を上げた。
「イリヤスフィールがいるうちに言っておきたいことがあるのですが、構いませんか?―――――キャスターが私から引き出した情報についてです」
「……いいわ、話して」
アヴェンジャーは淡々と頷いて続けた。
「キャスターが知りたがったのは聖杯の器の場所でした。今の段階で聖杯を降臨させることも、彼女ならばできるそうです。ただし、それには聖杯の器が必要でそれの居場所を私に占え、という話でした」
「今?まだライダーしか脱落していないのにできるって言ったワケ?」
「言ってたぞ。ハッタリが入ってたとしても、キャスターのサーヴァントの自分なら、ってかなり自信満々だった」
キャスターの口ぶりを思い出しながら、士郎も続けた。凛は考え込むように顎に手を当てた。
「キャスターはあの魔女メディアみたいだし、確かにそりゃできないコトもないでしょうけど……」
メディアはギリシャ神話に登場する魔術に長けた王女。アルゴー号の冒険の中心人物、英雄イアソンの妻だったが、彼に裏切られたことで嫉妬に狂ったという悲劇の人物だったはずだ。
アヴェンジャーは納得したように頷いていた。
「私もキャスターはメディア王女だと思います。使う術の感じに覚えがありますから」
「ああ、そっか。アヴェンジャーにとったら同郷人みたいなものね。分かって当然か。……七騎いて、少なくとも四騎がギリシャってのは被り過ぎな気もするけど。あなたたちの神話体系は有名だものね」
少し話が脱線したことに気付いたのだろう。凛は咳払いしてから続けた。
「で、同郷の魔術師の見解からすると聖杯降臨ってのは器があればできるの?」
「不可能だと思います。ライダーしか脱落していないとしたなら、魔力が足りません。でも、メディア王女の魔術の腕は私より数段上なので……」
「できる可能性を、完全には排除しきれないか。じゃあ、ますますキャスターに聖杯の器の場所を知られたのはまずいわね」
「はい」
アヴェンジャーは俯いて、士郎も手に力を込める。イリヤスフィールは鼻を鳴らした。
「ふぅん。キャスターの狙いはわたしってコトね。聖杯の器はわたしが持ってるもの」
完全に初耳だった士郎以外は、当たり前のように頷いた。
「アインツベルンは聖杯の造り手。マキリは令呪の考案者。わたしたち遠坂は霊脈の管理者。それが聖杯戦争御三家の関係よ。まさか忘れてたわけじゃないでしょうね?」
「……悪い。ちょっと忘れかけてた」
正直に答えてしまった士郎に、そうだと思った、と凛は肩をすくめた。
「でも、キャスターってメディアなんでしょ?じゃあわたしのバーサーカーには敵いっこないわ」
「確かにそれはそうなのよね。メディアとヘラクレスはアルゴー号繋がりで面識があるようだし」
「でもそれは、正面から戦う場合でしょう?昨日の戦いを見れば、恐らくキャスターはバーサーカー、アーチャー、アヴェンジャーが手を組んだと考えます。それなら、キャスターが次に取る行動は何だと思いますか?」
淡々としたアヴェンジャーの問いかけに一瞬場が静まった。
「……俺なら他の陣営と手を組むな。アサシンはキャスターと組んでるんだろ?だったら、残ったランサーたちの所へ行くと思う」
「あ、士郎。それちょっと違うの。アサシンの佐々木小次郎はね、どうやらキャスターが反則技で召喚したサーヴァントらしくて、あの山門から離れられないみたいなのよ。つまり、門番以外の役ができない」
「それじゃあ、尚更キャスターは焦るってコトだろ?代替わりしてたっていうランサーのマスターが誰か、分かればいいのにな」
言ってから、士郎は凛たちが微妙な顔でこちらを見ていることに気付いた。
「なんだよ?」
「なんだよ、じゃない。あなた、自分のサーヴァントのスペックをちゃんと把握してなさいよ。カッサンドラはね、
士郎が横を向くと、アヴェンジャーは頬をかきながら言った。
「私がランサーのマスターだった人の拠点に行けば、何があったかは分かります」
「そういうコト。夕方になったら出発するわよ、アヴェンジャー」
それと、と凛は何でもないように付け加えた。
「士郎はアーチャーと留守番よ。わたしがアヴェンジャーを借りて行ってくるわ」
なんでさ、と聞こうとする士郎の鼻先に、ずい、と凛は指を突き付けた。間近で見る目には、強い光が宿っていた。
アヴェンジャーもびっくりしたように目を瞬いている。
「質問はね、これからわたしがする話を聞いてからしなさい。昨日あなたたちがやったコトの規格外さと危うさをきっちり言って聞かせないと、わたしの気が済まないの」
凛の気迫に、士郎は深く頷くしかなかったのだった。
そもそも前提として、衛宮士郎は魔術のやり方を間違えているんじゃないのか、と凛は言った。
士郎の作業場である土蔵に場所を移している。この土蔵には士郎と凛、アヴェンジャーしかいない。
イリヤスフィールは土蔵が埃っぽいと言って日当たりのいい縁側に居座り、アーチャーとバーサーカーは静観を決め込んでいるのか、相変わらず気配を感じ取らせなかった。
そうして、士郎の強化の魔術を見た凛は予想通りだったと顔を覆った。ついでにそこいらにあるガラクタの幾らかは、彼が投影したモノがそのまま放置されているのだと知ると髪をかきむしった。
端的に言えば、士郎の魔術は起動の仕方からして間違いだったことが判明した。
彼の魔術回路を起動させる方法はとんでもなく危険で、時間が経っても消えない投影品はそれだけで封印指定を受けてもおかしくない異端だったのだ。
そう言われても、士郎には実感がわかない。アヴェンジャーも似たように首を傾げているのだから尚更だった。
士郎の視線に気付いたのか、凛は眉にしわを寄せた。
「あのね、その子基準で考えないで。神代はね、神秘とのふれあい方がわたしたちとは違うの。だからアヴェンジャーもあんたがヘンってコトに気づかなかったんでしょうけれど」
とにかく、衛宮士郎は魔術を使うためのスイッチをちゃんと作れるようにならないと駄目だと凛は言った。
さもなければ毎回命懸けで魔術を使う羽目になるからだ。
「そういうなら分かったけど……どうすればいいんだ?」
これを飲みなさい、と凛が取り出したのは赤い宝石だった。
「ただし、めちゃくちゃ痛いのよ。だから士郎は留守番なの。今晩は体が痛くて動かせなくなるだろうから」
無意識にアヴェンジャーの方へ視線が行く。現代魔術には疎い自覚があるのか、彼女は何も言わなかった。凛の宝石をしげしげと見ているだけだ。
純粋に興味津々と言った様子で宝石を見ているその横顔は、今まで見た中で一番幼かった。
「分かった。飲むよ、それ」
宝石を飲むことは、あの宝具の投影に繋がるだろうから。
―――――今度はあれが一人でもできるように。
「いい返事。頑張って耐えてね。その痛みは、絶対に止まるものだから」
手を突き出す士郎に凛は言って、宝石をそっと握らせたのだった。
「お互いのサーヴァントとマスターを入れ代えて行動するって、結構ないコトなんじゃないかと思えて来たわ」
アヴェンジャーに姫抱きにされて夜の冬木の空を跳ぶ中、凛は急に言い出した。
二人が向かっているのは、凛がランサーのマスターの腕を発見した場所。霊体になれないアヴェンジャーと生身の凛は、一番速く進める方法で夜の街を進んでいた。
家には士郎とアーチャーがいる。イリヤスフィールは、すでに城へ帰っていた。
「ねぇ、あなた、本当のお姫様でしょ?そんな人に抱えられてるってちょっと楽しいかも」
凛の軽口に、それまで特に反応を返さなかったアヴェンジャーが微かに笑った。
「あら、やっと笑ったわね。士郎がいないとあなた表情が硬いんだもの」
一束ねにしたふわりと髪をなびかせて空を駆けながら、アヴェンジャーは驚いたように首を傾げた。
「そう、なんですか?」
「そうよ。自覚無かったの?まぁ、士郎はあなたを信じてくれるんだし、当たり前か」
アヴェンジャーは片頬だけで笑って黙る。
風音だけが二人の間に響いた。
「ね、アヴェンジャー。わたしだけを連れて来たって意味ないんじゃないかって思ってるでしょ?わたしじゃ、あなたを信じられないから。違う?」
ややあってから、アヴェンジャーは頷いた。
「……ごめんなさい、リン。あなたの言う通りです」
「別に良いわよ。ていうか、あなたも正直ね。嘘でも違うって言えばいいのに」
「嘘は嫌いなんです。それに私、嘘をつくのは下手だからすぐばれちゃいます」
ビルの屋上を蹴って次の建物に跳び移りながら、アヴェンジャーは器用に肩をすくめた。
ビル風ではためく髪を押さえながら、凛は言う。
「あなたがそう思うのも当たり前よ。ちょっと士郎がいなくてもわたしがあなたを信じられるか試したかったのよ。だって、神様だかなんだか知らないけど、わたしの心に勝手に働きかける呪いなんてムカつくじゃない」
「……」
にっこり笑う凛にアヴェンジャーは虚を突かれたようだった。
少し気恥ずかしくなって、凛はむっと額にしわを寄せた。
「何よ、変な顔しちゃって」
「いえ……いえ、何でもありません。ただ、嬉しかったから。リンは、とっても格好良いですね」
ぽかんとしていたアヴェンジャーはくすくすと楽しそうに笑い、凛は照れくさくなって横を向いた。
「……あと、神がムカつくなんて言ったの、リンが初めてです」
「でもあなた、アポロン神をフッたんじゃなかった?嫌いだったからなんじゃないの?」
「いえ。そもそも、私は嫌いと言えるほどあの神を知らなかったんです」
「じゃあ、どうして?……あ、言いたくないなら別に良いんだけど」
構いませんよ、とアヴェンジャーは凛に言った。
言ってから、アヴェンジャーは少しだけ何かを思い出すような遠い目をした。
「単に、怖かったんです。神殿で祈っていたらふらりと男の人が現れて、いきなり愛している、なんて言うんです。見たことないくらい綺麗な人だったけど顔も知らないし、私、怖くてまともに口もきけなかったんです。あの頃の私は、人見知りだったから」
愛を囁かれても、ろくに返事ができなかった。人ならざる気配を持つ美しい青年に萎縮するだけだった。
「多分、それでアポロン神は焦れたんでしょう。彼が何かを言ったあと私の頭に触れたら、一気に知らない景色や人が見えるようになって」
訳が分からなくて頭が割れそうに痛くなって、気づいたらその青年を突き飛ばして逃げ出していたのだという。
「私はアポロン神に捨てられる未来を視たから彼を拒絶した、という伝説もあるようですが、実際はたったこれだけの出来事なんです。―――――私、あのとき何があったか、本当はあまり覚えていないんですよ。情けないといえば、実に情けない話でしょう。呪われたってことにも、しばらく気付けなかったくらいでした」
アヴェンジャーは薄く笑った。さっきのような楽しさが欠片もない、乾いた笑みだった。
本当にそれだけで語れるものなのか、と凛には思った。
それとも、運命が永久変わってしまう瞬間を迎えたときなんて案外そんなものなのかもしれない、とも同時に思う。
ある瞬間から、気付いたら昨日までの自分と全く違う自分になっている。もう元の道には戻れずに、踏み入ってしまったらそこをもがきながらでも生き続けるしかない。
多分このサーヴァントもそうやって生きたのだろう。
―――――喩え、もがいた先に迎える未来が、無惨に燃え落ちる故郷と愛する人々の慟哭なのだと、知ってしまったしても。
「リン?」
覗き込んで来る澄んだ黒い瞳を、凛はそのとき訳もなくただ綺麗だと思った。
きっとこの澄んだ瞳の持ち主は同情も共感も欲しがりはしないのだろう。
魔術師になるという道を、自分で選んだことを芯にして、誇りにしている凛とこの少女は、多分どこかが異なっている。
それでも、少しからかってやろうと凛は思った。
何か大切なことを諦めてしまったような者の微笑みをアヴェンジャーが浮かべる姿は、見たくなかった。
「ん、何でもないわ。アポロン神のフラレ方が意外だっただけよ。少なくとも、そいつは士郎とは全然違うタイプだったみたいね。良かったわね」
片目を瞑って見せると、アヴェンジャーは面白いくらいに動揺した。
軽快に駆けていた足が止まり、アヴェンジャーは高い木のてっぺんに着地する。
「な、何でそこにシロウが出るんですか、関係ないでしょう!?」
「そうかしら?本当に?」
「そうですっ!変なことを言わないで下さい!そんなことより、方角はこっちで合っているんですかッ?」
予想以上に反応が面白いなと凛は内心笑いながら、合っているわよと答える。
アヴェンジャーはぶつぶつ言いながら、また足を動かした。
サーヴァントの脚力は、それからほんの数分で目的地に着く。
アヴェンジャーは音も立てずに猫のように草地に着地し、凛は彼女の腕から降りた。
彼女たちの前に聳え立つのは、凛とアーチャーがランサーのマスターの腕を発見した洋館だった。
「どう?アヴェンジャー、何か視える?」
そうですね、とアヴェンジャーは目を細めて月明かりを浴びても尚黒く聳える洋館を見上げた。
黒い瞳のまま、首を傾げていたアヴェンジャーは、そのとき不意に鞭のように後ろを振り向いた。手には彼女の武装である杖が現れている。
アヴェンジャーのただならぬ様子に、凛も宝石を構えて辺りを見渡した。
「なに?敵なの?」
「今、誰かに見られているような気がしたんですが」
気のせいだったんでしょうか、とアヴェンジャーは首をひねりながら杖を手元から消した。
「キャスターの遠見の術とかじゃなく?」
「いえ、何か
もう何も感じなくなっているんですが、とアヴェンジャーは肩を竦め、凛は辺りを見回す。
そうしてみても、冬の風に木々がざわめく音しか聞こえては来なかったのだった。
ガールズトーク、視線を感じた話。
予言能力の与えられ方は種類あるようですが、ここではこうさせて頂きます。