残照の巫女   作:はたけのなすび

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では。


act-12

 

 

 

 

 短剣が突き刺さったところから吹き出したのは、鮮血ではなく赤黒い魔力光だった。

 同時に絹を裂くような悲鳴がアヴェンジャーの口から迸り、士郎の右手に痛みが走った。

 手の甲から、赤い令呪が薄紙を剥ぐように消えていく。

 その痛みには構わず、倒れ込んできたアヴェンジャーの身体を士郎は受け止めた。

 ずしりとした重みが彼の腕にかかった。熱を持った身体は瘧にかかったように細かく震えている。

 短剣で貫かれたはずの胸には傷はなく、服も破けてはいなかったが、このアヴェンジャーは何かが失われ、抜け落ちていた。

 

「そこから離れなさい、士郎!」

 

 凛の叫びと共に魔力弾が人影に殺到する。

 だが人影はするりと消えて魔力弾を躱し、アヴェンジャーを抱えたままの士郎の背後に現れた。

 ローブが士郎の目の前に翻り、視界が真っ暗になる。

 それでも、手の中の暖かさだけは手放さないように士郎は腕に力を込めた。

 吐き気に襲われ、士郎の意識は闇の中でばらばらに砕け散ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――夢を見ていた。

 聳え立つ城壁とその中に築かれた平和な国。

 通りを行き交う人々の服は色鮮やかで、皆表情は明るい。

 しかし、ここでは衛宮士郎の姿は誰の目にも捉えられていない。地面に伸びている影は薄墨のようで、ここでは彼は幻と同じだった。

 ふと、士郎の目が行き過ぎる一人に吸い寄せられた。

 頭巾の付いた白い長い衣を着て、長い黒髪を革紐で束ねただけの飾り気ない格好だった。

 春の川の中を泳ぐ魚のように、人影は通行人をすり抜けて行く。向かう先は大通りの突き当りにある巨大な建物だった。白い石でできたそれは、宮殿のように見える。

 士郎も引っ張られるようにその後をついていく。

 勝手知ったるように人影は宮殿の裏へ回る。辺りに人がいないのを確認するように周りを見てから、口の中で何かを呟く。小柄な体は羽が生えているように地面から浮き上がった。

 浮いたはずみに、頭巾が取れた。下から現れた顔は士郎の知るものだった。

 黒髪色白の少女、アヴェンジャー。

 いや、まだこの頃はそう呼ばれていないだろう。

 その少女はふわりと風に流されるようにして、城の壁を越え姿を消した。

 

「カッサンドラ、か……」

「大当たりさ」

 

 ぎょっとして士郎は振り返った。

 緑の服に黒と金の槍を持った男が一人、雑踏の中に佇んでいたのだ。彼も士郎と同じく、足元に落ちている影が薄かった。

 飄々とした雰囲気の髭を生やした顔は、何度か見たものだった。

 

「アンタ……」

 

 人混みを抜け、士郎に向けて歩きながら、男はひらひら手を振った。

 

「おぉっと。オジサンが誰かはどうでも良いこった。ま、この記憶の案内人さね」

「案内人?」

「まぁ、この記憶の持ち主は垣間見てた世界が多過ぎてな。整理するための人格が要ったのさ」

 

 あくまで自分は本人ではなく、記憶の中から掬い取られて形作られた人格だと男は言った。

 敵ではないということらしい。

 

「……分かった。で、案内人のアンタは何でここにいるんだ。それにここはアヴェンジャーの夢なんだろ?どうして俺の意識ははっきりしてるんだ?」

「夢は夢。つまり何だってあり。死人が口もきくし、街だって民草だって蘇る。違うかね?まあ、ここがお前の頭の中かあいつの記憶の中かは大差ない。契約で互いに繋がってたんだからな。だろ?アヴェンジャー、カッサンドラのマスター」

 

 尤も今は違うかもしれないがね、と男は肩をすくめて何でもないかのように続けた。

 

「……どういう意味だよ、それ」

「知ってるはずだ。契約は切られた。この夢だって、切れたラインの切れ端が見せてるだけですぐ消える。それでも現実に戻るか?お前さんはマスターじゃないぞ」

 

 士郎の手に令呪は無かった。

 理屈は分からないが、あの短剣に刺された瞬間引き剥がされたのだ。

 何もなくなった手を、士郎は握りしめた。

 返事は決まっていた。アヴェンジャーの目を閉じた血の気の無い顔しか、頭に無かった。

 

「戻るに決まってる。俺はあいつのマスターになるって言ったんだ。だからやらなきゃいけないだろ」

 

 男は額を手でぱしりと叩いた。

 

「即答かよ。お前さんも大概だな。……だが、そう言うならやってみな。俺から与えられるのは、この記憶の中にある知識だけだ。お前さんの中にある()()がそれで起きるかは知らんが、助けにはなるだろうさ」

 

 男の槍が掲げられた。

 穂先に光が集まり、気合と共にそれが空へと投げつけられた。

 士郎が何か言う前に、空間に罅が走り、硝子の砕ける音が響く。

 彼の足元が崩れ、街並みも人々の姿もばらばらの欠片になる。

 逆さになって闇へ投げ出される寸前、砕けた硝子が士郎の目に入る。

 燃える街、戦う人々、煌めく武器。ありとあらゆる光景がその一枚一枚に刻印されている。

 その一つ一つが士郎の体に当たる度、欠片は溶けて消え失せ、頭の中に次々映像が流れ込んで来た。

 落ちて行く士郎の目に、男の姿が目に入る。

 闇に一人取り残されながら、男は笑っていた。

 その口元が動いていた。何かを伝えようとしているのに、言葉は聞き取れなかった。

 ただ優しげで寂しげな笑みを頭に残し、衛宮士郎の意識は闇から浮上したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ロウ―――――シ――――!」

 

 ぼんやりとしていた士郎の意識は、名前を呼ばれてはっきりと目覚めた。

 瞼を押し開けと、数メートル先にアヴェンジャーがいる。士郎を見てほっとしたように、彼女は肩から力を抜いた。

 だがアヴェンジャーは跪かされた体勢で、その両腕は宙に吊り下げられていた。目に見えない糸で吊られているようだった。

 駆け寄ろうとして、士郎は自分の体が動かないことに気が付いた。

 

「動かないで。―――――動かずに、ゆっくり周りを見て下さい」

 

 アヴェンジャーの瞳に押され、士郎は辺りを見回した。

 背中に何か硬い板のようなものが当たっている感触がある。腕は後ろに回され、縄か鎖で縛られているように全く動かなかった。

 どうしてこんな所に、と言いかけて士郎は直前を思い出した。

 アヴェンジャーが刺されて倒れ、自分は駆け寄った。それで黒い何かに視界を覆われたまでは覚えている。けれど、そこから先がよく思い出せなかった。

 状況も掴めなかった。分かるのは自分がアヴェンジャーに庇われ、それでこうなってしまったことだけだった。

 

「私たちはキャスターに捕まったようです。空間転移で何処へか移されています。……ここがどこだか、分かりますか?」

 

 アヴェンジャーの何かを堪えるような淡々とした声に、士郎は沸騰しかけた頭が冷まされるのを感じた。

 息を吸って辺りを見回す。

 床は板敷きで、士郎が縛られている柱も木。扉や窓は無いのか、あるいは閉ざされているのか、部屋は全体に薄暗い。灯りは部屋の中心に置かれた行燈だけだった。

 形は長方形で、広さは衛宮家の道場より一回り小さい。

 建物に満ちている静謐な雰囲気に、士郎は覚えがあった。

 

「アヴェンジャー、ここは多分、柳洞寺だ」

「……街外れの寺ですか。とんだところに転移させられたようですね」

 

 呟いてから、アヴェンジャーは急に黙る。

 士郎の耳にも、近付いてくる足音が聞こえてきたのだ。

 壁と思っていた引き戸が開けられ、月明かりを背にして紫の長衣姿の人影が現れる。

 

「……キャスターのサーヴァント」

「ええ、そうよ。アヴェンジャー」

 

 頭巾で顔を隠したキャスターは、滑るようにアヴェンジャーに近寄ると傍らに屈み込み、その目の前に右手の甲を突き付けた。

 薄暗がりに赤い令呪の光が灯る。

 

「魔術師の端くれのあなたなら分かるでしょう?今のマスターは私。さっきから私の魔術に抵抗しているようだけど、無駄なことはお止しなさいな」

 

 アヴェンジャーは目を細め、怒りを込めてキャスターを睨んでいた。

 その頬をキャスターがゆっくりと撫でる。アヴェンジャーは唇を噛んで顔を背けた。

 

「やめろ、お前!」

 

 それを見た途端、士郎は叫んでいた。

 キャスターは振り向き、アヴェンジャーは駄目だと言うように激しく首を振る。

 

「威勢がいいのね、坊や。でもあなたはもうマスターではないわ。少し黙っていなさい」

 

 キャスターの指が指揮棒のように振るわれると、士郎の喉は締め付けられた。

 喉が糸のような何かで締められたようで、息が吸えず目の前が暗くなる。

 アヴェンジャーは、見えない縛めに逆らうように体を捻って叫んだ。

 

「やめ……やめて!キャスター!」

「アヴェンジャー、ならば私に従いなさい。坊やの命が誰の手にあるか、分からぬあなたではないはずよ」

 

 アヴェンジャーは宙に吊るされた手をきつく握り締めてから、全身の力を抜いた。

 同時に首を締め付けていた力が止まり、士郎は咳き込んだ。呼吸は楽になったものの、声だけは出なかった。

 

「これでいいでしょう。私を手駒にできたのだから、シロウはもう関係ない。解放して下さい」

「そうもいかないわ。最期まで神に靡かなかったあなたの意志を曲げるのは、とても骨が折れそうだもの。だから人質が必要なの。あなたが情を移した相手とか、ね」

 

 アヴェンジャーの燃えるような瞳で睨まれても、キャスターは動じなかった。

 

「……あなたは私に、何をしろと?出来損ないの予言者一人、陣に組み込んだ所で意味がないでしょうに」

「自分を出来損ないと卑下するのは結構だけれど、残念ながら私はそうは思わないのよ。あなたには聖杯の器の場所を探ってもらいたいの」

 

 訝しげにアヴェンジャーは目を細め、キャスターは顔を隠す布の奥で笑みを深くしたようだった。

 

「サーヴァント全員での殺し合いなんて、馬鹿馬鹿しいわ。キャスターの私なら聖杯を自由に扱える。器の場所が分かれば、今すぐ降臨させることも容易いわ。望むならあなたに聖杯を分けてあげても良いのよ。王女カッサンドラ」

 

 真名を呼ばれ、アヴェンジャーが息を呑む音が士郎にも聞こえた。

 キャスターの肩越しに、アヴェンジャーと士郎の瞳が交わる。

 黙したあと、アヴェンジャーは平坦な声で言った。

 

「あなたは私を買い被り過ぎです。私は欲しいものを欲しいときに視ることはできない。それができるなら、こんな様になっている訳がないでしょう。生きている頃だって、今だって同じだ」

 

 黒いアヴェンジャーの目を、キャスターはしばらく覗き込んでいた。言葉の裏を探るように。

 

「シロウを、解放して下さい。私からあなたへ言うことはそれだけだ」

 

 アヴェンジャーに見上げられ、苛立たしげにキャスターは衣の裾を翻して立ち上がった。

 

「ならばこうするしかないようね。―――――令呪を持って命ず。アヴェンジャー。力を開放し、視たものをすべて私に差し出しなさい」

 

 直後、アヴェンジャーの瞳の色が変化した。

 黒い瞳が赤と青に変わり、喉からは銃で撃たれた鳥のような悲鳴が吹き上がった。繋がれた体を仰け反らせ、嫌だというように何度も頭を振る。

 士郎は怒りで目が眩みそうだった。

 キャスターも自分も何もかも、彼女にあんな顔をさせている者が許せなくて、どうしようもなかった。

 僅かな時間の後、アヴェンジャーは動きを止める。頭を垂れた彼女の横にキャスターは屈み込むと、アヴェンジャーの口から漏れ出る呟きを聞いた。

 彼女が何を囁いたのか、士郎には聞き取れなかった。

 ただそれを聞いたキャスターは、動揺したようだった。人形のように動かないでいるアヴェンジャーを見下ろしたあと、滑るように戸口へ向かう。

 最後に振り返り、キャスターは指を鳴らした。

 体を締め付けていた力が失せ、支えを失って士郎は床に倒れ込んだ。アヴェンジャーも同様に床に倒れかけた所を、士郎は危うく受け止めた。

 肘と膝を強く打ち付けたが、痛みも感じなかった。ただ少し安堵しただけだった。

 

「あなたたちにしばらく用はないわ。この結界の中で大人しくしていなさい」

 

 キャスターはアヴェンジャーを抱えた士郎を見下ろして言い捨て、今度こそ部屋を出て行った。

 立ち上がりかけ、士郎はアヴェンジャーのうめき声に動きを止める。

 

「し、ロウ?」

 

 ぼんやりした瞳のまま、アヴェンジャーは額を押さえて起き上がった。士郎の手をそっと止めて、辺りを見渡す。

 一頻り見てから、アヴェンジャーは背筋を伸ばして士郎に向き直った。

 

「……さて、どうやって逃げましょうか?」

 

 あまり感情を窺わせない、いつも通りの声だった。家で聞くのと何も変わらないその声を聞いて、たくさんの感情が士郎の中を駆け巡り、俯いて血が滲むほどきつく拳を握った。

 

「悪い、アヴェンジャー。本当にすまない。俺がしっかりしてたら、こんなコトにはならなかったのに」

 

 アヴェンジャーは乱れた黒髪を手で梳いて、背中へ払いながら首を振った。

 

「至らないのは私も同じです、シロウ。でも、反省は後でしましょう。ここから出て、あの家に帰って、それからリンに二人揃って怒られましょう」

 

 ね、とアヴェンジャーは士郎の顔を覗き込むと両手で彼の顔を挟んだ。

 頬に当たる冷たい手が気持ち良かった。決して笑顔ではないけれど、黒い瞳の奥にはしっかりとした、勇気付けられる光があった。

 契約が無くなっても、アヴェンジャーは何も変わっていなかった。

 

「……そうだな」

「そうですよ。生きて逃げることが先です」

 

 アヴェンジャーは立ち上がって、壁に手のひらを向けた。

 彼女が何かを呟いた途端、ばちりと青白い光が手から炸裂する。光は板壁にぶち当たり、そのまま呆気なく雲散霧消した。

 手をひらひら振って、アヴェンジャーはため息をついた。

 

「結界が張られていますね。しかも異界に繋げる形の面倒なものです」

「……結界って、中から壊すのは簡単なんじゃなかったか?」

「確かに外から壊すよりは遥かに容易です。けれど、これは宝具でも使わないと砕けない強度です」

 

 私の魔術砲撃では足りない、とアヴェンジャーは首を振った。

 キャスターが士郎たちの拘束をあっさりと解いたのも、逃げ出せないと確信しているからなのだろう。

 

「私への魔力供給も現界可能なぎりぎりの量にまで抑えられています。これでは杖も顕現できません。シロウ、あなたの魔術回路に支障は?」

 

 言われ、目を閉じて士郎は自分の体に意識を集中する。まだ僅かに吐き気が残っていたが、体の内側も外も正常だった。

 問題ないと言うとアヴェンジャーは頷く。

 

「あなたの得意なのは、強化の魔術でしたね。……他にはありませんか?」

 

 言われ、士郎は考え込んだ。

 物の構造の把握は得意だが、それはここでは役に立たない。

 ふと、何故か突然に、アーチャーの双剣が頭に浮かんだ。

 今このときに、あんな剣があったらと思う。

 

「アーチャーの剣……」

「?」

「いや、あいつ道場で何本か剣を呼び出してたなって」

「……あれは呼び出してはいませんよ。投影の魔術で一から創られたモノです」

 

 呼び出してはいない、ということに士郎は驚きつつも、どこか納得している自分がいた。

 何故自分がそう思ったかは、説明できなかったが、その違和感を無視して、士郎は問いかける。

 

「じゃあ、アヴェンジャー、アレは俺にもできると思うか?」

 

 アヴェンジャーの目がはっきり泳いだ。

 

「正直に答えてくれ。投影なら俺もできる。同じようにアイツのみたいな剣を創るコトは、俺にもできるか?俺だって魔術師だろ」

「……()()()()()できます。でもこの結界を壊すような力は、アーチャーの剣にはありません」

 

 もっと破壊に優れた、強い力でないと駄目だと言う。

 破壊と聞き、士郎の頭の中を何かが過ぎった。夢の名残りのような記憶の欠片が、目の前を通り過ぎる。

 こめかみがずきりと痛んだ。

 アヴェンジャーと契約してから見た夢。それにさっき見たはずの、今にも消えていきそうな夢。

 思い出せ、と士郎は自分に命じた。

 あの男が持っていた、一振りの剣、いや槍だったかもしれない。とにかく、アヴェンジャーの記憶の守り人が携えていた武器だ。 

 あれの銘を、衛宮士郎はすでに与えられたはずだ。

 

不毀の極剣(ドゥリンダナ・スパーダ)……」

「え?」

 

 少年の呟いた剣の銘を、少女はただ、呆然と聞き返したのだった。

 

 

 

 

 




オジサンが少し出ました。タグ回収完了。
予知と現実を区別して、頭の中を整理するために生み出した人格、とでも。

何故オジサンの形をしているかと言えば、要はブラコンです。



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