残照の巫女   作:はたけのなすび

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では。


act-11

 

 

 

 

 

 灯火の揺らめきとは違うぼんやりした灯りの中、波打つ紫の髪がきらめいている。指の先にまで伸びた髪は、紫水晶の粉を砕いた川のようで、とても綺麗だった。

 その髪の持ち主も負けず劣らずに美しい。細い手足はすっきりと伸び、不吉な黒衣を纏っている身体は匂い立つような女らしさに溢れている。

 ただし彼女の麗しさに目を奪われれば、すぐ命を落とすだろう。

 何せ彼女は数多の勇者を飲み込み、ついに神々の加護を受けたペルセウスによって首を落とされた女怪、ゴルゴーン三姉妹の一角、メドゥーサなのだから。

 おとぎ話に何度も聞いていた存在が、釘剣を構えて正に目の前にいる。

 聖杯戦争の不思議さに目眩を感じたが、己とてこの時代に生きる人々からすれば彼女と同じ伝説上の存在である。

 戦うために喚ばれた幻想の相手は、同じ幻想が行おう。

 魔力を纏わせた杖を、アヴェンジャーは両手で構えた。

 ライダー、メドゥーサのマスターだという青年、慎二もその横にいる。

 瞳を変えたアヴェンジャーを、彼は眉を顰めて見ていた。

 引き攣ったように震える間桐慎二の瞼には、彼がアヴェンジャーをどう見ているかはっきりと現れていた。

 悍ましいのだろう。疎ましいのだろう。彼の目には自分がどう映っているのかは知らないけれど、恐らく彼にとって最も悍ましい何者かと同じように見えているのだ。多くの人々にそういう目で見られてきたのだから、慣れている。

 彼から集まる敵意が、僅かずつ自分の力に変換されていくのをアヴェンジャーは感じていた。

 

「容易に出て来ましたが、アーチャーのマスターの忠告は無駄になったようですね」

「当然だろ。僕はまだこの街のマスターだ。お前みたいなヤツにここをうろうろされたくない。なぁ衛宮、お前そんな化け物連れて平気なのかよ?」

 

 慎二の笑みがアヴェンジャーの後ろの幻に向けられる。

 アヴェンジャーは士郎の形をした幻に一瞥をくれると、口の中で呪文を唱えて消し去った。表情も気配もそっくり再現するのに成功したものだが、彼の木偶人形など本当は創りたくなかった。

 

「な、お前それ、衛宮じゃないのかよ!?」

「人形です。あなたは私のマスターに特別な感情があるようでしたので、呼び出すために利用しました。初歩的な幻術ですよ。魔術師ならば見破れて当然でしょう」

「こ、のッ、臆病者が―――――!」

 

 マスターの狼狽を見ても、ライダーは小動ぎもしなかった。あるいは元から、幻と見破っていたのかもしれない。それでもこうしてアヴェンジャーに誘いだされて来た辺り、恐らくマスターに意見を言ってないか、言っても聞き入れられなかったのだ。

 そしてサーヴァントとは逆に、慎二は淡々と悪びれないアヴェンジャーに対して容易く激昂した。

 臆病者と言うならば結構だった。

 むしろサーヴァントに投げ飛ばされ、闘気を間近に感じなければついて来ると言って聞かなかっただろう士郎は、もう少し自分が傷付くことを恐れるべきだ。

 慎二は懐から古びた書物を取り出し、腕を大きく横に振った。

 

「もういい、ライダー、そいつを殺せ!近くにいる衛宮に見せてやるんだ!」

 

 指令を受けたライダーの体が深く沈み込む。

 次の瞬間、砲弾のような勢いでライダーはアヴェンジャーへ突進した。

 釘の剣が咄嗟に展開した魔術障壁に当たり、火花が散る。片方が止められた瞬間、ライダーの残りの剣と鎖が唸った。

 杖を回転させて、左手から首に刺さりかけた剣を止めるも、校舎の時より重く速い一撃にアヴェンジャーの体が一瞬浮いた。

 支えを無くした杖とそれを握る手に鎖が巻き付き、杖を諸共腕を絡め取られたアヴェンジャーは引き摺られた。

 紐の先に付いた分銅のように振り回され、アヴェンジャーの見る天地がぐるぐる入れ替わる。

 ライダーは鎖を引き寄せるとアヴェンジャーの腹を蹴り飛ばす。小柄な体は吹き飛ばされ、水面を跳ぶ小石のように何度も跳ねて石が敷き詰められた大地へ叩き付けられた。

 衝撃で手を押さえていた鎖は外れ、両手が自由になる。蹴られた腹を押さえながら、アヴェンジャーは立ちあがった。

 障壁で防御してこの威力なら、士郎のような徒人がまともに受ければ身体が真っ二つになったことだろう。そして当たると分かって身構えていてこれなのだから、アヴェンジャーではこのライダーにはまともにやっては絶対に勝てない。

 おまけに、ライダーには魔術への耐性があった。小手調べで織り交ぜていた魔術がかき消されるのだ。生半可な術式では攻撃は当たっても無効化されてしまう。

 いつ、どこから攻めてくるかは読めてもそれに対応できる力や技が無ければ意味が無かった。

 未来を読む暇もないのだ。

 現状で得られることは、自分がここでは死なないという予感だけ。それが分かるから、アヴェンジャーはいくら怖くても立っていられるのだ。

 

「令呪、使いましたね。ライダー。書物に一つ、ここで一つ、残りは一つ。最後の一つはまだ書物に?」

 

 ライダーの返答は再度の突撃だった。鎌首をもたげた蛇が獲物に食らいつくように、鎖と剣が振るわれる。

 濁流のように、目の前に流れて来る予知に合わせてアヴェンジャーは杖を振るった。

 何かをまともに考える余裕はなく、本能任せで捌く。

 右へ左へ杖を振り回して鎖に絡めとられるのを防ぐ。並行して魔力で筋力、反射神経を向上。棍棒のように力任せに叩きつけられた剣に反応し、今度はその場に踏みとどまった。

 踏みしめられた石畳が粉々になるが、構う余裕はない。

 剣と杖とのせめぎ合い越しに、至近距離でアヴェンジャーはライダーの顔を見た。

 眼帯で目は覆われ、表情はほとんど読み取れない。

 彼女の力は校舎での戦いと比べて上がっていた。しかしそれは燃え落ちる直前の薪が一瞬だけ激しい炎を噴き上げるときのようだった。ライダーは自分の先を考慮していない。あるいはできていない。

 だったらまだ、やりようはある。

 魔力で大幅に身体能力を引き上げ、アヴェンジャーは強引に剣を上へ弾いた。がら空きになったライダーの胴に杖の先端を当てる。

 

「φως・ξίφος・Πυροβολήσει!」

 

 光の槍が杖先から飛び出し、ライダーの腹に突き刺さった。それでも対魔力スキルのあるライダーにはろくに攻撃は通らない。

 それでもライダーの体が傾いだ隙に、アヴェンジャーは杖を引き戻して、石畳がめくりあがるほどの勢いで石突きを地に叩きつけた。

 地に刻まれていた文字が、ぼんやりと闇夜に浮かび上がる。燐光のように光る文字は、螺旋になってライダーに絡みついた。

 

「άνεμος・ανω・πετεσθαι!」

 

 地面に仕込まれていた風の魔術式が立ち上がる。アヴェンジャーはさらなる魔力を込めてライダーを空へ吹き上げた。

 暴風は本を構えてただその場に立ち竦んでいた慎二を巻き込み、木の葉のように地面から引き剥がした。情けない悲鳴と共に川へ落下した彼のことは意識に留めず、血管が弾けて視界に血が流れ込むのも無視。

 アヴェンジャーは風の繭に包んだライダーをひたすら上空へ押し上げた。繭は百メートルほども打ち上げられ、小さく遠くなる。

 

『上出来だ。アヴェンジャー』

 

 脳内に響いたのは念話。その余韻が消え去るか去らないかのうちに、街の東側から光が放たれた。

 飛来した一条の矢が、繭に突き刺さる。次の瞬間、夜空に光の華が咲いた。

 轟音と閃光をまき散らして矢は爆発四散し、冬木の街を真昼のように染め上げる。地に立つアヴェンジャーの頬を、爆風が撫でて通り過ぎて行った。

 あれがアーチャーの宝具なのだろうかとアヴェンジャーは頭の片隅で考える。

 アーチャーの一撃を見ても尚、アヴェンジャーの記憶には誰も浮かび上がらなかった。

 彼の正体はますます不明になったのだが、それを不安に思うことは今はできなかった。

 足から力が抜け、アヴェンジャーの膝が折れる。地震の後のようにひび割れ剥がれ、砕けた石畳の上にへたり込んだ。

 目の上の傷から流れた血が頬を伝うのを感じて、アヴェンジャーは手で乱暴に拭った。

 口の中に広がる鉄臭さを一息に飲み込む。

 アヴェンジャーの視界は明滅していた。目まぐるしく色を変えているだろう瞳を瞼の上から押さえ、膝で挟んだ杖に縋ってアヴェンジャーはしばらく動かなかった。

 未来と過去を視る力は宝具でもある。真名開放のように派手に魔力は消費しないが、それでも使い続ければ魔力は消える。

 加えて膨大な情報を処理しつつ戦うことは、頭と精神にも負担をかけていた。

 まともに動けるようになるためには、頭痛と色と音の洪水が止むのを待つしかなかった。温かい湯のような生き残った安堵感すらもぼんやりしたものだった。

 この感覚を味わうたびに思う。与えられた力と自分の器は釣り合っていない。だからいつまでも振り回されるのだ。

 

―――――生まれたときから千里眼があったならこんなことにはならないだろうに。

 

 アヴェンジャーは目を押さえたまま頭を振った。

 無いものねだりだ、仕方ない。カッサンドラはただの人間として生まれたのだから。

 そう分かっていても、遠くから聞きなれた足音が近づいて来るまでアヴェンジャーはその場を動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#####

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アヴェンジャー!」

 

 砕けた石畳の欠片を靴裏に感じながら、士郎は走った。

 ビルの屋上から士郎はすべて見ていた。アヴェンジャーが地面に叩きつけられたときは思わず走り出しかけて、凛に足払いを食らわされて止められたほどだった。

 その時打った背中がじくじく傷んだが、全く気にならなかった。

 叫ぶと川べりにしゃがみこんでいた人影が顔を上げる。ちょうと雲が切れ、漏れ出た月光が白い顔を覆った。その顔に涙の跡のように一筋の赤い線が引かれていた。

 

「あ、シロウ」

 

 杖を消してアヴェンジャーは立ち上がった。額にかかる髪を払って立ち上がった顔には、何の汚れもついていなかった。控えめにアヴェンジャーが小さく笑う。黒目が眠たげな猫のように三日月を描いた。

 それなのに何故だろう。

 士郎にはアヴェンジャーが脆い硝子細工のように見えた。

 立ち竦んだ士郎の背中に軽快な声がかけられた。

 

「お疲れさま、アヴェンジャー。アーチャーからも着弾と爆発を確認したって。ライダーの撃破に成功よ」

 

 アヴェンジャーはほっとしたように頬を緩める。

 凛は満足げに頷いて辺りの惨状を見回すと、ふと思い出したように川を見た。

 

「ところで、慎二はどこ行ったの?」

「え……と、川に落ちた、と思います」

 

 アヴェンジャーの指が川を指さす。士郎と凛はつられて見た。夜の未遠川は静かに流れていた。

 

「……しばらく寒中水泳させてやりたいくらいの気分だけど、溺れられても困るし、引き揚げましょ」

「そうですね。冬の川は危険です」

 

 杖を振るおうとしたアヴェンジャーの腕を凛は止めた。

 

「あなたは散々魔力を使ったでしょ。川に落ちたバカはわたしが回収するわよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 士郎は凛の横顔を見た。何だか今の言い方はとても優しかった。士郎と話す時の三倍か五倍くらいは。

 横を見ると、アヴェンジャーも少し戸惑ったような顔をしている。

 二人の様子を見比べて、凛は腰に手を当てた。

 

「なによあなたたち。二人とも栗鼠が砂糖菓子なめたみたいな顔して」

「いや、遠坂はいい奴だなって思っただけだ」

 

 士郎に続いて、アヴェンジャーも頷きながら言った。

 

「そうですね、リン。ごめんなさい、シロウがあなたに怯えているようだったので、ちょっとあなたを誤解していました」

「ば、アヴェンジャー!?」

 

 ぺこんと頭を下げるアヴェンジャーに士郎は慌てた。

 

「へぇえ、衛宮くん。あなた、アヴェンジャーの前だとわたしを怖がってたんだ。知らなかったわねぇ」

 

 笑顔で腕組みをする凛と、何か私は不味いことを言いましたか、と言うように見上げて来るアヴェンジャーに挟まれて士郎は弱った。

 しどろもどろになって顔色を変える士郎と、返事をせがむように彼の服の袖を引っ張るアヴェンジャーを凛は面白そうに見て、ふふんと鼻を鳴らした。

 そのまま凛は懐から小さな宝石を取り出し、それを握り込むと掲げた。

 何かの呪文が小さく唱えられ、宝石が砕けると同時に、川面の一角がぼんやりと黄色く光った。

 よく見ると、ばしゃばしゃと水飛沫が上がっている。間桐慎二はしっかりと健在のようだった。

 

「いた。どっかの岸に打ち上げて、アーチャーに回収してもらうわ。ついでに教会にも放り込む」

 

 凛が続けて何かを呟くと、川の水が不自然にうねった。

 水流は慎二を押し流してどこか岸へ運んで行くのだろう。

 どうして慎二がこんなことに参加したのか、何を言っていたのか、士郎には彼に尋ねられないままだった。このままこの戦いが終わるまでは、士郎は慎二とまともに話すことは無いのだろう。

 川から視線を外し、士郎はアヴェンジャーを振り返った。

 

「これで、間桐の家は聖杯戦争からは立ち退いたことになるんだよな?」

「ライダーの気配は消滅しました。転移する間は無かったと思います」

「そうよ。衛宮くんの心配してた間桐さんも大丈夫でしょ。彼女が家に来るのはまだ薦められないけどね」

 

 現在の衛宮邸はヘラクレスとそのマスターが何度もやって来るような家なのだから。

 後輩と姉貴分には当分の間は来ないでほしいと上手く言って、了承してもらわなければならなかった。

 しかしどうやれば良いのかはまだ分からない。確かなことは今晩、一騎のサーヴァントが脱落したことだけだ。

 

「じゃ、わたしたちは帰りましょう。アヴェンジャー、帰りの護衛は頼むわね」

「はい、リン」

 

 一方で少女二人は士郎にも分かるほど、はっきりと仲が良くなっていた。

 どこをどうしてこうなったのか、士郎には分からないのだけど。

 

「それと衛宮くん、さっきの話、忘れてないわよね?」

「さっきのって……魔術師とかマスターの話、教えてくれるってやつか」

「そうよ、家にもお邪魔させてもらうから」

「……シロウ、何の話ですか?私は知らないのですが」

 

 アヴェンジャーのいないときに言われたことなのだから当然だ。

 ただ、それを彼女に説明することは士郎の役割だった。

 

「それにアヴェンジャー、あなたにもちょっと聞きたい話もあるから」

「私、ですか?」

 

 何故、とアヴェンジャーは黒に戻っている瞳を見開いた。反対に凛は碧眼をきらめかせる。

 

「色々聞きたいし試したいコトがあるからよ。いいでしょ?」

 

 英霊のはずのアヴェンジャーは気圧されるように頷いた。

 迫ってくる凛におろおろと戸惑う少女は、さっきまでライダーの相手をたった一人でしていた人間とは思えなかった。

 敢えて言うなら、人馴れしていない黒猫が人に近寄られて戸惑う様子に似ていた。今のアヴェンジャーはそういう小動物に見えたのだ。

 もうそのくらいで帰ろう、と言いかけたときだ。

 振り向いたアヴェンジャーの片目に、再び青い渦が宿る。

 彼女の目は士郎の背後、その後ろで形を取っている黒い長衣(ローブ)を見ていた。

 

「シロウ!」

 

 肩を掴まれ、突き飛ばされる。

 アヴェンジャーの正面に立って、捻くれた刃の短剣を振り上げている人影が、倒れかける士郎の視界に入った。

 

「やめ―――――!」

 

 伸ばした手が届く前に、短剣はアヴェンジャーの胸に深々と突き刺さる。

 夜の闇を切り裂いて、誰ともつかない叫びが辺りに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ライダーは脱落しました。

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