リトルプリンセス(ああ、無情。外伝)   作:みあ

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第八話:兆し

「シアちゃん、空を見てみなよ」 

 

 居間には俺とシアちゃんの2人だけ。 

 フィーは一日中遊び疲れて眠ってしまった。  

 居間にある大きな窓から星空を見渡す。  

 

「ふん、おぬしの言う事なんぞ、聞かぬわ」 

 

 昨夜の事がよほど気に入らなかったようだ。 

 娘が寝ている横で妻に手を出すのは悪い事か? 

 シアちゃんだって、嫌がってなかったくせに。  

 不貞腐れるシアちゃんをむりやり傍らに引き寄せ、背後から抱き締める。 

 

「……聞かぬと言うとろうが」 

 

 拒否の言葉は力無く、仕方なしに空に目を遣る。 

 眼前に広がるは広大な星の海、そして一斉に流れる無数の流れ星。 

 

「流星雨っていうのかな、あれ」 

 

「見事な物じゃな……。もう400年近く生きておるが、これほどの物は初めてじゃ……」 

 

 空を食い入るように見詰める彼女の姿に、会心の思いを抱く。 

 もう80年ほど連れ添った妻のこんな顔を見るのは久しぶりだ。 

 人間400年も生きてると、感動する事が無くなってくるらしい。 

 あれを見ろというと、やれ300年前に見ただの。 

 これなんかどうだというと、前に何度も見たことがあるとか。 

 せっかく色々なイベントをこしらえているのに、まったく割りに合わない。 

 

「……ベッドの中じゃ、いつも初々しいのになあ」 

 

「いきなり何を言っておるか、この阿呆が!」 

 

 足を踏まれ、思わず手が緩んだところであごに頭突き。 

 そのまま後ろに尻餅をつき、しばし痛みに悶える。 

 無意識に声に出していたらしい。 

 星空を背後に顔を真っ赤にして怒る彼女は、子供が背伸びしているようでどこか微笑ましい。 

 自分も痛かったのか、涙目で頭を押さえているのはご愛嬌だ。 

 とっさに呪文を唱えなくなったのは、成長した証だろうか。 

 見た目も性格も出会った頃とほとんど変わらないのだが。 

 それにしても、痛い。 

 腰に付けている道具袋から薬草を取り出すと、口に含む。 

 すると途端に、痛みが和らいでいく。 

 

「もう残り少なくなってきたな」 

 

 回復呪文を使える人間が傍にいないのだから、薬草に頼るのは仕方が無い。  

 

「おぬしがもう少し言動に気を付ければ良いだけではないか」 

 

 彼女の言葉から読み取れるように、消費の原因は大抵彼女にあったりする。 

 

「少しは金を援助してくれてもいいと思うんだ」 

 

 ずいぶんと軽い財布が俺の財政状況を物語る。 

 なにせ、未だに小遣い制。しかも、週に50ゴールドのままなのだ。 

 薬草一つに8ゴールドだぞ。 

 6個買ったら終わりじゃねーか。 

 一日一回欠かさず怪我をさせられる身にもなってほしい。 

 銀行から引き出した金も、養育費名目で根こそぎ全部取られたし。

 

「自業自得じゃ」 

 

 彼女が吐き捨てるようにそう言った瞬間、嫌な感覚が全身を駆け巡った。 

 体中を何かが這い回るような奇妙な感覚。 

 シアちゃんは窓枠にもたれかかり、両手で身体を抱き締めるようにして震えている。

 

「シアちゃん、今の!?」 

 

 空には今も星が流れ続けている。 

 窓の外では、時ならぬイベントに浮かれた人々が空を見上げては語り合っている。 

 誰も気付いていないのか? 

 

「な、何じゃ? 今の感覚は」 

 

 崩れ落ちそうになる彼女を抱えて、空を見つめる。 

 空の向こうに、何かが見える。 

 流星雨に紛れてずいぶんと見えにくくなっているが間違いない。 

 

「空が、ひび割れてる」 

 

「なんじゃと?」 

 

 彼女にわかるように指を差しながら、もう一度言い直す。 

 

「空に亀裂が入ってる!」 

 

 その瞬間、世界が揺れた。 

 

 

 気が付くと、空を覆い尽くしていたはずの流星が忽然と消えていた。 

 外にいる人々のざわめきが聞こえてくる。 

 

「シアちゃん、大丈夫?」 

 

「うむ、問題ない」 

 

 先程までの気持ち悪さが消えている。 

 一体、何が起こったんだ? 

 

「……おとーさん、いまへんなかんじがした」 

 

 フィーも何かを感じ取ったようだ。 

 目を覚まし、俺達の所にやってくる。 

  

「あるじ! 魔物の気配じゃ!」 

 

 シアちゃんが窓の外に目を向けて叫ぶ。 

 空に輝いていたはずの月が、瞬くように姿を消しては現われる。 

 最初は雲で隠れたのだと思っていた。 

 だが、違った。 

 空を飛ぶ魔物の群れが、月の光を遮っているのだ。 

 

 ローレシアの城から、光の束が幾筋も放たれる。 

 閃熱呪文の光だ。 

 幾つかの影が地面に落ちていく。 

 人々がそれに気付き、悲鳴を上げ逃げ惑う。 

 

「シアちゃん!」 

 

「あるじ!」 

 

 声を掛け合うと、シアちゃんは外へ飛び出していく。 

 俺は自室に戻り、装備を身に付ける。 

 外へ飛び出そうとするとフィーに呼び止められる。 

 

「おとーさん……」 

 

 窓の外ではシアちゃんが逃げ惑う民衆を一つにまとめている。 

 下手に避難させて襲われでもしたら、とてもじゃないが守りきれない。 

 俺は、フィーの手をしっかり握り、シアちゃんのもとへ走る。 

 

「大丈夫。お母さんはああ見えて、すごい魔法使いなんだ」 

 

「ほんと?」 

 

「ああ。だから、安心しろ」 

 

 走りながら、考える。 

 一体どこの誰がこんな襲撃をやらかす? 

 それに、コイツはどこかで見たような……? 

 物思いにふけっていると、フィーが叫ぶ。 

 

「おとーさん!」 

 

 見ると、目の前で地面に落ちた魔物が大きな翼を広げ飛び立とうとしている。 

 とっさにいかづちの杖を突きつけ、魔力を解放する。 

 

「いかづちよ!」 

 

 杖の先からほとばしった閃光が、魔物の身体を吹き飛ばす。 

 倒れた魔物は、しばらくすると身体が砂のように崩れて行く。 

 

「あるじ! フィー! 怪我は無いか?」 

 

「うん! おとーさんがまもってくれたから、へいき!」 

 

 駆け寄ってきたシアちゃんに元気に答えるフィー。 

 俺はそれを尻目に、思索にふけっていた。 

 

「あるじ、どうした?」 

 

「いや、この魔物、どこかで見たような……。あっ!」 

 

 シアちゃんの呼びかけに生返事を返しながら考えていると、魔物の正体に気が付いた。 

 ガーゴイルだ。 

 サマルトリアの上空でぶつかった、あの魔物だ。 

 そして、もう一つ大変な事に気が付いた。 

 もしかすると、あの時のあれは襲撃の準備だったのではないかという事に。 

 ならば、サマルトリアも襲われている!? 

 

「シアちゃん、俺はサマルトリアに行く!」 

 

 今のサマルトリアは兵士が出払っている。 

 これだけの数の魔物を相手に持ちこたえられるとは思えない。 

 

「いきなり何じゃ?」 

 

 疑問の眼でこちらを見つめるシアちゃんを真っ直ぐ見つめ返す。 

 

「ふぅ、良かろう。ならば、空の奴らを一掃せねばならんの」 

 

 シアちゃんが呪文を唱え始めるのを確認すると、フィーと目線を合わせるようにしゃがみ、強く言い聞かせる。 

 

「フィー、お父さんはちょっと仕事に行ってくる。お母さんのそばを絶対に離れるんじゃないぞ」 

 

 立ち上がり、ルーラの詠唱を始めると、服の裾を引っ張られる。 

 そちらを向くと、フィーが泣きそうな顔でこちらを見つめてくる。 

 

「おとーさん、ぜったい帰ってきてね」 

 

 心配を掛けないように、笑顔を見せながら答える。 

 

「ああ、約束する」 

 

 フィーに少し離れているように言うと、その時が来るのを待つ。 

 詠唱を終えたシアちゃんが両手に魔力をまとわせて叫ぶ。 

 

「イオナズン!」 

 

 大きな光の玉が魔物の大群の真ん中で爆発する。 

 大気が震え、魔物達が断末魔の悲鳴を上げながら、地面に落ちるのを待たずして崩れて行く。 

 人々からは歓声が起こり、空には一時の静寂が訪れる。 

 

「じゃあ、後は任せたよ。シアちゃん」 

 

 俺はその間隙をついてサマルトリアへと飛び立った。 

 

 

 サマルトリアの町には既にいくつかの火の手が上がっていた。 

 マントで風を受け、ゆっくりと高度を落とす。 

 突風を受けて城に引っ掛かりでもしたら、あの王妃に笑いものにされるのは間違いない。 

 慎重に風を読みながら、とりあえず、状況を知るために城の中庭へと下りる。 

 

「勇者様! ようこそ、お越しくださいました!」 

 

 兵士の一人が俺の姿に気付き、声を張り上げる。 

 

「状況はどうなってる?」 

 

 俺の質問に兵士が直立不動で答える。 

 

「はっ! 今、民衆を城へと避難させている所でございます」 

 

 まあ、町に入り込まれているんだ。 

 その考えは妥当な所だろう。 

 問題は迎撃態勢だ。 

 

「指揮は誰がとっているんだ?」 

 

 順当に考えれば王妃だが、妙に城内が浮き足立っている。 

 突然の襲撃とはいえ、ここまで慌ただしいのはあの王妃にしてはおかしい。 

 

「じ、実は、王妃様が突然、産気付きまして……」 

 

 ちっ、そういうことか。 

 何てタイミングの悪い時に。 

 あの国王に戦闘指揮など出来るはずもないし。 

 純朴で戦いの事など何も知らないのほほんとした王の顔を思い出す。 

 ここまで来たら仕方が無い。 

 

「兵士を全員城門前に集めろ! 俺が指揮を執る!」 

 

 実戦経験だけは、ここの誰よりも多い。 

 何とかなるだろう。 

 しかし、城門前に集まった兵士達を見て、気持ちが萎んでいく。 

 

「現在、城に残っているのは、総勢25人、内4名が魔法使いです!」 

 

 少なっ!? 

 魔法使い4人しかいねーのかよ! 

 しかも、兵士なりたての新人っぽいのもちらほら見えるぞ。 

 皆が皆、緊張で顔が強張っている。 

 ちょっとした魔物の討伐ならいざ知らず、ここまで大規模な戦闘は経験が無いのであろう。 

 

「指示をお願いします、勇者様!」 

 

 魔法使い4人は城の防衛に必要だし、後の20人も単独行動を取らせるのは危険すぎる。 

 魔物達は町の破壊に勤しんでいるようだから、今はまだ城にのみ戦力を集中すれば持ちこたえられる。 

 大部分を城の防衛に回し、少数精鋭でもって魔物の数を減らすか? 

 だが、あまりにもこちらの絶対数が少なすぎる。 

 頭の中で試行錯誤を繰り返していると、避難民の中で騒ぎが起こる。 

 どうやら、町に取り残されている人間がいるらしい。 

 

「ミーナの姿が見えないんだよ!」 

 

 事情を聞こうと近付くと、見覚えのある女性が叫んでいる。 

 

「おばちゃん!」 

 

 声を掛けると、俺にすがり付いて懇願してくる。 

 

「アンタ、勇者なんだろ! ミーナを助けてやってよ、お願いだよ……」 

 

 おばちゃんはそのまま泣き崩れる。 

 彼女の言葉で俺の正体を知った町の人々が熱い視線を投げ掛けてくる。 

 とはいっても、誘惑の視線などではない。強い期待の眼差しだ。 

 

「他に行方のわからない人間はいないか?」 

 

 俺の言葉に皆が首を振る。 

 元々、この町は旅の商人が一時訪れるだけの小さな城下町。 

 夜の帳が落ちる頃には、宿場町であるリリザへと帰っていく。 

 人口そのものは、ローレシアに比べると非常に少ないのだ。 

 それが幸いしたのか、普段からの緊急避難の指導が行き届いているのか、行方不明なのは彼女だけのようだ。 

 

 ……いくら考えても埒が明かない。 

 ならば、行動するのみ! 

 

「お前達は城の防衛に徹底しろ! お前が指揮を執れ!」 

 

 最初に出会った兵士に指揮官を任せる。 

 それほど地位の高い人間ではないらしく、周りからいくらかの不満が聞こえる。 

 だが、必要なのは地位じゃない。 

 的確な判断力と大胆な行動力だ。 

 その点、こいつはあの混乱の中で俺を見逃さなかった。 

 俺の質問にも逡巡することなく答えた。 

 問題は無い。 

 

「勇者アレクの命令だ! 反論は許さん!」 

 

 緊急事態だ。 

 多少の傲慢さは許して欲しい。 

 こちらの地位を持ち出すと、兵士達も口をつぐむ。 

 

「勇者様はどうなさるんですか?」 

 

 防衛隊長に任命した兵士が口を開く。 

 

「行方不明の少女を救出後、各個撃破を遂行する」 

 

 わざわざ難しい物言いをしているが、要するにミーナちゃんを助けたら物陰に隠れながらちまちまと一匹ずつ倒す、という事だ。 

 俺一人で出来る事なんてそれくらいだろう。 

 まとまっていてくれれば、方法もいくらかはあるんだが。 

 

「兵士からの報告ですが、あの魔物は一匹倒すとその場所に集まってくる性質を持っているようです」 

 

 隊長からの情報に、一筋の光明が見えてくる。 

 人もいないし、あの方法ならうまく行くかもしれない。 

  

 俺は人々の歓声を受けながら、町へと飛び出した。 

 

 

 空にはガーゴイルが飛び交い、町並みは炎と煙の洗礼を浴びている。 

 俺は、連中に見つからないように路地から路地へとすばやく移動する。 

 彼女の家は、南側の大通りから少し外れた所にあるらしい。 

 路地裏をただひたすらに走る。 

 大通りに差し掛かると、少女の声が聞こえたような気がした。 

 立ち止まり、耳を澄ます。 

 

「……誰か、……けて…」 

 

 その方向には手に持った槍を振り上げるガーゴイルの姿。 

 すぐそばにはへたり込んだままの少女がいる。 

 

「ルーラ!」 

 

 少女のそばの風景をイメージすると同時に、すぐさま呪文を唱える。 

 周りの風景が急速に後ろへと遠ざかっていく。 

 左手に持ったいかづちの杖を前に構え、勢いそのままにガーゴイルのがら空きの腹部に叩きつける。 

 そのままもつれ合うように石畳の上を滑り、石壁に突き当たって止まる。 

 そして、魔力を解放する。 

 

「いかづちよ!」 

 

 魔物の身体が崩れ、風に乗って舞い上がり散り散りになっていく。 

 左手に激痛が走るが、薬草を飲み込むと痛みが消える。 

 どうやら骨折だったらしいが、どうして薬草を飲むだけで治るのかは知らない。 

 

「あ、あの、常連さん、ですか?」 

 

 ミーナちゃんがへたり込んだまま、這うようにこちらに近付いてくる。 

 そういえば、この娘は俺の正体を知らないというか、信じてないんだっけ。 

 

「ミーナちゃん、怪我は無いかい?」 

 

 優しく手を取り立ち上がらせると、彼女は小さくうなずく。 

 さて、一匹倒すと群がってくるんだったな。 

 

「ちょっとごめんよ」 

 

 彼女の肩と足に手を回すと、抱き上げる。 

 慌てる彼女を安心させるように微笑んで見せると、真っ赤になって抵抗を止める。 

 

「ルーラ!」 

 

 先程のように一直線にではなく、上空から様子を眺めるために放物線を描くように通りの反対側の入り口へと飛ぶ。 

 見た限りでは、あちこちの路地からわらわらと集まっているようだ。 

 空を飛び交っていた群れも地上に降り、俺が倒した場所へと続々と集まってくる。 

 おそらく、仲間を倒されたときはその相手を倒すために量で攻めるためなのだろう。 

 最初からそう命じられていたのか、指揮を執っている者がいるのかはわからないが。 

 だが、それが命取りになる。 

 

「離れているんだ」 

 

 少女を降ろし、後ろの路地に隠れるように言う。 

 正直、この技は人が居るところでは使えない。 

 巻き込む危険性があるからだ。 

 

 炎の剣を抜き、魔力を最大限込める。 

 この剣は特注品で、込める魔力の量でいくらか炎の勢いが増減するのだ。 

 そして切っ先を前方に向け、狙いを定める。 

 目標は通りの反対側、先程ガーゴイルを仕留めたあの石壁だ。 

 魔物の群れが集中したのを見計らって、必殺の呪文を唱える。 

 

「バシルーラ!」 

 

 剣は炎の渦を伴いながら、一直線に通りの真ん中を突き進んで行く。 

 軌道にいた魔物はその刃に切り裂かれ、あるいは貫かれ、身体が崩れて行く。 

 刃を免れた者も炎に焼かれ、その生涯を終える。 

 剣が向こうの石壁に突き立ったとき、大通りを動く者は誰一人としていなかった。 

 

「す、すごい……」 

 

 少女の驚嘆の声が聞こえてくる。 

 確かにすごい技だ。 

 だが欠点が多すぎる。 

 第一に……。 

 

「酒場が……燃えてる」 

 

 少女の声が悲嘆に変わった。 

 そう、周り全てが炎に巻かれる。 

 周辺の建物も例外ではない。 

 石造りだから問題ないと思ったんだが、全体が石で出来てるわけも無し。 

 当然の摂理ではある。 

 

「命があれば、また建て直せるさ」 

 

 とりあえず、フォローは忘れない。 

  

 そして、第二に……。 

 

「あの剣、どうするんですか?」 

 

 当然の疑問が少女の口から飛び出す。 

 

「取りに行くに決まってるだろ」 

 

 当然の答えが俺の口をつく。 

 いちいち取りに行く必要があるから、基本的に向こう側に障害物のある場所に限られる。 

 前に空に向けて使った時には探し出すのに3日かかった。 

  

 俺は少女のどこか冷たい視線を受けながら、すごすごと剣を取りに行くのだった。 

 

 

 長い長い夜が終わった。 

 空が白々と明るくなり、やがて朝日が昇って来た。 

 少女を連れて、城に戻ると、人々の歓声に迎えられる。 

 ミーナちゃんは、おばちゃんの抱擁に迎えられ、共に泣き笑いの表情を見せている。 

 兵士達は皆、泥やすすで汚れているが、全員が満足そうに笑っている。 

 

「勇者様、全員任務完了。無事、生還いたしました」 

 

「ああ、お疲れさん」 

 

 兵士ひとりひとりに労いの言葉を掛ける。 

 どの兵士にも戦闘前には無かった自信と心構えが備わっているようだ。 

 これから良い兵士になるだろうことを期待させる。 

 

 その時、一人の侍女が城内より走り出でる。 

 

「王女様がお生まれになりました!」 

 

 その言葉に、さらなる歓声が沸き起こる。 

 兵士も町の人々も抱擁を交わし、口々にこの戦いを生き延びた事を、王妃と生まれたばかりの王女への祝福の言葉を叫ぶ。 

 城内が歓喜の渦に包まれる中、ミーナちゃんがおばちゃんに連れられ、俺のそばへとやってくる。 

 

「アンタ、本当に勇者様なんだね。てっきり、守護者様の力で勇者扱いされてるのかと思ったよ」 

 

 おばちゃんの、感謝してるんだか馬鹿にしてるんだかよくわからない言葉に俺も苦笑するしかない。 

 シアちゃんのおかげでここまで来れたのは確かだったからだ。 

 そういえば、ローレシアはどうなったのだろう。 

 シアちゃんがいるから問題ないとは思うけど。 

 そんな俺の心配事もミーナちゃんの思いがけない一言で吹き飛んだ。 

 

「あ、あの、本当に勇者様だったんですね。そ、その、お詫びといっては何ですが、……私の、私の勇者様になってください!」 

 

 何を言われているのかわからず、呆けてしまう。 

 その一瞬の隙を突き、少女が胸に飛び付いて来る。 

 俺は突然の出来事にバランスを崩して地面に倒れこむ。 

 

「あの、私初めてなんで、上手く出来るかわからないんですけど……」 

 

 少女の顔が近付いてくる。 

 人々が俺達の状況に気付き、口々に囃し立てる。 

 っていうか、俺にも次の状況が理解できた。 

 

「あ、あの、俺、一応、結婚してるから」 

 

 とりあえず、抵抗だけはしてみる。 

 

「構いません。私の気持ちですから」 

 

 少女の唇と俺の唇が零距離になる。 

 それを見物していた人々から歓声が上がる。 

 このまま終われば、物語はハッピーエンドで終わるだろう。 

 しかし、俺の物語がここで終わろうはずが無い。 

 

「ほほう、急いで出て行ったと思えば、やはり女か」 

 

 聞き覚えのある声が聞こえたかと思うと、民衆の群れがさっと左右に分かれる。 

 いつの間にか歓声は消え、どこからともなく冷たい風が吹いてくる。 

 人々の間からゆっくり歩いてくるのは、5才位の少女と手をつないだ、少女の姿をした魔王だった。 

 とっさに上に乗った少女を跳ね飛ばし、起き上がる。 

 そして、シアちゃんに弁解を始める。 

 

「いや、これには事情があって」 

 

「ほう、女と接吻をするのに、どんな事情があるんじゃ?」 

 

 シアちゃんは当然の事ながら聞く耳を持たない。 

 仕方が無いので、フィーの方に話しかける。 

 

「フィーはわかってくれるよな、なっ」 

 

「おとーさん、サイテー」 

 

 娘の侮蔑の言葉に力無く地面に崩れ落ちる。 

 

「このような最低男は放っておいて、ふたりで暮らすとしようか、フィー」 

 

「うん。そうしようよ、おかーさん」 

 

 笑い合いながら去って行く母娘に必死に追いすがりながら、謝り続ける。 

 

「いや、だから誤解だって。ごめんなさい、浮気なんて絶対にしませんから」 

 

「おぬしの言葉など信用出来ん」 

 

「おとーさんのうわきものー!」 

 

 一人置いていかれた少女が俺達の様子に耐え切れず吹き出す。 

 それにつられて人々の間に笑いが広がっていく。 

 絶え間ない笑いと歓声の中、俺達はサマルトリアを後にしたのだった。 

 

 だから、笑い事じゃねーんだよ! 

 ちくしょう、神様のバカヤローーーー!! 


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