前作をご覧になっていただかないとわからない設定もございますので、前作「ああ、無情。」を先にご覧下さい。
口は災いのもと。
世の中にはそんな言葉がある。
俺は今、それを猛烈に実感していた。
「もう一度、言ってみよ」
冷ややかな目で俺を見下ろす妻に、必死に弁解をする。
「いや、だから、冗談だって……」
殴られた頬がひどく熱を持っている。
相当な力で殴られた事は身をもって実感している。
首がもげなかったのは僥倖と言ってもいい。
「冗談、じゃと? 冗談とて言って良い事と悪い事があろう?」
見た目は幼いが、年齢は400才近い。
腰まである銀色の髪に、真紅の瞳。
とてもそうは見えないが、元魔王だったりする。
そんな彼女が本気で怒っている。
100年近く連れ添った俺ですら、ほんの数回しか見た事のない形相だ。
正直言って、かなり怖い。
だから、思わず土下座するのは当然の事だろう。
決して普段からここまで腰が低いわけではない。
……断じて、ない。
「ははっ、アリシア様の言う通りにございます!」
「……おぬし、わらわを馬鹿にしておるのか?」
逆効果だったようだ。
目尻はつり上がり、こころなしか光っているようにも見える。
全身には魔力が満ち溢れ、今にも暴発せんとする勢いだ。
やばい、激しくやばい。
混乱した頭が、さらに混乱した選択肢を選び取る。
「そう思ってたから、言ったんだ。それのどこが悪いんだ?」
そう口に出した途端、後悔した。
後悔したが、もう遅い。
怒っていたはずのシアちゃんの瞳から一筋の涙がこぼれる。
「おぬしの了見はわかった。とっとと荷物をまとめて出て行け」
「いや、あのね、シアちゃん」
謝罪の言葉を口にしようとするが、上手くまとまらない。
そのうちにタイムリミットが来てしまう。
「何をしておる。とっとと、出て行け!」
自室に戻り、旅の準備に取り掛かる。
みかわしの服を着込み、その上から風のマントを羽織る。
指に祈りの指輪をはめ、腰には炎の剣と聖なるナイフ、背中には少し大きめのリュックサックを背負う。
これらは全て、世界が平和になった後シアちゃんとの二人旅で手に入れた代物だ。
そして、壁に立て掛けてあるいかづちの杖を手に取る。
シアちゃんとの思い出。
その最たる物がこの杖だと言っても過言ではない。
幾多の戦いを潜り抜けた、俺の戦友だ。
全ての準備を整えた俺は、シアちゃんの部屋の前まで足音を立てないように歩く。
耳を澄ますと、小さな嗚咽が聞こえてくる。
今更ながらに、どうしてあんな事を言ってしまったのかと思う。
まさか、こんな事になるとは夢にも思っていなかった。
「シアちゃん……」
声を掛けても返事は無い。
けれど、すすり泣く声が小さくなった。
聞いてくれている事を信じて、語りかける。
「俺、シアちゃんのこと、愛してるから。俺の家はここにしかないし、俺の妻はシアちゃんだけだから……」
何を言っていいのか、全くわからない。
心に思い浮かぶ言葉を取りとめも無く吐き出す。
「今は、互いに落ち着いた方がいいと思う。でも、絶対帰ってくるから、だから……その時まで待っててくれると嬉しい」
俺は、それだけを告げると返事も聞かずに家を出た。
さて、これからどうしたもんか。
家を出たのはいいが、行き先が見つからない。
とりあえず、ローレシア城に向かうことにする。
たまには、曾孫の顔を見るのも悪くない。
「よっ、ご苦労さん」
城門を守る若い衛兵に声をかけ、門をくぐろうとすると、目の前に槍を突き出される。
「怪しい奴め、覚悟しろ!」
コラ、誰が怪しい奴だ。
俺はこう見えても、ローレシアの初代国王だぞ。
自分で『こう見えても』というのもなんだが。
「あのな、俺の顔に見覚えはないか?」
顔を突き出すと、衛兵は不審そうにしばらく眺めてこう言った。
「貴様のような、貧相な顔の男など知らん」
……貧相と来たか、コラ。
新人のようだな。
仕方ない、身分をひけらかすような事はしたくないが身元を明かすとするか。
「俺は、勇者だぞ」
衛兵は、そんな俺を鼻で笑うと、再びこうのたまった。
「ああ? 貴様が勇者なら、俺は騎士団長だ」
ふっ、ふふふっ、コイツ、よほど死にたいらしい。
「勇者に喧嘩を売った事を後悔するがいい」
いかづちの杖を掲げると、衛兵の鼻先に突き付ける。
「不審者め、抵抗するか!」
衛兵は槍を構え、後ろに下がる。
そんな一触即発の状態になった時、場違いな声が辺りに響いた。
「あーーー! ひいおじいちゃんだ!」
門の向こうから、小さな子供が駆け寄ってくる。
衛兵は、その子供を見た途端に慌て始める。
「な、なりません! アレン王子、危険です!」
子供は衛兵の手をすり抜け、俺に飛び付いてくる。
俺は杖を地面に落とすと、その子の脇を両手で持ち、抱き上げる。
「よう、アレン。大きくなったな」
この子が俺の曾孫。
御年3才になる、この国の王子だ。
「ひいおばあちゃんは?」
くっ、痛い所を突いてくる。
「あー、ちょっと、色々あってな」
「またケンカしたんだ?」
またって言うな。
実は、家を追い出されたのは初めてじゃなかったりする。
その度にここに来ていたのだが、どうやら覚えられてしまったらしい。
まあ今回は、ちょっといつもとは度合いが違うんだが。
「あ、あの、王子? そちらの方は?」
おう、衛兵の事をすっかり忘れていた。
「ひいおじいちゃんだよ!」
俺が口を開くよりも早く、耳元で無邪気な声が響く。
どうして、このくらいの子供はむやみやたらに声を張り上げたがるのか、不思議でならない。
とりあえず、アレンを地面に下ろし、杖を手に取る。
「えっ? はっ? えっ!? ええっ!? も、もしや、本当に勇者様?」
だから、そう言っただろうが。
再度俺が名乗りを上げる前に自分で正体に思い当たったのか、途端に狼狽し始める。
「し、失礼しました! その、まさか、本物だとは。話には聞いておりましたが見た目があんまりにも、あんまりだったので、つい」
本当に失礼だな、オイ。
新人みたいだから今回は許してやるが、今度間違えたら覚えてやがれ。
「ところで、何しにきたの? おかね?」
衛兵の事など気にも留めていないアレンが俺に用件を尋ねてくる。
というか、何故にお金限定なんだ。
ここに金を借りに来たことなんて無いはずだぞ。
もしや、アレンの中では俺=貧乏が成立しているのだろうか。
路銀が心許無いのは確かではあるが、しかし。
うーん?
「あのね、前にひいおばあちゃんが言ってたの。ひいおじいちゃんはおかねが無いから、いろいろ大変なんだって」
その言葉で、謎は全て解けた。
シアちゃんも子供になんて事を教えてやがる。
あれか? シアちゃんの事を『おねえちゃん』って呼んでたアレンに、本当の呼び名を教えた事に対する報復か?
今年で399才になるのに、何て大人気ない事をするんだ。
3日くらいで帰る予定だったけど、ひと月くらい帰らなくても良いかも知れない。
「俺はこれから旅に出るんだ。その前にお前の顔を見ておこうと立ち寄っただけだよ」
正直に、ここに来た目的を告げる。
また妙な事を覚えられたらたまったもんじゃない。
「そうなんだ」
嬉しそうに笑うアレンに、思わずこちらも顔が綻んでしまう。
「王子ーー! アレン王子ー! どこにおられるのですかー?」
その時、アレンを呼ぶ侍女の声が響く。
「あっ!」
何かに気付いたかのように、ビクッと身体を震わせると逃げようとするアレン。
俺はとっさに襟首をつかんで動きを封じる。
「おーい! こっちにいるぞー!」
衛兵が侍女を呼ぶ。
つーか、まだいたのか、お前。
「あら、勇者様。お久しぶりにございます」
顔見知りの侍女が走り寄ってきて、俺に声を掛ける。
「ああ、元気そうで何よりだ」
彼女は、あの門番の孫娘だったりする。
もちろん、赤ん坊の頃から良く知っている娘だ。
おむつを替えようとする度にシアちゃんに張り倒されていたので、おむつを替えたことはないが。
まったく。俺の守備範囲は10才以上だって言ってるだろうが。
誰が1才児に欲情するっていうんだ。
俺が内心悶々としているのを余所に、侍女は王子を優しく諭す。
「王子、お勉強がまだ残っておりますよ」
アレンはよほど勉強が嫌なのだろう。
俺の脚に抱きついたまま、離れようとしない。
侍女が困ったように、俺を見上げる。
仕方ない。
俺はアレンをそっと引き剥がすと、膝をついて目線を合わせる。
「今、何の勉強をしてるんだ?」
「よみかきのべんきょう……。でも、勇者になるなら、剣のほうがだいじだとおもう」
この子には生まれつき魔法の才能が無い。
ここ最近は魔法の遣い手自体が減少傾向にあるので珍しいことではない。
でも、勇者に憧れるアレンにとっては大きなコンプレックスになっているのだろう。
「剣だけじゃ、勇者にはなれないぞ」
魔法も剣も中途半端な勇者が言うんだから間違いない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
泣きそうな顔でこちらを見詰めるアレンに優しく諭す。
「色々な事を学ぶんだ。魔物の事が書いてある本を読んだり、誰かの体験談を聞いてみたり……」
頭は悪いが知恵は回ると、シアちゃんに評された俺だ。
始めは馬鹿にされていると思っていたが、思い返してみると確かにそれが最大の武器だったのかもしれない。
小さな、それこそ役に立たないと思ってた事も結果的には何かの役に立っているのが現実だ。
それを、幼い王子に伝えられたのかどうかは定かではないが、話を進めていくうちにアレンの顔が晴れやかになっていく。
「うん、わかった。いっぱいべんきょうして、ひいおじいちゃんみたいになるから!」
いや、俺みたいにならない方がいいんだけどな。
アレンはそのまま侍女の手を引っ張って、城の方に歩いていく。
侍女が振り返り、こちらに一礼をしたのを急かすようにして、城の中へと消えていった。
「さて、と」
ここを離れようと門の外に目を向けると、先程の衛兵と目が合う。
衛兵は硬直し、直立不動で俺の言葉を待っているようだ。
このローレシアの建国者でもある初代国王をよりにもよって不審者扱いしたのだ。
その態度は当然ともいえる。
「さ、先程は、ししし、失礼しましゅた」
場合によっては大逆罪、一族郎党死刑になる可能性もある。
もっとも、この国にそんな法律は無いんだがな。
呂律の回ってない衛兵を見ていると、あまりにも可笑しくて罪に問おうなんて気も起こらない。
「次から気を付ければいいさ」
そう声を掛けると、涙を流さんばかりに声を張り上げる。
「ありがとうございます! このご恩は一生忘れません! もし御用があれば何なりとお申し付けください!」
あー、わかったわかった、うるさいから黙れ。
手をひらひらさせて衛兵を黙らせた俺は、門を出て行き先を考え始める。
と、その前にふと気付いた。
俺は振り返り、衛兵の前で口を開く。
「一つ、頼みがあるんだが……」
俺はルーラを唱えた。
ローレシアの城が、小さな我が家が眼下から遠ざかっていく。
「少し遠くに行ってみるか……」
家を出たときよりもかなり暖かくなったふところを頼りに、一人旅へと赴くのだった。