さてこのお話は命の価値観についてあの人の考えが出ます。
毎度のことながらオリジナル要素や捏造、考察が苦手な人はプラウザバックプリーズです。
感傷に浸る前に己の状況を打破せよという言葉はいいものだ。
朝、無事に早めの日の昇りきらない時刻に起きて近場に生えていたコーヒーノキの実を採取した。
元々ここに訪れる際に目をつけていたが夜も近い時刻であったために採取は朝の早い時刻となった。
理性のタガを緩める作用のあるガイア因子の魂の塵というイーファの樹が根を通じて送る霧の下に生えている影響なのだろうか?
本来ならばコーヒーノキの実のなる季節ではないはずなのに、所々に白い小さな清楚な花を咲かせていたり、緑色やその中間の黄色や成熟の証である赤色になった実が木々ごとにばらけてなっていた。
植物に対してもこの作用、長く霧の下に留まれば私の精神に対して何らかの影響を与えることは明白だ。
そういえば、私が
その工場でプロトタイプとして創られる黒魔の少年のことが気にかかるが7月頃に事故でクワンさんに拾われるまで海を1月ほど彷徨う羽目になるのはちょっといただけないことだが私にはどうしようもない。
実際、小型艇の事故で少年が海に落ちるのは幸運だったのか不幸だったのか。
ふとそうして霧についての考察を書き綴っている
止まってしまう少年の寿命についての問題なのだが恐ろしい考えがふとよぎる。
黒魔道士兵はガイア因子の魂の塵である霧を精製して作り出されたゴーレムなのだから再び霧を精製して何らかの形で取り込むということで寿命を長引かせることは可能ではないのかと。
元のこれは私の知る物語の中で出た、テラの技術で無垢なクリスタルを老いたテラのクリスタルが取り込む形で星の寿命を延ばすことを参考にしているがこれは一歩間違えば魂をむさぼる禁忌に等しい。
物語でこの事実を知った時に生まれるはずだった赤子を喰らって生き永らえようとする悍ましいまでの生存欲に満ちた老害の様な印象をテラの星に抱いたものだ。
ガイアの魂を塵に等しい命のなりそこないとはいえそれを吸収する技術は狂気と言ってもいいだろう。
しかし、それは少年の寿命をもしかしたら延ばすかもしれない手段でもある。
人間も生き物を殺し糧を得て日々を生きるのだが、魂という取り返しのつかないものを使ってまでそうまでして生きていたいかと考えもある。
気分が悪くなるような話題は置いておくとして話を戻そう。
まんまるカステラを入れていた紙袋が破れない程度に成熟した珈琲の実を詰め込み、荷物に入れて
そうして再び徒歩でリンドブルムへと歩き出した私は途中若いチョコボと追いかけっこをするモーグリと立ち寄った森で出会った。
実際どうなるかは読んでからのお楽しみ(´・ω・`)
霧についての考察は賛否両論でしょう。
エンディングは美しくありましたがビビがいないことに小学生の時の自分は
彼が止まってしまったことを理解できていませんでした。