ゾイドバトルストーリー異伝 ―機獣達の挽歌― 作:あかいりゅうじ
《ホエールキング》のブリッジに立ち、蒼穹の青空を覗いたエーファは、眼前を横切って飛びかう紅い《レドラー
十機にも満たぬ《ストームソーダ―》は、その倍は居よう《レドラー》達の合間を縫うように擦り抜け、『レーザーブレード』で、『パルスレーザー』で、翼に備えた『アイアンクロー』で、啄み、撃墜していく。澄み渡る青空に紅蓮の火花が弾け、噴煙が堕ちていく――追撃を止めるために戦う決死隊、その命が咲かせる徒花は儚くも、美しい。
ふと視線を、隣に立った若い士官の方へと薙ぐ。
スラと背の高い、長身の男性士官。エーファより一つ二つ年上か、というくらいの年若い青年だが――大佐という肩書きと、あのズィグナー・フォイアーのような勇士をして臣下の如く振舞わせる姿は、まるで古い時代の
膨れ上がる閃光に照らされた青年の、ヴォルフ・ムーロアの横顔――エーファは暫し、それに見惚れる。
エーファ・アクロウはこれまでの人生で、一度たりとも異性に魅せられた事が無かった。
帝都ヴァルハラに莫大な資産を持つ上流階級の一角・アクロウ家に生まれた彼女は、幼少より蝶よ花よと愛でられながら育ち――生粋の
だが、このヴォルフ・ムーロアは、彼女の知るどの男性とも――そして彼女が先まで愛していた、レニィ・シュヴェスター少佐とも違う。
彼の隣に立っただけで、エーファは自らの存在が霞むのを感じていた。彼女が傷つき堕ちているからではない、『二クスの戦姫』と敵味方に讃えられた全盛の自分でさえ、このヴォルフの持つ気品、滲み出る才覚とカリスマ性を前にすれば、平伏する他なかろう。
そんな、気高い
驚き、目を剥いたエーファは、「……どうして、泣くのですか?」と、恐る恐る問いかけた。流星の如く頬を引いた涙の雫を拭う事もせずに、チラと視線だけで彼女を一瞥したヴォルフは、「――堕ちていくからだ」と短く応じて、儚い火花となり散っていく《レドラー》を見返すと、。
「本当に為し得る事が出来るかどうかも分からぬ、大願。幻の母国を再建するために、彼等は私に仕え、私に託す……そんな無垢の『ゼネバスの命』達が――
――※※※――
ニフル湿原の『竜の巣』に帰還し、《バーサークフューラー》を停止させたエーファ。格納庫にズラと並ぶ
一瞬歩みを止めかけた彼女の傍らで、「参りましょう、少佐」と、今しがた丁度《ディロフォース》を飛び下りた副官・グレム・ダンカン中尉が促す。慌て我を取り戻し、「――ええ」と頷いたエーファが格納庫を立ち去ろうとした時だった。
「……おい、待てィ」
呼び止める嗄れ声に聞き覚えがあって、立ち止まる。出撃前に、エーファへと声を掛けて来た中年男性、コンチョ・キャンサ少尉。サングラスの下から覗く彼の双眸は、出会った時と変わらぬ訝しげなモノで――その敵意を肌で感じ取ったエーファは、ダンカン中尉達に先に行け、と手を翳した。
「何か? 私の部隊は、与えられた役目を忠実にこなして見せたモノと思っていたのですが」
「ああ、それはいい。今声を掛けたのは、俺の個人的な好奇心からだ。さっきお前さんが潰してきたゾイド部隊……お前さんの古巣だろう? 指揮官はレニィ・キュール・シュヴェスター少佐で、アンタとは相当に
不信を露わにして眉を顰めるエーファ。コンチョは悪びれる風もなく、「驚く事じゃない。俺は諜報員だ、ガイロス側の事情だって、多少は覚えがあるんだよ」と、顎髭を撫でると、
「聞かせてくれ、エーファ・アクロウ少佐。生粋のガイロス人であるアンタを、何がゼネバスに加え入れさせたんだ? かつての仲間達を容赦なく葬る事もいとわぬ今のアンタを……そうさせるモノとは、なんだ?」
数秒の間が、二人の合間を流れた。
黙りこくっていたエーファだったが、やがてフッと息を吐くや、自身の半貌を覆い隠したベルトへと手を掛ける。何を意味するか分かって、コンチョも、辺りに控えていた兵士や、機の整備員たちも皆一様に表情をこわばらせたが――、
――彼等の決心が付く前に、エーファは拘束具を勢いよく引き千切って、焼け落ちた自身の左半貌を晒した。
「……ッ」
青白いエーファの素肌、その額から頬に掛けて、痛々しいケロイドの跡が、まるで泥流のように這い流れていた。潰れた左目に光は無く、白濁と濁った眼球はルビーのような右の瞳とは似ても似つかぬ、屍の如き無機質さを醸しだす。壮絶な戦傷を目の前に、コンチョは思わず息を呑み、後ずさったが――、
「貴方がたと同じです。ヴォルフ様に忠誠を誓った……それだけの事」
と、微かに口元を歪めたエーファは、と、自らの傷をゆっくりと指でなぞる。
「ガイロスのためにと、ヘリック共和国の者共と戦った果て、この傷を負いました。『二クスの戦姫』と持て囃された栄華と、それに相応しい力と誇りを、合わせて失いましたが……苦痛と屈辱に咽び泣きながらも、私は母国のために捧げたのだと、納得しようとしたのです。でも――」
レニィ・シュヴェスターは――ガイロス帝国は、エーファの不幸を泣いてはくれなかった。
コンチョ、そしてエーファの後方に控えた、グレム・ダンカン中尉を初めとする彼女の部下達が、その言葉を無言で追う。ガイロスを捨て、とうの昔に滅びた幻へと加担する『客人』の、その真意を聞き逃すまいと、皆一様に、エーファの奏でる声へと、耳を傾けている。
「あの日、ズィグナー・フォイアー大尉に救われた私は、ヴォルフ様と直接言葉を交える機会を与えられた。殿下は大願のために果て無く続く貴方達戦いを憂い、その死に涙してくださいます。私も、そんな御方の下に仕えたい。ガイロスに残り、死に際して何の感慨も無く送られるより――優しいゼネバスの殿下が流した涙に、手向けられて逝きたいのです」
エーファ自身、語るに値せぬ『つまらぬ理由』だと思う。
ゼネバスの臣下達の死を、無意味ではない物にしよう。果たせぬ大願ではない、幻の国ではないモノとして、新たなゼネバスの再興を掲げ、成し遂げるようにしよう。そして――彼の宿命のために戦った果て、力及ばず死を迎えた時は――せめて、惜しまれながら逝きたい。
コンチョ・キャンサ少尉は、それ以上の言及をしなかった。数秒、眉間に深い皺を刻みつけたまま立ち尽くした彼は、やがて葉巻を一本だけ取り出して火を付けると、それを吹かしながら、クルと踵を返す。
「呆けるなよ、エーファ・アクロウ。
立ち去って行くその背中を、残された右の紅い瞳で見送ったエーファは、不意に差し出されたベルトに気づき、振り返る。ダンカン中尉だった。エーファが放って捨てた半貌の拘束具を拾い、差し出した副官は、もう一度「……参りましょう」と促す。
「エーファ・アクロウ少佐、力をお示し下さい。我らの悲願を共に願い、果たすために尽力を――さすれは、新しい『ゼネバス』は必ずや、貴殿を受け入れる事でしょう」
ダンカンの言葉にはエーファへの侮蔑も、彼女への過度な崇拝も無い、ただ純粋に『共に戦う同胞への配意』だけが在った。青年士官の言葉に、エーファもまた微笑を返しすと――来たるべき戦いに備え、基地の深奥へと歩みを進めた。
――ZAC2101年12月。
ガイロス帝国より離反した
エーファ・アクロウ少佐もその一人だ。
西方大陸戦争終結の混乱の最中、旧ゼネバス派勢力と合流した彼女は、竜鬼・《バーサークフューラー》を与えられて以後、暗黒大陸の各地で暗躍し、帝国国防軍を疲弊させた。後に共にデルポイ大陸へと渡った折には、指導者として前線を離れたヴォルフに代わって
新帝国成立後も戦乱は終わらず、混乱の中で(――もしくは各々が抱える思惑に従った故に)竜姫達も徐々にその姿を消し、歴史の面舞台より去って行く事になる。だが、エーファ・アクロウは最後までヴォルフ・ムーロア帝に仕える事を選び――ZAC2109年春、旧共和国首都・へリックシティを廻る攻防戦で戦死するまで、『ゼネバスの戦乙女』として在り続けたとされる。